「れいわ」の支持者は日和見主義
筆者が「れいわ」の熱心の支持者だったはずの知人のA君に解党の経緯などについてたずねたところ、こんな回答が返ってきた。
自分(A君)は、選挙の際の選択肢として、「最悪は避けたい」という消極的動機で立憲か「れいわ」の候補者のどちらかに投票してきた。自分は「熱心な」支持者〔後述〕でなかったし、内部の事情など知る由もない。「れいわ」の今後については、水道橋や木村を中心に結党時の理念「生きているだけで価値がある」に立脚して再出発するしかないのではないか。山本太郎には、ただ「お疲れ様」だけだ。この回答を受けて愕然とした。A君は国政選挙時、(彼曰く)いち大衆として、ボランティアと称してビラを配り、ポスターを貼り、選挙事務所に日参していた。そのことを誇らしげに筆者に語ってもいた。筆者が「れいわ」の政策に疑問を投げかけると、「山本太郎の演説会場にきて、山本太郎に直接質問してみたら」と言っていたくらいだ。
「れいわ」の不祥事が報道されるようになり、そしてついに解党に至るに及び、自分は熱心な支持者ではないと過去を否定する。ただ最後の〝山本太郎には、「お疲れ様」だけだ″のひと言に「れいわ」への隠された想いが凝縮しているように感じた。
政策なき左派ポピュリズム政党
「れいわ」という党は、上から下まで腐っていた。筆者は直感的にそれを感じ、支持しなかった。彼らの唯一の「政策」は消費税廃止だった。ところが、高市自民党と維新そして野党までがそれを言い出したところで、「れいわ」の「政策」は政策でなくなった。山本が病気を理由に活動を停止して以降、大石が「正論」をヒステリックに発信し続けたようだが、そのような傾向は、党の政策を理論的に構築する能力がないことの裏返しだった。SNSにこんな投稿があった。
参政党支持者も、れいわの支持者も、そして共産党の支持者も、生活者としての体感は共通なのです。
その苦しさが、グローバル化した資本主義経済にあるという認識も、たぶん共有しているのです。
ところが、れいわの人や参政党の人は、それが資本主義批判に向くことがないのです。
資本主義批判を可能にするためには、資本主義を外部から捉える科学的社会思想が必要ですが、それは「共産主義」として西側社会の大衆から遠ざけられてきたからです。
山本太郎がインチキなMMTみたいなのに引っ掛かったのも、端的に言えば、資本主義システムの理解が中途半端だったせいです。
また、参政党の人は、社会システムの問題を「愛国心」とか「外国人差別」のような、感情や情緒で解決しようとしていますが、それが最悪の選択肢であることは歴史が物語るとおりです。
参政党の躍進と「れいわ」の崩壊
拙宅の最寄りの駅から帰路の途中、参政党のオレンジ色のTシャツを着た運動員の姿をしばしばみかける。リーダーは中年男性、運動員の年齢は幅広い。彼らは熱心に演説、ビラ配り、幟を担いだ示威行進…に勤しむ。
筆者はそのなかで、幟を担いだ高齢のご婦人の視線が印象に残っている。その目力は、1930年代の世相を映したモノクロームのニュース映像に出てくる隊列を組んで行進するドイツ・ナチ党の党員のそれと似ている。両者に共通するのは、「所属している」という充実感と自信のようなもの、すれちがう他者を見下すような優越感だ。「れいわ」支持者にそのような意識がないと断言できないが、おそらく参政党支持者に比べれば、その出力は低い。「れいわ」支持者は、先述したA君のような消極的支持者が多くを占めていると思うからだ。
筆者は「れいわ」という政党の組織構造を以下のとおり推測してみた。頂点は政治屋(官僚)たちで、山本、大石らを表の政治家として活動させ、彼らを操作することで大衆の支持を集めようと謀った。官僚たちと山本・大石らの共通の狙いは政党交付金という濡れ手で粟の大金だ。そのために、山本という俳優出身の演技力に賭け、この企ては国政選挙を通じて実現・成功した。
政治家・山本太郎はいつしか演技者である役割を超え、自分が救済者だと信じ、「救国の士」と自覚するに及びそのように行動し始め、過激発言を多発した。貧困者のための炊き出し現場に日参し、全国の被災地で無償労働に励み、国会で過剰な政府批判を展開した。しかし、過重な自己犠牲は山本の心身を棄損し、精神を病んで自壊行為(69キロオーバーの149キロで走行のスピード違反)におよび、今回の離党・引退宣言でその任を自ら解いた。
山本の離党・引退会見はかなりひどかったようだ。山本の態度・発言を見聞きした「れいわ」支持者のひとりは、「山本・大石は左派ポピュリストの皮をかぶったネオリベだ、カネ、カネだけがすべてだ」とSNSに投稿した。
山本・大石が離党して、党名変更したとしても「れいわ」という政党が消滅したわけではない。政治家がいなくなり、政治屋(官僚)が残ったということは、政党交付金の残金が党の金庫に残されていることを意味する。残党諸氏は、残金の明瞭な管理に努めてもらいたい。
それだけではない。複数の幹部党員が事件級の疑惑に包まれたままだ。 「れいわ」の闇が表面化すれば、司直の登場に相成る。「れいわ」が惨めで悪質な左派ポピュリズム政党だったとしても、そのような終わり方だけはしてほしくない。 〔完〕
俳優山本太郎の演技力に賭けた「れいわ」の官僚 たち
政治家・山本太郎はいつしか演技者である役割を超え、自分が救済者だと信じ、「救国の士」と自覚するに及びそのように行動し始め、過激発言を多発した。貧困者のための炊き出し現場に日参し、全国の被災地で無償労働に励み、国会で過剰な政府批判を展開した。しかし、過重な自己犠牲は山本の心身を棄損し、精神を病んで自壊行為(69キロオーバーの149キロで走行のスピード違反)におよび、今回の離党・引退宣言でその任を自ら解いた。
山本の離党・引退会見はかなりひどかったようだ。山本の態度・発言を見聞きした「れいわ」支持者のひとりは、「山本・大石は左派ポピュリストの皮をかぶったネオリベだ、カネ、カネだけがすべてだ」とSNSに投稿した。
「れいわ」の敗戦処理を監視せよ
それだけではない。複数の幹部党員が事件級の疑惑に包まれたままだ。 「れいわ」の闇が表面化すれば、司直の登場に相成る。「れいわ」が惨めで悪質な左派ポピュリズム政党だったとしても、そのような終わり方だけはしてほしくない。 〔完〕
