●出井康博〔著〕 ●新潮文庫 ●700円+税
松下政経塾について考えるということは、野党第一党である民主党について考えることにほかならない。
同塾の政治家のことは、テレビを通じてしか知らない。多くが民主党に属していて、テレビの露出で顔を売り、気の利いたコメントで有権者をひきつけ選挙に当選しようとする魂胆がミエミエだ。ワイドショー、お笑い番組、討論番組、クイズ番組等々、彼らには番組選択の指針がない。とにかく目立てばいい・・・。
国会議員がメディアを通じて、国民に政策等を直接語ることは間違っていない。他党と議論することも正しい。けれど、日本のテレビ番組には真面目な政治番組は少ない。同塾出身のある民主党議員は、テレビのバラエティー番組において、闇勢力との関係を取りざたされたことのある保守系の元国会議員を「センセイ」と呼び、じゃれあっている。こんな情景を塾の創設者である故・松下幸之助は、草葉の陰で何と思うか。
故・松下幸之助が創設した同塾は構想から今日まで、多くの政治家を輩出した。中に国会議員も多数含まれている。その意味で、幸之助の計画は失敗していない。だが、この成果は、同塾の自律的成果とはいえない。本書が指摘するとおり、「政治改革」の嵐が吹き荒れた当時の勢いに負っている。細川護熙が率いる日本新党が台風の目となり、自民党単独政権を倒した。新党に結集した若手議員が同塾出身者だった。今日の隆盛は、その当時の果実をいまなお享受している結果ではないか。
日本新党に結集した若き政治家たちは、“堕落”した自民党とは異なる、真正の保守政党を立ち上げるという野望を抱き、そのとおりの結果を出した、いや、立ち上げるつもりだったと言った方が適切かもしれない。いま思えば、当時の政治改革=小選挙区制の施行は、戦後政治の分岐点だった。
小選挙区・政党助成金等の新制度は、〔自民党〕対〔もう一つの保守政党〕による二大政党制確立を目指したものだったが、日本の革新=社民主義の息の根を完全に止めるという、大いなる副産物をもたらした。日本の革新政党が真に労働者の味方であったかという本質的問題はあるものの、細川護熙が首相として率いた与党連合(日本新党・新進党・公明党)から、自・社・さ連合政権の誕生、さらに、自民党・公明党連合政権の誕生という第ニ波、第三波により、日本の革新政党は概ね死滅した。この激動を縫って、同塾から、若い政治家が国政選挙に当選し、いま、民主党に寄り集まるに至った。これを偶然の妙というべきか、幸之助の陰謀と見るかについては、どちらとも言えない。が、結果として、日本には革新を標榜する政党は存在しなくなり、資本の側に好都合となった。
さて、本書が提供する同塾にまつわる情報のうち、興味深いものの一つは故・松下幸之助の政治への関心ぶりだ。日本有数の電機メーカーの創業者にして“経営の神様”と呼ばれた松下が当時、自民党政権に幻滅していたことが本書から窺える。松下は、自民党について、農を基礎にした土着政党だと認識していたふしがある。幸之助は、メーカー(製造業)にして全国販売網(代理店制度)を構築した経営者だ。彼は、事業者の経営感覚で日本国をマネジメントしなければ日本は滅びる、という危機感をもっていたようだ。それが、政経塾創設につながり、塾から新党結成、政権奪取の構想となった。
本書の冒頭、著者(出井康博)が、引退した細川護熙に幸之助との関係を直接問う場面が出てくる。松下政経塾と日本新党(その前身の「新自由主義連合」)との関係の有無だ。細川はその関係を否定する。この否定はポーズなのか。もし、細川新党が幸之助の影響で誕生したものならば、幸之助の政治への野望は成功したことになるのだが・・・本書の“おもしろさ”はこの一点、すなわち、幸之助と細川護熙の関係の究明にある。細川新党は幸之助の影響下で構想されたのかどうか――については、本書を読んでほしい、だから結論はここに書かない。
もう1つ興味深いのは、同塾と今日の民主党の関係だ。政治改革以降、同塾出身の政治家は、民主党が受け入れるという構図ができあがっている。先述したように、同塾の設立趣旨は自民党に成り代わる政党であるから、塾生が自民党に入党することはあり得ない。せいぜい、新自由クラブ、日本新党あたりまでが受け皿として相応しかったように思う。
民主党は、▽小沢一郎党首に代表される自民党経世会、▽旧民社党(旧同盟系)、▽旧社会党(旧総評系)、▽市民運動活動家、を含む寄り合い所帯だ。同塾に入って政治家になろうとする人間と、市民運動を母体にして政治活動に踏み出した人間や組合幹部から政治家になった人間とが一党の綱領を共有することは困難に近い。これが第一の不幸だ。たとえば、偽メール事件で退陣した前代表・前原誠司は、京都大学のK教授の弟子だ。K教授と言えば、日本版ネオコンだ。メール事件を直接引き起こした永田議員は同塾出身者ではないが、前原誠司・野田佳彦の執行部2人は同塾出身者だった。このときの執行部の無能・無策ぶりは記憶に新しいし、メール事件がなければ、民主党は、BSE問題、耐震偽造問題等々で窮地に追い詰められた小泉政権を打倒できたかもしれない。倒幕の絶好機を塾の2人が逃すという失態をやらかした。同塾出身者は明治維新を理想とするらしいのだが・・・
次なる不幸は、政経塾が金持ちの経営者である松下幸之助の思いつきに端を発し、松下家の後継者問題が塾運営に影響を与え、さらに、その運営が稲盛和夫(京セラ名誉会長)の影響にさらされたことだ。稲盛和夫は、『カルト資本主義』(斎藤貴男著)に詳しく書かれているとおり、極めて特異な経営者だ。本書が指摘するように、松下幸之助、稲盛和夫が崇拝するのは中村天風という宗教家だ。その意味で、松下、稲盛を近代的経営者と呼ぶことに躊躇する。しかも、政経塾が中村天風の影響下にあるパトロンや幹部職員に支えられている現実を無視できないし、民主党の議員にも天風信奉者がいることが懸念される。
天風を崇拝する日本型経営者を近代的経営者と呼ばない。大雑把な話、資本主義的経営すなわち、近代的経営には、徹底した成果主義を価値観とする米国型経営と、労使の取引で経営を進める西欧型(社民主義)経営がある。この2つは相反する外観を見せながら、資本と労働の対立という基本原理を共有している。
一方、日本型経営は労使の対立は会社=家(ウチ)という共同体的概念の中でメルトダウンしている。近代的経営(労使対立型)と日本型経営のどちらが正しいのか、またどちらが働く者(多数)に幸福をもたらすのかについては、いま問題にしない。ここでは、一方(西欧)が近代的経営であり、一方(日本)が共同体的経営にあるということを確認しておく。
結局のところ、政経塾を論ずることの意味は、民主党が働く者の見方なのか、そうでないのかを確認する作業に帰着する。民主党結党の際に、水と油ほども異なる政治信条をもった小沢一郎と菅直人を結びつけたのが稲盛和夫であることを、本書で初めて知った。その稲盛和夫の経営哲学は、社員を「社畜化」することだ。「社畜」というのは、経営者に対しどこまでも従順である労働者のことだ。社畜になれば、労働組合運動はもってのほかだし、労働者の権利も主張せず、経営者に心酔して身を粉にして働く。松下幸之助はそういう意味で、経営の神様だった。稲盛和夫は幸之助を範とした。「経営の神様」という意味は、労働者をマインドコントロールして無力化することだ。松下政経塾は、そのような経営哲学をもった幸之助の発想によって生まれた政治家養成機関だ。そして、同塾で純粋培養された政治家が、日本の最大野党である民主党に参集している。この事実をどう考えるか。
さらに言えば、先述したとおり、民主党結党の裏には、稲盛和夫というカルト資本家がオルガナイザーとなり、小沢一郎と菅直人を結び付けた。この2人の手打ちによって、日本の勤労者圧殺の企みの道が大きく開けたことになる。いま、民主党は野党第一党として、自民党を補完している。民主党の中に労働組織は埋没している。民主党は、労働者を「社畜」として扱う経営者が創設した塾を出た野心家たちによって、牛耳られようとしている。民主党は、ここまで紆余曲折を経ながらも、野党第一党として存在している。その存在理由は、民主党が、日本の勤労者を封じ込める圧殺装置の役割を果たすが故なのだ。
今日、ワーキングプアと呼ばれる最下層労働者の悲惨な暮らしがマスコミに取り上げられるようになった。ところが、本書を読む限りでは、同塾出身の政治家は、選挙のときに役立つか、役立たないかを物事の価値判断にしているらしい。松下政経塾を出た民主党の若手政治家は、ワーキングプアをどう見、どう考えるか。おそらく、彼らにはワーキングプアの存在は目に入っていない。だから、もちろん、考えていない。 (2006/12/11)
2006年12月11日月曜日
2006年12月7日木曜日
三島由紀夫――その生と死
●村松剛〔著〕 ●村松剛 ●500円(昭和46年5月第一刷)
どのような本であっても、読み進めるうちに一箇所くらいはなるほど、と思わせる記述にぶつかるものだ。
本書は三島由紀夫の生前、三島の最も近くにいた、といわれる保守系文化人の一人の手になる三島由紀夫論だが、三島論としては平凡だ。壮士ぶった保守系文芸批評家だった著者(村松剛)だが、三島の自決を知ったときの慌てぶりが尋常でなかったことがうかがえる。三島に同志的つながりを感じていたのは著者(村松剛)ばかりで、三島は村松に決行を知らせなかった。本書を読む限り、決行当時、三島を理解する者は皆無だったようだ。
さてさて、冒頭に記した、なるほどと思わせるのは、著者(村松剛)が三島の戯曲『わが友ヒトラー』を評した文中――「政治というものは、川に橋をかけたり物価を調整したりする技術である。」(P104)という箇所だ。この表現は、著者(村松剛)のオリジナルではないようなのだが、目から鱗が落ちた。
著者(村松剛)は、ヒトラーを芸術家とみなし、政治に美・理念・理想を求めると、とりかえしのつかない誤りが生じるというような意味の記述を続ける。著者(村松剛)はヒトラーの狂気を芸術家という資質に求めている。この見解には賛同しかねるものの、ヒトラー、スターリン、ポルポト、毛沢東らの人類史的な誤謬の根源には、橋をかけること、物価を調整することよりも、人類の理想の追求があったことは間違いない。政治(家)が、美・理想・ユートピア思想から逆規定して現実を修正し始めたとき、虐殺・戦争・粛清が回避できなかった。著者(村松剛)は政治の逆説的メカニズムに気づいている。
このような観点にたてば、戦後の日本の保守政治はただひたすら、川に橋をかけ続けてきたことになる。日本の戦後の保守政治とは、そのような政治であったし、いまでもそうだ。東西冷戦当時、日本は結果的には西側に属したけれど、イデオロギーとして積極的に西側を選択したわけではない。平和主義、自由と民主主義の名の下に、かつての、国体、大東亜協栄圏、国粋的美・伝統文化の継続性も忘れたのが、戦後政治だったし、軍事(武)までも米国に依存した。橋をかけるために、政治は国富から予算を奪い取り、業者間の談合で「物価」を調整してきた。日本人にとって、政治とは技術だった。その結果として、日本人は莫大な富を得ることに成功した。
三島が攻撃したのは、そのような日本の戦後政治のあり方であり、そこにどっぷりと漬かった日本のマルティテュードのあり方だった。三島は戦後の否定者として、まず、日本型政治に規定された自衛隊に代わって、美しい軍隊を求めた。技術に勤しむ日本の戦後政治家に代わって、潔い(美)壮士のごとき政治家を望んだ。
いま、「美しい国」という政治のキャッチが新しい。政治に関して、美を求める政治家が登場したとするならば、日本人は全体主義の到来を覚悟しなければならない。だが幸いにして、「美しい国」を掲げる首相は凡庸であり、ヒトラーのような「芸術家」ではない。このキャッチフレーズはまやかしである、幸いにも。 (2006/12/07)
どのような本であっても、読み進めるうちに一箇所くらいはなるほど、と思わせる記述にぶつかるものだ。
本書は三島由紀夫の生前、三島の最も近くにいた、といわれる保守系文化人の一人の手になる三島由紀夫論だが、三島論としては平凡だ。壮士ぶった保守系文芸批評家だった著者(村松剛)だが、三島の自決を知ったときの慌てぶりが尋常でなかったことがうかがえる。三島に同志的つながりを感じていたのは著者(村松剛)ばかりで、三島は村松に決行を知らせなかった。本書を読む限り、決行当時、三島を理解する者は皆無だったようだ。
さてさて、冒頭に記した、なるほどと思わせるのは、著者(村松剛)が三島の戯曲『わが友ヒトラー』を評した文中――「政治というものは、川に橋をかけたり物価を調整したりする技術である。」(P104)という箇所だ。この表現は、著者(村松剛)のオリジナルではないようなのだが、目から鱗が落ちた。
著者(村松剛)は、ヒトラーを芸術家とみなし、政治に美・理念・理想を求めると、とりかえしのつかない誤りが生じるというような意味の記述を続ける。著者(村松剛)はヒトラーの狂気を芸術家という資質に求めている。この見解には賛同しかねるものの、ヒトラー、スターリン、ポルポト、毛沢東らの人類史的な誤謬の根源には、橋をかけること、物価を調整することよりも、人類の理想の追求があったことは間違いない。政治(家)が、美・理想・ユートピア思想から逆規定して現実を修正し始めたとき、虐殺・戦争・粛清が回避できなかった。著者(村松剛)は政治の逆説的メカニズムに気づいている。
このような観点にたてば、戦後の日本の保守政治はただひたすら、川に橋をかけ続けてきたことになる。日本の戦後の保守政治とは、そのような政治であったし、いまでもそうだ。東西冷戦当時、日本は結果的には西側に属したけれど、イデオロギーとして積極的に西側を選択したわけではない。平和主義、自由と民主主義の名の下に、かつての、国体、大東亜協栄圏、国粋的美・伝統文化の継続性も忘れたのが、戦後政治だったし、軍事(武)までも米国に依存した。橋をかけるために、政治は国富から予算を奪い取り、業者間の談合で「物価」を調整してきた。日本人にとって、政治とは技術だった。その結果として、日本人は莫大な富を得ることに成功した。
三島が攻撃したのは、そのような日本の戦後政治のあり方であり、そこにどっぷりと漬かった日本のマルティテュードのあり方だった。三島は戦後の否定者として、まず、日本型政治に規定された自衛隊に代わって、美しい軍隊を求めた。技術に勤しむ日本の戦後政治家に代わって、潔い(美)壮士のごとき政治家を望んだ。
いま、「美しい国」という政治のキャッチが新しい。政治に関して、美を求める政治家が登場したとするならば、日本人は全体主義の到来を覚悟しなければならない。だが幸いにして、「美しい国」を掲げる首相は凡庸であり、ヒトラーのような「芸術家」ではない。このキャッチフレーズはまやかしである、幸いにも。 (2006/12/07)
2006年12月3日日曜日
21世紀のマルクス主義
●佐々木力〔著〕 ●ちくま学芸文庫 ●1,300円(+税)
わが国では、企業は過去最高益を記録する好景気にもかかわらず、労働者の暮らしはいっこうに良くならない。どころか、残業代カット、リストラ、医療費等の負担増で苦しめられている。若者にまともな働き口がなく、パートや派遣といった劣悪な労働条件で雇用されている。下流社会、下層社会、格差社会が固定的に形成されようとしている。
一昔前なら、こうした状況は、搾取という概念で説明されたものだ。労働者は搾取されていると。賃金、雇用、労働条件等の決定のメカニズムは、[企業(ブルジョアジー)]対[労働者(プロレタリア)]の階級対立という概念だ。ところが、20世紀末、ソ連・東欧の自由化による、「社会主義国家」の消滅以降、わが国においては、社会主義、マルクス主義の思想的潮流は完全に消滅してしまった。もちろん、階級対立の概念も、喪失してしまった。新自由主義経済、市場万能主義が幅を利かせ、「勝ち組」と呼ばれる一握りの資本家に富が集中する社会を容認するムードが、徐々にだが間違いなく人々の心を覆っている。
一方、消滅した旧社会主義国家のソ連はロシアと名乗り、自由と民主主義を旨とする国になったはずだが、現実には、政府を批判した複数のジャーナリスが殺害されたり、国家機密を知る元情報部員が亡命先のイギリスで暗殺されるという、恐怖政治が支配する国になってしまった。いまのロシアは、旧KGB幹部であるプーチン政権下、自由と民主主義どころではない。マフィア、秘密警察と結託した、暗黒国家になってしまった。
自由と民主主義のリーダーであるはずの米国は、国内的には人種差別、治安悪化、富の独占という諸問題を抱えたまま、国外では、対テロ戦争という大義名分の下、持続的侵略戦争国家へと変貌してしまった。ブッシュ政権の米国こそ、典型的な帝国主義国家と規定できる。
資本主義の矛盾が露呈する今日、そして、地球規模の(グローバルな)帝国主義の時代にあって、ロシア革命を成功させたレーニン主義、トロツキイ主義、そして、その原理としてのマルクス主義による、反帝国主義運動の再編がグローバルに求められている。
さて、著者(佐々木力)は、21世紀初頭、「9.11事件」以降の世界情勢を、米国帝国主義という野蛮と、それに抗する反米テロリズム勢力という野蛮――の軍事的対立の構造にあると説明する。この説明は極めて妥当だと思われる。イスラム勢力の一部が米国帝国主義に対して、“聖戦=テロリズム”を展開している現実をだれもが認めざるを得ないものの、それは“野蛮”に抗する“もう一つの野蛮”であって、けして、帝国主義を止揚する思想と運動になり得ないと。
20世紀、第二次世界大戦の終結を境として、世界は帝国主義国家(資本主義)群と労働者国家群の対立――冷戦の時代として構造化された。この構造の一方の極である労働者国家群(東側)の指導的立場であったのがソヴィエト連邦であった。ソ連は1917年、帝政ロシアを革命によって打倒して誕生した社会主義労働者国家だった。以降、今日まで、ソ連、共産主義・社会主義、マルクス主義は同義とみなされている。
ところが、ロシア革命後、レーニンの死後、ソ連共産党を率いたスターリンが行った政治は、マルクス主義、共産主義とは無縁の全体主義だった。その政治システムをスターリン主義と呼ぶ。スターリン主義国家はソ連を筆頭にして、東欧、アジア、アフリカにまで誕生したものの、今日、それらの国々の体制は変容し、東アジアの社会主義の大国である中国も「社会主義市場経済」を採択し、事実上、世界は資本主義体制に概ね一元化されている。こうした事象をもって今日、共産主義、マルクス主義イデオロギーは消滅した、と言われている。
著者(佐々木力)も、20世紀末に消滅した労働者国家群(東側)を、マルクス主義とは無縁の全体主義国家(スターリン主義国家群)と規定する。この規定は、特別新しいものではない。1960年代後半、先進国と呼ばれる資本主義国家群(西側)でスターリン主義批判が相次いだし、労働者国家群を構成する東欧(東側)で、「ハンガリー革命」(1956年)と「プラハの春」(チェコスロバキア、1968年)という、2つの反ソ運動が起きている。日本では、1960年代初頭に日本共産党と決別した新左翼政党として、共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟等が結党され、60年代後半に全共闘運動等の新左翼運動が展開された。米国、西欧においても、同様の運動が展開された。しかし、西側先進国で相次いで台頭した反スターリン主義政治勢力は、自国帝国主義政権の打倒に失敗したことはもとより、旧左翼・社会民主主義勢力を凌駕するに至らないまま自壊した。また、先述した東側における反ソ運動も、ソ連の軍事力に押さえ込まれ、指導者は投獄され、スターリン主義政府打倒の達成までに20年の歳月を費やした。
とりわけ、日本の反スターリン主義運動は、運動の過程で自らをスターリン主義に純化するという誤謬を犯し、大衆の信頼と支持を失ったまま今日に至っている。この部分の十分な反省がなければ、マルクス主義の復興は至難の業だといわねばならない。
抑圧された反ソ運動のエネルギーは1989年~90年代初頭の自由化運動として花開き、ソ連、東欧は、ときの「社会主義」政権打倒を成し遂げた。ところが、ソ連の民衆はスターリン主義政府打倒(自由化)を実現したものの、その後の望ましい国家体制として、経済の自由主義原則である「混乱した資本主義」を選択するにとどまった。その結果、自由化の名のもとに急激な競争社会が形成され、新たに誕生した国家は▽国家権力を奪取した一部政治家、▽自由競争下で急成長した一部資本家、▽秘密警察の残党、▽マフィア――らによって構成された、ならず者国家であった。先述のとおり、ロシアでは、プーチン政権を批判するジャーナリスト等が秘密警察の手によって暗殺されている。これらの勢力は自由化の名のもとに国家権力を奪取したのだが、彼らが行っている政治は、旧体制(スターリン主義)の時代に培った自由化圧殺のノウハウを駆使して民衆を抑圧・弾圧し、ジャーナリスト等を抹殺する恐怖政治にほかならない。そればかりではない。ロシア政府(プーチン政権)は、チェチェンにおいて、ロシア政府に抗する多数の民衆を、民族浄化にも等しい大規模な軍事行動により圧殺している。
本書が「新左翼」と呼ばれた、反スターリン主義勢力のマルクス主義解釈と異なる点はどこか。著者(佐々木力)はロシア革命後のソ連がスターリンの指導の下、社会主義とは似て非なる体制に変容したと認識する。その点は、新左翼と変わりない。そして、スターリンに追われたトロツキイの「永続革命」を基本とする点で、著者(佐々木力)は、トロツキストの流れを汲む。
経済政策としては、ロシア革命後のネップを容認するものの、スターリンの「新5カ年計画」を統制型経済(=スターリン・モデル)と批判し、それに代替するものとして、トロツキイが提唱した、生産者+消費者(市場)の自立性を保証した「トロツキイ・モデル」による社会主義経済の選択を挙げる。また、政治システムとしては、「プロレタリア独裁」を根源的民主主義、プロレタリア民主主義として再定義する。さらに、資本主義に対する今日的対立軸として、環境社会主義を掲げる。これらが、著者(佐々木力)の言うところの、21世紀のマルクス主義の大雑把な新解釈となるであろう。革命の主体についても触れておこう。マルクスは革命主体を19世紀の労働者に限定して求めたが、著者(佐々木力)は、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが論じた、グローバルなマルチチュードを、マルクス主義革命を担う者として想定しているようだ。
先述したとおり、現在の日本において進んでいる経済、労働に係る諸現象は、階級対立の概念でなければ説明ができないし、解決の糸口が見つからない。このような中、マスコミ(田原総一郎を筆頭に)は、マルクス主義、社会主義の死滅ばかりを強調し、労働組合運動までも誹謗中傷する。もちろん、日本の労働運動に非がなかったわけではないが、組合運動は働く者の基本的権利の1つだ。マスコミ及び反動的コメンテーターの言説は、搾取を容認し、弱者を切り捨て、帝国主義を支持するものだ。彼らは、「悪い資本主義」を批判し、「良い資本主義」を見つけ出そうとする。が、「良い資本主義」はこの世に存在しない。
南米に誕生した反米政権、ヨーロッパの根強い反米社民主義、東アジアに生まれた新経済圏構想などなど、グローバルに見ると、米国の帝国主義に追随しない勢力が、微小ながら認められる。この先、マルクス主義復興はないとは言えない。 (2006/12/03)
わが国では、企業は過去最高益を記録する好景気にもかかわらず、労働者の暮らしはいっこうに良くならない。どころか、残業代カット、リストラ、医療費等の負担増で苦しめられている。若者にまともな働き口がなく、パートや派遣といった劣悪な労働条件で雇用されている。下流社会、下層社会、格差社会が固定的に形成されようとしている。
一昔前なら、こうした状況は、搾取という概念で説明されたものだ。労働者は搾取されていると。賃金、雇用、労働条件等の決定のメカニズムは、[企業(ブルジョアジー)]対[労働者(プロレタリア)]の階級対立という概念だ。ところが、20世紀末、ソ連・東欧の自由化による、「社会主義国家」の消滅以降、わが国においては、社会主義、マルクス主義の思想的潮流は完全に消滅してしまった。もちろん、階級対立の概念も、喪失してしまった。新自由主義経済、市場万能主義が幅を利かせ、「勝ち組」と呼ばれる一握りの資本家に富が集中する社会を容認するムードが、徐々にだが間違いなく人々の心を覆っている。
一方、消滅した旧社会主義国家のソ連はロシアと名乗り、自由と民主主義を旨とする国になったはずだが、現実には、政府を批判した複数のジャーナリスが殺害されたり、国家機密を知る元情報部員が亡命先のイギリスで暗殺されるという、恐怖政治が支配する国になってしまった。いまのロシアは、旧KGB幹部であるプーチン政権下、自由と民主主義どころではない。マフィア、秘密警察と結託した、暗黒国家になってしまった。
自由と民主主義のリーダーであるはずの米国は、国内的には人種差別、治安悪化、富の独占という諸問題を抱えたまま、国外では、対テロ戦争という大義名分の下、持続的侵略戦争国家へと変貌してしまった。ブッシュ政権の米国こそ、典型的な帝国主義国家と規定できる。
資本主義の矛盾が露呈する今日、そして、地球規模の(グローバルな)帝国主義の時代にあって、ロシア革命を成功させたレーニン主義、トロツキイ主義、そして、その原理としてのマルクス主義による、反帝国主義運動の再編がグローバルに求められている。
さて、著者(佐々木力)は、21世紀初頭、「9.11事件」以降の世界情勢を、米国帝国主義という野蛮と、それに抗する反米テロリズム勢力という野蛮――の軍事的対立の構造にあると説明する。この説明は極めて妥当だと思われる。イスラム勢力の一部が米国帝国主義に対して、“聖戦=テロリズム”を展開している現実をだれもが認めざるを得ないものの、それは“野蛮”に抗する“もう一つの野蛮”であって、けして、帝国主義を止揚する思想と運動になり得ないと。
20世紀、第二次世界大戦の終結を境として、世界は帝国主義国家(資本主義)群と労働者国家群の対立――冷戦の時代として構造化された。この構造の一方の極である労働者国家群(東側)の指導的立場であったのがソヴィエト連邦であった。ソ連は1917年、帝政ロシアを革命によって打倒して誕生した社会主義労働者国家だった。以降、今日まで、ソ連、共産主義・社会主義、マルクス主義は同義とみなされている。
ところが、ロシア革命後、レーニンの死後、ソ連共産党を率いたスターリンが行った政治は、マルクス主義、共産主義とは無縁の全体主義だった。その政治システムをスターリン主義と呼ぶ。スターリン主義国家はソ連を筆頭にして、東欧、アジア、アフリカにまで誕生したものの、今日、それらの国々の体制は変容し、東アジアの社会主義の大国である中国も「社会主義市場経済」を採択し、事実上、世界は資本主義体制に概ね一元化されている。こうした事象をもって今日、共産主義、マルクス主義イデオロギーは消滅した、と言われている。
著者(佐々木力)も、20世紀末に消滅した労働者国家群(東側)を、マルクス主義とは無縁の全体主義国家(スターリン主義国家群)と規定する。この規定は、特別新しいものではない。1960年代後半、先進国と呼ばれる資本主義国家群(西側)でスターリン主義批判が相次いだし、労働者国家群を構成する東欧(東側)で、「ハンガリー革命」(1956年)と「プラハの春」(チェコスロバキア、1968年)という、2つの反ソ運動が起きている。日本では、1960年代初頭に日本共産党と決別した新左翼政党として、共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟等が結党され、60年代後半に全共闘運動等の新左翼運動が展開された。米国、西欧においても、同様の運動が展開された。しかし、西側先進国で相次いで台頭した反スターリン主義政治勢力は、自国帝国主義政権の打倒に失敗したことはもとより、旧左翼・社会民主主義勢力を凌駕するに至らないまま自壊した。また、先述した東側における反ソ運動も、ソ連の軍事力に押さえ込まれ、指導者は投獄され、スターリン主義政府打倒の達成までに20年の歳月を費やした。
とりわけ、日本の反スターリン主義運動は、運動の過程で自らをスターリン主義に純化するという誤謬を犯し、大衆の信頼と支持を失ったまま今日に至っている。この部分の十分な反省がなければ、マルクス主義の復興は至難の業だといわねばならない。
抑圧された反ソ運動のエネルギーは1989年~90年代初頭の自由化運動として花開き、ソ連、東欧は、ときの「社会主義」政権打倒を成し遂げた。ところが、ソ連の民衆はスターリン主義政府打倒(自由化)を実現したものの、その後の望ましい国家体制として、経済の自由主義原則である「混乱した資本主義」を選択するにとどまった。その結果、自由化の名のもとに急激な競争社会が形成され、新たに誕生した国家は▽国家権力を奪取した一部政治家、▽自由競争下で急成長した一部資本家、▽秘密警察の残党、▽マフィア――らによって構成された、ならず者国家であった。先述のとおり、ロシアでは、プーチン政権を批判するジャーナリスト等が秘密警察の手によって暗殺されている。これらの勢力は自由化の名のもとに国家権力を奪取したのだが、彼らが行っている政治は、旧体制(スターリン主義)の時代に培った自由化圧殺のノウハウを駆使して民衆を抑圧・弾圧し、ジャーナリスト等を抹殺する恐怖政治にほかならない。そればかりではない。ロシア政府(プーチン政権)は、チェチェンにおいて、ロシア政府に抗する多数の民衆を、民族浄化にも等しい大規模な軍事行動により圧殺している。
本書が「新左翼」と呼ばれた、反スターリン主義勢力のマルクス主義解釈と異なる点はどこか。著者(佐々木力)はロシア革命後のソ連がスターリンの指導の下、社会主義とは似て非なる体制に変容したと認識する。その点は、新左翼と変わりない。そして、スターリンに追われたトロツキイの「永続革命」を基本とする点で、著者(佐々木力)は、トロツキストの流れを汲む。
経済政策としては、ロシア革命後のネップを容認するものの、スターリンの「新5カ年計画」を統制型経済(=スターリン・モデル)と批判し、それに代替するものとして、トロツキイが提唱した、生産者+消費者(市場)の自立性を保証した「トロツキイ・モデル」による社会主義経済の選択を挙げる。また、政治システムとしては、「プロレタリア独裁」を根源的民主主義、プロレタリア民主主義として再定義する。さらに、資本主義に対する今日的対立軸として、環境社会主義を掲げる。これらが、著者(佐々木力)の言うところの、21世紀のマルクス主義の大雑把な新解釈となるであろう。革命の主体についても触れておこう。マルクスは革命主体を19世紀の労働者に限定して求めたが、著者(佐々木力)は、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが論じた、グローバルなマルチチュードを、マルクス主義革命を担う者として想定しているようだ。
先述したとおり、現在の日本において進んでいる経済、労働に係る諸現象は、階級対立の概念でなければ説明ができないし、解決の糸口が見つからない。このような中、マスコミ(田原総一郎を筆頭に)は、マルクス主義、社会主義の死滅ばかりを強調し、労働組合運動までも誹謗中傷する。もちろん、日本の労働運動に非がなかったわけではないが、組合運動は働く者の基本的権利の1つだ。マスコミ及び反動的コメンテーターの言説は、搾取を容認し、弱者を切り捨て、帝国主義を支持するものだ。彼らは、「悪い資本主義」を批判し、「良い資本主義」を見つけ出そうとする。が、「良い資本主義」はこの世に存在しない。
南米に誕生した反米政権、ヨーロッパの根強い反米社民主義、東アジアに生まれた新経済圏構想などなど、グローバルに見ると、米国の帝国主義に追随しない勢力が、微小ながら認められる。この先、マルクス主義復興はないとは言えない。 (2006/12/03)
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