●中岡成文〔著〕 ●ちくま学芸文庫 ●1300円+税
「意識哲学」から「間主観性」へ
解説書に解説文を付すのはいかがなものかと思われるが、本書に従い、その核心となる部分を抜き書きしておこう。
ハーバーマスの思想は、ハイデガーの『存在と時間』の影響からはじまる。それはデカルトから始まった「意識哲学」を「間主観性」の方向に克服する先験的試みをハイデガーに認めたからである。〔以下、本書43P~の記述〕
ハーバーマスがしばしば使う「意識哲学」とは、ヨーロッパの近代哲学の主流である、意識や自我を中心とする哲学のことだ。前出のデカルトは「精神」が人間の本質であると考えた。精神は思考するものであり、自分以外のすべてをカッコに入れることができる。身体や他の精神との関係はさしあたって問題にならない。カントにおいても、「自我」は世界の中に存在するのではなく、世界を超越し、自分の側から世界を「構成」するという面をもつ(超越論的自我)。「意識哲学」とは、このように、世界や他者から孤立した主観を起点とする思想である。
ハーバーマスはそれに対して、「間主観性」という二十世紀になってから誕生した哲学の新しい流れに注目する。それは、フッサールの現象学の創始を嚆矢とする。フッサールは、わたしたちが「生活世界」において他の人々との交流の中で生きていること、この他者との関係性がまっさきにあるのであって、わたしたちの認識はこの関係性のなかではじめて生まれ、分節化されることを指摘した。これが「間主観性」の思想である。しかし、フッサールには、超越論的主観による世界構成という発想がまだ残っていた。ハイデガーは『存在と時間』で、わたしたちは「世界内存在」であり、つねにあれこれのものに「関心」を持ちながら生きているのだと明らかにしたが、これには「間主観性」の思想を押し進める意味があった。
ハイデガーを超える
ところが、ハイデガーの『存在と時間」は、他方では、むしろ人間の単独性を強調するアピールをも含んでいた。それによると、わたしたちは日常的には世界や他人の中に埋もれて「非本来的」な生き方をしているが、自分が「死への存在」であることを知り、それをばねに、他人となれあうことのない「本来性」にめざめなければならないという。第一次世界大戦の衝撃から、近代的理性の限界を思い知らされたヨーロッパの人々に、このハイデガーの実存論の哲学は、力強くアピールした。しかし、ハーバーマスは、『存在と時間』のこの部分については、後期のハイデガーの思想に対すると同じく、否定的だ。というのは、近代の疎外ないし物象化は、ハイデガーのような「本来性」へ向けての英雄的脱自の呼びかけによっては解決できないからだ。『存在と時間』は結局のところ、近代の主観主義を克服していないどころか、それが保っていた個人の「責任」の自覚を捨て去ってしまう点で、いっそう危険でさえある。
コミュニケーション論の3つの主題
「間主観性」から出発し、ハイデガーを乗り越えようとしたハーバーマスは、自身の思想の集大成として、コミュニケーション論を完成させる。それは以下の3つの主題で構成されている。
- 近代(モデルネ)の社会に、貨幣と権力のシステム以外のものが存在することを示すこと。
- 社会を生活世界とシステムという二つの部分からなる全体として捉える、複眼的な社会理論を提示すること。
- 近代につきまとう逆説(パラドックス)についての理論モデルを構築して、近代の資本主義や合理主義が生み出した陰の側面を説明すること。
そして『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるウェーバーの分析に学びつつ、西欧文明の将来に関するかれの悲観的見通しを乗り越えること、またマルクスとマルクス主義の系譜の中で鍛えられた疎外論ないし物象化論に、コミュニケーション論的な修正主義を加えることを含意している。この近代把握から、ハーバーマスの同時代診断と政治的実践が出発する。
討議と討議倫理学原則
ハーバーマスはコミュニケーション的合理性を実践する場として、討議を提案する。たとえば社会規範の正当性が疑問視されたとき、討議が開催される。討議においては、当事者すべて参加し、それまで経験的に妥当してきたものの効力を停止し、各人が妥当要求を掲げて自己主張し、より良き論拠だけを権威として認める。討議には、理論的討議、実践的討議、治療的討議の三種がある。そして、ポスト慣習的で多文化社会において、普遍性をめざす道徳は、行為規範の内容を直接的に規定することはできず、普遍の規範を決定するための手続きなど、間接的な側面についてだけかかわる。規範を決定するのは、すべての当事者が対等な立場で参加する、実践的討議においてである。最後にすべての参加者が同意しうる規範だけが、妥当なものとして認められる。
おわりに
本書には、フランクフルト学派第一世代を代表する、そして、『啓蒙の弁証法』の名著で知られるアドルノ、ホルツハイマー両人とハーバーマスとの確執や、彼の論考に対する批判、彼からの反批判、多くの思想家・学者との様々な論争の詳細の数々が紹介されていて、ドイツにおける硬質かつ重厚な哲学・社会学界の雰囲気を垣間見ることができる。
また、巻末の「略年譜」「主要著作ダイジェスト」「キーワード解説」「読書案内」「索引」と、筆者のような浅学の者には親切このうえない編集がなされていて、ありがたい限りである。〔完〕