●出井康博〔著〕 ●新潮文庫 ●700円+税
松下政経塾について考えるということは、野党第一党である民主党について考えることにほかならない。
同塾の政治家のことは、テレビを通じてしか知らない。多くが民主党に属していて、テレビの露出で顔を売り、気の利いたコメントで有権者をひきつけ選挙に当選しようとする魂胆がミエミエだ。ワイドショー、お笑い番組、討論番組、クイズ番組等々、彼らには番組選択の指針がない。とにかく目立てばいい・・・。
国会議員がメディアを通じて、国民に政策等を直接語ることは間違っていない。他党と議論することも正しい。けれど、日本のテレビ番組には真面目な政治番組は少ない。同塾出身のある民主党議員は、テレビのバラエティー番組において、闇勢力との関係を取りざたされたことのある保守系の元国会議員を「センセイ」と呼び、じゃれあっている。こんな情景を塾の創設者である故・松下幸之助は、草葉の陰で何と思うか。
故・松下幸之助が創設した同塾は構想から今日まで、多くの政治家を輩出した。中に国会議員も多数含まれている。その意味で、幸之助の計画は失敗していない。だが、この成果は、同塾の自律的成果とはいえない。本書が指摘するとおり、「政治改革」の嵐が吹き荒れた当時の勢いに負っている。細川護熙が率いる日本新党が台風の目となり、自民党単独政権を倒した。新党に結集した若手議員が同塾出身者だった。今日の隆盛は、その当時の果実をいまなお享受している結果ではないか。
日本新党に結集した若き政治家たちは、“堕落”した自民党とは異なる、真正の保守政党を立ち上げるという野望を抱き、そのとおりの結果を出した、いや、立ち上げるつもりだったと言った方が適切かもしれない。いま思えば、当時の政治改革=小選挙区制の施行は、戦後政治の分岐点だった。
小選挙区・政党助成金等の新制度は、〔自民党〕対〔もう一つの保守政党〕による二大政党制確立を目指したものだったが、日本の革新=社民主義の息の根を完全に止めるという、大いなる副産物をもたらした。日本の革新政党が真に労働者の味方であったかという本質的問題はあるものの、細川護熙が首相として率いた与党連合(日本新党・新進党・公明党)から、自・社・さ連合政権の誕生、さらに、自民党・公明党連合政権の誕生という第ニ波、第三波により、日本の革新政党は概ね死滅した。この激動を縫って、同塾から、若い政治家が国政選挙に当選し、いま、民主党に寄り集まるに至った。これを偶然の妙というべきか、幸之助の陰謀と見るかについては、どちらとも言えない。が、結果として、日本には革新を標榜する政党は存在しなくなり、資本の側に好都合となった。
さて、本書が提供する同塾にまつわる情報のうち、興味深いものの一つは故・松下幸之助の政治への関心ぶりだ。日本有数の電機メーカーの創業者にして“経営の神様”と呼ばれた松下が当時、自民党政権に幻滅していたことが本書から窺える。松下は、自民党について、農を基礎にした土着政党だと認識していたふしがある。幸之助は、メーカー(製造業)にして全国販売網(代理店制度)を構築した経営者だ。彼は、事業者の経営感覚で日本国をマネジメントしなければ日本は滅びる、という危機感をもっていたようだ。それが、政経塾創設につながり、塾から新党結成、政権奪取の構想となった。
本書の冒頭、著者(出井康博)が、引退した細川護熙に幸之助との関係を直接問う場面が出てくる。松下政経塾と日本新党(その前身の「新自由主義連合」)との関係の有無だ。細川はその関係を否定する。この否定はポーズなのか。もし、細川新党が幸之助の影響で誕生したものならば、幸之助の政治への野望は成功したことになるのだが・・・本書の“おもしろさ”はこの一点、すなわち、幸之助と細川護熙の関係の究明にある。細川新党は幸之助の影響下で構想されたのかどうか――については、本書を読んでほしい、だから結論はここに書かない。
もう1つ興味深いのは、同塾と今日の民主党の関係だ。政治改革以降、同塾出身の政治家は、民主党が受け入れるという構図ができあがっている。先述したように、同塾の設立趣旨は自民党に成り代わる政党であるから、塾生が自民党に入党することはあり得ない。せいぜい、新自由クラブ、日本新党あたりまでが受け皿として相応しかったように思う。
民主党は、▽小沢一郎党首に代表される自民党経世会、▽旧民社党(旧同盟系)、▽旧社会党(旧総評系)、▽市民運動活動家、を含む寄り合い所帯だ。同塾に入って政治家になろうとする人間と、市民運動を母体にして政治活動に踏み出した人間や組合幹部から政治家になった人間とが一党の綱領を共有することは困難に近い。これが第一の不幸だ。たとえば、偽メール事件で退陣した前代表・前原誠司は、京都大学のK教授の弟子だ。K教授と言えば、日本版ネオコンだ。メール事件を直接引き起こした永田議員は同塾出身者ではないが、前原誠司・野田佳彦の執行部2人は同塾出身者だった。このときの執行部の無能・無策ぶりは記憶に新しいし、メール事件がなければ、民主党は、BSE問題、耐震偽造問題等々で窮地に追い詰められた小泉政権を打倒できたかもしれない。倒幕の絶好機を塾の2人が逃すという失態をやらかした。同塾出身者は明治維新を理想とするらしいのだが・・・
次なる不幸は、政経塾が金持ちの経営者である松下幸之助の思いつきに端を発し、松下家の後継者問題が塾運営に影響を与え、さらに、その運営が稲盛和夫(京セラ名誉会長)の影響にさらされたことだ。稲盛和夫は、『カルト資本主義』(斎藤貴男著)に詳しく書かれているとおり、極めて特異な経営者だ。本書が指摘するように、松下幸之助、稲盛和夫が崇拝するのは中村天風という宗教家だ。その意味で、松下、稲盛を近代的経営者と呼ぶことに躊躇する。しかも、政経塾が中村天風の影響下にあるパトロンや幹部職員に支えられている現実を無視できないし、民主党の議員にも天風信奉者がいることが懸念される。
天風を崇拝する日本型経営者を近代的経営者と呼ばない。大雑把な話、資本主義的経営すなわち、近代的経営には、徹底した成果主義を価値観とする米国型経営と、労使の取引で経営を進める西欧型(社民主義)経営がある。この2つは相反する外観を見せながら、資本と労働の対立という基本原理を共有している。
一方、日本型経営は労使の対立は会社=家(ウチ)という共同体的概念の中でメルトダウンしている。近代的経営(労使対立型)と日本型経営のどちらが正しいのか、またどちらが働く者(多数)に幸福をもたらすのかについては、いま問題にしない。ここでは、一方(西欧)が近代的経営であり、一方(日本)が共同体的経営にあるということを確認しておく。
結局のところ、政経塾を論ずることの意味は、民主党が働く者の見方なのか、そうでないのかを確認する作業に帰着する。民主党結党の際に、水と油ほども異なる政治信条をもった小沢一郎と菅直人を結びつけたのが稲盛和夫であることを、本書で初めて知った。その稲盛和夫の経営哲学は、社員を「社畜化」することだ。「社畜」というのは、経営者に対しどこまでも従順である労働者のことだ。社畜になれば、労働組合運動はもってのほかだし、労働者の権利も主張せず、経営者に心酔して身を粉にして働く。松下幸之助はそういう意味で、経営の神様だった。稲盛和夫は幸之助を範とした。「経営の神様」という意味は、労働者をマインドコントロールして無力化することだ。松下政経塾は、そのような経営哲学をもった幸之助の発想によって生まれた政治家養成機関だ。そして、同塾で純粋培養された政治家が、日本の最大野党である民主党に参集している。この事実をどう考えるか。
さらに言えば、先述したとおり、民主党結党の裏には、稲盛和夫というカルト資本家がオルガナイザーとなり、小沢一郎と菅直人を結び付けた。この2人の手打ちによって、日本の勤労者圧殺の企みの道が大きく開けたことになる。いま、民主党は野党第一党として、自民党を補完している。民主党の中に労働組織は埋没している。民主党は、労働者を「社畜」として扱う経営者が創設した塾を出た野心家たちによって、牛耳られようとしている。民主党は、ここまで紆余曲折を経ながらも、野党第一党として存在している。その存在理由は、民主党が、日本の勤労者を封じ込める圧殺装置の役割を果たすが故なのだ。
今日、ワーキングプアと呼ばれる最下層労働者の悲惨な暮らしがマスコミに取り上げられるようになった。ところが、本書を読む限りでは、同塾出身の政治家は、選挙のときに役立つか、役立たないかを物事の価値判断にしているらしい。松下政経塾を出た民主党の若手政治家は、ワーキングプアをどう見、どう考えるか。おそらく、彼らにはワーキングプアの存在は目に入っていない。だから、もちろん、考えていない。 (2006/12/11)