●佐々木力〔著〕 ●ちくま学芸文庫 ●1,300円(+税)
わが国では、企業は過去最高益を記録する好景気にもかかわらず、労働者の暮らしはいっこうに良くならない。どころか、残業代カット、リストラ、医療費等の負担増で苦しめられている。若者にまともな働き口がなく、パートや派遣といった劣悪な労働条件で雇用されている。下流社会、下層社会、格差社会が固定的に形成されようとしている。
一昔前なら、こうした状況は、搾取という概念で説明されたものだ。労働者は搾取されていると。賃金、雇用、労働条件等の決定のメカニズムは、[企業(ブルジョアジー)]対[労働者(プロレタリア)]の階級対立という概念だ。ところが、20世紀末、ソ連・東欧の自由化による、「社会主義国家」の消滅以降、わが国においては、社会主義、マルクス主義の思想的潮流は完全に消滅してしまった。もちろん、階級対立の概念も、喪失してしまった。新自由主義経済、市場万能主義が幅を利かせ、「勝ち組」と呼ばれる一握りの資本家に富が集中する社会を容認するムードが、徐々にだが間違いなく人々の心を覆っている。
一方、消滅した旧社会主義国家のソ連はロシアと名乗り、自由と民主主義を旨とする国になったはずだが、現実には、政府を批判した複数のジャーナリスが殺害されたり、国家機密を知る元情報部員が亡命先のイギリスで暗殺されるという、恐怖政治が支配する国になってしまった。いまのロシアは、旧KGB幹部であるプーチン政権下、自由と民主主義どころではない。マフィア、秘密警察と結託した、暗黒国家になってしまった。
自由と民主主義のリーダーであるはずの米国は、国内的には人種差別、治安悪化、富の独占という諸問題を抱えたまま、国外では、対テロ戦争という大義名分の下、持続的侵略戦争国家へと変貌してしまった。ブッシュ政権の米国こそ、典型的な帝国主義国家と規定できる。
資本主義の矛盾が露呈する今日、そして、地球規模の(グローバルな)帝国主義の時代にあって、ロシア革命を成功させたレーニン主義、トロツキイ主義、そして、その原理としてのマルクス主義による、反帝国主義運動の再編がグローバルに求められている。
さて、著者(佐々木力)は、21世紀初頭、「9.11事件」以降の世界情勢を、米国帝国主義という野蛮と、それに抗する反米テロリズム勢力という野蛮――の軍事的対立の構造にあると説明する。この説明は極めて妥当だと思われる。イスラム勢力の一部が米国帝国主義に対して、“聖戦=テロリズム”を展開している現実をだれもが認めざるを得ないものの、それは“野蛮”に抗する“もう一つの野蛮”であって、けして、帝国主義を止揚する思想と運動になり得ないと。
20世紀、第二次世界大戦の終結を境として、世界は帝国主義国家(資本主義)群と労働者国家群の対立――冷戦の時代として構造化された。この構造の一方の極である労働者国家群(東側)の指導的立場であったのがソヴィエト連邦であった。ソ連は1917年、帝政ロシアを革命によって打倒して誕生した社会主義労働者国家だった。以降、今日まで、ソ連、共産主義・社会主義、マルクス主義は同義とみなされている。
ところが、ロシア革命後、レーニンの死後、ソ連共産党を率いたスターリンが行った政治は、マルクス主義、共産主義とは無縁の全体主義だった。その政治システムをスターリン主義と呼ぶ。スターリン主義国家はソ連を筆頭にして、東欧、アジア、アフリカにまで誕生したものの、今日、それらの国々の体制は変容し、東アジアの社会主義の大国である中国も「社会主義市場経済」を採択し、事実上、世界は資本主義体制に概ね一元化されている。こうした事象をもって今日、共産主義、マルクス主義イデオロギーは消滅した、と言われている。
著者(佐々木力)も、20世紀末に消滅した労働者国家群(東側)を、マルクス主義とは無縁の全体主義国家(スターリン主義国家群)と規定する。この規定は、特別新しいものではない。1960年代後半、先進国と呼ばれる資本主義国家群(西側)でスターリン主義批判が相次いだし、労働者国家群を構成する東欧(東側)で、「ハンガリー革命」(1956年)と「プラハの春」(チェコスロバキア、1968年)という、2つの反ソ運動が起きている。日本では、1960年代初頭に日本共産党と決別した新左翼政党として、共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟等が結党され、60年代後半に全共闘運動等の新左翼運動が展開された。米国、西欧においても、同様の運動が展開された。しかし、西側先進国で相次いで台頭した反スターリン主義政治勢力は、自国帝国主義政権の打倒に失敗したことはもとより、旧左翼・社会民主主義勢力を凌駕するに至らないまま自壊した。また、先述した東側における反ソ運動も、ソ連の軍事力に押さえ込まれ、指導者は投獄され、スターリン主義政府打倒の達成までに20年の歳月を費やした。
とりわけ、日本の反スターリン主義運動は、運動の過程で自らをスターリン主義に純化するという誤謬を犯し、大衆の信頼と支持を失ったまま今日に至っている。この部分の十分な反省がなければ、マルクス主義の復興は至難の業だといわねばならない。
抑圧された反ソ運動のエネルギーは1989年~90年代初頭の自由化運動として花開き、ソ連、東欧は、ときの「社会主義」政権打倒を成し遂げた。ところが、ソ連の民衆はスターリン主義政府打倒(自由化)を実現したものの、その後の望ましい国家体制として、経済の自由主義原則である「混乱した資本主義」を選択するにとどまった。その結果、自由化の名のもとに急激な競争社会が形成され、新たに誕生した国家は▽国家権力を奪取した一部政治家、▽自由競争下で急成長した一部資本家、▽秘密警察の残党、▽マフィア――らによって構成された、ならず者国家であった。先述のとおり、ロシアでは、プーチン政権を批判するジャーナリスト等が秘密警察の手によって暗殺されている。これらの勢力は自由化の名のもとに国家権力を奪取したのだが、彼らが行っている政治は、旧体制(スターリン主義)の時代に培った自由化圧殺のノウハウを駆使して民衆を抑圧・弾圧し、ジャーナリスト等を抹殺する恐怖政治にほかならない。そればかりではない。ロシア政府(プーチン政権)は、チェチェンにおいて、ロシア政府に抗する多数の民衆を、民族浄化にも等しい大規模な軍事行動により圧殺している。
本書が「新左翼」と呼ばれた、反スターリン主義勢力のマルクス主義解釈と異なる点はどこか。著者(佐々木力)はロシア革命後のソ連がスターリンの指導の下、社会主義とは似て非なる体制に変容したと認識する。その点は、新左翼と変わりない。そして、スターリンに追われたトロツキイの「永続革命」を基本とする点で、著者(佐々木力)は、トロツキストの流れを汲む。
経済政策としては、ロシア革命後のネップを容認するものの、スターリンの「新5カ年計画」を統制型経済(=スターリン・モデル)と批判し、それに代替するものとして、トロツキイが提唱した、生産者+消費者(市場)の自立性を保証した「トロツキイ・モデル」による社会主義経済の選択を挙げる。また、政治システムとしては、「プロレタリア独裁」を根源的民主主義、プロレタリア民主主義として再定義する。さらに、資本主義に対する今日的対立軸として、環境社会主義を掲げる。これらが、著者(佐々木力)の言うところの、21世紀のマルクス主義の大雑把な新解釈となるであろう。革命の主体についても触れておこう。マルクスは革命主体を19世紀の労働者に限定して求めたが、著者(佐々木力)は、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが論じた、グローバルなマルチチュードを、マルクス主義革命を担う者として想定しているようだ。
先述したとおり、現在の日本において進んでいる経済、労働に係る諸現象は、階級対立の概念でなければ説明ができないし、解決の糸口が見つからない。このような中、マスコミ(田原総一郎を筆頭に)は、マルクス主義、社会主義の死滅ばかりを強調し、労働組合運動までも誹謗中傷する。もちろん、日本の労働運動に非がなかったわけではないが、組合運動は働く者の基本的権利の1つだ。マスコミ及び反動的コメンテーターの言説は、搾取を容認し、弱者を切り捨て、帝国主義を支持するものだ。彼らは、「悪い資本主義」を批判し、「良い資本主義」を見つけ出そうとする。が、「良い資本主義」はこの世に存在しない。
南米に誕生した反米政権、ヨーロッパの根強い反米社民主義、東アジアに生まれた新経済圏構想などなど、グローバルに見ると、米国の帝国主義に追随しない勢力が、微小ながら認められる。この先、マルクス主義復興はないとは言えない。 (2006/12/03)