2022年9月2日金曜日

旧統一教会問題を考える〔緊急投稿〕

旧統一教会と選挙 

 予告を変更して、旧統一教会に関する補論を急遽、書くことにした。そのきっかけとなったのが、お読みになった方も多いと思われるが、『東京新聞 論壇時評(2022/08/29夕刊)』に掲載された中島岳志の『旧統一教会と自民党/ 固定票と「悪魔の取引」』という小論である。同小論は、両者の関係に対する簡潔にして的確な批判となっているが、納得しかねる部分もある。以下、中島の時評の要約およびそれに対する筆者の批判を展開する。 なお予告した「洗脳」は後日、まとまり次第、掲載する。

〔一〕中島の時評の要約 

 安倍政権を支持する固定票とは、▽日本会議、神道政治連盟等に代表される戦前回帰勢力票、▽後援会、町内会等の草の根保守層票、▽自公政権下、権益を享受する経済等諸団体構成員票、そして、▽旧統一教会信者票である。なお、公明党との共闘による創価学会員票は、自公連立政権維持のための間接的基盤として寄与している。

安倍政権が仕組んだ「固定票、低投票率」選挙 

 中島は鈴木エイト〔著〕の(『日本を壊した安倍政権』/扶桑社)を援用しつつ、第二次安倍政権において旧統一教会と自民党の関係が深められたことを、また、中北浩爾〔著〕の(『自民党-「一強」の実像』/中公新書)を援用しつつ、安倍政権がかつての小泉政権による無党派層重視の選挙戦術から、固定票を積み上げる戦術に転換したことを明らかにしている。
 安倍政権は争点を明確にした選挙を行わなかった。総選挙の場合には〝なんとなく解散″を続けた。小泉政権が衝撃的ワンイッシュー「郵政解散」で大勝した選挙戦スタイルと際立った対比を見せてきた。その結果、安倍政権における国政選挙はきまって低投票率であり、投票率が低いぶん、固定票で上回る与党が勝つというパターンを繰り返してきた。そしてこのパターンは、現政権(岸田)にも引き継がれようとしている。
 安倍政権下の選挙における旧統一教会と自民党との関係は、旧統一教会の組織票依存だけにとどまらず、選挙運動を支える人員などを旧統一教会が無償で提供することで、より深まっていった。安倍政権下、それまで長年にわたり文科省が申請を拒んできた旧統一教会の宗教法人名の変更を自民党幹部議員である下村博文(文科大臣)のもと、一転して許可した。このような相互関係を前出の鈴木エイトが「悪魔の取引」と表現したことが本文中に紹介され、この小論のサブタイトルに付されている。 

旧統一教会票が参院選比例代表選挙でプレゼンスを発揮 

 安部政権下の参院選においても、与党がマニュフェストを明示せず選挙を戦ってきたことは、総選挙と変わらないが、それだけにとどまらない。中島は、三春充希〔著〕の『武器としての世論調査/ちくま新書』を援用し、参議院選挙における旧統一教会の介入戦略を紹介している。重要な個所なので、全文を書き抜く。 

三春は、旧統一教会の有権者を8万3千人程度と推計する。参議員の比例代表選挙で1議席を獲得するためには百万票程度が必要となる。しかし、獲得議席がどの候補者のものとなるかは、個人名が記された票の数によって決まる。「自民党の場合、その際に必要となる票は12万票程度であるため、旧統一教会の票を誰に乗せるかは、自民党の各派閥の中でどのように議席が分配されるかということに関わってくる」。つまり、旧統一教会のプレゼンス(存在)を最大化することができるのが、参議院比例代表選挙の「非拘束式名簿」なのだ。旧統一教会はこの方法を通じて、実質的な教団の組織内議員を与党の中に送り込み、政治的影響力を行使してきたと見られる。

〔二〕中島の時評を批判する 

 中島は、《旧統一教会と自民党の蜜月を生み出した背景には、低投票率と選挙制度のあり方がある。有権者もまた、この問題にかかわってきた当事者であることを、自覚しなければならない。》と結んだ。筆者は中島のこの結びに納得することができない。 

マスメディアが政権監視を怠った罪 

 直近の岸田政権下の参院選において、同政権は原発再稼働、原発新増設について、投票日前に発表しなかった。選挙民からすれば、かくも重大な政策転換は、選挙前に政権(与党)が公表すべきだと考えて当然である。なぜこのような詐欺まがいの政権運営が平然となされるのかといえば、マスメディアが選挙前、各政党が掲げる政策を国民に伝えていないからである。政権放送があるからそれでいいというのであれば、マスメディアの用をなさない。政権与党が政策を公表しなかったから、報道できなかったという言い訳はひとまず通用するかもしれない。がしかし、マスメディアは、政権与党が選挙前に重大な政策転換を公表しなかったことを選挙後に厳しく追求する責務があるはずだが、それもしない。
 岸田政権も安倍政権が遂行してきた、選挙を盛り上げずに固定票(組織戦)で勝ち抜く選挙戦術を受け継いでいる。自公政権の欺瞞的選挙(戦)が長期間にわたり許されてきた、あるいはこの先も続きそうな主因は、マスメディアが政権与党と癒着しているからにほかならない。安倍政権時代、政府自民党は政治焦点をぼかしたまま解散・総選挙を行いながら、マスメディアはそのことを批判せず、黙認し続けてきた。岸田政権でもその状況は変わりそうもない。安倍政権が低投票率と現行の参院選挙の制度的欠陥を使って長期政権を維持できたのは、有権者の無自覚・無関心もあるかもしれないが、マスメディアが政権監視を怠ってきたからである。前者よりも後者のほうがはるかに罪が重い。

自民の低投票率・固定票選挙戦術に無抵抗な左派(野党)

 安倍政権下の低投票・固定票選挙を許容してきたもう一つが左派野党(立憲・国民・社民・れいわ)の無為無策である。とりわけ、旧民主党の流れをくむ立憲と国民の責任は重い。安倍政権が戦前回帰勢力、創価学会・旧統一教会等宗教団体、経済団体等の固定票を固めて低投票選挙へと転換したことを見抜けず、あいかわらず、民主党が政権奪取した2009年の総選挙勝利の成功体験にしがみついてきた。民主党政権が短命に終わった原因を彼らがどのように検証したかしらないが、自民党は2009年の敗北を彼らなりに総括し、手を打った。その一つが固定票(組織票)固めである。固定票固めに目途がついたところで、いかに低投票率の選挙に持ち込むかを思案したに違いない。その結果、選挙前にはマニュフェストを公表しないこと、マスメディアを抑え込み、無党派層を眠らせておくことであった。そして、固定票を固めるためなら、前出の通り、「悪魔」とも手を握ったのである。 

無策 旧民主党の罪 

 自民から民主、民主から自民という政権交代時、自民党の総括はともかくとして、政権を奪われた民主党は無為無策であった。確実な固定票であるはずの連合を右派(旧同盟)に切り崩されたまま放置した。無党派層だけれども、自公政権に抵抗する意識をもった市民団体などに対する働きかけも放棄した。民主党が放棄した市民運動が既成政党の援助を受けず、独力で自公勢力を撃破した事例が、先の杉並区長選における岸本聡子の当選であった。
 同党地方支部組織、地域支援組織の強化・拡大に汗をかこうとする党員は皆無であったのではないか。そもそも党員がいないに等しいのではないか。民主党支持の岩盤層とは、55年体制下に「革新」意識を醸成した、化石のよう高齢者層だけとなった。しかも、民主党は彼らをも裏切るような分裂を繰り返した。そしていま、立憲と国民に分裂し、後者はかつての革新の衣装を脱ぎ捨て、前者も泉党代表の下、後者と差別化できない様相を呈してきている。
 実態上、野党第二党である共産も、頭打ち状態である。党員数の拡大もなされず、『赤旗』購読者(シンパ)数も増えない。日本共産党については後述する。


  連合と旧統一教会の接点は「反共主義」 

 労働者の組織であるはずの連合も、芳野友子(1966~)会長の下、右傾化がはなはだしい。芳野の反共主義のルーツといわれる、芳野が学んだ、富士政治大学校に注目したい。

芳野連合会長が学んだ富士政治大学校と旧統一教会 
 富士政治大学校(1969年設立)は、日本の私塾・養成学校、民社・同盟系の研修機関である。 創立者は民社党第2代委員長西村栄一。西村は「1970年代の政界の激動に備えるためには、なんとしても若い活動家層を育成しておかねばならない」との理念から創立に取り組み、1969年8月、西村が集めた基金を中心にして財団法人富士社会教育センターが設立された。同年10月、労働組合員向けの研修機関として富士政治大学校が開設された。民社党初代委員長で当時常任顧問西尾末広が最高顧問に就任した。神奈川県座間市議会議員の松橋淳郎によれば、「一説によると、同学校は、昭和40年代共産主義やファシズムに対して、アメリカ中央情報局(CIA)の支援を受けて創立したとも言われている」という(Wikipediaより引用)。そもそも、民社党自体がCIAの資金で結党されたともいわれている。 

富士政治大学校の運営母体の第二代理事長・松下正寿は旧統一教会擁護者 
 同校が旧統一教会と関係が深いことが今日、報道されるようになった。両者を結びつけるキーマンが、前出の富士社会教育センターの第二代理事長及び市民大学講座学長(1969年)を務めた松下正寿(1901~ 1986)である。松下と旧統一教会の関係については、以下の通り。 松下は――

  • 1969年、旧統一教会関連の市民大学講座学長に就任 
  • 参議院議員時代の1973年、世界基督教統一神霊協会教祖の文鮮明に助言を求めるため面会。以来、旧統一教会の思想や運動に深く関わりを持つようになり、元筑波大学学長の福田信之と共に、旧統一教会に重用された。 
  • 1974年、旧統一教会が中心になって設立された世界平和教授アカデミーの会長に就任。
  • 1975年、世界日報論説委員に就任。 
  • 1979年6月、世界日報社から、監訳を務めたフレデリック・ソンターク著『文鮮明と旧統一教会 その人と運動をさぐる』を刊行。同年7月、ソウル・ロッテホテルにおける国際学術会議で韓国語によるスピーチを行った。
  • 1983年5月、日韓トンネル研究会が設立。松下は設立総会で呼びかけ人代表として挨拶を述べた。1985年には「国際ハイウェイ・日韓トンネルの構想は国際文化財団の創設者である文鮮明先生のものである。我々は先ずこの素晴らしい構想に対して感謝しよう」と書き記した。 
  • 1984年、文鮮明の人物像や理念を紹介した『文鮮明 人と思想』を上梓。 
  • 1987年1月16日に旧統一教会本部において正寿の昇華追悼式が挙行された。 (Wikipediaより引用) 

『ドキュメント異端』 

 学者である松下が旧統一教会に取り込まれ、教団の学界等への浸透に利用されていったか、あるいは進んで浸透に貢献しようとしたかは別として、その実態が以下の報道により明らかである。 

 元立教大学総長で安倍晋三の祖父・岸信介氏の特使や民社党の参議院議員も務めた松下正寿氏のインタビューでは、統一協会による浸透工作がキリスト教界・学術/教育界にどのように及んでいたかを明らかにした。そのなかに統一協会の関連組織である学術団体「世界平和教授アカデミー」が設立された経緯がクリスチャン新聞編の『ドキュメント異端』に書かれている。以下、その引用である。 

世界平和教授アカデミーという組織がある。公称2000人の学者を会員に擁し、毎年、「世界平和国際会議」「学際研究会議」を開催、「科学の統一に関する国際会議」に参加者を派遣するほか、研究会やシンポジウムを開き、季刊誌『知識』等を発行している。現在、米国、英国、西独、韓国に同様の学会があるという。
この学術団体、実は旧統一教会と深い関係があるのだ。その最大の財源である国際文化財団は文鮮明が創立したもので旧統一教会の資金によって運営されており、久保木修巳旧統一教会会長が日本での会長を兼務している。東京麹町にある事務局の職員12人は、松下正寿同アカデミー会長(元立教大学総長)の話によれば、全員が旧統一教会員。事務局でも「全員ではないがだいたいそう」だという。このアカデミー創立の経緯を見ると、1970年代初頭、文鮮明の提唱によって「日韓教授親善セミナー」及び「科学の統一に関する国際会議」が開始されたことに端を発する。それが発展して組織化され、1974年、134人の学者が発起人となって正式に世界平和教授アカデミーとして発足したのである。
旧統一教会と密接な関連を持つ世界平和教授アカデミーの会長で、同じく市民大学講座学長でもある松下正寿氏は、元立教大学総長、祖父の代からの聖公会の会員である。現在(1981年当時)民社党顧問であり、1968年から一期、自民、民社推薦で参議院議員を務めたこともある。熱心な反共主義者で、旧統一教会の積極的な擁護者としても知られ、旧統一教会のしおり(入会案内)には「旧統一教会こそ、世界の進みつつある破滅から人類を救う、唯一の存在であると信じている」と、熱い推薦文を寄せている。(web『ゆるねとにゅーす』) 

 芳野が富士政治大学校において松下正寿の教えを受けたわけではない。松下が旧統一教会と密接な関係をもって活動していたのは半世紀前のことである。とはいえ、芳野の共産党アレルギー、同党排除の姿勢は国際勝共連合を政治部門に擁した旧統一教会の影響を受けた富士政治大学校で学んだ経験からくるものだと推測できる。 

れいわ新選組の現状と課題 

 れいわがこの先、どのような組織づくりを目指すのか見えないのだが、結党(2019)3年では現状が精いっぱいであろう。れいわについての懸念は、山本太郎の個人商店のままで、彼が選挙に出る以外に票を獲得する方策がうかがえないことである。 

山本太郎の政治(選挙)活動を振り返る

  • 2012年12月1日、第46回衆議院議員総選挙への出馬と政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明。東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で立候補。主に反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選。 
  • 2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で立候補、666,684票を獲得し4位で初当選 
  • 2014年3月19日、脱原発勢力を結集させる国政政党を作ることを目的に「新党ひとりひとり」へ名称変更。 
  • 2014年、政党要件を失っていた生活の党に入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた。 
  • 2019年4月10日、夏の参議院議員選挙に向けて同月下旬に自由党を離党する一方、新たに政治団体「れいわ新選組」を設立。 
  • 2019年7月、第25回参議院議員通常選挙に比例区より立候補、比例区の全候補者で最多となる991,756票 の個人名票を得るも落選(山本以外の候補者2人が「特定枠」で優先して当選したため)。「れいわ新選組」の得票率が4.6%であったことから、政党要件を満たし、「れいわ新選組」の党代表となる。 

山本の街頭演説の動画がSNSで大量にリツイートされる など、SNS上での選挙戦略も含めその勢い は「社会現象化」し、「れいわフィーバー」、「れいわ旋風」 などとメディアで評され、選挙後には、自身は議席を失ったものの「れいわ新選組」は”躍進”と複数の記事で報じられ、複数の野党から連携を持ちかけられるなど、注目される存在となった。 

  • 2020年7月5日執行の東京都知事選に立候補するも落選(得票数は657,277票、得票率10.7%) 
  • 2021年9月、衆院議員選比例東京ブロックからの立候補を表明、投開票の結果、れいわ新選組が比例東京ブロックで1議席を獲得したため、衆議院議員に初当選(※れいわ新選組の獲得票数3,605,925票) 
  • 2022年4月15日、衆議院議員を辞職 
  • 2022年7月 参議院議員選挙に東京選挙区よりれいわ新選組公認で出馬、565,925票(9.0%)を得て当選 

山本太郎は賞味期限切れか 

 山本太郎の得票数推移を東京選挙区というが同一条件で比較してみる。2013年参院選無所属で当選した666,684票(当選)をピークとし、2020年都知事選(落選)で657,277票で約1万弱の減、2022参院選東京選挙区で565,925票(当選)で1万票弱の減、2013年選挙からは10万票近くの減となっている。
 その山本太郎であるが、2022年参院選に出馬するため、2021年に当選した衆議院議員の職を辞した。れいわ新選組からしてみれば、山本が現職でなく応援にまわっただけの選挙では勝てないという算段であろう。山本太郎が当選するか落選するかの緊張感を伴った選挙でなければ、党が埋没するという判断が働いたとみていい。山本太郎が自分の選挙区と仲間の選挙区をまわることで有権者に党の存在を喚起させ、そのうえで、当落の緊張感をバックに、選挙戦を盛り上げていくという手法である。
 歴史が浅く人材・資金も乏しい小党としてはほかに選択肢がないのであるが、この手法にも陰りが見えてきた。山本太郎自身の獲得票数の減少傾向である。れいわの山本頼りの手法が賞味期限切れに近づいてきたということを意味しないだろうか。山本が選挙に出なければ選挙に勝てない、という現実が近づいてきていると同時に、山本自身の選挙も安定的ではなくなってきたように見える。かりに、いま、国葬反対をもって解散総選挙になったとしたならば、れいわは、山本抜きで総選挙を戦わなければならなくなる。そのとき、再び、山本が参議院議員を辞して総選挙に出馬するという選択はもうできまい。禁じ手だったのだ。そんなことを繰り返せば、れいわという政党はどのような政治を目指すのかがますます、見えなくなる。選挙のたびに山本が出馬するという悲喜劇を繰り返せば、有権者の反発は免れまい。山本抜きのれいわ新選組が、解散・総選挙に向けて、どれだけの立候補者をラインアップできるのか、そして、山本太郎不在の選挙を戦えるのか。 

おわりに 

 筆者は当該Blog等においてしばしば、固定票(組織票)選挙に対する野党側の無策を指摘してきた。野党、とりわけ旧民主党は組織づくりを放棄し、政権奪取を諦めたような選挙を繰り返してきた。政権を奪い返そうと自民党が「悪魔」と手を結び、政権党であり続けようとしてきたおよそ10年間、旧民主党、共産党はなにもしなかった。彼らがしてきたのはせいぜい、55年体制の残りカスを頼りに、限られた幹部の当選に尽力してきたにすぎない。
 一方、旧統一教会の影響を受けた反共塾、富士政治大学校は芳野というゴリゴリの反共主義者を育て上げ、労働者団体のトップに押し上げた。同大学校で「反共主義」を叩きこまれた芳野は、野党共闘粉砕の盟主として、その仕事をいま、やりとげている。
 「反共」のターゲットとされてきたエセ共産党、日本共産党に期待するものはなにもない。党内エリートが年功で指導者双六で上がっていく官僚主義政党は、この世から消えてほしい。旧民主党左派のはずだった立憲民主党はいずれ、国民民主党とともに与党化し政治戦線から消えるだろう。残るは、れいわ新選組だけなのである。旧統一教会問題を契機として、れいわ新選組が一日も早く、地域、労働の現場、市民運動の現場へと党勢を拡大する方向に舵を切ることを願ってやまない。(この項終わり)