2025年1月28日火曜日

『リバータリアニズム入門 現代アメリカの〈民衆の保守思想〉』

 ●デイヴィッド・ボウツ〔著〕 ●洋泉社 ●2800円+税

 アメリカにおける完全なる自由思想であるリバータリアニズム(libertarianism)の入門書。本題に〝入門″とあるが専門書に近い。
 リバータリアニズムとは、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治思想・政治哲学であり、経済的な自由を重視し、反福祉国家=小さな政府を目指す点において、現在の新自由主義と似ている。この思想を支持する立場をリバータリアンという。
 著者のデイヴィッド・ボウツ(David Boaz/1953-2024)はアメリカのケイト―研究所副所長にしてリバータリアン運動の中心的人物の一人。著書に『レーガン時代をふりかえる』『麻薬非合法化がもたらす危機』『学校の自由化』などがある。 

リバータリアニズムの基本概念 

 ボウツによる端的なリバータリアニズムの説明を以下に示す。

リバータリアンは、「各人の人生、自由そして所有財産に対する権利」つまり「政府が作られる以前から、人々が生れながらにして持っている権利」をその人のものだと主張する思想である。リバータリアンの考え方によれば、すべての人間関係は、自発的なものでなければならず、法律によって禁じられるべき唯一の行為は、他者に対して強制力を行使しようとすること、つまり、殺人、レイプ、略奪、誘拐、詐欺などの行為である。(本書P19) 

 ここで言われる、〈政府がつくられる以前に、人が生まれながらにもっている権利〉とは、端的にいえば、自然権であり、リバータリアニズムとは自然権を無条件に肯定するところから出発している。
 ボウツはリバータリアニズムの基本概念(本書P40~)という章を設け、▽個人主義、▽個人の権利、▽自然な秩序、▽自発的な秩序、▽法の支配、▽制限された政府、▽自由市場、▽生産する美徳、▽利益の自然調和、▽平和――という項目を掲げて詳細に論じている。

 ボウツがまとめたリバータリアニズムの基本概念は、ジョン・ロック、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、トマス・ジェファーソン、トマス・ペインの影響を受け、現代のリバータリアン哲学として発展した軌跡を説明したものとなっている。そこで論じられている基本概念を大雑把にまとめると以下のようになる。 

  • 〈個人〉が社会分析の基本単位であること。唯一個人だけが選択し、結果責任を負う。そこからは、性、宗教、人種の差別はなく、個人の尊厳を認め合うとする。 
  • 人間の社会で最も重要な制度は、言語、法律、貨幣、そして市場であり、これらの制度のすべては、中央政府の決定によるのではなく、自発的に発展したとする。 
  • リバータリアニズムは、自由放蕩思想でも享楽思想でもなく、「法の下における人間に自由をもたらす社会」を提案する。 
  • 人間の権利を守るために人は政府を組織するが、政府とは、そもそも危険な制度である。制限された政府がリバータリアニズムが認める政治的含意である。 
  • 自由市場は、自由な人間たちの経済システムであり、富を創造するために必要なものである。リバータリアンは、人々の経済上の選択に関する政府の介入が最小限であればあるほど、人々は、もっと自由であり、もっと豊かになれる。 
  • 17世紀初期のリバータリアンは、自分自身の労働の果実を自分が保有する権利を守ろうとした。この意味で初期マルクス主義の階級分析論を発展させた人々だといえる。このことは、富を生みだす者たちと力によってその富を奪う者たちという基本的な2つの階級に社会を分けるものだった。近年のリバータリアンは、真に生産する人々がそれぞれ自分が稼いだ成果を自分の物とする権利を守りとおす。国王や僧侶階級やその後に現れた新興階級の政治家や官僚たちが、自分たちの稼ぎだしたものを奪い取りそれを非生産的な人間に譲渡することに反対した。 
  • リバータリアンは、公平が実現される社会においては、平和な状態の下で、生産的な人々の間では、そこに生まれる収益には自然の調和があると信じている。我々は自由市場という社会の仕組みによって繫栄するのだから本来摩擦は起きない。政府が特殊な政治的圧力に屈して特定の集団に不不公平な補助金を与え始めた時に初めて、集団間の利害対立に巻き込まれ、ひとかけらの政治的な野望のために、それぞれの職業集団が自らを組織化して他の職業集団と争わざる得なくなる。
  • 戦争は、大量死や大規模な破壊を引き起こし、人々の家族生活や経済生活を破壊させる。そして、支配層の人間たちの手にますますより多くの権力を与えることになる。すべての歴史を通じて戦争は、つねに敵対し合う双方の国のなかで平和に生産に従事する人々の共通の敵だった。 

 先述のとおり、リバータリアニズムは、ネオリベラリズムと多くの点で共通する。個人が自由にすべてを選択し、自由市場がすべてを解決するから、政府はよけいな口出しをするな。自分が稼いだものはすべて自分が獲得する権利がある。だから、政府が不当に(税というかたちで)それを奪うことはできないのだと。 

リバータリアニズムの起源

 ボウツは、最初のリバータリアンは紀元前6世紀、道教を創始した老子だといい、老子の「法もしくは強制を用いることなく、人々が社会的秩序を保つことができるようにすべきだ」という一節を引用する。加えて、自由と人権についての考え方は西欧にかぎられたものではなく、全世界の拡がりを持つと説明する。次にボウツは、西洋思想の二大潮流であるギリシャ思想とユダヤ=キリスト教が人類の自由(freedom)の発展に貢献したという。 

リバータリアニズムは、ふつうは、「自由市場を優先し、何よりも経済的自由を強く主張する思想だ」と考えられている。しかし、この思想の出発点は、宗教的寛容求める闘いのなかにこそ見られる。初期のキリスト教の信者たちは、ローマ帝国からの迫害に対抗するため、他人の信仰に対して寛容であることを問い詰めた宗教的理論を発達させた。その創始者は、タートウリアンである。この人物は、〔中略〕紀元200年頃に次のように書いている。「人間の権利の根本的なものは、自然から与えらえた権利である。すべての人間は、自分自身の信念に基づいてのみ信仰を持つ。一人の人間の信仰は、他の人々を傷つけることも、助けることもできない。また、一つの宗教が他の宗教に対して、信仰を強制することはできないし、信者たちの自由意志を引きずってゆくこともできない」と。すでにこの時期に、人間が自由であることは、基本的人権あるいは自然権として実現していたのである。
貿易が栄え、宗教上の教義解釈の変更が当然のこととなり、市民社会が成長したことは、それぞれの地域や共同体の内部に変化を求める原動力があったことを意味している。そして、この宗教的寛容や、多様な考え方を許す態度(puluralismu)、自分たちの政府の権力が制限されるべきだという考え方につながった。(本書P65~66) 

 ボウツは、ここで自身が率いるリバータリアニズムと新自由主義とのあいだを画する一線を引いた。自然権としての自由、寛容、基本的人権を認め、そこから導き出される信仰の自由と多元主義が政府の権力を制限することの根拠とする。引用の冒頭が新自由主義の核心だとするならば、リバータリアニズムのそれは、自然権としての自由を至高とする思想だといいたいのだ、と筆者は解釈する。 

12~16世紀のリバータリアニズム 

 ボウツは以下、12~13世紀に起きたマグナ・カルタ〔註1〕、マグデブルグの法〔註2〕、聖トマス・アキナスと哲学者による王権の制限に関する神学上の議論、13世紀の大学者、ロジャー・ベーコンの「暴君を殺す権利」の擁護、また、16世紀、神学、自然法、経済学を押し進めたサランチャ学派〔註3〕などを挙げる。そして、ルネサンスと宗教改革をリバータリアニズムの源流の初期の段階の絶頂期とする。とりわけ後者をカトリック教会の独占支配を打ち破ったことで、偶然にもプロテスタント諸宗派がヨーロッパ中に広がることを助け、クエーカー教徒やバプティスト(洗礼派)といった宗派が後にリベラル思想を生んだと評価する。 

註1:イギリスの土地貴族が国王ジョンと対立し、王が不当な干渉をしないよう大憲章(マグナカルタ)に署名させた。 

註2:ドイツの都市マグデブルグで都市の国王からの自由と自治を強調した一連の法を定着させた。 

註3:スペインのスコラ哲学の思想家集団 

絶対王政とリバータリアニズム 

 16世紀末になるとローマ教会は弱体化に伴い、国家(王政)に依存するようになり、絶対王政の発生を促した。君主は官僚制度を整備し、新しい課税を考え出し、常備軍を設置し、王権をより強めた。フランスのルイ14世、イギリスのスチュアート朝の王たちが絶対主義支配の確立を代表する。しかしイギリスでは、市民社会と議会の権威が大陸より強く、1649年にジェームス一世の息子チャールズ一世の斬首をもって、絶対主義王政の終わりを告げた。 

17世紀のオランダ、イギリスの自由思想 

 17世紀、絶対王政はフランス、スペインに根を下ろしたが、オランダはスペイン帝国から独立し、宗教的寛容と自由な商業と制限された政府という理念の中心地となった。大思想家のひとりスピノザは、ユダヤ系であるがゆえにカトリックの絶対王政下のポルトガルで迫害を受け、オランダに逃れた難民だった。彼は《(オランダの大都市)アムステルダムは、商業的繁栄と、他の人々を自分と同じように尊重することによって、自由という果実を手にいれた。このヨーロッパで最も繫栄する都市にとって、すべての国の人々とすべての宗教が、偉大な調和のなかで共存し、隣人に不信の念を抱くことなく、自分の財産を信託するものである。どんな宗教も宗派も特別扱いされることがない。〔後略〕》と『神学と政治についての論文』のなかに記しているという。
 続いてボウツは17世紀のイギリスに初期の自由思想の勃興をみる。まずは『失楽園』の著者ジョン・ミルトンの次の言説――「自由こそは徳(virtue)の最高の学校である。〔中略〕人間の誇り高さは、それが自由に選べる場合においてのみ意味をもつのである」、そして、チャールズ一世が斬首された王位空位時代――クロムウエル支配のレヴェラーズ(水平派)の自由思想である。レヴェラーズの指導者リチャード・オーバートンは、すべての個人は「自己決定の権利」を持っているのだ」「すべて人は、自分自身の権利の支配者なのであって、他の人々の支配者ではない」。 

名誉革命とリベラリズムの誕生 

 1689年に「名誉革命」が起きる。ジェームズ二世が王位継したイギリスは、再び王権強化の時代に戻る気配を見せた。そのとき英国議会がオランダにいたウイリアムとメアリーの即位を要請し、二人はその要請を受諾した――これが「名誉革命」の大筋である。ボウツは、名誉革命こそがリベラリズム(liberalism)の誕生だと力説する。そしてジョン・ロックが最初の真のリベラル(=リバータリアン)であり、現代政治学の父とみなされたという。  彼はロックの著作『市民政府論・第二篇』の主要部分を引用しつつ真のリベラルズム(リバータリアニズム)について解説する。  

  1. 自然権
    人々は政府の存在に先んじて諸権利を持っている。それゆえ、私たちはそれを自然権と呼ぶ。なぜなら、それは自然界に存在するからである。 
  2. 政府の効果を認めるが好き勝手にやる自由はない。 
  3. 人々は、自分の諸権利を擁護するために政府を創った。人々は政府がなくても権利を擁護できるだろうが、しかし権利を擁護するためには、政府は効果的なシステムである。 
  4. 自然法と政府に反逆することの正当性 
  5. もし政府がその領分を行き過ぎた場合、人々が反逆することは正しい。代議政体というものは、政府をしっかりとその本来の目的に固定する最高の手段である。政府に好き勝手にやる自由はない。自然法は、立法者にとってだけでなく、そうでない人も含めてすべての人に存在するのである。 
  6. 所有権の理念
    すべての人間は自分自身の身体に対する所有権を持っている。これに対しては、本人以外の誰もいかなる権利も持っていない。彼の身体の〈労働〉と彼の手の〈働き〉は、まさに、彼自身のものであるといってよい。そこで自然が準備し。そのまま放置していた状態から、彼が自分の手で取り上げるものが何であれ、彼はそれを自分の〈所有物〉とするのである。 

この思想は熱狂的に受け入れられた。ヨーロッパはまだ絶対王政の手中にあったが、スチュアート王朝の統治を経験したせいで、イギリス人はあらゆる政府の統治形態に疑い深くなっていた。そして彼らは当然、このロックやレベラーズたちの理念を、新大陸に向かう船に乗せて運び始めた。(本書P75) 

リベラルにとって偉大な18世紀 

 ボウツは歴史を個の自由の探究として読み解く。個の自由を抑圧するのが政府だと。18世紀のヨーロッパにおける革命は最強の抑圧装置、絶対王政という強力な政府の打倒であったと。スペイン帝国から独立したオランダの繁栄、イギリスの名誉革命はボウツにとって、リベラル(=リバータリアン)が国を統治する新しい歴史の始まりと位置づけたのだが、フランス革命については、ひとこともふれていない。フランスに関しては啓蒙主義(enlightenmento)を代表するフランスの作家ヴォルテール(1694~1778)についてだけふれている。

 啓蒙主義は、フランスの作家ヴォルテールがフランスの圧政から逃げて、イギリスに渡った1720年頃に始まったと言ってもよい。ヴォルテールはイギリスで宗教上の寛容、代議政治、そして繫栄する中産階級の人々を見た。彼は、イギリスでは商取り引きフランスよりもはるかに尊重されていることに気がついた。フランスでは、特権階級が商業を営む人たちを見下していたのだった。〔中略〕彼は『イギリス書簡』のなかで、株式取り引きついて次の有名なくだりを書いた。

《ロンドンの株式取引所に行ってみたまえ。数多くの法廷よりもずっと目を見はる場所である。そこでは、人類に貢献するために世界中の国々から集まってきた代理人たちを見ることになる。ユダヤ人がいるし、マホメット教徒がいる。キリスト教徒もいる、彼らは互いにまるで同じ宗教を信じているかのように商売している。 
 そこでは、ただ破産するような者たちだけが、彼らを指して不信仰者と呼ぶ。そこではプレスビテリアン(長老派。カルヴァン派の一派でスコットランドで広まった)が、アナバプティスト(再洗礼派)を信頼し、イギリス国教徒が、クエーカー教徒と約束を交わす。この平和で自由な集まりが終わると、ある者はシナゴーグ(ユダヤ教会)に行き、別のものは酒を飲みに行く。また、キリスト教会に行って神の霊感を待つ者もいれば、帽子を被ったままの者たちもいる。彼らはすべて満足している。(同書75~76)》

 ボウツが上記のヴォルテールを引用した意図は、〝18世紀のリベラリズム(自由思想)”が経済的発展を促している実態を示すことを第一とするが、それに加えて、それ人種差別をしないこと、信仰の自由を受け入れていること――を伝えたかったためだと推測する。ボウツにおいては、〝18世紀のリベラリズム″とリバータリアニズムは同義語である。 

アダム・スミスの経済学 

 ボウツがジョン・ロックと並んで真のリベラリズムの、あるいは今日のリバータリアニズムのもう一人の父(別の父は当然のことながらジョン・ロックである)と称賛するのがアダム・スミスである。ボウツはスミスの『国富論』を通じて、それがリバータリアン理論へのもっとも重要な貢献だという。 

自生的秩序 

 アダム・スミスによれば、自生的秩序とは「人間社会に起きる物事の秩序は自発的に生ずる」ということである。 

たとえば、人々を他者と自由に交流させ、かつ彼らの自由と財産の権利を擁護したまえ。そうすれば、中央の統制がなくても秩序なるものが現れるだろう。市場経済は、自生的秩序の一つの形態である。何百人の、あるいは何千人の、あるいは今日では、何百万の人々が、毎日、いかにしてより多くの商品を生産するか、また、どうやってもっといい仕事に就くか、あるいは、どのようにして自分や家族のためにもっと多くの収入を稼ごうかとお思いをめぐらせながら、市場やビジネスの世界に入ってくる。彼らは中央の権威に指導されたわけでもないし、また蜂が蜜を作るために動くように、生物的な本能に導かれたわけでもない。けれども生産活動や取り引きをすことで、自分自身や他の人々のために、富を創り出すのである。(同書P81)  

 自生的秩序の具体的形態として市場に続いて、言語、法律、貨幣を挙げ、これらは人間たちの必要に応じて発生し、変化してきたものだという。 リベラリズム(リバータリアニズム)の基本原理は、アダム・スミスが自生的秩序の原理を組織立てたときに完成した。それはスミスが自著『国富論』を「自然で単純な自由のシステムを描写したのだ」と語ったように、人々が外部的干渉を受けないときに生じる資本主義の描写であり、近代経済学の基本原理でもある。 いつ、いかにして、自分自身の利益に基づいて人々が生産したり、取引をするのか、〝人々は「見えざる手」に導かれて、他の人々を益するのである″。 

18世紀のアメリカを支配したリベラル思想 

 アメリカの独立記念日7月4日は、1776年のこの日にアメリカ独立宣言が公布されたことによる。しかし、宣言後も宗主国イギリスとの戦闘は続き、1783年、アメリカ独立戦争の講和条約(パリ条約)をもって、イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認したことになる。戦争は宣言後も7年続いたのである。過酷な独立のための戦争(武装闘争)をリードしたのは、急進的リべラル、トマス・ペインだった。
 ペインは独立戦争へと導くため、政治パンフレット『コモン・センス』を著わし出版した。『コモン・センス』はイギリスに対する独立の要求だけでなく、自然権と人間の独立を正当化する理論を展開した。ボウツはペインについて、「急進的なリバータリアン理論を提供した」と評している。その根拠となるのが、ペインが打ち出した〈社会〉対〈政府〉という二項対立の概念である。「現実のこの社会は、私たちの必要から生み出される〉⇔〈政府は私たちの不道徳から生み出される〉。ペインは「政府は、たとえそれが最善の国家であるとしても、よくて必要悪である。そして国家が最悪の国家であれば、それは耐えがたいものとなる」という。
 ボウツは、自由のための独立の戦いにあって『コモン・センス』と『諸国民の富』が果たした役割の重要性を強調するとともに、アメリカ独立宣言(トマス・ジェファソン起草)を「歴史上書かれたもののなかで、最高にすばらしいリバータリアン文書である」と絶賛する。そして、独立宣言の3つの要点として、①人々は権利を持つこと、②政府の目的はこの権利を擁護することにあること、③(もし政府が許される範囲を超え出るならば、人々には)政府を変革し、廃止する権利があること――と。 

独立後のアメリカ社会の変化 

 ボウツは、独立を達成したアメリカにおける急進的なリバータリアニズムの主要なテーマの第一は――バーナード・バイリン〔註4〕のエッセイから――権力は悪であり、およそ必要とされる場合には、必要悪としてのみである、という思想を人々に理解させることだったという。権力は限りなく腐敗する、権力をあらゆる方法で統御し、制限し、抑制しなければならないと。
 リバータリアンはアメリカ社会のすみずみにいたるまで、権力の分立、権利章典、行政、立法、司法の制限、戦争を強要し行う権利の制約などを説いたことだろう。こうして、権力そのものを疑う、すなわち疑念が、アメリカ革命のイデオロギーの中心となり、永遠に続く遺産としてアメリカ国民に残されたのだという。

註4:Bernard Bailyn(1922~2020)は、アメリカの歴史学者。ハーバード大学名誉教授。アメリカ史、とくに植民地時代から独立革命までのアメリカ史専攻。ピューリッツァー賞歴史部門を2回受賞している(1968年と1987年)。1968年には、バンクロフト賞(コロンビア大学)も受賞した。1975年には全米図書賞を受賞。 

 第二は、市民権や政治政治の諸権利の拡張の要求にこたえることだった。独立戦争(アメリカ革命)後の社会には、権力から排除される人たち――奴隷、農奴、女性たち――が出現するようになった。1775年、世界最初の反奴隷協会(antiislavery society)がフィラデルフィアに設立され、その後1世紀もたたないうちに、西洋世界では奴隷制と農奴制が廃止された。奴隷法廃止法(1883)によって奴隷所有者たちが受ける「財産」損失の補償問題については、リバータリアンのベンジャミン・パールソン〔註5〕は「補償されねばならないのは、むしろ奴隷の方である」と力説したという。
 女性の権利擁護の意識が目覚めた。1848年、最初の男女同権論者たちの集会が開かれ、自然権を要求し始めた。イギリスの学者ヘンリー・サムナー・メイン〔註6〕は「世界は身分社会から契約社会へ移行しつつある」といったという。 

註5:Benjamin Parsons (1797–1855)は、奴隷制度廃止法前からの奴隷制度廃止論者。 

註6:Sir Henry James Sumner Maine(1822~1888)は、イギリスの法学者・社会学者・政治評論家。イギリスにおける歴史法学の創始者とされている。 

 第三は、戦争廃絶への挑戦である。自由貿易は異なった世界の人たちを平和のうちに結びつける。自由貿易によって戦争の可能性は減る、というのが当時のリベラルの主張であったという。 

リベラリズム(=リバータリアニズム)がもたらしたもの 

 ボウツは、自由を求めたイギリス名誉革命およびアメリカ独立革命の達成が世界(欧米)にもたらした結果(影響)を次のように列挙している。 

  •  学問と機械の驚くべき進歩 
  • ジェレミー・ベンサムの功利主義(政府は「最大多数の最大幸福」を求めなければいけない) 
  • ジョン・スチュアート・ミル『自由論』 
  • ハーバード・スペンサー『社会静力学』(すべて人は自分の能力を使うに当たって、他のすべての人がもつ自由への愛好と矛盾しない限り、完全な自由を要求してもよいと、現代のリバータリアンの心情を述べた。 
  • ドイツに、ゲーテ、シラーという偉大な作家を生みだす(彼らはリベラルだった)。この二人は、イマニュエル・カントやウイルヘルム・フンボルトのような同時代の哲学者や学者の理念のなかに自由の理念を提供した。 
  • フランスでも、国家および国家によるすべての決定を攻撃するエッセイが書かれたばかりか、税金を「法的略奪」という概念を用いて、特権階級が人々が生産した物を法によって政府に使わせるようなっていると攻撃した。 

 リバータリアンが前出のとおり、奴隷制廃止運動を指導し、奴隷制を「人間の窃盗」と批判した。ウイリアム・ロイド・ギャリソン〔註7〕は「すべての人種を人間の支配から、あるいは奴隷状態にある自分から、また政府の野蛮な暴力から、解放することにある」と書いた。
 ライサンダー・スプーナー〔註8〕は、自然権の議論から始めて、「憲法を含めていかなる契約をもってしても、誰も自分が持ついかなる自然権をも放棄することはできないと訴訟を起こしたばかりか、個人的に憲法を承認しなかった。フレデリック・ダグラスは奴隷制廃止論を自己所有権と自然権から組み立てた。 

註7:William Lloyd Garrison(1805~1879)は、アメリカの奴隷制度廃止運動家であり、ジャーナリスト、社会改革者であった。急進的な奴隷制度廃止運動の新聞「リベレーター」の編集者として知られ、「アメリカ反奴隷制度協会」の創設者の一人である。 

註8:Lysander Spooner(1808~1887)は、アメリカの個人主義的無政府主義者、政治哲学者、理神論者、奴隷制度廃止運動家、労働運動の支持者、法哲学者、および起業家である。アメリカ合衆国郵便局と競合するアメリカ文書郵便会社を設立したことでも知られる。この郵便会社はアメリカ合衆国政府によって事業からの撤退を強いられることになった。 

 アメリカ独立革命を理論的かつ実践的に支えたアメリカの政治家、思想家、運動家等は、総じて宗主国イギリスの名誉革命に影響を与えた古典派経済学者および自由主義イデオローグの影響を受けていた。イギリスから新大陸に向けて、自然権、自由主義、資本主義経済などが輸出されたのだ。宗主国イギリスは権力であり、自由な経済活動を阻害し、植民者が築いた富を税として奪う「政府」だと認識されたようだ。併せて自然権から、奴隷制の廃止、人種差別・宗教差別の否定という先駆的社会変革の思想が北米に根づいたかのように、ボウツの記述からうかがえる。
 18世紀のリベラル(自由主義者)と今日のアメリカのリバータリアンとはイデオロギーにおいて異なるところがない。しかるに、後者は敢えて、リバータリアンと自称し、リベラルと一線を画している。その主因は19世紀の終わりにやってきたリベラリズムの衰退と、そのことに伴う変質があったからである。 

大恐慌/福祉国家/第二次世界大戦

 第一次大戦後の1920年代のアメリカは「狂騒の20年代/ Roaring Twenties」と呼ばれる好景気を迎えるが、1930年代に入ると大恐慌が起き、フランクリン・ルーズベルトが行ったニューディール政策でその苦境を脱する。アメリカには計画経済が導入され、福祉国家になった。
 1930年代には第二次世界大戦が勃発し、アメリカは欧州、東アジアに連合国の主軸として派兵し、日・独・伊のファシズム連合と対戦し1945年、日本帝国の降伏により、戦争は終結した。
 この時代(1920~1940年代)はリベラルにとって暗黒の時代だった。「アメリカの知識人たちのあいだに大きな政府を求める熱狂が起きた(本書P97)」とボウツは書いている。また、『ニュー・リパブリック』誌の最初の編集長であるハーバード・クローリーの『アメリカ的生活の約束』から次の言説を引用している。「その約束は・・・経済の自由によってではなく、しっかりとした規律によって、また個人の欲望をたっぷりと満たすことによってではなく、個人の服従と大いなる自己否定によって達成されるのである」と。

ルーズベルトの政府が大恐慌と第二次世界大戦を明らかな大成功のうちに終わらせたことで、政府はどんな種類の問題でも解決できるのだ」という考えが人々の間に生じる原因となった。戦争が終わて25年が経つまでは、大衆は、現在の巨大国家に反対しようという気持ちになれなかった。(本書P98)

 リベラルおよびリバータリアンにとっての暗黒時代のさなか、少数ではあるが、巨大化する政府を非難するジャーナリスト、思想家が現れるようになる。ボウツは、オーストリア学派の経済学者ルードヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881~1973)をその筆頭に挙げる。彼の計画経済批判はフリードリッヒ・ハイエク、ウイリヘルム・ロエプケといった経済学の若き学徒に影響を及ぼし、「経済計画」批判がアメリカ経済学会に勃興する契機となる。

 政治思想の領域では、H.L.メンケン(ジャーナリスト、文芸評論家)、アルバート・ジェイ・ノーク、ギャレット・ギャリート、ジョン.T.フリン、フェリックス・モーレーら〔註9〕がリバータリアンの立場から、アメリカ合衆国の将来に警鐘を鳴らした。


註9:
・ ヘンリー・ ルイス・ メンケン(enry Louis Mencken 1880~1956)。ジャーナリスト、エッセイスト、風刺作家、社会・文化評論家、アメリカ英語学者、ニーチェ崇拝者。組織化された宗教、有神論、検閲、ポピュリズム、代議制民主主義に反対。大恐慌の間、ニューディール政策を支持しなかった。第一次世界大戦と第二次大戦へのアメリカの参戦に反対した。

・アルバート・ジェイ・ノック(Albert Jay Nock 1870~ 1945)は、20世紀初頭から中期にかけてのアメリカのリバータリアン作家、ネイション誌、フリーマン誌の編集者、教育理論家、ジョージスト、社会評論家。ニューディール政策に公然と反対し、現代のリバタリアン運動と保守運動を領導した。「リバータリアン」を自認した最初のアメリカ人の1人。著書に『余剰人の回想録』『我らの敵、国家』など。

・ギャレット・ギャリート(Garet Garrett 1878~1954)は、アメリカのジャーナリスト兼作家で、ニューディール政策と第二次世界大戦へのアメリカの関与に反対した。彼はオールド・ライト、リバータリアン、古典的自由主義者と見なされている。

・ジョン.トーマス.フリン(John Thomas Flynn 1882~1964)は、ルーズベルト大統領とアメリカの第二次世界大戦参戦に反対したアメリカ人ジャーナリスト。 ルーズベルト大統領に対する激しい反対から、後に真珠湾攻撃の事前情報陰謀説を唱えるようになった。

・フェリックス・マスケット・モーリー(Felix Muskett Morley (1894~1982)は、アメリカのジャーナリスト。ワシントン・ポスト在職中、ルーズベルトの介入主義外交政策と、ヒトラーとの戦いを批判する社説を掲載し解雇される。その後、ハバフォード大学の学長に就任。1944年にヒューマン・イベント誌の創刊編集者の1人となり、連邦政府の行き過ぎと外国介入主義に反対した。回想録『フォー・ザ・レコード』、『人民の力』、『自由と連邦主義』などがある。

現代のリバータリアニズムの誕生

第二次世界大戦とホロコースト真っ只中の1943年という暗黒の時代に、アメリカ合衆国史上最も強力な政府が、別の全体主義国家をうち負かすために、とある全体主義国家(ソビエト)と同盟を結んだ時、三人の注目すべき女性たちが、のちに、現代リバータリアン運動の誕生、と呼ばれるようになった書物を出版した。(本書P102)

 3人の女性とは、ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder, 1867~1957)、イザベラ・パターソン(Isabel Paterson,1886~1961)、アイン・ランド(Ayn Rand,1905~1982)である。
 ワイルダーの『大草原の小さな家』(1935年刊)は、アメリカの開拓時代を描いた児童小説で、1970年代後半から1980年代前半にかけてテレビドラマ化された。彼女はほかに、粗野なアメリカ人の個人主義の物語を書いたり、『自由の発見』と題する情熱溢れる歴史エッセイ集を出版したりした。
 パターソンは小説家で、1943年、世界を発展させる原動力としての個人主義を擁護する『機械の神』〔註9〕を創作した。
 アイン・ランドは共産主義ロシアからアメリカに逃れたロシア系アメリカ人で、1953年に『泉』〔註10〕を出版した。ボウツによると、『泉』は個人主義をテーマにした小説で、書評家たちから猛烈に非難されたが、この小説の真意が読者に伝わるにつれミリオンセラーになったと書いている。なおボウツは「彼女(ランド)の政治上の哲学はリバータリアンだが、すべてのリバータリアンが彼女の形而上学、倫理観、宗教観を共有したわけではなかった(本書P103)」と注釈をつけている。

註9:『機械の神』は、歴史に関する独自の理論を提示し、道徳的および政治的進歩の源泉としての個人主義を大胆に擁護している。1943 年に出版されたとき、イザベル・パターソンの著作は、個人の権利、限定された政府、経済的自由という、危機に瀕したアメリカの信念に新たな知的支援を提供した。今日の集団化された国家の危機は、パターソンにとって驚くべきことではなかっただろう。彼女は『機械の神』で、集団主義の失敗の理由を探っていた。彼女の著書は、現在世界を席巻している自由企業運動の先駆者に彼女を位置づけた。パターソンは、個人の創造的精神を歴史の原動力と見なし、神から与えられた個人の権利の尊重を、近代世界を生み出した膨大なエネルギーの放出の前提条件と見なしている。彼女は、資本主義制度を人間のエネルギーが機能する機械と見なし、政府は個人の自由を脅かす活動の力を遮断するためだけに適切に使用される装置と見なしている。パターソンは、教育、社会福祉、経済的苦境の原因など、現代生活における特定の問題に彼女の一般理論を適用している。彼女は、ほとんどの人々が長い間当然のこととみなしてきた政府の介入を含め、政府の最小限の適用を除くすべての適用を厳しく批判している。『機械の神』は、自由の性質、権力の使用、そして人類のよりよい発展の見通しに関する、世界中で続いている議論に対して、挑戦的な視点を提供している。スティーブン・コックスの『機械の神』の充実した序文は、パターソンの多彩な人生と仕事を包括的かつ啓発的に説明している。彼は『機械の神』を「理論だけでなく、狂詩曲、風刺、非難、詩的な物語」と表現している。パターソンの作品が今でも関連性があるのは、「集団主義の道徳的および実践的な失敗を暴露しているからだ。その失敗は、今ではほぼ普遍的に認められているが、まだ普遍的に理解されているにはほど遠いものだ」。この本は、アメリカの歴史、政治理論、文学を学ぶ学生にとって必読である。(GOOD READS/Website より)

註10:『泉』は『水源』とも訳されている。

(この小説の)主人公ハワード・ロークは、若い個人主義的な建築家である。彼は自分の芸術的・個人的なビジョンを犠牲にして世間に認められるよりも、無名のまま苦闘し続けることを選ぶ。本作品は、権威層が伝統崇拝に凝り固まる中、自身が最高と信じる建築(世間は「現代建築」と呼ぶ建築)を追求する主人公の闘いをめぐる物語である。主人公ロークに対する他の登場人物たちの関わり方を通じて、ランドが考える様々な人格類型が描き出される。
この作品で描かれる人格類型はすべて、ランドにとっての理想の人間像である自立・完全の人物ロークから、ランドが「セコハン人間」(second-handers)と呼ぶ人間像までの、様々な変化形である。ロークの前進を支援する人物、妨害する人物、あるいはその両方を行う人物など、様々なタイプの人物たちとロークの複雑な関係を描くことで、この小説は恋愛ドラマであると同時に思想書でもある作品になっている。ランドにとってロークは理想の人物の具現化であり、ロークの苦闘は、個人主義は集産主義に勝利するというランドの個人的信念を反映している。(Wikipediaより) 

資本主義と自由

 文学におけるリバータリアニズムの復興からやや遅れた1962年、経済学者ミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』を出版した。同書はリバータリアン、ネオリベラルのバイブルのような存在となった。フリードマンはその中で、「政治的自由は、私有財産と経済的自由がなければ存在しえない」と論じた。ボウツは「・・・(フリードマンの)著作『選択の自由』をとおして、彼は過去の世代のなかで最も卓越したアメリカ人リバータリアンになった(本書P104」と書いている。
 ボウツは次いで、マレー・ロスバード(1926~1995/アメリカ合衆国の経済学者、歴史学者、政治哲学者)を挙げ、彼を「現代のリバータリアン思想の理論構造を建設し、この理念を政治運動に活用するという両方の面で重要な役割を果たした」「リバータリアンたちは、ロスバードを政治経済理論を統合したマルクスになぞらえたり、不撓不屈の急進的運動を組織したレーニンになぞらえたりした」と讃えている。
 続いて、ロバート・ノーズィック(1938~2002/ハーバード大学哲学者)である。1974年、彼は『アナーキー、国家、ユートピア』を出版した。ボウツは彼の結論部分を以下のとおり紹介している。

必要最小限の国家、即ち、暴力、窃盗ならびに詐欺、契約の強制、などに対し人々を擁護する機能をできるだけ狭く限定された国家こそが、正当化される。必要以上に大きな国家は、決まった事項のみを行うよう規制されないがために、個人の権利を侵害することになり、故に不正である。必要最小限の国家は、権利と同様、我々を鼓舞する。(本書P105)

 そしてボウツは、《ノーズィックの著作は、ロスバードの『新しい自由のために』やランドの政治哲学に関するエッセイと並んで、現代リバータリアニズムの「最も重要な核心」と定義されている(本書P105 )》と結んでいる。

リベラルとリバータリアン

 ここまでのボウツの記述を読むかぎり、〈18世紀のリベラリズム(自由主義)〉を原意として、〈現代のアメリカのリバータリアニズム〉と〈ネオリベラリズム〉に違いがないように思える。だから、ネオリベラルといえばいいと思うのだが、ボウツは、敢えてリバータリアンと自称し、リベラルと一線を画す。そこで参考までに、ウォーラーステインによるリベラリズムの定義を引用する。

リベラリズムは決して左翼の原則ではなかった。それはいつでも典型的な中道主義の原則であった。その主張者は自分たちの穏健さと賢明さと博愛とを確信していた。彼らは(保守主義的イデオロギーによって代表されると考えた)不公正な特権をもった旧態依然とした過去に対しても、(社会主義的あるいは急進主義的イデオロギーによって代表されると考えた)美徳または長所のいずれをも考慮しない無謀な平等にも、同時に対抗したのであった。リベラリズムはいつでも、政治舞台の他の勢力は二つの極端からなり、自分たちはその間にいると定義づけるよう努めてきた。(『アフター・リベラリズム 近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』P8)

 ウオーラ―ステインのリベラリズムに対する見解は晦渋だが、ボウツは次のように断言する。

政治的社会は、我々を約束した平和と豊かさという新しい時代に導くことに失敗した。強制的な政府の失敗は、強制の度合いと、その約束の壮大さの度合いに比例して悲惨なものであった。ファシスト政府と共産主義者の政府は、市民社会を排除し、より大きな大義(コーズ)のなかに人々を包含することを目指したが、今では絶望的な失敗だとされている。人々に共同体と繁栄を約束したが、結局、貧困と不景気と憎しみをそして分裂(アトミズム)をもたらしたのである。〔中略〕
ファシズムと社会主義が政治の舞台からほとんど消えてしまたっため、21世紀における闘争は、リバータリアニズム対社会民主主義(ソシアル・デモクラット)になるだろう。社会民主主義は、いわば社会主義を薄めたものである。その主張は、市民社会の必要性や市場プロセスを認めるはずが、個人が行おうとする決定に対しては、常に、制限、管理、妨害を行うことを正当化する理由をあれこれ必ず持ち合わせている。社会民主主義は、合衆国では、しばしばリベラリズムと呼ばれるが、私はかつての個人主義を意味した、このリベラリズムという偉大なことばをけがしたくない。(本書P361/太字は筆者による)

 ボウツによると、リベラリズムという言葉は、本来(原意)は18世紀の自由主義に基づく言葉であり、ネオリベラリズムもそうであるのだが、合衆国(だけに限らないと思うが)ではネオリベラリズムというと、〝新しいリベラリズム”すなわち〝新しい社会民主主義”と解される危険性がある、だから敢えて原意を避けてリバータリアニズムを用いたということになる。
 整理すると以下のとおりであろう。リベラリズムとは、18世紀に絶対王政に抗って名誉革命、アメリカ独立革命を起こした思想であり、それを支持する者をリベラルという。ところが、後年、リベラリズムは、社会民主主義に変質した。よってリベラルも社会民主主義者に変質した。第二次大戦後、社会民主主義が行き詰まり、ネオリベラリズムが台頭する。しかし、ネオリベラル(新自由主義者)と称すると、新しい社会民主主義者と誤解される。そこで、ボウツらはリベラリズムという偉大なことばを汚したくないと考え、新自由主義をリバータリアニズムと改称し、自らをリバータリアンと名乗ることにした。
 なお、日本語では「リベラリスト」という表現が一般化しているが、英語にはない。リベラリズムを信奉する者のことをリベラルという。なお、訳者副島隆彦の巻末「訳者あとがき」に次のような解説があり、参考になる。

リバータリアンたちは〔中略〕、必ずしもリバータリアンと自称したかったわけではない。ところが本来の本物のリベラリズム(自由主義)はもともと自分たちの旗であるのに、それを現代リベラル派に、僭称され乗っ取られて居座られてしまったので、仕方なくリバータリアンを名乗ったのである。リベラル Liberal とは少し違う、リバーティーン Libertine という言葉を仕方なく借用してこの30年間の間にリバータリアニズムを作った。このリバーティーンというのは、「惣領の甚六」というか、fopish spendthrift individual の意味で、遊び呆けている貴族のバカ息子、という意味である。こんな意に反する語を語源に持つ言葉を自分たちにあてはめるしかなかった一抹のもの悲しさが現在のアメリカの一大思想勢力に今なおつきまとう。(本書「訳者あとがき」P 396~397) 

テック・リバータリアンとトランプ主義 

 トランプがアメリカ大統領に就任する式典に、メタ、グーグル等のビッグ・テックのCEOたちが招待され、トランプのまわりを取り囲んだ。ビッグ・テック企業とトランプの親密ぶりをもっとも象徴するのがイーロン・マスクである。マスクはトランプ政権の閣僚に就任するらしい。彼らはテックライト(Tech Right/テック右派)と呼ばれ、究極の自由主義をトランプの下で実現しようとしている。
この数年で、ビッグテック企業の本拠地であるシリコンバレーでは、マスク氏に象徴される「テック右派(Tech Right)」の存在感が際立つようになっている。彼らは政府による規制や民主主義そのものを「無駄で非効率なもの」とみなし、技術による独裁的な統治を理想とする。「言論の自由」や「イノベーションと競争による米国経済の活性化の」を掲げるが、実のところはビッグテック・ポピュリズムである。この動きは、トランプ政権と実に相性がいい。(「偽情報・ディープフェイク もう一つの大統領選」内田聖子〔著〕/雑誌『地平』2025年1月号 P37)

 テックライトは、ボウツがこれまで記述してきたリバータリアニズムをもう一段進化させた新リバータリアニズム、すなわちテック・リバータリアニズムとも呼ぶべき思想である。トランプ政権と彼らが共同して、どのような政治・社会・経済における政策を実行していくのか、予断を許さない。 〔完〕