2005年5月5日木曜日

『フランスの「美しい村」を訪ねて』

●辻 啓一[著及び撮影] ●角川書店 ●875円+税
本書は、パリ在住の日本人写真家が「フランスでも最も美しい村100選」というフランス観光局公認の村々を取材・撮影したもの。雑誌『マリークレール日本版』に連載した記事を大幅加筆して編集したという。「美しい村」に公認されるためには、電線を地中化しなければいけないなど、厳しい基準を満たさなければいけないらしい。

本書では、(1)パリ近郊、(2)アルザス周辺、(3)ブルゴーニュ周辺、(4)ローヌ・アルプ・プロヴァンス、(5)ミディ・ピレーネ周辺、の5地区・26村が紹介されている。26の村々のなかで筆者が訪れたことがあるのは、コンクだけ。ほかの村々については名前さえ知らなかった。

これらの村々は日本における知名度は低いものの、中世の面影を色濃く残し、古い教会(多くはロマネスク様式)、石積みの建物、石畳の舗道等々で構成されたところばかりだ。むろん、村には、十分な観光施設が備えられているとは言えないけれど、雰囲気はある。また、名所・旧跡というほどのスポットがあるわけではないけれど、いかにも“ヨーロッパ”という景観を残していて、村を訪れた人は、中世にタイムスリップしたような錯覚にとらわれるに違いない。

著者はそんな村で暮らすアーチストやホテルのオーナーを紹介しつつ、村の特産料理やワインに舌鼓を打っている。長いゴールデンウイーク、東京でくすぶっている筆者にはうらやましい限り。著者は、このような村の滞在は2日間で十分だというが、筆者には行きたいようないきたくないような、判断に迷うところもある。というのも、景観としては魅力的だが、霊気や怨念といった、歴史的な重みにやや欠けるような気がするからだ。

2005年5月4日水曜日

『物語 カタルーニャの歴史』

●田澤耕[著] ●中公新書 ●780円+税

カタルーニヤとは現在スペインがフランスと接する、地中海沿岸の地域。バルセロナが「首都」に当たる。この地域ではいまでもカタルーニヤ語が話され、マドリードを中心としたスペインとは異なる文化圏だといわれている。

そもそも、スペインが統一されたのは中世末期から近世の初めの時期。スペインの歴史は、連続した1つのアイデンティティで括れない。こうした複雑さは欧州ではスペインに限らないけれど、スペインはその複雑さでは群を抜いている。

なので、スペインの歴史を大雑把におさえておこう。
 
まず、イベリア半島に先住していていた民族はアフリカ系のイベロ人と呼ばれた。その後、印・欧語族のケルト人がやってくる。ケルト人はイベロ人と混血して、セルティベロ人と呼ばれ、現在のスペイン人の祖先になった。やがて、ケルト勢力はローマに滅ぼされ、この地はラテンの支配を受けるようになる。そのローマ人はゲルマン系諸族の侵入により滅亡し、ゲルマン系の一派である、西ゴート族がこの地の支配者となる。西ゴートはローマからキリスト教をもってくる。しかし、イスラム勢力の台頭により、西ゴート王国は滅亡、イベリア半島はイスラムの支配を受け、キリスト教勢力は北部に追いやられてしまう。しかし、北部に残されたキリスト教勢力が巻き返しを図り、レコンキスタ(祖国回復)が開始される。カタルーニヤはアラゴンと連合して、この時代から、現在のスペイン内部で独立した勢力となり、中世初期からから近世のはじめまで、カタルーニア・アラゴン王国として繁栄した。

ところが、15世紀、中世が終わり近代への黎明期、北部のカスティーリア王国がスペインの覇権を握り、やがて、スペイン=ハプスブルク帝国としてイベリア半島を統一、新大陸を含めた大帝国を築く。カスティリーア王国=スペインハプスブルク帝国の成立とともに、カタルーニアは衰退した。それでも、カタルーニヤは文化的に独立した地域として、独自性をかろうじて、保持することができた。

カタルーニヤの滅亡を決定づけたのは、現代のスペイン内乱であった。本書は中世のカタルーニヤの歴史書であるため、この内乱については詳しく触れていない。

カタルーニヤが滅亡した主因は、スペイン内乱で共和国支持を打ち出し、フランコ=ファシスト側と対立したことであった。スペイン内乱は、共和国側の敗北で終わる。そして、戦後成立したフランコ独裁体制の下、カタルーニヤは徹底した弾圧を受けることになる。中世のカタルーニヤの繁栄とファシスト=フランコ政権下の弾圧――どちらも重要な歴史である。(本書は前者に限定した内容となっているので、スペイン内乱とカタルーニヤについては、カタルーニヤの近代史・現代史を読む必要がある)

国民国家が言語、宗教、民族といった歴史的な諸要素を基盤としているようでいて、実は、借り物(幻想)であることは、よく知られている。いまのスペインを歴史的共同性からみれば、1つの国民国家として成立する根拠はない。カタルーニヤの歴史は、国民国家が不完全な共同体であることを象徴する。スペインが分裂するのか、それとも、EUという超国家の発展が、国民国家の枠組みを撤廃して、逆に歴史的共同体を復活させることに向かうのか、ヨーロッパがいま、おもしろい。

『世界のイスラム建築』

●深見奈緒子[著] ●講談社現代新書 ●740円(税別)

筆者が本格的なイスラーム建築を見たのは、ヒンドゥー教の国・インドでだった。インド観光のゴールデントライアングルと呼ばれるデリー、アグラ、ジャイプールにおける観光の目玉といえば、インドにイスラーム王朝を築いたムガール帝国の時代の建築が多数を占めている。インドのイスラーム建築の代表といえば、世界で最も美しい建物の1つといわれている、タージマハル廟だろう。ヒンドゥー教の国・インドでイスラーム建築を観光するという体験は、なんとも割り切れない気分だった。浅学の筆者には、インドでイスラーム教、え、なんで?という思いが残った記憶がある。

イスラーム教は唯一絶対の神を信仰する宗教で、偶像崇拝を厳しく禁止している。もちろん、神を具象するものは何もなく、信仰の対象はコーランに書かれた言葉だとも言われている。そのため、主たる宗教建築であるモスク、廟、神学校等には神像がないし、建築に施される装飾は、抽象的な模様と文字に限られている。

イスラーム建築の原型は、本書の巻頭に紹介されているとおり、メッカのカーバ神殿だろう。カーバ神殿はイスラーム教徒しか近づくことができないため、映画やTV映像でみるほかない。映像では、それは漆黒の立方体で、まわりに抽象的装飾が施された一本の帯のようなラインがあるだけの造形物に見える。神殿というよりも、黒い石の塊のようにしか見えない。入口がどこか、正面がどちらか、も、うかがうことができない。「カーバ」とはキューブの語源ともいわれ、この建築はただの箱のようにさえ思える。カーバ神殿から察するに、筆者の趣味からいえば、イスラーム建築にはあまり期待できないな、と思いつつ本書を購入した次第。

ところが、本書を読み進めるうち、イスラーム建築の豊穣さに驚くばかり。そして、ヒンドゥー教の国・インドにあのように壮大なイスラーム建築が残されている理由も理解できた。本書を読み進めることによる知的体験は、エキサイティングなそれであり、高級なミステリーを読むような冒険心に似ている。

さて、本書ではイスラーム建築の解説という本論の前に、地理的・時間的観点から、イスラーム世界の整理を試みている。その部分は、イスラーム理解の基本中の基本なので、あえて紹介することにしよう。

イスラーム世界は、歴史的には三段階に整理できる。

第一期はイスラームを奉じたアラブ族によって7世紀に拡張した地域。

第二期は遊牧騎馬民族のベルベル族、トルコ族、モンゴル族によって11世紀以降に拡張した地域。

第三期はその後、さらにその外側に広がった地域。

第一期はイスラームの始まりで、中心はアラビア半島のメッカにある。この時期、アラブ人によってイスラームは各地に普及したのだが、概ねその地域は次のように分類できる。

(1)マシュリク=アラビア半島、エジプト、広域のシリア、イラクあたり。アラブ人が住み、アラビア語が話される。イスラームのハートランドで、マシュリクとはアラビア語で東を意味する。

(2)マグリブ=西を意味する。モロッコからリビアまでの地中海に面するアフリカ北岸を指す。スペインもイスラーム支配の時代には「アンダルシア」と呼ばれ、マグリブに属した。

(3)ペルシア=現在のイラン、トゥルクメニスタン、ウズベキスタン、アフガニスタンに当たる地域。古代ペルシア(帝国)に相当し、ペルシア人(印欧語のペルシア語を話す)をはじめとする住民にイスラームが浸透した。

第二期は、10世紀以降、遊牧民のトルコ族、モンゴル族が地中海世界へ移動するにつれて、イスラーム教を受容し、11世紀以降、支配者として領土の拡張を進める。地域的には次の3つに分けられる。

①中央アジア草原地帯=北はカザフスタン、東はウイグル、西はウクライナに及ぶ。
②インド=ヒンドゥー教の国インド亜大陸にイスラーム勢力が王朝をひらいていく。
③ルーム=ルームとは“ローマ”の意味。アナトリア(トルコ)から東ヨーロッパにかけての地域。キリスト教国ビザンツ帝国にトルコ族が勢力を伸ばした。

第三期は、これらの地域を取り囲む周辺の地域。
・アフリカ大陸のサハラ以南
・東南アジア
・中国、日本
となる。
イスラーム教は、これらの地域・歴史・民族の差異に基づき、信仰の受容にも差異を生んだ。(本書は教義や信仰の差異については詳しく論じない。イスラームを知るためには、このあたりをよく勉強しなければいけないのだが・・・)。イスラーム建築も同様に、各地域の伝統に従い、素材、工法、装飾等に差異を生んだ。

たとえばモスクと呼ばれる宗教施設は、集団で祈りを捧げる空間という機能においてイスラーム世界で共通するが、モスクの形状はそれぞれの地域において異なる。また、各地域に誕生した建築様式は互いに影響を与えあったし、インドやトルコでは、ヒンドゥー教やキリスト教の意匠に影響されたイスラーム建築が生まれた。インドのイスラーム建築は基本的には、ペルシア様式の影響にありながら、ヒンドゥー建築の影響を強く受けているものが多い。

イスラーム建築は、偶像崇拝禁止や同一の宗教儀式を実践する空間という共通コードをもちながら、一方で地域性を反映して個性的に成立している。イスラーム建築はけして一つではないし、地域的多様性をもってわれわれの前に現存している。われわれは、建築から、イスラームという世界宗教の普遍性と、民族・風土・伝統という個別性を、同時に読み解くことができる。

イスラーム世界が多様性をもっているという事実は、イスラーム不勉強の筆者にとって、とても重要なことだった。それはおそらく、キリスト教世界が多様性をもっているのと同じことだろう。

今日のイスラーム世界における、「イスラーム」と「イスラーム以前」とを、あるいは、地域ごとの「イスラーム」を比較することにより、今日のイスラームを巡る情況をより深く理解することができると思う。本書はその絶好のガイドブックの1つだといえる。