今回のテーマは”1974年のザ・バンド”。ザ・バンドとボブ・ディランとの2度の共演([Planet Waves]および[Before the Flood])が取り上げられている。前者は同年1月17日のリリースで、ザ・バンドはディランのバックに専念している。後者は同年1月3日、シカゴからスタートしたディランとザ・バンドによる北米21都市・40回にわたるコンサートツアーである。
| 左:池上晴之氏 右:小倉エージ氏(2026/5/9 /Bar461/曙橋) |
(一)[Planet Waves]
筆者はボブ・ディランについてよく知らない。好きとか嫌いとかいうよりも、ついていけないと思い続けている。この対談終了後に行きつけのダイニングバーで偶然会った友人は、「オレは[Planet Waves]を聴いて、ディランが嫌いになった」と言ってはいたが。
「歌手」ボブディラン、「演奏者」ザ・バンド
小倉氏が[Planet Waves]から選んだのは〈On a Night Like This〉〈Going ,Going,Gone〉〈Dirge〉〈Forever Young〉など計7曲。小倉氏は、このアルバムでディランは「歌手」になったという独特の評価をした。確かに前出の歌唱はそれまでの突き放すような歌い方から、情緒的で情感を前面に打ち出しているように思える。しかもディランが自身について書いた歌詞を小倉氏は私小説的だともいう。なかで 〈Dirge(哀歌)〉は、ポルトガルのファドを思わせる。メキシコ経由でイベリア半島の歌謡の影響を感じる。ディランが主演した映画『ビリィ・ザ・キッド』のロケでメキシコに長期滞在したからだろう、と小倉氏は説明した。
一方のザ・バンドはどうなのか。小倉氏が挙げた前出の楽曲の中で印象に残ったのが 〈Going ,Going,Gone〉と前出の〈Dirge〉。ロビー・ロバートソンがハイフレットで奏でる緊迫感あふれるギターが素晴らしい。彼がギタリストとしてこれまでにない領域に踏み込み、それに同期してザ・バンドは「演奏者」となったのか。
〈The Third Man〉→ [Planet Waves] →〈Theme from The Last Walz〉
小倉氏は、 1973年にリリースされた [Moondog Matinee]に収録された 〈The Third Man〉を起点に [Planet Waves]を経て、1976年11月のザ・バンドの解散コンサートで発表された〈Theme from The Last Walz〉へと続く流れを指摘した。 [Moondog Matinee]は前回の当対談のテーマとなったザ・バンドのカヴァー・アルバム。全曲中「The Third Man」だけがインストルメンタルで、しかも、唯一アフリカ系アーチストではないウィーンのチター奏者、アントン・カラスの作のカヴァーだ。
チターはオーストリアを中心にその周辺で演奏される弦楽器。強く張った弦をはじく音色が独特で、ヨハン・シュトラウス2世のウインナ・ワルツ『ウィーンの森の物語』の冒頭と末尾で演奏されるソロが有名である。ウィン・フィルとカラスが共演したアルバムもある。ザ・バンドがウィーンを舞台にしたスリラー映画のテーマ曲を [Moondog Matinee]に組み入れた理由は定かではないが、結果として、[Planet Waves]というボブ・ディランのバック演奏の中に生かされたことは確かだ。
さて、チターの音色は、ハプスブルク帝国の栄光の都ウィーンの絢爛たる舞踏会をイメージさせる。巨大なシャンデリアの下で正装した男女が優雅にワルツを踊る場面である。このような世界観は、ザ・バンドの音楽性を象徴するアメリカーナとは対極にあるように思う。
スコセッシの『The Last Waltz 』は長大な切り取り動画
ここで、 The Last Waltzにふれておく。マーチン・スコセッシ監督の映画『The Last Waltz 』をみるかぎり、ザ・バンドの解散コンサートがなぜ The Last Waltzなのか理解しにくいのだが、ザ・バンドはもとより会食・舞踏会・詩の朗読・コンサートという構成の大規模なイヴェントを企画し、実際そのととおり執り行った。だが、スコセッシ監督の映画では、ディナーや舞踏会等の場面はカットされ、音楽映画として編集され公開されたのである。
実際の[The Last Waltz]と映画のそれとの違いについては、今回の対談のもう一人の主役・池上晴之氏の著書『ザ・バンド 来たるべきロック』を読んだ方には既知のことだろう。未読の方は参照されたい。
端的にいえば、スコセッシ監督の映画『The Last Waltz 』は長大な切り取り動画である(正確にはそれにスタジオ撮影とオーバー・ダビングを施して再構成したもの)。しかし、音楽映画としては素晴らしい出来栄えだったため、人々の記憶に[The Last Waltz]というイヴェントは映画のとおりだと受け止められ記憶され、実際に行われたイヴェントの模様は振り返られることがなかった。
筆者は 〈Theme from The Last Waltz〉(という楽曲)が象徴する実際のイヴェント としての"The Last Waltz"と、スコセッシがつくりあげた映画 『The Last Waltz』とは重なっていないように思っている。その淵源は、イヴェントの構成が、会食・舞踏会・詩の朗読の後に北米音楽界にみならず世界的に活躍した大御所、大物アーチストがゲスト出演し、彼ら・彼女らとザ・バンドが共演するという、不整合性にある。筆者のような日本の義務教育程度の音楽教育しか受けていない者には、ワルツとロックは対極にあるとしか思えない。にもかかわらず、映画を見た当時、それを不思議に思うことがなかった。これすべて、監督スコセッシの魔術である。
(二)[Before the Flood]
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| 聴衆がライターを灯してディランとザ・バンドを迎えた様子のジャケ |
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| Asylam Record P-5138~9Y |
[Before the Flood] はボブ・ディランがザ・バンドとともに1974年1月3日~2月14日に北米21都市40公演を行なった8年ぶりのコンサート・ツアーのタイトル。1974年6月、二枚組のアルバムとしてリリースされている。邦題は『偉大なる復活』。
それから半世紀を経た2024年9月、発表ライヴ音源417曲 (16トラックテープから新たにミックスした133曲、現存するすべてのサウンドボード録音) を含む全431曲を収録した現存する全ライヴ音源を収録した CD27枚組ボックスセット『偉大なる復活: 1974年の記録 (The 1974 Live Recordings)』が 発売された。筆者はボックスセットを聴いていないが、小倉氏・池上氏によると、ザ・バンドのパフォーマンスに削除されているものがあるという。
「偉大なる復活」、だれが復活したのか
「偉大なる復活 ボブ・ディラン/ザ・バンド=ライヴ!]のライナーノーツの冒頭に、小倉氏は次のように書いている。
1974年1月3日、シカゴ・スタジアムにおいて、ザ・バンドを従えたボブ・ディランの8年ぶりのコンサート・ツアーの幕は切って落とされた。〔中略〕7時を過ぎた頃には18000余りの座席を埋め尽くし、満員の観客は、ディランの登場を待ちわび続けていたのである。そして開演予定時間の8時を30分あまりすぎた頃、突然訪れた暗闇に人々は歓声の声をあげたのだった。まずリック・ダンコを先頭にしたザ・バンドの面々が登場。続く6人目のザ・バンドのメンバーとみまごうその人こそボブ・ディランであったのだ。そしてステージの右端に歩み寄ったディランは、取りあげたエビフォンを手にしてまもなく、何のカウントもなしに、いきなり「ヒーローズ・ブルース」を歌いはじめたのである。
このツアーの開催が決まる前、ディランは活動休止状態にあった。ザ・バンドはロビー・ロバートソンのスランプとリチャード・マニュエルのアルコール依存症の休止期間から抜け出したばかりという難しい状況だった。両者は復活を目指すべき思いを共有していた。もちろん両者の支持者にとっても復活は望むところだったにちがいない。
このツアーがザ・バンドにどのような影響を与えたかについて小倉氏は、前出のライナーノーツに《サウンドの変化に気づくはずである。とりわけ目立っているのは、シンセサイザー及びメロトロン〔註〕の起用》だと指摘している。
〔註〕メロトロン(Mellotron)は、1960年代に開発された、アナログ再生式(磁気テープを媒体とする)のサンプル音声再生楽器である。 アメリカのハリー・チェンバリンが作成したチェンバリン(Chamberlin)を元に、イギリスのレスリー・フランク・ノーマンのブラッドレィ3兄弟が、設計と作成を行った。(Wikipedia)
リヴォン・ヘルムの回想
小倉氏によると、ツアー中、ディランはいきなりセットリストを変更したり二番から歌いだしたりと、暴君ぶりをいくどとなく発揮したようだ。コンサートが落ち着くのに時間を要したとも、また、開催地ごとに出来栄えにむらがあったとも。とはいえ、ザ・バンドは暴君の気まぐれに耐えるに足る思いをしたようだ。リヴォン・ヘルムの回想録『Levon Helm and The Story of The Band(邦題「ザ・バンド 軌跡』)には次のようにある。
ボブとぼくたちは707ジェットの「スターシップ・ワン」で各都市を移動した。707ジェットの内部は改造され、バーや個室がそろっていて、空飛ぶラスヴェガスのようだった。(同書P227~228)
70年代ロックンロールの豊富な資金で、ぼくたちは6人の王侯のように旅をした。最高速のジェット、長いリムジン、ホテル最大のスイートルーム、大量の白い粉。(同P230)
その一方、この長期のツアーはザ・バンドの全メンバーの心身を疲労困憊させた。
・・・ボブがマイクにむかって「15分でもどる」といい、ぼくたちは楽屋に倒れこんだ。大観衆を前にした演奏は、大量のエネルギーを必要とした。まるで力を絞りとられるスポンジのようにスカスカになった気がした。たばこに火をつけたとき、手がふるえたのをおぼえている。(同P229)
・・・こんな具合だった。少々の変更はあったが、つぎの6週間、大体これとおなじコンサートをした。自分たちがあきてしまわないよう、新しい方法を編みだしながら古い曲の演奏をしたが、いつも結局はかつて野次られたことのある曲にもどっていった。ボブ・ディランはあのころから大地に足をつけて立っていた。そして世界のほうが二転も三転もした。客はぼくたちとおなじような歳で――三十代――、演奏をよく聞いて礼儀正しかった。変な気分になったこともある。これはボブ・ディランとザ・バンドという劇で、客は何年も前に見すごしたものを見るために金をはらって劇を見にきているんだ。そんな気分になったのだ。ボブをふくめて、みんながそれを感じていた。それもしかたがなかった。ぼくたちにとって経済的な意味ではよいツアーだったが、必死の情熱を注ぐものではなかった。(同P229~230/太字は筆者による)
[Before the Flood] の邦題は[偉大なる復活]だが、少なくともザ・バンドにとっては長期かつ大規模なコンサート・ツアーでバーンアウトし、復活という自覚とは異なる体験になったようだ。 なお、[Before the Flood]の(Album)および(Tour)については、Wikipediaが筆者にはとても参考になった。
さて、ザ・バンドは数カ月の休養をとり、マリブにシャングリア(というスタジオ兼ライブハウス)を拠点として構えることになる。〔続く〕


