2019年4月10日水曜日

「令和」批判

新元号について、東京新聞夕刊のコラム「大波小波」が2日間連続(4月8日付及び同9日付)で出色の批判を書いていたのが印象に残った。8日のそれは「万葉集の政治利用(狼)」、9日のそれは「新元号狂騒(霊倭)」と題されていて、両者とも新元号を「令和」と決定したといわれる安倍首相個人及び安倍政権(=官邸)を厳しく批判した内容となっている。


「令和」と梅

報道によると、「令和」は、万葉集の梅歌32首の序文、于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 からの引用だといわれている。歌の意は、

初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。

ここで注目すべきは「梅」である。

東京新聞のコラムの大意

同コラムを読んでいない人のためにその大意を示せば以下のとおりである。

〔万葉集の政治利用〕
  • 万葉集は、アジア太平洋戦争中は軍国主義に基づいた国家のプロパガンダに用いられた
  • 「令和」の出典は、国書からといわれているが、実は漢籍である
  • 漢籍であることはネット検索で簡単に判明することにもかかわらず、官邸が「万葉集」=国書と固執したのはなぜか
  • (本コラムを執筆した狼氏は)梅の花でならなかった事情があると推測する
  • 梅の花は前九年の役で源頼義の軍に敗れた奥州の豪族安倍氏を象徴する花
  • 安倍宗任が源頼義に都へ連行された際に、貴族から梅の花を示され詠んだ歌に、
  • 〈わが国の梅の花とは見つれども大宮人はいかがいふらむ〉というのがある
  • この歌は、梅の花は自分たち(安倍氏)のものだと敗者の誇りを示した一首
  • 安倍首相が出た山口県の安倍氏は、この宗任の末裔だといわれる
  • 最高権力者(安倍首相)への忖度から新元号が選ばれたのなら、これほど国民を馬鹿にした話はない
〈新元号狂騒〉
  • 安倍首相、菅官房長官は「令和」の出典は万葉集だと説明する
  • 「令和」は中国後漢の張衡の作品「帰田賦」に「仲春令月 時和気清」の先例があることを江戸時代の契沖が指摘している
  • 安倍首相は、万葉集が戦時下、国威発揚と忠誠心称揚のために利用されたことに触れようともしない
  • 〈海ゆかば 水潰く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ〉
  • 万葉集巻十八にあるこの大伴家持の歌は、信時潔の作曲を得て、戦中派、「わだつみ」世代など多くの人々に「君が代」に次ぐ国家のごとく唱和された
  • ドナルド・キーンは日本人捕虜の多くが万葉集を携帯していたことに驚いていたと回想している
  • 首相の言う「日本的なもの」が「古代朝鮮的なもの」「古典中国的なもの」にすぎないことは言語学、民俗学、考古学で明らかだ
  • 「日本ファースト」で病膏肓の首相には馬耳東風だろう

元号狂騒曲を奏でているのは大手メディア(新聞とテレビ)

東京新聞のコラムは、新元号に係る安倍及び首相官邸への批判として、管見の限りだが、誠に的確な批判だと確信する。しかし、新元号についてはそれを報道するメディアの側にかなりの偏向的傾向が見いだせる。東京新聞が、「令和」の出典は万葉集だが、それは古代中国の漢詩から採取したものだという確証を得ているのなら、安倍政権が「万葉集から」と発表したことに正面から反論すればよい。第一面がよかろう。とにかく、どの面でもよろしいが、少なくとも夕刊のコラムの、しかも匿名で扱うのはおかしな話である。まったく触れないよりはましなのかもしれないが。

新元号狂騒曲を奏でているのは、大手メディア業者のテレビ、大新聞である。万葉集の国文的価値を貶める気はまったくない。だが、万葉集には、政治的に利用された過去がある。万葉集を批判するのではなく、それを政治的利用した過去の日本帝国に批判的でありたい。

併せて、軍国主義に追随し、国民を戦争に駆り立てた当時の大新聞社の責任を不問に付してはならない。新聞業界人が過去の新聞のあり方を真に反省するのならば、新元号に込められた安倍政権の意図や思いを厳しく批判しなければ嘘である。