2025年1月10日金曜日

『〔新訳〕フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』

●エドモンド・バーク〔著〕 ●PHP文庫   ●1430円(税込) 

 著者エドマンド・バーク (1729-1797)は、フランス革命を保守主義の立場から批判した。本書はいまなお、保守主義のバイブルとしてもてはやされている。
 バークは、法律家リチャード・バークの次男としてアイルランド王国ダブリンで生まれ、イギリスで学び、英国国教会の洗礼を受けている。彼の省察は名誉革命およびジョン・ロックの思想の影響を受けていて、自国の革命を成功と、そして隣国のフランス革命を失敗と受け止めている。
 彼はイギリスの知識人の一人として、隣国の革命の状況を同時的に聞きおよびその感想を手紙に認めた。それを編集したのが本書で、1790年11月、ロンドンで刊行された。フランス革命勃発(バスティーユ蜂起)は1789年7月だから、フランス国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットが処刑される前に、本書はまとめられたことになる。なお、フランス革命は1799年11月、ナポレオンの政権奪取によりしばしの終結をみるが、その後も動乱が続き、ナポレオンのロシア遠征失敗による彼の没落(1815)をもって終わったとされる。

バークの保守思想  

 バークはフランス革命の全体像を省察したわけではない。パリに渡り現地の実態を見聞きしたわけでもない。イギリスに伝えられたかぎられた情報から、いわば直感的省察を加えたにすぎない。事実誤認も見受けられるという。それらをふまえたうえで、以下、バークの省察を検証してみる。 

(1)古来の精神に立ち返る

新政府の樹立という発想は、われわれに嫌悪と恐怖を引き起こす。名誉革命の際も、また現在も、イギリス人は自分たちの権利や自由を「先祖から受け継いだもの」と見なしてきた。代々にわたって継承されてきたこの大樹に、異質な何かを接ぎ木しないよう、われわれは気をつけてきたのだ。わが国(イギリス)における政治改革は、つねに「古来の精神に立ち返る」という原則に従って行われてきた。将来行われる改革も、過去の事例を重んじ、手本とすることを願う。(P86)
自由や権利を「祖先から直系の子孫へと引き継がれる相続財産」として扱うことこそ、イギリス憲法の一貫した方針といえる。それはイギリス人であることこそ、イギリス憲法の一貫した方針と言える。それはイギリス人であることに由来する財産にほかならず、より一般的な人権や自然権とは関係していない。
〔中略〕王位も世襲なら、貴族の地位も世襲、下院や一般民衆がもつ特権や市民権や自由も、代々受け継がれたもの。
これは人間のあり方をめぐる深い思索のうえに定められた方針に思える。いや大自然のあり方にならったものとしたほうが、より的確であろう。自然とは理屈抜きに正しいと感じられるものであり、理性を超えた英知を宿しているのだ。
(P87~88)

(2)世襲が保守思想の基本 

 自由や権利は古来から受け継がれたもの、という世襲が保守思想の基本的立場であり、身分制も世襲(変えることができない)とする。・・・社会のどんな階層においても、善を重んずれば幸福が見つかることも理解されると思われる。 人間の平等とは、こういった道義性のなかに存在する。身分や階層そのものをなくせるなどというのは、途方もない大ウソにすぎない。こんなウソは、社会の下層で生きねばならない者たちに、間違った考えやむなしい期待を抱かせたあげく、社会的な格差への不満をつのらせるだけである。そしてあらゆる格差や不平等をなくすことは、どんな社会にも不可能なのだ。(P94)

(3) 身分制、格差、不平等をなくすことはできない

フランスの大法官は・・・あらゆる職業は名誉なもの、と麗々しく宣言した。〔後略〕
 しかし、あらゆるものに名誉を与えるとなっては、もう少し突っ込んだ意味合いが生じる。調髪師や獣脂ロウソク職人といった仕事は、誰がやろうと名誉なものではない。・・・もっと隷属的な仕事については言わずもがな。 そういった仕事に就いているからといっていって、国家から迫害を受けるいわれはない。だがこんな連中に(個人としてであれ集団としてであれ)政治を任せたら最後、国家はたいへんなことになる。平等主義に徹することで、フランス人は世間の偏見をくつがえしているつもりかもしれないが、じつは非常識に振る舞っているだけと言わねばならない。(P113) 

(4)貴族・聖職者が国の繁栄を支える

フランス革命が生じたとき、ヨーロッパは全体として明らかに繁栄していた。伝統的な価値観や慣習が、この繁栄にどれだけ貢献していたかを具体的に計るのは難しい。けれども両者が無関係であるはずはない以上、伝統は社会にとって有益なものと見なして差し支えあるまい。
われわれの慣習、さらには文明は、さまざまな良い点を持ち合わせている。これを支えてきたのは貴族と聖職者であった。戦争や混乱のさなかにあっても、学問や文化が存続してきたのは、彼らの努力や庇護のおかげなのだ。経済を重視する政治家は、商業、交易、工業などにばかりこだわるが、これらにしたところで、貴族的精神や信仰心に多くを負っている可能性が高い。(P145)  

平等の否定が保守思想の核心 

 バークの保守主義とはこういうことなのだ。身分制を固定的なものと考え、社会の上位者は永遠に上位であり続けられる社会が保守主義者にとってのあるべき社会なのだ。身分による差別、職業による差別、下層とされる人々に対する平然とした侮蔑を臆面もなく表明してはばからない。フランス革命を受け入れないイギリスの保守派知識人の社会観、人間観がよくわかる。
 バークの保守主義はイギリスから大西洋を渡る船に乗って新大陸に流れ着く。北米にやってきた入植者は先住民を虐殺し排除したばかりか、労働力としてアフリカから奴隷として拉致してきたアフリカ系の人々への虐待と差別の正当化の論理として保守主義が一役買った。そればかりではない。イギリス人は今日まで続く人種の序列化を北米において構造化した。貴族のいない新大陸に、WASP(White, Angro-Saxon, Protestant)を最上位とし、その下位にイタリア系、アイルランド系、東欧系…アジア系、アラブ系、アフリカ系を階層化した。アメリカのいまなお続く保守主義は、バークのような保守主義者から受け継いできた結果である。アメリカ、新しいようで古い国なのである。

バークの保守主義は危険思想 

 バークは本書終章で、国体というものの重要性をもちだし、以下のように宣言する。

イギリスにおける国家の基本的なあり方、つまり国体は、国民ひとり一人ひとりにとって、計り知れない財産と呼びうる。〔中略〕
既存の国体を保ち、不当な侵害から守るためには、真の愛国心や自由の精神、および自主独立の気概が欠かせない。わが同胞は誇りをもって「保守」の偉業を果し続けるだろう。(P377~378)

 ことほどさように、本書は危険な言説で締めくくられている。日本の近現代史は、「保守」が軍国主義、国家主義、全体主義、帝国主義に変容する過程をまざまざと見せつけている。「保守」は唾棄すべき思想である。