2019年11月1日金曜日

首里城焼失

10月31日午前2時41分、世界遺産の首里城跡に復元された正殿で、火災報知器が反応し、警備会社から「火が出ている」との通報があった。

消防車約30台、隊員約100人による大規模な消火活動が行われたが、火の勢いは弱まることはなく、正殿と北殿、南殿など計7棟が消失。午後1時半ごろに鎮火した。

オキナワはヤマトの基層

首里城の焼失は誠に残念であるが、少し見方を変えて、オキナワのもつ歴史的、民俗的重要性についてふり返ってみよう。

吉本隆明の『南島論』にあるように、沖縄王朝の祭祀はヤマトの天皇制度が継承するそれの先行形態を保持していた。ヤマトの天皇は男系だといわれているが、元をただせば、女王が霊的権威を司り、男王が俗的権威を司るという、二元的権威で構成されていたのである。このことは『魏志倭人伝』の倭の女王(卑弥呼)に係る記述によって裏づけられる。沖縄も、そしてヤマトも、本来、霊的権力は女系が司っていたのである。

大嘗祭の本義

折口信夫の『大嘗祭の本義』によると、天皇霊の継承の儀礼は、次期天皇(皇太子)が女性化して稲霊(男性)と同衾することで受け継がれるという。一方の沖縄では、聞得大君(沖縄神道最高神女=ノロ)と呼ばれる霊的最高権威者の霊威継承は、沖縄本島最大の聖地である斎場御嶽において行われ、その就任の儀式である「御新下り(うあらうり)」は、琉球の創造神との契りである聖婚(神婚)儀礼と考えられている。折口のいう、稲魂との同衾と同一である。ヤマトの場合は、天皇が女性〈性〉と男性〈性〉を兼ねるところに特色がある。

首里城とは何か

沖縄史の一時代、琉球王国の栄華を象徴する復元施設・首里城のこのたびの焼失は前出のとおり誠に残念であり、悲しい現実である。しかし、見方を変えれば、首里城は中華文明を強く意識してつくられたいわばハコモノものであり、沖縄の古来の祭祀、信仰を重視する愚生の思いに比べれば、その心の痛みはそれほどではない。

沖縄の信仰の聖地である本来の御嶽は、森のなかにひっそりと、簡素なただ小ぶりの石が数個置かれただけの狭い空間にほかならない。豪勢な王宮とはほど遠い。

消失するオキナワの言語、祭祀、秘儀

愚生の憂いは、例えば、斎場御嶽から臨まれる神の島、久高島の祭礼の「イザイホー」の消失であり、石垣島などで行われる「赤また、黒また」といった秘儀の消失がささやかれる今日の情況であり、そしてヤマト語によるオキナワ方言の駆逐である。これらはハコモノではない、沖縄の人々の生活過程、幻想過程、基層的価値観に基づいて息づいてきたものだと確信する。首里城の焼失は残念であるが、オキナワはすでに消えつつある。