2005年8月21日日曜日

『戦後責任論』

●高橋哲哉[著] ●講談社学術文庫 ●960円+税

戦争を考えるシリーズは、いま話題の『靖国問題』の著者・高橋哲哉がいまから10年ほど前に戦争責任について言及した論文集をもって最後とする。

本書に収録された論文は、戦後50年に当たる年を中心としたもの。その過半は、当時話題となった『敗戦後論』(加藤典洋著)への反論になっている。

いまから10年前というのはどんな年だったかというと、朝鮮人「慰安婦」が日本政府を相手取り、補償を求める訴訟を起こしたことが象徴するように、アジア近隣諸国から日本の戦争犯罪、戦争責任を告発する事件が頻発した年だった。その背景には、冷戦の終焉があった。アジア諸国にあっての戦後とは、ソ連・中国といった社会主義(スターリン主義)国家の脅威を免れるため、米国・日本と軍事的経済的同盟関係を結ぶことを余儀なくされたものだった。いわゆる「敵の敵は味方」の論理だ。アジア太平洋戦争で米国にとって日本は敵だったが、米国の新たな敵である中ソの出現によって、中ソの敵であった日本が米国にとっての味方に変わった。日本の敵だったアジア諸国も同様に、自由主義国家群という枠組みの中において、日本が味方になった。その結果、日本の戦争責任・戦争犯罪を厳しく問うことができなかった。その典型が日韓条約だった。韓国は日本に対して日本の戦争責任と戦争犯罪を問う立場にありながら、西側という枠組みの中で、日本と同盟を結び、北朝鮮・中国・ソ連と対峙しなければならなかった。

1990年代、冷戦が終わり、中ソの脅威が薄らぐに従い、韓国を中心に、日帝の戦争犯罪糾弾の声が強くなった。1990年代になってようやく、東アジアにおいてアジア太平洋戦争再考の気運が盛り上がったのだ。

そのような中、加藤典洋が『敗戦後論』を著した。同書はアジア太平洋戦争の戦争責任の主体を問うことに主眼が置かれた内容で、とりわけ、「日本人犠牲者300万人の死者を先に立たせなければ、2千万人のアジアの死者につながらない」という記述が代表するように、ナショナリズムの色合いが濃かった。加藤の『敗戦後論』に対し、高橋はことあるごとに、批判を繰り返した。本書はそのときの高橋の反論を集成したものだ。

加藤が「日本人」を前面に出してアジア太平洋戦争の責任を考えたのに対し、高橋は「普遍的市民」の立場によって、それを考えている。高橋は高橋自らを含め万人が国民国家に属する現実を認めつつも、国民国家の下では戦争の廃絶も戦争責任も戦争犯罪も問えないという立場をとるように思える。
 
それに対して加藤は、日本の戦争と戦争犯罪は、日本人固有の精神性・信仰に基づいて思考し行動した帰結であって、国民国家の下に成立しながら、それを超えて構想される「普遍的市民」の倫理や正義という原理に照らしても有効な回答となり得ないと考えているように思える。

1868年に成立した明治国家は憲法と議会をもってはいたものの、欧州における国民国家と同じものではないような気もする。加藤VS高橋が講座派と労農派の対立軸と同じだとは言わないが、普遍的市民の倫理・正義だけで戦争が論じ切れるとも思えない。日帝の戦争責任は国際法上はドイツと同じように告発され償われなければいけないが、思想上はドイツと同様の解明はできないのではないかと。

終わった戦争の責任を問うことが、将来に向けた戦争の廃絶と同じくらい困難であるということが、筆者にはたまらなく、重く辛く感じる。糸口が見えない。