2008年8月5日火曜日

『未来派左翼』(上下)

●アントニオ・ネグリ〔著〕   ●NHKブック   ●各920円+税


本書は、ネグリがインタビュアー(ラフ・バルボラン・シェルジ)の質問に答える形式となっている。質問と回答は、これまでのネグリの思想的中核をなすキーワード――帝国、生政治、マルチチュード、共(common)といった用語を基に進んでいくものの、世界情勢、イタリア左翼についてといった情況にも及ぶ。イタリアの左翼に関する言及は日本人に馴染みにくい部分もあるが、日本と酷似したとも読めるため、読者は経済のグローバル化の進捗と左翼の政治的関係を再認識することになろう。ネグリの回答はわかりやすく読みやすい。

まず、ネグリの既成左翼批判の核心部分を引用しておこう。
 19世紀末から20世紀初頭にかけての〈技術的構成〉は、自分の仕事の手順だけでなく工場全体の生産サイクルも完璧に理解している専門労働者というものでした。そしてこれに対応する〈政治的構成〉は評議会制であり、また、その後のソヴィエト制でした。つまり労働者たちは生産サイクルの指揮管理を自分たちで引き受けることを要求したわけです。1930年代に大きな危機が起こります。その危機をきっかけとして新たに現れることになった〈技術的構成〉が、大衆労働者です。
 大衆労働者とは、労働のティラー主義的な組織化にしたがわされ、工場内で疎外され、複雑化した生産サイクルの全容をもはや把握しきれなくなった労働者のことです。これに対応する〈政治的構成〉は、賃金と福祉体制の管理運営をめぐる社会闘争でした。福祉体制の管理運営が、所得を社会的に再配分するための鍵と  して求められたのです。しかしまたそれは、生産的な〈共〉が取り戻される最初の契機ともなりました。
 そして今日、われわれは、さらに別の労働の〈技術的構成〉を前にしている。つまり、非物質的なサービス労働、協働にもとづく認知労働、自己価値形成を行う自律的労働といったものです。そしてこれに対応する〈政治的構成〉はとえば、こうした労働を政治的に代表するものは不在であり、左翼はこのゲームの埒外に身を置おいているわけです。(上巻P203~204)
ネグリがポストモダンの変革主体として想定しているのは、引用部分の第3節にあるところの、非物質的なサービス労働、協働にもとづく認知労働、自己価値形成を行う自律的労働に従事する者である。欧米のみならず、日本の既成左翼も同様に、彼らの組織化に失敗している。日本を含めた欧米先進国の労働は、フォーディズム型労働から、ポストフォーディズム型労働に、そして、工場の生産ラインに従事する“プロレタリアート”から、ネグリのいう“マルチチュ-ド”へと変容しているのだろう。

がしかし、旧来型に分類される大衆労働は今日、第1に、第三世界の労働者に委ねられている、と規定すべきではないか。中国等のアジア・アフリカ・中南米・東欧等の近代化の途上にある国々は世界の工場と呼ばれ、これらの国々の労働者は、先進国の資本の下(に設置された工場や流通の現場)、もしくは、新しく自国に育った資本の下で働いている。

そればかりではない。彼らのうちの多くが移民もしくは不法就労というかたちで国境を越え、先進国において、フォーディズム型労働に従事している。フォーディズム型労働は、国際的分業にさらされているのではないか。

第2に、新自由主義経済下の先進国においては、労働者は正規労働者と非正規労働者という二極の身分に制度化され、非正規労働者は、前出の移民労働者とともに、先進国における旧来型労働に従事している。非正規労働者の多くは、派遣労働者と呼ばれる。日本、米国のように労働者の流動性を認める体制下では、彼らの生涯総所得額、雇用の安定性等において、正規労働者に比べて劣っているのが実態である。ネグリが指摘するように、資本家が工場という内部に労働者を同一の要件の下で管理する時代ではないことは確かである。労働者像は多様化している。20世紀中葉以降発生した“大衆労働者”が、19世紀末の“工場労働者”に培われた階級意識で団結することは難しく、さらに、非物資的労働――この際、ひらきなおって「オフィスワーカー」及び「サービス労働者」と規定すれば――に従事する者が、“大衆労働者”と連帯することも難しい。

そのうえで、いま世界規模で起こっている労働者の変容は、①管理型・情報型・非物質的労働に従事する労働者の輩出、②国際分業に基づく、第三世界労働者のフォーディズム型労働への強制、③先進国内における非正規労働者の大量発生と固定化、および、非正規労働者の大衆労働への強制、として現れているのではないか。②、③を総称して、「プレカリアート」(不安定労働者)と呼ぶのだが、ネグリは、①~③をマルチチュードとして一括し、多様化した労働者が連帯できる環を見出そうとする。その意図は間違っていないものの、①と②③の連帯の環がいささか明瞭でない。シアトルやジェノバの反乱では、3者が共闘したとネグりは言うが、オフィスワーカーとパリ郊外(バンリュー)の移民がいかにして、連帯可能なのか、わかりにくい。日本の現実に即して言えば、①-②-③のそれぞれが切断され、階層として固定化され、たとえば、①は資本家(起業家)との差異を縮めている一方で、②③の不安定性からくる生存の危機が深刻な社会問題となっている。
(2008/08/05)