2005年5月4日水曜日

『物語 カタルーニャの歴史』

●田澤耕[著] ●中公新書 ●780円+税

カタルーニヤとは現在スペインがフランスと接する、地中海沿岸の地域。バルセロナが「首都」に当たる。この地域ではいまでもカタルーニヤ語が話され、マドリードを中心としたスペインとは異なる文化圏だといわれている。

そもそも、スペインが統一されたのは中世末期から近世の初めの時期。スペインの歴史は、連続した1つのアイデンティティで括れない。こうした複雑さは欧州ではスペインに限らないけれど、スペインはその複雑さでは群を抜いている。

なので、スペインの歴史を大雑把におさえておこう。
 
まず、イベリア半島に先住していていた民族はアフリカ系のイベロ人と呼ばれた。その後、印・欧語族のケルト人がやってくる。ケルト人はイベロ人と混血して、セルティベロ人と呼ばれ、現在のスペイン人の祖先になった。やがて、ケルト勢力はローマに滅ぼされ、この地はラテンの支配を受けるようになる。そのローマ人はゲルマン系諸族の侵入により滅亡し、ゲルマン系の一派である、西ゴート族がこの地の支配者となる。西ゴートはローマからキリスト教をもってくる。しかし、イスラム勢力の台頭により、西ゴート王国は滅亡、イベリア半島はイスラムの支配を受け、キリスト教勢力は北部に追いやられてしまう。しかし、北部に残されたキリスト教勢力が巻き返しを図り、レコンキスタ(祖国回復)が開始される。カタルーニヤはアラゴンと連合して、この時代から、現在のスペイン内部で独立した勢力となり、中世初期からから近世のはじめまで、カタルーニア・アラゴン王国として繁栄した。

ところが、15世紀、中世が終わり近代への黎明期、北部のカスティーリア王国がスペインの覇権を握り、やがて、スペイン=ハプスブルク帝国としてイベリア半島を統一、新大陸を含めた大帝国を築く。カスティリーア王国=スペインハプスブルク帝国の成立とともに、カタルーニアは衰退した。それでも、カタルーニヤは文化的に独立した地域として、独自性をかろうじて、保持することができた。

カタルーニヤの滅亡を決定づけたのは、現代のスペイン内乱であった。本書は中世のカタルーニヤの歴史書であるため、この内乱については詳しく触れていない。

カタルーニヤが滅亡した主因は、スペイン内乱で共和国支持を打ち出し、フランコ=ファシスト側と対立したことであった。スペイン内乱は、共和国側の敗北で終わる。そして、戦後成立したフランコ独裁体制の下、カタルーニヤは徹底した弾圧を受けることになる。中世のカタルーニヤの繁栄とファシスト=フランコ政権下の弾圧――どちらも重要な歴史である。(本書は前者に限定した内容となっているので、スペイン内乱とカタルーニヤについては、カタルーニヤの近代史・現代史を読む必要がある)

国民国家が言語、宗教、民族といった歴史的な諸要素を基盤としているようでいて、実は、借り物(幻想)であることは、よく知られている。いまのスペインを歴史的共同性からみれば、1つの国民国家として成立する根拠はない。カタルーニヤの歴史は、国民国家が不完全な共同体であることを象徴する。スペインが分裂するのか、それとも、EUという超国家の発展が、国民国家の枠組みを撤廃して、逆に歴史的共同体を復活させることに向かうのか、ヨーロッパがいま、おもしろい。