久々の高校の有志同期会。8人が集まりました。
その冒頭、幹事からこれまで同会に来たことがある2名の訃報にて始まりました。幹事が開催の連絡をしたものの返信がなく、心配して調べてみたところ、亡くなっていたとのこと。
お二人とも孤独死という無念。合掌
会はお二人を偲びつつも、楽しくお送りするものとなりました。
| 二次会 |
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| 二次会 |
さて、筆者はドーハの悲劇を経て1998年フランス大会からW杯に興味を持った者だが、今大会は私(わたくし)史上、最低最悪のW杯のように思える。
まず、北中米開催圏という広域開催による弊害だ。選手に負担がかかる。しかも冷房の効いたドームと、高温下の屋外というコンディションが異なるスタジアムで試合が行われたため、不公平が生じてしまった。
出場チームが32から48に増え、32チームが決勝トーナメントに出場できるというレギュレーションの変更もバカげている。わずか16チームが予選落ちというのでは予選リーグの価値がない。水ぶくれの試合数増で、収益拡大狙いが見え見えだ。
今大会で初めて導入された入場料金制度・ダイナミックプライシングもFIFAの利益追求に一役買っている。サッカーはそもそもが庶民の娯楽だ。価格を釣り上げて、金持ちばかりが席を確保し、庶民が会場に足を運べなくなるような入場料の自由価格競争はサッカーファンの夢を壊す。
ハイドレーションブレイク(給水タイム)導入も、サッカーの本筋から外れている。サッカーはプレーの合間を縫って給水できるゲームだ。マラソンも選手が走りながら給水する。どこで給水するかは各選手の判断であって、全走者の走行を一律に止めるようなことはしない。給水も技術である。ハイドレーションブレイクは、巷間いわれるように、TV中継におけるCMタイムにすぎない。TVのCM本数増による売上増が狙い。
審判の判定が狂っている。ここまでのところ、決勝トーナメントに入ってからのエジプト戦(ベスト8)、スイス戦(ベスト4)でアルゼンチンに有利な判定が目に余る。アルゼンチン選手の悪質なプレーはファウル(笛のみ)どまり、相手選手の反則にはイエロー連発。しかも、いきなりのVAR判定でゴール取り消しや、相手チームのエースに退場処分が出るといったありさま。アルゼンチン選手はそのことを理解していて、自分たちにイエローは出ないという前提で悪質なファウルを繰り返す。
審判もFIFAの意向に逆らえば、W杯に呼ばれなくなるからFIFAに忖度する。さらにVARの恣意的介入が加わり、めちゃくちゃな判定が相次いでいる。アルゼンチンのエース、メッシは、米国MLSのインテル・マイアミに所属している。メッシのアルゼンチンがW杯で優勝すれば、彼はアルゼンチンの英雄かつ米国MLSマイアミの英雄として、米国サッカー界も盛り上がる。トランプに近いインファンティーノFIFA会長がアルゼンチンというよりもMLSの英雄メッシをつくりだしたいため、アルゼンチン優勝を画策しているのではないか、という憶測も流れている。
フランスースペイン戦の主審は イバン・バートン(エルサルバドル)に決定。バートンは残念ながら評判がよろしくない。グループリーグにおける日本ースウエーデン戦で日本人選手のソックスにいちゃもんをつけ、ピッチから出て行かせた事例が記憶に新しい。判定に偏りが目立つという指摘もある。メッシのアルゼンチンにとって、フランスとスペインを比べれば、フランスよりもスペインに勝ちあがってほしいと思うだろう。バートンの裁きぶりに注目が集まる。
一方のアルゼンチンーイングランド戦は、主審(イスマエル・アリエス)とアシスタントレフリー2名の計3人がアメリカ人という構成。巷の声としては、英語を話す主審だからイングランドに有利だというものと、FIFA とアメリカはメッシのアルゼンチンの優勝を望んでいるというものが相半ば。いずれにせよ、公正な裁きが望まれる。〔完〕
自分(A君)は、選挙の際の選択肢として、「最悪は避けたい」という消極的動機で立憲か「れいわ」の候補者のどちらかに投票してきた。自分は「熱心な」支持者〔後述〕でなかったし、内部の事情など知る由もない。「れいわ」の今後については、水道橋や木村を中心に結党時の理念「生きているだけで価値がある」に立脚して再出発するしかないのではないか。山本太郎には、ただ「お疲れ様」だけだ。この回答を受けて愕然とした。A君は国政選挙時、(彼曰く)いち大衆として、ボランティアと称してビラを配り、ポスターを貼り、選挙事務所に日参していた。そのことを誇らしげに筆者に語ってもいた。筆者が「れいわ」の政策に疑問を投げかけると、「山本太郎の演説会場にきて、山本太郎に直接質問してみたら」と言っていたくらいだ。
参政党支持者も、れいわの支持者も、そして共産党の支持者も、生活者としての体感は共通なのです。
その苦しさが、グローバル化した資本主義経済にあるという認識も、たぶん共有しているのです。
ところが、れいわの人や参政党の人は、それが資本主義批判に向くことがないのです。
資本主義批判を可能にするためには、資本主義を外部から捉える科学的社会思想が必要ですが、それは「共産主義」として西側社会の大衆から遠ざけられてきたからです。
山本太郎がインチキなMMTみたいなのに引っ掛かったのも、端的に言えば、資本主義システムの理解が中途半端だったせいです。
また、参政党の人は、社会システムの問題を「愛国心」とか「外国人差別」のような、感情や情緒で解決しようとしていますが、それが最悪の選択肢であることは歴史が物語るとおりです。