2022年9月20日火曜日

稲盛和夫とカルト資本主義

 稲盛和夫が亡くなった。稲盛は松下幸之助の跡を継いで経営の神様と呼ばれた。そんな折、友人3人と投稿し合うLINEチャットにおいて、そのなかのA氏が稲盛及び『カルト資本主義』(斉藤貴男著)を取り上げていたので、筆者もそれらについて、書きとどめてみようと思った次第である。

1990年代、司馬遼太郎が日本の経営者の愛読書だった 

 筆者は、霞が関の某省某局の編集協力による、某業界向け啓蒙業界誌の編集をしていた。その雑誌のなかで、産(業界大手企業、業界団体トップ)、官(霞が関の局長~事務次官、関連公益法人トップ)、学(関連学会の学者)から話を聞く(インタビュー)ページの担当者だった。自分が聞き手になることもあった。人に頼んだこともあったが、編集責任者として同席した。1990~2000年まで、月2名(産1、官または学1)に登場してもらったから、合計240人という計算になる。
 インタビューの最後は気楽な質問で締めくくるという筋書きで、趣味や愛読書をたずねるのがお約束だった。当時(1990年代)、経営トップが挙げた愛読書の人気ナンバーワンは司馬遼太郎だった。ちょっと気取って、『不確実性の時代』 (ガルブレイス)、『断絶の時代』(ドラッガー)を挙げる者もいたが、司馬が圧倒的だった。社長室や秘書課のスタッフが「司馬遼太郎と回答」とマニュアル化した可能性もあるが、話の流れからしてそうとも思えなかった。ただなかで、「中村天風」という人物の名を挙げた者がいた。そのとき筆者は天風のことを知らなかったのだが、「テンプ―」という名前が気になったことを覚えている。 

中村天風という邪悪な陰 

 中村天風について詳しく知ったのは、前出の『カルト資本主義』に収録された「京セラ 「稲盛和夫」という呪術師」を読んでのことだった。斉藤は、稲盛の著作やインタビューなどに西郷隆盛、二宮尊徳、石田梅岩といった歴史上の人物、あるいは中村天風、安岡正篤ら昭和の〝思想家”たちに私淑したという記事が散見されることを指摘したうえで、稲盛は〝グル”でありたいのだと断言し、稲盛が私淑した人物が《いずれもニューエイジ思想が吸収した日本の伝統的な価値観の持ち主だ》としている。そして、《とりわけ近年のビジネス社会で神様のごとく崇められている天風は、いかにも稲盛好みの人物である》とも。筆者が『カルト資本主義』を読んだのは同書刊行直後のことだから、1998年前後に筆者は中村天風の正体を知ったことになる。斉藤は同書において中村天風について次のように書いている。

 天風がどのような生涯を送ったのか、正確には不明である。ただ、彼を崇める経営者たちは、次のような波乱万丈の物語を信じているらしい。
 ーー1876(明治9)年、東京で旧柳川藩士の家に生まれた天風は、福岡の修猷館に学んだ中学生の時、柔道の試合の遺恨で彼を狙った相手を殺し、〝昭和の怪物”と言われた右翼の草分け・頭山満のもとへ預けられた。日露戦争では軍事探偵として満州で活躍、”人斬り天風”の名をほしいままにしたが、激務がたたって三十歳で結核に冒される。救いを求めて欧米を放浪する途中で立ち寄ったエジプトでヨガの聖者・カリアッパ師に出会い、ヒマラヤで修業した。その後米国コロンビア大学を首席で卒業し医学博士となり、帰国後は東京実業貯蓄銀行頭取などを歴任するが、1918(大正8)年、何もかもを捨て統一哲医学会という集団を組織し、自身の思想と修行法の集大成である心身統一法を広めた(以上、松本幸夫『中村天風伝』など関連書籍、雑誌記事等から構成)ーー。(『カルト資本主義』文芸春秋版/以下「前掲書①」という。P134~135) 

  次に、天風の教えである。斉藤は『日経ベンチャー』96年4月号の特集「中村天風が教える『人材革命』」を引用して次のような評価を下した。 

〈「心の持ち方で人生は変わる」ということだ。積極思想が、〝潜在能力”を開発し、心に念じたことは必ず実現する、とも言う〉〈困難も肯定的に受け止めれば、道は開ける、とする。さらに、人間の力の元を「気」であるとし、難題も将来のいい方向につながるためにあるモノだと感謝の念で受け止める内に「気」が体内に入り、潜在能力が開発され、思わぬ力を発揮して願いが叶う、というのである〉(前掲書①P135) 

 斉藤は、《要するに天風は、「成長の家」の谷口雅春と同じことを言っていた、そして、稲盛は人殺しをした天風に学んだのである》と軽蔑する。続いてーー 

 稲盛は・・・天風の〝素晴らしさ”を、・・・こう語ったことがある。
「混迷する世相の中で、生きる指針が大変フラフラしているときに、盤石の思想のようなもので現象をとらえ、見ていかなければならない、変動する現象界の中で、フラフラしていたのでは消耗しきってダメになってしまう。そういう、つまり真理を説いたのが天風さんですね」
「天風さんは、吾とはなにか、人生とは何か、ということを明快に説いていますし、たった一回しかない人生の中で、感情の赴くまま、または理性の赴くままに、ああでもない、こうでもないと一喜一憂し、ない頭で一生懸命考えて策を練り、いろいろなことをして生きているけれども、人生とはそんなものではないはず、と説いています。
 感情や感覚や理性、そういうものを超越したところに真のあなたの意識があるはず、それはこの宇宙のあらゆるものと共通の存在としか言いようのないもの、真の吾、宇宙のあらゆるものと共通の真である、と」(稲盛和夫が語る『中村天風に学んだこと』『財界』95年8月29日号)(前掲書①P136) 

 『日経ベンチャー』『財界』といった経営者向け雑誌が中村天風を取り上げているのだから、筆者が取材した経営者たちが愛読書というレベルではなく、経営の指針としてその名を挙げたのはいまになってみれば当然のことだったのだ。当時、天風を知らなかったのは、筆者の浅学のせいである。
 斉藤の『カルト資本主義』を改めて読み返してみると、日本の産業界の深部に、つまり企業風土のなかに、不吉というか邪悪な陰を認めざるを得ない。天風を崇める経営者たちは、従業者をできるだけ考えない道具、人間というよりも労働機械のごとくであることが望ましいと考えている。生産性を上げる、売上を伸ばす、新製品を低コストで開発する――従業者はそのための単なる道具であり、文句を言わないで会社のためにひたすら献身する者が望ましいと考える。だから残業代は出さない、会社を離れても仕事のことを考えよ、上司に従え、そのことが結局は、最高位にある自分を敬い崇めることにつながると。従業者は経営者を神と崇め、すべてに従わなければならないのだと。
 稲盛は従業者に対して、「イメージは実現する」(前掲書①P136)という呪いをかけることを忘れない。この言説は天風仕込みのもので、企業が従業者に「やる気を起こさせる」ための基本的なメソッドのひとつである。今日でも、「××の成功の法則」だとか「売上アップの秘訣」とかの出世・成功マニュアル本に書かれていることが多い。

日本産業界における生産性向上運動 

 日本の産業界にあっては、生産性向上のための様々なメソッドが出ては消えを繰り返してきた。QCサークル運動、国鉄や郵政省で行われたマル生運動(1960年代~1970初め)、トヨタの看板方式などなど。QCやマル生の思想的基盤は、労働者が上からの指示命令に従うのではなく、自発的に自らの職場の効率的運用改善に取り組むことを促すことにあった。そのうえでティラー(主義)システムから作業の標準化を学び、労働現場の究極的な効率化が実現していく。トヨタの看板方式はその集大成であろう。
 中村天風を崇める経営者が目指すものは、こうした流れと異質な経営手法であって、彼らはグルが支配する企業風土の構築により従業者を経営者の思うどおりに動かすことを目指す。たとえて言うならば、いま話題の旧統一教会が信者に珍味売り、花売りといった労働を信仰と称して無給で働かせ、売上金全額を教団が召し上げるシステムに似ている。稲盛の経営術もそれに近い。グルである自分のため、グルが経営する会社のためにグルが築き上げた経営方針に沿って忠実に働らくこと、従業者が自らの生活のために働くのではだめなのだという経営術である。従業者は我欲を捨て、「純粋」かつ「清らか」なる精神でグルに尽くせ、貢げ――というのである。そうすれば明るい人生が開かれると。稲盛和夫の経営術こそ、カルト資本主義そのものである。

日本のカルト宗教の淵源とその展開 

 ここで稲盛の経営術から離れ、日本のオカルト思想を概観する。
 日本のオカルトの淵源をどこに求めるのかは定かではないが、宗教学者の大田俊寛の『現代オカルトの根源--霊性進化論の光と闇/ちくま新書』(以下「前掲書②」という)によると、オカルト宗教(大田の用語では「霊性進化論思想」)はまず、19世紀後半から20世紀前半までは、もっぱらヨーロッパにおける神智学協会の運動を中心に発展し、そして20世紀後半以降は、アメリカにおけるニューエイジの運動として多様な展開を見せたという。
 その流れを受けて、日本では、神智学協会の創設者の一人であるオルコットが1889(明治22)に来日するなど、19世紀末にはすでに神智学の存在が知られていたのだが、その思想が広く一般にまで浸透するようになったのは「精神世界」の流行や「第三次宗教ブーム」が見られた1970~80年代以降のことだとされる。日本の「精神世界」とは、同じく大田俊寛によると、古来の霊学思想、現代アメリカのニューエイジ諸思想など、新旧のオカルティズムが雑然と入り混じった多彩な思想潮流のことだという。
 日本におけるその展開は、(一)ヨーガや密教の修行を中心とする流れ、(二)スピリチュアリズムを中心とする流れーーの二種に大別される。(一)はクンダリニー・ヨーガ〔注1〕の修行による超能力の開発が重視され、(二)では、高位の霊格との交信が重視される。 以下、前掲書②を参照して詳細を見てみよう。

(一)ヨーガや密教の修行を中心とする流れ 

三浦関造 

 日本において神智学系ヨーガの基礎をつくり上げたのが三浦関造(1883ー1960)である。三浦は1916年に『埋もれし世界』という著作においてブラヴァツキーの神智学に言及していた。1930年に渡米し、同地の神智学徒と交流を重ね、40年~終戦まで上海に滞在し、居留している外国人に向けてのオカルティズムの講義や、英文での著作を業としていたといわれる。
 戦後になって、三浦は活動を本格化し、1953年にヨーガ団体「竜王会」を結成する。そして機関誌『至上我の光』を発行するとともに、『神の化身』『聖シャンバラ』『輝く神智』等の書物を著わし、神智学の普及に努めた。
 三浦の思想は、ブラヴァツキーやリードビーターの教説に基づく根幹人種論〔注2〕、太子論、ヨーガの実践論が中心であったが、アメリカ滞在の経験を反映してか、アリス・ベイリーに由来するニューエイジ論からの影響も認められる。近い将来、新たな「アクエリアス(水瓶座)」の時代が到来し、人類は物質文明から精神文明に移行すると主張した。 

本山博、桐山靖雄、麻原彰晃 

 クンダリニーヨーガに基づく霊性の進化という観念から強い影響を受けたのが本山博(1925ー 2015/「国際宗教・超心理学会」会長)と、「阿含宗」の創始者である桐山靖雄(1921ー 2016)の二人である。オウム真理教教祖(グル)の麻原彰晃(1955ー 2018)についてはすでに膨大な情報が提供されているので本稿では省略する。 

(二)スピリチュアリズムを中心とする流れ 

 欧米においては、神智学とスピリチュアリズムはときに衝突を見せながらも、相互に深く影響を与え合うことで発展を遂げた。日本ではその両者とも欧米ほどの社会的広がりは獲得できないでいるが、欧米と似たような影響関係が認められなくはない。そのような思想的土壌から生み出されたのが「幸福の科学」である。以下、幸福の科学成立前の歴史的経緯から振り返ってみる。 

浅野和三郎 

 日本におけるスピリチュアリズムのパイオニアと見なされているのが浅野和三郎(1874ー 1937)である。浅野は東京帝国大学で英文学を学び、小泉八雲から指導を受けた。シェイクスピアの翻訳、ワシントン・アーヴィングの『スケッチブック』〔注3〕や、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』といった幽霊譚の翻訳を手掛け、英米文学を通して霊の世界に関心を深めていた。
 浅野が41歳のとき三男が原因不明の病にかかり、ある女行者の祈祷によってそれが治癒したことをきっかけとして、祈祷師の持つ神秘的な霊力に心惹かれ、その分野に取り組むこととなったという。まず、大本教開祖の出口なおに出会い、1916年に大本教に入信。なおの死後は教団を継承した出口和仁三郎の片腕として活躍するが、官憲による大本教弾圧を契機に教団を脱退する。大本教から離れた浅野は1923年、東京に「心霊科学研究会」を設立し、霊的世界の探索を継続した。
 1929年には次男の死をきっかけに、妻の多慶子が霊の言葉を聞き取る能力を発揮するようになった。その際に浅野は、大本教の鎮魂帰神法における「審神者(さにわ)」(神憑りで発せられる巫者(ふしゃ)の言葉を解釈する者)の役を務め、『新樹の通信』や『小桜姫物語』という霊言集を公刊している。
 浅野和三郎が一方の神智学に関する知見を得たのは、海軍機関学校時代の同僚であるE.Sスティヴンソンを通じてであった。スティヴンソンは1910年、ブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』の翻訳を出版している(邦題は『霊智学解説』)。浅野は大本教入信以降も神智学の関連書籍を読み継いで、チャールズ・リードビーターやアニー・ベサントといった神智学徒の著作を参考文献として挙げている。 

高橋信次 

 スピリチュアリズムと神智学を結合させることによって、新たな宗教団体を作り上げたのが「GLA( God(神)Light(光)Association(会)」の開祖である高橋信次〔1927ー 1976)である。高橋はその晩年、人類や文明の創造者である「エル・ランティー」という高級霊の化身と位置づけるようになった。エル・ランティーとは高橋によれば、3億6405年前にベータ―星から地球に到来した「人類の祖」である。高橋は自らの死の直前、自身を「エル・ランティー」という特別な霊格の化身としたため、その後の教団に動揺と混乱をもたらした。GLAの主宰者の地位は長女である高橋桂子に継承されたが、彼女は間もなく自らが大天使ミカエルであることを宣言し、『真創生紀』という三部作によって独自の宗教観を詳細に展開したため会員たちの混乱にいっそうの拍車がかけられた。その結果、幹部の多くが教団を離脱するとともに、天界に戻った高橋信次から正しい霊示を受けたと称する者が何人も現れた。その一人が幸福の科学の創始者・大川隆法(1956ー)である。 

大川隆法 

 東大を卒業し総合商社に勤務していた大川に、1981年、大きな変化が訪れた。そのころ大川は前出のGLAの高橋信次や高橋桂子の著作を愛読していたが、信次の著作『心の発見ーー神理篇』を初めて読んだとき、自分は昔これを学んだことがあるという強烈な思いに捉えられたという。その後、自動書記によって、日蓮の弟子の日興から「イイシラセ・・・」というメッセージを受け取る。それを契機に、日蓮やイエス・キリスト、高橋信次の霊と交信することが可能になったという。やがて大川は、天上界のあらゆる霊と交信することができるようになり、それをもとに1985年以降、父親の善川三郎とともに、『日蓮上人の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』等の霊言集を公刊していった。1986年、「幸福の科学」を設立、1987年には教団にとっての中心的理論書である『太陽の法ーー新時代を照らす釈迦の啓示』が公刊された。
 初期の幸福の科学は高橋信次の霊言集を20冊ほど公刊しており、GLAの分派的性格を色濃く帯びていたが、次第に大川自身を中心とする体制に変容していく。それを明示するために行われたのが「エル・カンターレ宣言」である。「カンターレ」というのはGLAの教義においては人類の祖である「エル・ランティー」の分霊の一つとされていたが、幸福の科学はそれを、地球霊団の最高大霊と称した。そして大川は、1991年、東京ドームで開催された「御生誕祭」において、自身をエル・カンターレの本体意識が降臨したものと位置づけたのである。
 幸福の科学の教義及び歴史観については、『太陽の法』という著作に描かれた宇宙論と文明史に凝縮して読み取れるという。同書の内容を詳述すると長くなりすぎるので大雑把に書くと、おおむねこんな感じである。

〔宇宙論〕
 大宇宙の根本仏が宇宙空間を創造し統治するため巨大霊として13次元の宇宙霊を創造した、云々。そして最初の生命体が金星で誕生。その生命体を統治する最高度の人格として、九次元大霊の「エル・ミオーレ」が創造され、エル・ミオーレは美しい外貌と高度な知性を備えた人間を創造し、金星にユートピア社会を作り上げた、云々。
 そのころ地球でも大日意識、月意識、地球意識といった霊たちによって、生命体の創造が開始されていて、6億年前から、哺乳動物を中心とした高等生物の創造が始まり、その担当者として金星からエル・ミオーレが招かれた。エル・ミオーレは、自らの住まいとして地球に九次元霊界を作り、その際に自分の名前を「エル・カンターレ」に変更した、云々。しかしながら、九次元霊の一人であるエンリルという霊格は、「祟り神」としての性格を備えていて、エンリルの部下の一人であったルシフェルは、1億2千年前にサタンという名前で地上に生まれたとき、堕落して反逆を起こし、四次元霊界のなかに地獄界をつく上げてしまう、云々。こうして地球はエル・カンターレを筆頭とする光の指導霊に導かれ、意識レベルを進化させてユートピア社会を築こうとする傾向と、悪魔や悪霊たちに誘われ、欲望に溺れて地獄界に堕してしまう傾向に引き裂かれることになった、云々。 

〔文明史〕
 人類が創造されて以来、地球では「ガーナ文明」「ミュートラム文明」「ラムディア文明」「ムー文明」「アトランティス文明」という5つの文明の歴史が詳述されている。それぞれの文明は大いに繁栄をするのだが、やがて当時の人間の邪心により崩壊したり、海中に沈んだりして消滅し、次の文明に引き継がれていく。ムー大陸、アトランティス大陸の沈没を逃れた人は世界各地に移り住み、現在につながる諸文明を築いていった。地球の最高大霊であるエル・カンターレは前出の5つの文明の最高霊(ラ・ムー、トス、リエント・アール・クラウド、オフェリアとヘルメス、釈迦)としてその意識の一部を下生させてきた。それに対して大川隆法は、エルカンターレの本体意識が下生したものとされる。そのため現在の世界は、大川のいる日本を中心として繁栄を遂げることになる、云々。

  これらの文明史は実は、GLAの歴史観の剽窃である。しかも、神智学を始めとする霊性進化の思想に属する多数の文献が参照・援用されている。例えば、ブラヴァツキ―(『シークレット・ドクトリン』など)やリードビーター(『チャクラ』『大師とその道』など)によって確立された神智学の歴史観と、『太陽の法』に示された幸福の科学の歴史観のあいだには、いくつかの類似点が存在する。(本稿末の〔注2〕を参照のこと。)大川の他の著作物もまた、神智学やニューエイジ関連の書物を情報源とすることによって組み立てられた、日本的ヴァリエーションの一つとして理解することができるという。

ニューエイジ思想とは何か

 やや遠回りした感がなくはないが、斉藤は前掲書①において稲盛和夫とニュー・エイジ思想の関係を追っている。稲盛はニュー・エイジ思想の体現者なのだろうか。前出のとおり、大田俊寛が展開した日本における精神思想の形成の系譜は、まずもって海外からの輸入思想、いわゆるモダニズムとして受容され、それを土台にして、日本の古今における神秘思想を接合した混合的産物である。稲盛の表の顔、すなわち文化的、精神的な言動の裏に何があるのかーーそのことを意識したうえで、ニューエイジ運動を定義してみよう。『現代社会のカルト運動』(S. フォン・シュヌーアバイン著)からの引用である。 

「現代の危機」から霊的脱出路を求めている・・・西欧と北米の人びとは、伝統的宗教組織に心の支えを見出しているのでもないし、世界を解明し、改革し得ると主張する世俗的組織(いわば政治的イデオロギーと科学的世界観)によってこうした問題を解決できるとも思っていない。だから、彼らのうちには意味の空白を満たしてやろう、と呼びかけてくる秘教的、あるいはオカルティズムの教えに惹かれる人たちもいる。いわゆるニュー・エイジ運動は、これらの教えを受け容れる貯水池となっている。この運動を正確に述べるのは、難しい。というのは、この運動は統一的組織をもたず、拘束的教義もなく、世界観の共通性も僅かしかないからである。この運動を結び付けているのは、ある種の強い帰属感情である。したがって、ニュー・エイジ運動とは、「合理的に伝達されて、広い範囲に影響を及ぼす拘束力よりも、並列している諸傾向の感情的結合を強調する、新しいタイプの社会《運動》である。」(Pilger/Rink)
こうした諸傾向には、神秘主義、秘教、オカルティズム、現代の西欧自然科学、すなわち心理学(とくにW・ライヒとC・Gユングのそれ)の諸要素、心理療法のさまざまな流れ、ある種の再生思想という西洋宗教の概念装置、それに前キリスト教、あるいは非キリスト教の種族宗教もしくは自然宗教のインパクトがある。とくに、後者には「シャマニズム」「新魔女(ノイエ・ㇸクセン)」、それにケルトとゲルマンの「叡智の教え」がある。(略) この運動は、現代社会が生存の危機に陥り、破滅の淵に瀕している、という意識をもち、調和に満ちた、新しくより高度な時代――ニュー・エイジの名称も、ここに由来するのだが――の到来に備えて、「転換期」に生きる思想に革新する。
この「転換期」は占星術的解釈を取り入れた天文学のモデルによって説明されている。「地軸が徐々に回転することによって、天の赤道と黄道の交点は黄道の獣帯(黄道十二宮)上を逆向きに移動してゆく。」今日、この交点は黄道十二宮の魚座と水瓶座の間にあり、それゆえ新しい時代はニュー・エイジ運動では「水瓶座時代」と呼ばれている。 危機意識から生じた意味喪失感から、多くの人びとは宗教問題に対し関心をもつようになっている。
現代の産業社会の、絶えず増大している現世志向と世俗化傾向は――マックス・ヴェバーはこれを「世界の脱呪術化」と特徴づけた――多くの現代人にはいまや自明の事柄であるし、あるいはまさにこの傾向こそが、現代の体制危機の原因だと考えられている。かといって伝統的な教会に戻ることもできない。教会こそが現代の危機を招来した共犯者である、と時には考えられているのだから。
これに対してニュー・エイジ運動は、「世界の再呪術化」と呼びうるような、そして前近代的で神秘主義的――呪術的世界像の諸要素を復権させるような、一種のパラダイム転換を要求しているのである。さらにニュー・エイジ運動は、現代社会の方向喪失現象に対して、秘教思想の入り混じったさまざまな心理療法の技法によって、「自己の根源と根底」を再発見することを提唱する。こうすることによって、合理的・直線的思考とは異なる、水瓶座時代への移行にふさわしい、全体的・循環的な「新しい意識」も人間のうちに目覚めさせられるのだ、と云う。  
結局のところ、彼らは、支配的な科学にある自然科学の一面的な合理的見方に代わって、現代自然科学の成果と宗教的・神秘的内容を混ぜ合わせることによって、「全体的世界観」を生み出そうと望んでいる。この点で、とくにエコロジーの傾向が重視されている。ニュー・エイジ運動の歴史的基盤と資源は神智学である。神智学はすでに一世紀以上も前に、当時の人びとのオカルティズムや仏教・ヒンドゥー教の宗教の装置と、当時流行していた自然科学理論、とくにダーウィン主義・ヘッケルの一元論を、ニュー・エイジと似たようなやり方で綜合していた。神智学とニュー・エイジの親近性は、たんに世界像と個々の思想が似ている点だけでなく、ニュー・エイジの主導的支配者らが、かつて神智学運動に加わっていたし、現在も参加している、ということでも示されている。(『現代社会のカルト運動』(S. フォン・シュヌーアバイン著/恒星社厚生閣P2~4)

  かなり長文の引用でしかも、翻訳がこなれていないので、筆者なりにポイントを整理してみた。ニューエイジ思想とは――

  1. 現代の危機からの霊的脱出の手段。調和に満ちた、新しくより高度な時代(ニュー・エイジ)の到来に備える。
  2. 伝統的宗教(キリスト教)、イデオロギー(マルクス主義)に絶望し、それらにかわるものを期待する。
  3. 現代社会の諸思想を「転換期」に生きる思想に革新する。 
  4. 「転換期」は占星術的解釈を取り入れた天文学のモデルに基づく。 
  5. 地軸が徐々に回転することによって、天の赤道と黄道の交点は黄道の獣帯(黄道十二宮)上を逆向きに移動してゆく。今日、この交点は黄道十二宮の魚 座と水瓶座の間にあり、それゆえ新しい時代はニュー・エイジ運動では「水瓶座時代」と呼ばれる。
  6. 「世界の再呪術化」。前近代的で神秘主義的――呪術的世界像の諸要素を復権させるような、一種のパラダイム転換を要求する。 
  7. 神秘主義、秘教、オカルティズム、現代の西欧自然科学、すなわち心理学(とくにW・ライヒとC・Gユングのそれ)の諸要素、心理療法のさまざまな流れ、ある種の再生思想という西洋宗教の概念装置、それに前キリスト教、あるいは非キリスト教の種族宗教もしくは自然宗教(「シャマニズム」「新魔女(ノイエ・ㇸクセン)」、ケルトとゲルマンの「叡智の教え」)を援用する。 
  8. 組織、綱領、聖典等をもたない自由で非拘束的な運動である。 
  9. 自己の根源と根柢の再発見を提唱する。 
  10. 秘教思想の入り混じったさまざまな心理療法の技法、現代自然科学の成果と宗教的・神秘的内容を混ぜ合わせることによって、「全体的世界観」を生み出そうとする。とくにエコロジーの傾向を重視する。 
  11. その歴史的基盤と資源は19世紀後半に成立した神智学である。 
  12. 神智学は〈オカルティズム、仏教・ヒンドゥー教〉といった非科学と〈ダーウィン主義・ヘッケルの一元論自然科学理論〉といった科学を総合した「学」である。
  13.  神智学とニュー・エイジは強い親近性が認められる。両者の世界像と個々の思想は近似。さらに、ニュー・エイジの主導的支配者らが、かつて神智学運動に加わっていたし、現在も参加している。

 S・フォン・シュヌーアバイン によるニューエイジ思想の定義からすると、稲盛の中村天風への思い入れの表現はニューエイジ思想とはニュアンスが異なるように思われる。とりわけ、ニューエイジ思想が世界を席巻した1960、1970年代にかけて登場したヒッピーの思想と行動との違和である。ヒッピーは思想的にも実践的にも、反管理社会を目指した。その根底にあるのは〈自由〉であった。
 ニューエイジ思想は混交的思想であるから何でもあり、といえばそれまでだが、その根本は精神革命にある。既存の普遍宗教及びマルクス主義が世界人類の幸福になんら寄与できなかったのだから、その代替として、アジアや北米の先住民の民族宗教、欧州における前キリスト教宗教、その他神秘思想をもちだしたのである。そして、自己の根源の再発見を目指し、現代を「転換期」ととらえ、新時代(まさにニューエイジ)の到来を夢想する。稲盛のそれには、保守的で全体主義的な集産主義の匂いを感じる。
 稲盛は生前、彼が経営する会社をニューエイジ的企業風土に「転換」する気配すら見せなかった。経営と思想は別物だから同じ方向に向かうことは不可能だと言えばそれまでだが、稲盛が目指したのは精神世界的言辞で偽装した「経営哲学」を振りかざし、従業者や支持者をマインドコントロールし、労務管理を無視して長時間労働を強いることであった。自由の圧殺である。マインドコントロールされた者は会社に対して、組合を結成し、ストライキ等で異議を唱えたり、自己主張することがない。 

新自由主義と相いいれない稲盛式経営術 

 1990年代の京セラのような企業がこれから先、存続するのだろうか。稲盛がつくりあげた企業は京セラ、現在のKDDIが代表的であるが、これらの会社がいまだ、イナモリイズムで経営されているかどうかはわからない。筆者は、稲盛式経営術が自己責任に立脚した新自由主義下の企業経営に適応しないと考える。
 スラヴォイ・ジジェクはその著『ポストモダンの共産主義』において、次のように書いている。 

資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。(P99) 

 〈クールな資本家〉といえば、GAFAMの5人、ラリー・ペイジ(グーグル創業者)、ジェフ・ベゾス(アマゾン創業者)、 マーク・ザッカーバーグ ( フェイスブック/現メタCEO)、スティーブ・ジョブズ (アップル創業者)、そしてジジエクが挙げたビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)が代表的存在だろう。最近では、イーロン・マスク(テスラCEO)、ジャック・ドーシー(スクエアCEO)を加えてもいい。ジーンズにTシャツというカジュアルな服装で、得意げに新商品発表のプレゼンテーションを行う彼らのスタイルは〈自由〉を象徴する。資本主義の新たな精神すなわち新自由主義下の経営者はこうしたタイプに変わっている。
 ジジエクの新自由主義に対する見方のポイントは、それが「1968年革命」を経た結果、生成された経済システムであるということにある。その根底にあるのは、繰り返しになるが〈自由〉であり、経営哲学もまた「リバータリアニズム」である。日本企業でもそうした傾向が続くと筆者は考える。
 加えて、日本でも法令順守の意識が社会に浸透し、ブラック企業に対する批判が強まってきた。なによりも、悪条件で働く者が「社畜」という自嘲の言い回しを獲得し、社畜の地位にとどまることを拒否する機運が高まりつつあることが注目される。
 斉藤は京セラグループの役員を経験した関係者への取材から、こんな発言を引き出している。《家庭を顧みるようでは管理職失格、という空気ですから、幹部には家庭崩壊に追い込まれる者が多い。過労死も珍しくないんです。94年にはK常務がクモ膜下出血で亡くなりました(前掲書①P150)》。当時の京セラはいま風に言えばブラック企業そのものだった。そこで働く従業者は社畜そのものであった。ただ、幹部も従業者も、稲盛の呪力(マインドコントロール)によって、気がつかなかったのかもしれない。そんな経営術が今日、生き延びることは難しいし、生き延びてはいけない。とはいえ、稲盛式経営術が日本社会から消滅することはないだろう。法令順守を重んずる大企業からは放逐されるだろうが、日本社会のどこかに静かに棲息し続けるに違いない。

おわりに 

 稲盛和夫が亡くなった日、 筆者のFacebookの 友人がこんな投稿をしていた。

《その企業家(稲盛和夫のこと)を支えたと、ワコールの塚本会長に言わせたのが、朝子夫人だ。
稲盛氏の生涯は昭和・平成史、そのものだが、夫人の一家のFamily Historyは、東アジア近代史といえるかもしれない。
夫人の父は韓国名、禹長春博士。日本での研究に限界を感じ、当時の李承晩大統領に請われ、日本語しか話せないのにも関わらず、ひとり渡韓し、韓国農業の近代化に尽くしたひと。父は国賊と言われたが、彼は近代韓国農業の父と言われる。
そして
その国賊と言われた(禹長春の)父が禹範善、韓国の近代化を求め、その結果閔妃暗殺事件に関わることになり、日本亡命、そして呉で閔妃の旧臣に暗殺された人物となる。なお、暗殺事件の際、漢城の日本領事館の窓口となり、暗殺事件に関わった書記官の子息が堀口大學である。》 

 

 禹長春博士の伝記から、と友人はメンションしていたが出典が書いていない。禹長春の伝記巻末の協力者に稲盛和夫の名前があり、不思議に思って調べたという。
 稲盛と並んで京都財界の双璧をなしたワコールの塚本が「稲盛をささえた」というが、夫人がどのようにささえたのか、具体的な内容が書いていない。稲盛のカルト経営術と朝子夫人の家系との関係性は不明だが、夫人のひととなり・思想が知りたくなった。夫婦なんだから、影響が何もなかったとは言えまい。
 稲盛和夫は不思議な人物である、そして謎を残したまま、この世を去った。合掌

                  

〔注1〕 クンダリニー;ヒンドゥーの伝統において、人体内に存在するとされる根源的な生命エネルギーを意味する言葉。宇宙に遍満する根源的エネルギーとされるプラーナの、人体内における名称であり、シャクティとも呼ばれる。クンダリニー・ヨーガでは、グンダリニーを覚醒することにより、神秘体験をもたらし、完全に覚醒すると解脱に至ることができるとされる。

〔注2〕 根幹人種論;以下、前掲書②より引用。
第一根幹人種;地球における最初の人類、すなわちは、北極周辺に存在する「不滅の聖地」に出現した。しかしその場所は、不可視の非物質的領域であり、そこに現れた人間も、天使によって与えられた「アトラス体(星気体)」という霊的身体をもつにすぎなかった。不滅の聖地は、地球における人類発祥の地であると同時に、人類が第七根幹人種にまで進化した際に再び回帰する場所とされる。以下、その名称(及び出現した場所)等を記す。

第二根幹人種;ハイパーポーリア人。現在のグリーンランド近辺にあったとされる「ハイパーポーリア大陸」と呼ばれる極北の地に誕生。「エーテル体(生気体)」という霊体を有し、分裂によって増殖する性質を備える。大規模地殻変動が起こって厳寒の冥府となり、第二根幹人種は滅亡。

第三根幹人種;レムリア人。「レムリア大陸」に誕生。第二根幹人種の一部から、進化した者。彼らは当初、卵から生まれ、両性具有の存在であったが、やがて男性と女性に分化し、生殖行為と胎生によって子孫を増やすようになった。人類として初めて、物質的身体を有するようになった。惑星霊に属する「光と知恵の子」と呼ばれる者たちは、第三根幹人種の身体を好ましく思い、そのなかに降下した。こうして地球に、高度な霊性の種子を有する人間たちが現れることになった。彼らは、後の「大師(マスター)」の原型となる。しかしこの段階において、人類がある程度の知性と自由を獲得したことは、悪への転落を生じさせる契機ともなった。大師の原型が生み出される一方、「炎と暗い知恵の主」と呼ばれる者たちも人間のなかに降下し、彼らはルシファーを始めとする「悪魔」の原型となった。火山の爆発によりレムリア大陸は海中に没した。

第四根幹人種;アトランティス人。プラトンが論じた伝説の地「アトランティス」で発展を遂げた。高度な文明を築いたものの、第三根幹人種において発生した善と悪の対立が継続反復され、第四根幹人種は「光の子」と「闇の子(=巨人族)」に分化。アトランティスは大洪水によって沈没し巨人も滅びた。

第五根幹人種;アーリア人。アトランティス王国を統治していた聖人たちは洪水を逃れてヒマラヤやエジプトなどの各地に離散し、「大師」として人々を導くことによって、新たな文明を築いていった。その営みから誕生したのがアーリア人である。SDではアーリア人が現在の世界の支配種族として位置づけられている。

第六根幹人種;バーターラ人。アーリア人の文明は、(SDが書かれた当時は)世界各地に点在しているが、今後はアメリカ大陸が中心地となり、将来的にはその場所で第六根幹人種が誕生する。新しい人種の子供たちは、出現の当初は精神的・肉体的な奇形児と見なされるが、徐々にその数を増加させてゆき、やがては人類の多数派を占めるようになる。しかしその頃には火山の爆発や津波が頻発し、最終的にはアメリカ大陸も沈没する。現在の第六根幹人種は、こうして死滅するに至る。

第七根幹人種;バーターラ人は海洋から新たに浮上する大陸でさらなる進化を遂げ、物質的身体の束縛から急速に離脱してゆく。彼らのなかから第七根幹人種が生み出されるが、そのとき人類における物質的周期は終了し、完全な霊性の段階に移行することになる。地球における人類の進化の歴史は、こうして終焉を迎える。神人として不滅の聖地に回帰する。

〔注3〕 スケッチ・ブック;原題/英題(The Sketch Book of Geoffrey Crayon, Gent.)は、アメリカ人作家アーヴィングがジェフリー・クレヨン (Geoffrey Crayon) という筆名で発表したイギリス見聞記を中心にしたスケッチ風物語集。34篇からなる短編小説と随筆を含む短編小説・随筆集である。全34篇のうち「リップ・ヴァン・ウィンクル」と「スリーピー・ホロウの伝説」は最初の近代的短編小説として世界に広く知られている。