2022年6月26日日曜日

日本昔ばなし 第一話「饅頭をたべる」、第二話「フラクション」

 

 
(第一話)饅頭をたべる

 これからする話は、この国の20世紀後半、西日本の小さな自治体のできごとだ。業界紙で働いていた筆者が、地域振興活動家を自称するとある人物から聞いたもの。そのころ日本各地では公共事業にまつわる談合が問題になっていた。入札予定価格が建設業者に漏れていたり、それぞれの業者が輪番で受注できるよう入札価格が調整されていたり、特定の業者が受注できるよう「天の声」が役所と業者にくだったりと、かなり脱法的行為が自治体と業者のあいだで横行していた。なぜそのような談合構造が構築されたのか、公共事業に縁の遠い多くの都会人には理解できなかった。もちろん、筆者も別世界のことだと思っていた。そんなわけで、この話は何年たっても忘れようがない。そういう世界があるのかと。いまはコンプライアンス順守やコンフィデンシャル・アグリーメントが当たり前の世の中になったので、まさか当時のようなことはあるまい、談合、情報漏洩などは絶滅したと思うので、日本昔ばなしとして聞いてほしい。

談合と饅頭

 過疎に悩む小さな自治体が地域活性化の方策に悩んでいた。当時、まちおこしイベントによる地域振興が流行していて、日本中の自治体職員はその企画に頭を悩ませていた。自治体職員、青年会議所有志、農協関係者・・・が終業後、だれかれとなく集まり、知恵を絞る毎日が続いた。そんなとき、深夜にも及ぶ会議室、諸々の事務費、休憩時間のお茶などを無料で提供してくれるのが、地元の有力な土建業者、建設業者だった。役所の職員も入るから、アルコールはご法度。会議のあいま、おやつに饅頭がきまってだされるのが常だった。
 熱心な会議が毎日が続く中、役所の職員と業者のあいだの壁は取り払われ、親密度が増して本音で話せる関係ができてくる。
 さて、深夜の有志の会議、企画は煮詰まっても、その壁となるのが予算である。立派なアイデアも予算不足のため頓挫してしまう。そんなとき、場所を提供してくれている業者が助け舟をだす。イベントにかかる予算の不足分は協賛(カネ)する、警備等の「ヒト」もだす、テント、客席づくりといった「モノ」までも業者が無料で提供してくれる。みなで苦労して出したアイデアが現実のものとなりそうだ。イベントが開催されれば絶対に話題を呼ぶ、新聞、テレビも取材にくる・・・
 そんなころをみはからって、業者が役所の職員にささやく、〝あの工事だけどさ″・・・と。役人は断れない。みなで煮詰めたイベントが実現間近なのだから。こうして役人どうし、業者との癒着を確認する隠語として、「キミ、饅頭たべた」が定着する。そう、いつも出されるあの饅頭である。「饅頭食べた」と答えれば、贈収賄関係が成立したことを意味する。「食べた」のが自分一人でないことを知って安心するのである。「饅頭」を食べてしまった役人は善意からである。イベントの成功、まちの活性化、明るい未来を夢想したのである。饅頭を出した業者だって、イベント開催に尽力したのである。それくらいの見返りがあっていい。 

毒饅頭

 「饅頭」はもちろん政界にも隠語として通用するようになるのだが、さすが政界においては「毒饅頭」と過激度を増した表現に変容した。自民党の有力議員が「毒饅頭」と発言して、当時話題をさらったものだ。賄賂を贈るほうは、政治家に対し、自分に有利になるよう関係者に便宜を図るよう尽力してもらうことを期待する。また、地位を保証してもらったりもする。また、賄賂(カネ)を渡さなくとも、裏から政治家を応援したり協力をすることもある。その関係の成立を、「毒饅頭」と表現したわけだ。まさに「饅頭怖い」というオチがついた。 

地域社会の小さな富の奪い合い

 地方自治体(行政)は住民ときわめて密接な関係にある。彼らが住まうまち(共同体)には生活者どうしの利害の対立があり、調整を要することがあり、権益の独占、すなわち、利権がつきものとなる。残念なことだけれど、それが政治・行政の意思決定の核となることもある。小さな共同体の中のささやかな富の奪い合いだ。奪い合う自由を放置すれば、強者(資産家、事業者等)が有利な立場にあるから、かれらが政治家や役人を動かして富と権力を独占するか、強者同士で分けあってしまう。そして、下層の公務員、労働者、無産者は富の恩恵にあずかれない。そればかりではない。小さな富の奪い合いの過程においては、権力者側が見えない罠を張り巡らす。この国の有権者は、前出の昔ばなしのように、権力側と見えない糸でつながっている。糸の先には生活の保障があり、それと引き換えに投票箱に結ばれている。自分の職、いい仕事、出世、もちろん収入(生活)が権力側と投票という糸でつながっている。糸でつながっていない生活者は、政治に無関心であり、かれらの関心事は日常のささやかな充実である。その占める割合は、この国の有権者のほぼ5割を占めていて、大都会にいけばいくほど、その比率は高くなる。

(第二話)フラクション 

1950年代末、谷川雁らが組織したサークル村

 政治や行政が投票と結びついていると感じにくい大都会の無党派層を利益誘導なしで組織化することはできないのだろうか。これからする話も、すでに昔ばなしの感が拭えないけれど、有効かもしれないので参考にしてもらえればいい。

組織づくりの基本

 組織づくりの伝統的手法として思い浮かぶのが、フラクションである。フラクションとは小さな断片という意味で、政党が有権者を利益誘導ではなく、市民の関心事に焦点を当て、数人単位の勉強会などを開催して集まってもらことから始まる。資金力のない政治組織が組織づくりを行うときの「はじめの一歩」と考えていい。小さな政党が政治活動を始める時、フラクションの結成のない組織づくりはあり得なかった。
 参院選たけなわのいま(2022.6.26)、棄権しないでください、投票しましょう、という呼びかけが大きくなるが、これほど無駄なものはない。いわんや、政治家がこの期に及んで、声を大にして自分、自党への投票呼び掛けに精を出しているのが哀れでならない。ほかにやることがないから仕方がないのだけれど、賢明な姿には見えない。
 いやしくも政治家を志し、政党という看板を世に掲げたならば、党員、シンパ、賛同者を自力で増やすしかないのである。常日頃から、有権者に向けて政策を訴え、権力側を批判し、それにかわるビジョンを示さなければならない。選挙になってから、熱を上げても遅すぎる。
 有権者すべてを党員とそのシンパに組織化することは不可能。そんなことはわかりきっている。だからといって、常日頃なにもせず、投票間近になって有権者に接近したのでは遅すぎる。日ごろから、党の核となる者を育て、要所に配し、読書会、勉強会、討論会、研究会等を組織的に開催し、その輪を広げなければ、支持層の拡充はない。
 日本共産党は戦前から、職場、大学等でフラクション(支部組織)を育ててきた。その後、1960年代~1970年代、新左翼各派は左翼反対派として、経済学、哲学、社会学、国際政治論、地政学・・・あるいはまた、演劇、映画、文学、音楽・・をテーマとした、フラクションを開催してきた。遡れば、1950年代末には「サークル村」があった。かくして、それらが実を結び、1960年代後半には、左翼反対派は急成長をはたした。

NC(ナショナルセンター)だってまだ使える 

 各所に分散していたフラクションが育ち、そこから地域連絡会が張り巡らされ、市区町村から都道府県、そして全国に規模拡大する。
 終戦直後から1970年代までにわたって先人が育て上げてきたのが、職場ならば今日の日本労働組合総連合会 (連合)であり、学生ならば全日本学生自治会総連合(全学連)である。いわゆるナショナル・センター(NC)だ。いまどちらもかつての求心力を失い、政治的影響力を消失しつつあるが、それは受け継ぐべき者がしっかり受け継がず、成長させる努力を怠り、先人が築き上げた遺産を食いつぶしてしまったからだ。
 政党の看板を掲げた以上、組織づくりが必須となる。労働者、学生のNCは弱体化したとはいえ、なくなったわけではない。連合は立民と国民にとられているからあきらめるのか。左翼反対派として介入すべきである。介入の方法は、NC内に「細胞」を侵入させ、増殖させる手法である。「細胞」が増殖すれば、あたりまえだけれど、政治勢力として拡大、成長する。左翼反対派なら、そこに着手しなければ、政権交代など夢の夢である。選挙だけが戦いの場だと規定するのは誤りである。日常があり、選挙があり、選挙結果を受け反省し、日ごと成長するのが政党である。盆踊りの選挙パフォーマンスで、無関心派、無党派層を獲得しようなんて、あまりにムシが良すぎる。(了)  

2022年6月24日金曜日

完全、ノーノーは今季、なぜ続出するのか

 今シーズンのNPBは完全試合(パーフェクト)、無安打・無得点(ノーヒット・ノーラン)が両リーグを通じて多発している。シーズン半ばにして、完全の佐々木(ロッテ)を筆頭に、記録に残らな準完全が大野(中日)の二人。ノーノーは山本(オリックス)、今永(DeNA)、東浜(ソフトバンク)と3人である。打高投低といわれる野球界の昨今の傾向からすると、信じがたい感がある。

当然、その理由をたずねなければなるまい。しかるに、筆者においては、野球解説者諸氏の見解を管見の限り聞く範囲において、明快な回答を得るに至っていない。そこで筆者の見解を披歴する次第である。

その答えは単純にして明快、主審の縦ゾーンのストライク判定が低めに広くなったからである。ルールでは、打者がヒッティングに入った状態において、縦方向の上限:肩の上部とユニフォームの ズボンの上部との中間点に引いた水平のライン、縦方向の下限:膝頭の下部のライン、と定められている。(下図参照)

今シーズン、主審はこの規定通りにストライク判定をしている。以前はどうだったのかというと、縦ゾーンの低めに辛く、投手に不利な状況が続いていた。MLBはその低めがさらに甘く、打者がフライボール革命を起こし、低めを克服しようと努力している。NPBでは永らく、ダウンスイングがよしとされ、高めを叩く打法が推奨されてきた。投手側はそれに対してチェンジアップ、スプリット、ナックルカーブ等、縦の変化に生き残り策を見出し、縦方向におけるストライクゾーンぎりぎりからさらに低めに変化する球種を多投するようになった。今シーズンは更に、縦方向の低めが広くなったため、投手有利へと変異したことになる。しかし、MLBでも同じようなものだけれど、NPBの場合は主審の個性にバラツキがあること。だから、主審次第で、1試合に10本近くのホームランが飛び出すような打撃戦もある。

筆者の見解としては、ルール通りにストライク判定することがあたりまえであって、観客に忖度する必要はない。今季、審判団が規定順守に切り替えたことは英断である。コミッショナー、メディア、ファンも審判団の英断を支持し、へんな圧力を加えないことを望む。たとえば、投壊にあえぐ読売あたりから、打者有利のストライクゾーンに戻せというような圧力がかからないとも限らない。投手はさらに低めのストライクをうまく使える投球に磨きをかけるように、打者は打者で、低めに広くなったストライクゾーンを克服するための技術向上に、それぞれ、はげんでもらいたいものである。(了)

2022年6月22日水曜日

杉並区長選を鳥瞰する(地域と政治)

 東京・杉並区長選は、野党共闘(立民、共産、れいわ、社民等)が成立して、盛り上がりを見せた。結果は野党統一候補の岸本聡子が、四選を目指した田中良 (現職・無所属)を僅差で破り初当選を果たした。負けた田中は無所属だが、実態上は自民・公明等の国政与党の支援を受けていた。
 筆者は杉並区民ではないし、同区の情況を把握していないが、拙Blog前投稿で示したとおり、高円寺の再開発事業計画に関心をもっていた。この選挙結果がその行方を左右するといわれているところから、再開発計画の凍結・見直しを表明していた岸本の勝利に安堵している。少なくとも、以降4年間は再開発が進まないだろう。 

(一)岸本の勝因は投票率アップ

 岸本の勝因は、新聞報道(東京新聞/2022/6/22朝刊/ フリーライター・畠山理仁の話) によると、投票率アップだという。東京の区長選の投票率はおおむね低率で、杉並の場合も、前々回(2014年)が28.79%、前回(2018年)が32.02%、今回が37.52%であるから、低いレベルにある。それでも今回選挙で、過去2回を5~10ポイント上回ったことに注目していい。
 筆者には、投票率がなぜ上がったのかわからないし、その票がどのように流れたかもわからない。よって、以降は推論になるのだが、岸本当選の要因として、①女性候補、②野党共闘ネットワークの精力的な選挙活動、③岸本が再開発計画みなおし、凍結を表明したこと――を挙げる。①については、岸本が女性であること以上に、候補者として「タマがよかった」ことだろう。②については、当然のことながら票が拡散しないのだから勝因となる。その伏線は、昨年衆院選東京8区(杉並区)において、自民党元幹事長・石原伸晃を立民の吉田晴美が破ったことである。この勝利は、同ネットワークの運動の成果であり、その流れが今回選挙にも持ち越された。さて、筆者としては、③が投票率のアップにつながり、その票が岸本に流れたと信じたい。そう確言するためには、投票行動の調査分析が必要だが、たとえば、松本哉の「再開発反対デモ」などが効いた可能性もあり得る。 

(二)国政選挙につながるか 

 岸本の勝利は、野党共闘にとって「大きな勝利」なのか、それとも「ささやかな二勝目」なのか――岸本新区長 の考え方は、れいわ新選組の政治信条に近いという。新自由主義が進める公共の叩き売りを象徴する水道民営化の弊害をいちはやく指摘し、利権政治を否定し、ひとにやさしい政治を目指すという主張はその範疇にある。
 しかしながら、岸本はれいわが探し出して担いだ候補者ではない。岸本が区長選に出馬するにあたっては、2022年1月、児童館統廃合やJR駅周辺の道路拡幅事業などの田中良杉並区長(当時)の区政運営に批判的な区民らが、市民団体「住民思いの杉並区長をつくる会」を結成。同年4月10日、同団体は任期満了に伴う杉並区長選挙に岸本を擁立することを決定し、岸本は同月に杉並区に移り住んだという(『東京新聞web』2022年4月26日) 。岸本を発見し、彼女を区長選に引きずり込んだのは、既成国政政党である立民、共産、れいわではなく、市民団体だった。 
 岸本の政治信条と近いというれいわ新選組の政治活動、選挙運動は、野党共闘ネットワークとは同質なのだろうか、両者はおなじような政治体なのだろうか――筆者はこう考える。 同ネットワークは、杉並という地域で地道に活動を継続してきた市民団体であり、選挙になると、市民生活に脅威を与えるような候補者に批判的立場にある候補者を応援し、前出の石原伸晃落選という成功事例をつくりだした。今回の杉並区長選では、その組織力とネットワークが駆動し、既成国政政党がそれにのっかり、新区長誕生に行き着いたと。  

(三)杉並における革新の伝統

 れいわ新選組の選挙運動は、党首・山本太郎を前面に出し、インターネット(SNS、YouTube、Blog等)及び街頭演説を駆使したスタイルが目立つ。資金不足という面があるのかもしれないが、れいわの選挙は空中戦である。一方、東京8区における前回衆院選及び今回杉並区長選で勝利した杉並区野党共闘ネットワークの選挙運動は、杉並というかつての革新の牙城を根拠地とした陣地戦である。両者の政治体は、筆者には異質に見える。
 両者のちがいは、戦後の住民運動を経験してきた杉並の実績に起因する。杉並には革新の伝統があり、れいわにはそれがない。革新における、老舗(杉並)と新規参入者(れいわ新選組)のちがいである。
 杉並は日本における原水爆禁止運動発祥の地である。このことは同区の革新の伝統をもっともよく表す。1954年3月、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験に反対する署名運動が杉並で始まった。同年5月、「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成され、組織的な運動へと発展する。そして8月には「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、運動は全国へ波及する。1955年には、原水爆禁止日本協議会(略称/原水協) が結成される。杉並区郷土博物館には、同運動に関する常設展示場がある。また、高度成長期にあった昭和40年代、公害や環境汚染が問題になっていたころ、杉並清掃工場の建設をめぐり、建設を推進する東京都に対し、同区高井戸地域の住民が反対運動を展開している。この紛争は当時、「東京ごみ戦争」といわれた(すぎなみ学倶楽部/ https://www.suginamigaku.org ) 。杉並にはかつて、東京都と「戦争」をした歴史がある。

(四)れいわ新選組の政治目標と選挙 

 れいわ新選組の現時点における政治目標は、野党第一党を目指すことだという(『鮫島タイムズ』鮫島浩/you Tube)。それには、立民、共産を後退させて、自らが自民・公明・国民・維新と単独で闘える情況を創出することだという。党首であり同党のアイコンである山本太郎が今回参院選・東京選挙区に立候補したことは、そのことを象徴すると。  
 鮫島の指摘が正しいとするならば、杉並区長選における岸本の勝利は、れいわ新選組の政治目標の達成ではなかろう。れいわは、野党共闘に積極的ではないはずだから。繰り返すが、杉並区長選の勝利は、杉並に根づいた革新ネットワークのそれであり、革新的土壌が根づいた杉並において、両者が融合し、無党派層を岸本に引き寄せた。換言すれば、れいわ新選組を含めた既成政党(立民・共産・社民)には、無党派層を自陣に引き寄せる力量がないということである。 

(五)与党の選挙の闘いかた 

 杉並で2連敗を屈した自・公・維新・国民だが、彼らの選挙戦のスタイルを大雑把におさえておこう。自民は、傘下の県連、地方議員を動員して業界団体、各議員後援会、町内会、宗教団体、日本会議・・・といった組織をフル活用して集票する。参院選比例ならば、広域にはられた業界団体、宗教団体の組織票は強力だ。さらに、与党というメリット(税制改正、各種優遇措置、特定事業指定等々)を「政策」という名目で法制化して、大ぴらに利益誘導することができる。マスメディアの不作為の応援もある。公明の強みは創価学会票だ。さらに、維新の大阪圏地域票、国民には連合右派の応援がある。与党が手ごわいのは、選挙に勝つための装置を長年にわたってつくり上げてきたところにある。戦後、日本の選挙民は与党に投票することが生活の安定に直結するという確信を抱いてきた。しかし、近年、その確信はおおいに揺らいでいるはずなのだが、野党側にはそれを組織化することができていない。

(六)野党の現況における組織実体

 れいわ新選組は歴史が浅い。地域にも広域にも根が張られてはいないのだから、いまのところ「山本太郎」頼みなのは仕方がない。しかし、立民は政党としての歴史を重ねている。にもかかわらず、縮小傾向に歯止めがかからない連合左派頼りである。共産もしかり。これまた先細りの党員と彼らが売りさばいた機関紙『赤旗』の読者頼みという状態である。野党が選挙に勝てないのは、陣地戦を戦うための根拠地(地域組織)の構築に失敗したからであり、それに取り組もうとしなかったからである。れいわを除く野党は、党幹部が選挙に勝てればいい(議員になること)、という認識のまま、できあがった組織に安住してきたのである。いわゆる、気楽な「野党業」だ。
 れいわ新選組には、立民、共産の「野党業」でいい、という姿勢を感じない。そこに魅力がある。しかし私見にすぎないのだけれど、れいわが陣地戦を戦う力量を蓄えるには、すなわち、地域に根差した組織づくりが実を結ぶには、21世紀の中葉に至るくらいの時間を要するようにも思える。
 〝ローマも選挙も、一日してならず”というわけ。(了)

2022年6月14日火曜日

東京・杉並区高円寺再開発計画

 杉並区長選。東京の東半分で右往左往している筆者には遠いところ。同区について承知しているのは、Facebookの「友達」であるYoshikiyoの投稿に限られている。Yoshikiyoは高円寺で音楽スタジオを経営する傍ら、「きれいなところをきれいにする」というボランティア活動に精を出したり、高円寺活性化のための音楽イベント開催やまち歩きマップづくりなどに自主的に取り組んでいる、若き地域振興リーダーの一人である。 

Yosihikiyoは区長選公示前から、自分の生活拠点である高円寺再開発計画に関心を示し、彼の基本姿勢として、再開発計画の凍結、見直しを公表していた。ところが、ここのところ、区長選及び再開発計画に係る投稿を封印したかのように沈黙を貫いている。その理由は不明である。 

まちづくり(再開発等)とは「政治」そのもの

一般論であるが、再開発等によるまちづくりとは行政の一環だと考えがちだが、実は政治の原点というか、「政治」そのものといっていい。今般、都内各所で立ち上ろうとしている再開発計画といえば、土地利用制度の規制緩和に基づく、道路拡幅、建物の高層化・不燃化の実現である。東京東半分では、立石(葛飾区)の再開発が、また、都心では神宮の森再開発が議論になっている。もちろん愚生は、その両方ともに反対する。

さて、拙Blogのテーマである区長選をひかえた高円寺を筆者が訪れたのは、四半世紀を超えた大昔のこと、密集した飲み屋街にある沖縄料理店で飲んだのが最後だから、現況を把握していないので誤った認識かもしれないけれど、活気のある下町という印象であった。そんな高円寺に、何十年前かに策定された道路拡幅計画をタネにした再開発計画が復活したのだ。 

前出のまちづくり(再開発事業等)が「政治」そのものという根拠は、それが住民の利害の衝突を調整する必要があるからだ。行政は計画推進に係る事務の専任者であって、計画の実施は政治の判断にゆだねられる。

計画内の住民してみれば、再開発後、地権者である自分の不動産(資産)価格が上昇することが見込まれる。そればかりではなく、再開発事業の場合、再開発事業組合員には、地権者としてタネ地を所有するデベロッパーが入るケースが多く、デベロッパーが分譲する高層マンション等に地権者として自動的に入居できる。商売をやっていれば、地上階に新しい店が開店できるばかりか、等価交換で上階に居室をもらえる可能性も高い。計画地区外の住民でも、近接していれば不動産価格は上昇するから、資産価値は膨らむ。そんなわけで、計画にもろ手を挙げて賛成する住民は少なくない。

その一方、再開発事業地区に係らない住民にとっては、それまで培ってきたまちの付加価値が損なわれてしまうという立場で反対にまわることも多い。美しい景観を阻害するという反対理由も多い。高円寺の場合、ここはいわゆる昭和の「中央線文化」のど真ん中。ふるきよき高円寺を守りたい、という主張も台頭しているらしい。彼らにしてみれば、「古本屋」「ジャズ喫茶」「人情酒場」はまちの「三種の神器」である。

再開発事業と防災

 再開発推進派の「最終兵器」は「防災」である。路地にそって無秩序に建てこんだ木密住宅群、商店街、飲食街は地震、火災のとき大惨事を引き起こす可能性が高い。安全、命を守るまちづくりのために再開発は必要だと主張されると、反論がむずかしい。防災と伝統的建築物保護の両立を図る制度がないわけではない。伝統的建造物群保存地区(略称「伝建(デンケン)」である。デンケンは、文化財保護法第143条第1項または第2項の規定により、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高いもの、およびこれと一体をなしてその価値を形成している環境を保存するため、市町村が地域地区として都市計画もしくは条例で定めることができる。しかしながら、「デンケン」が適用されるのは、たとえば京都なら、産寧坂、祇園新橋あたりで、デンケンがかぶせられるためのハードルは相当高い。同じ京都でも、ふつうの町屋(まちや)の保存には適用された実績がない。いわんや高円寺の繁華街、商店街、住宅群には係らない。

つまり、高円寺のまちづくりの方向性は、政治(区議会選挙、区長選挙等)により、意思決定されることが、当然のことながら求められる。投票は、まちづくりに関する重要な住民の意思の反映の機会である。

杉並区長選と高円寺再開発 

高円寺再開発の実施云々が、杉並区長選の争点の一つになっているかどうか、報道をよむかぎり、筆者にはわからない。ただ、あの「素人の乱」『世界マヌケ反乱の手引き』で柄谷行人が支持を表明した、高円寺在住の松本哉のBlogには、次のように書かれている。

 みなさん、一大事、一大事。驚天動地のニュースが舞い込んで来た。なんと謎のカオス感が最大のウリの高円寺に再開発計画があるということだ。あろうことか高円寺北口の主要商店街を潰して大通りを通してしまうという。う〜ん、ゴチャゴチャして意味不明の店が大量にある感じの高円寺の良さを全く理解していないような、こんなバカな計画があるだろうか! なに考えてんだか、まったく〜

とあり、松本はさっそく、再開発反対デモを組織・敢行したようだ。 続いて、松本は同Blogにおいて、高円寺の魅力を次のように書いている。

 さて、開発するしない以前に、行政の側は高円寺の良さを考えたことがあるんだろうか。高円寺好きの人たちが口を揃えていうのがやはり、この現代版昭和の世界のようなゴチャゴチャした、いい意味のカオス感。これがなくなったら高円寺でもなんでもない。今、日本中の駅前などで商店街が滅んで消えて行く中、いまだに高円寺一帯は商店街だらけ。しかも、一本や二本の商店街だけじゃなく無数の商店街があり、特に北口に至ってはほぼ商店街だけで街が成り立っている。そこがいい。地方から来る人たちなんかはみんな「いまだに商店街が賑わってるなんてすごすぎる!」と驚きまくっている。さらには、商店街だらけということは小規模店舗だらけということなので、無数の個人商店がある。すると中には、完全に謎の店や、どう考えても採算あってなさそうな店、高円寺から他の街に引っ越した瞬間に倒産しそうな店などなど、訳のわからない店が大量にある。そういう店はさすがにどんどん潰れたりもするけど、同時にどんどん新しく謎の店ができたりするところもすごい。そのおかげで、どんな人生送ってんだかわからないような謎の人物もウロウロしているのも高円寺の面白いところ。
 そして、訳のわからない若者がのさばってる街かというと、実はそうでもなく、最強の老人たちもやたら生き生きしてるところも高円寺の恐るべきところ。街中が商店街で個人商店だらけなので、人と人の距離感がやたら近いので、そんなオッサンやおばちゃん達もそんな謎の若い奴らと渡り合いながら妙に生き生きしている。
 

松本の言説を補足するものはなにもない。高円寺は、筆者が沖縄料理店で飲んだ四半世紀前と変わらない魅力をいまなお保っているようだ。再開発でのっぺりとした、どこにでもあるようなまちに変貌したら、高円寺をめざしていた周辺の消費者ばかりか、海外旅行者も寄り付くまい。住民にとっても、いっとき、資産価値が上がったとしてもそれは未実現利益(含み益)であり、固定資産税等が高くなるだけだ。再開発により魅力を失った高円寺は、まちの発展の契機を永遠に失う可能性がある。元に戻りたくても、戻れないのである。

積み残した、防災のまちづくりという課題にこたえる方策については、いますぐに思いつかないかもしれないが、無謀な再開発計画を凍結・見直しするにしくはない。防災・減災にはソフト面の施策が有効である、という研究を積み重ねる余地は残されているのだから。筆者は杉並区長選に投票することは不可能だけれど、高円寺再開発事業計画を凍結・見直しする候補者に勝ってほしいと、心から願っている。(了)