2022年6月14日火曜日

東京・杉並区高円寺再開発計画

 杉並区長選。東京の東半分で右往左往している筆者には遠いところ。同区について承知しているのは、Facebookの「友達」であるYoshikiyoの投稿に限られている。Yoshikiyoは高円寺で音楽スタジオを経営する傍ら、「きれいなところをきれいにする」というボランティア活動に精を出したり、高円寺活性化のための音楽イベント開催やまち歩きマップづくりなどに自主的に取り組んでいる、若き地域振興リーダーの一人である。 

Yosihikiyoは区長選公示前から、自分の生活拠点である高円寺再開発計画に関心を示し、彼の基本姿勢として、再開発計画の凍結、見直しを公表していた。ところが、ここのところ、区長選及び再開発計画に係る投稿を封印したかのように沈黙を貫いている。その理由は不明である。 

まちづくり(再開発等)とは「政治」そのもの

一般論であるが、再開発等によるまちづくりとは行政の一環だと考えがちだが、実は政治の原点というか、「政治」そのものといっていい。今般、都内各所で立ち上ろうとしている再開発計画といえば、土地利用制度の規制緩和に基づく、道路拡幅、建物の高層化・不燃化の実現である。東京東半分では、立石(葛飾区)の再開発が、また、都心では神宮の森再開発が議論になっている。もちろん愚生は、その両方ともに反対する。

さて、拙Blogのテーマである区長選をひかえた高円寺を筆者が訪れたのは、四半世紀を超えた大昔のこと、密集した飲み屋街にある沖縄料理店で飲んだのが最後だから、現況を把握していないので誤った認識かもしれないけれど、活気のある下町という印象であった。そんな高円寺に、何十年前かに策定された道路拡幅計画をタネにした再開発計画が復活したのだ。 

前出のまちづくり(再開発事業等)が「政治」そのものという根拠は、それが住民の利害の衝突を調整する必要があるからだ。行政は計画推進に係る事務の専任者であって、計画の実施は政治の判断にゆだねられる。

計画内の住民してみれば、再開発後、地権者である自分の不動産(資産)価格が上昇することが見込まれる。そればかりではなく、再開発事業の場合、再開発事業組合員には、地権者としてタネ地を所有するデベロッパーが入るケースが多く、デベロッパーが分譲する高層マンション等に地権者として自動的に入居できる。商売をやっていれば、地上階に新しい店が開店できるばかりか、等価交換で上階に居室をもらえる可能性も高い。計画地区外の住民でも、近接していれば不動産価格は上昇するから、資産価値は膨らむ。そんなわけで、計画にもろ手を挙げて賛成する住民は少なくない。

その一方、再開発事業地区に係らない住民にとっては、それまで培ってきたまちの付加価値が損なわれてしまうという立場で反対にまわることも多い。美しい景観を阻害するという反対理由も多い。高円寺の場合、ここはいわゆる昭和の「中央線文化」のど真ん中。ふるきよき高円寺を守りたい、という主張も台頭しているらしい。彼らにしてみれば、「古本屋」「ジャズ喫茶」「人情酒場」はまちの「三種の神器」である。

再開発事業と防災

 再開発推進派の「最終兵器」は「防災」である。路地にそって無秩序に建てこんだ木密住宅群、商店街、飲食街は地震、火災のとき大惨事を引き起こす可能性が高い。安全、命を守るまちづくりのために再開発は必要だと主張されると、反論がむずかしい。防災と伝統的建築物保護の両立を図る制度がないわけではない。伝統的建造物群保存地区(略称「伝建(デンケン)」である。デンケンは、文化財保護法第143条第1項または第2項の規定により、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高いもの、およびこれと一体をなしてその価値を形成している環境を保存するため、市町村が地域地区として都市計画もしくは条例で定めることができる。しかしながら、「デンケン」が適用されるのは、たとえば京都なら、産寧坂、祇園新橋あたりで、デンケンがかぶせられるためのハードルは相当高い。同じ京都でも、ふつうの町屋(まちや)の保存には適用された実績がない。いわんや高円寺の繁華街、商店街、住宅群には係らない。

つまり、高円寺のまちづくりの方向性は、政治(区議会選挙、区長選挙等)により、意思決定されることが、当然のことながら求められる。投票は、まちづくりに関する重要な住民の意思の反映の機会である。

杉並区長選と高円寺再開発 

高円寺再開発の実施云々が、杉並区長選の争点の一つになっているかどうか、報道をよむかぎり、筆者にはわからない。ただ、あの「素人の乱」『世界マヌケ反乱の手引き』で柄谷行人が支持を表明した、高円寺在住の松本哉のBlogには、次のように書かれている。

 みなさん、一大事、一大事。驚天動地のニュースが舞い込んで来た。なんと謎のカオス感が最大のウリの高円寺に再開発計画があるということだ。あろうことか高円寺北口の主要商店街を潰して大通りを通してしまうという。う〜ん、ゴチャゴチャして意味不明の店が大量にある感じの高円寺の良さを全く理解していないような、こんなバカな計画があるだろうか! なに考えてんだか、まったく〜

とあり、松本はさっそく、再開発反対デモを組織・敢行したようだ。 続いて、松本は同Blogにおいて、高円寺の魅力を次のように書いている。

 さて、開発するしない以前に、行政の側は高円寺の良さを考えたことがあるんだろうか。高円寺好きの人たちが口を揃えていうのがやはり、この現代版昭和の世界のようなゴチャゴチャした、いい意味のカオス感。これがなくなったら高円寺でもなんでもない。今、日本中の駅前などで商店街が滅んで消えて行く中、いまだに高円寺一帯は商店街だらけ。しかも、一本や二本の商店街だけじゃなく無数の商店街があり、特に北口に至ってはほぼ商店街だけで街が成り立っている。そこがいい。地方から来る人たちなんかはみんな「いまだに商店街が賑わってるなんてすごすぎる!」と驚きまくっている。さらには、商店街だらけということは小規模店舗だらけということなので、無数の個人商店がある。すると中には、完全に謎の店や、どう考えても採算あってなさそうな店、高円寺から他の街に引っ越した瞬間に倒産しそうな店などなど、訳のわからない店が大量にある。そういう店はさすがにどんどん潰れたりもするけど、同時にどんどん新しく謎の店ができたりするところもすごい。そのおかげで、どんな人生送ってんだかわからないような謎の人物もウロウロしているのも高円寺の面白いところ。
 そして、訳のわからない若者がのさばってる街かというと、実はそうでもなく、最強の老人たちもやたら生き生きしてるところも高円寺の恐るべきところ。街中が商店街で個人商店だらけなので、人と人の距離感がやたら近いので、そんなオッサンやおばちゃん達もそんな謎の若い奴らと渡り合いながら妙に生き生きしている。
 

松本の言説を補足するものはなにもない。高円寺は、筆者が沖縄料理店で飲んだ四半世紀前と変わらない魅力をいまなお保っているようだ。再開発でのっぺりとした、どこにでもあるようなまちに変貌したら、高円寺をめざしていた周辺の消費者ばかりか、海外旅行者も寄り付くまい。住民にとっても、いっとき、資産価値が上がったとしてもそれは未実現利益(含み益)であり、固定資産税等が高くなるだけだ。再開発により魅力を失った高円寺は、まちの発展の契機を永遠に失う可能性がある。元に戻りたくても、戻れないのである。

積み残した、防災のまちづくりという課題にこたえる方策については、いますぐに思いつかないかもしれないが、無謀な再開発計画を凍結・見直しするにしくはない。防災・減災にはソフト面の施策が有効である、という研究を積み重ねる余地は残されているのだから。筆者は杉並区長選に投票することは不可能だけれど、高円寺再開発事業計画を凍結・見直しする候補者に勝ってほしいと、心から願っている。(了)