2009年4月30日木曜日

GW

イラン観光に出かけます。

イランは夏は暑くて、冬は寒いとのことで、

この時期を選んだ次第。

春です。

2009年4月29日水曜日

小さな神、大きな神











街のなか、藪の奥には、名も知らぬ稲荷

白山神社 その中の小さな社

日本の神々である

2009年4月28日火曜日

印象派







春のある晴れた日。

まぶしい光、透明な空気・・・外界は光の合成された色の世界だと認識される。

2009年4月26日日曜日

谷根千





谷根千についてはずいぶん、写真を撮ってきた。

だんだんと古い木造の住宅が壊され、アパートやらプレハブの戸建て住宅になっていってしまう。

ヨーロッパには旧市街という地区があって、中世の町並みが保存され、観光資源になっている。

この地域もそうなる可能性をもっていたが、開発はとまらない。

いや、開発という表現はなじまない、住民が利便性を選択してしまっただけなのだ。

住む人と散歩する人とが交わることはない。

火事



拙宅近くで大火事。

出火当日は福岡にいたので、現場は見ていない。

焼け跡は無残である。

2009年4月21日火曜日

福岡へ

あすから2泊で、福岡へ行ってきます。

仕事場も宿泊先も、天神のど真ん中、アフターファイブに期待できます。

食べ物がおいしいです、博多は。

2009年4月19日日曜日




拙宅のまわりにはこの季節、一斉に花が咲き出す。軒先の小さな植木鉢でも、なかなかみごとな花が咲くのである。

2009年4月18日土曜日

不調に

土曜のきょうは、スポーツクラブで胸、背中、肩の筋トレの日。

15分ほど、クロストレーナーでウオーミングアップの後、ベンチプレス。

なんとなく体が重く、一押しが利かない。

インクライン・ベンチも同様。

背中は、懸垂を取り入れたのだが、これも厳しい。

以下、最後のシュラッグまで、体がだるいまま。

こういう日もある。

2009年4月17日金曜日

休み

会社を休んで、自宅で休養。

天気が悪いので外に出かける気にもならない。

家の中をかたづけて、不要なものを処分して、収納空間を増やす。

冬物をクリーニングに出して、夏物を引っ張り出す。

昔かったスーツは体型が変化して着られない。

春を過ぎて、脱皮をした気分である。

2009年4月15日水曜日

黄色と桃色



黄色と桃色の花が偶然、混在する。

桜の花が散った後、いろいろな色の花が季節を彩る。

晴れて風の強い日だった。

少し歩くだけで、汗ばんでしまった。

2009年4月12日日曜日

家紋

家紋という不思議なデザインが日本にはある。

戦国時代の武将は自軍の目印として、独特の記号を考えた。

徳川は葵、真田の六文銭などが特に名高い。

明治以降、武家は制度としては存在しなくなった。そこで、一般の家庭が武家の家紋を取り入れるようになった。紋付をつくるときに、我が家の家紋を入れ始めたのだ。

家紋ばかりではない。自分たちの村落は、平家の落ち武者が開いたものだという「伝説」が、日本中に存在しているという。とりわけ、辺鄙な山の中の村落に限って、「平家」なのである。

繁栄に取り残された自分たちに責任はない、自分たちは賊軍、敗者を祖先に持つものなのだから、繁栄から取り残されて当然の運命にある・・・という慰めの論理化であろう。

2009年4月10日金曜日

隼人稲荷



東国江戸の北端の地、日暮の里に隼人稲荷あり。

柳田国男に倣えば、この稲荷の由来を確かめなければならないはずなのだが。

この稲荷は善性寺という日蓮宗の寺の境内にある。筆者が子供のころ、この寺の前の道路工事の際、江戸時代の権力者の棺が発掘され、大騒ぎになったことがあった。その棺は徳川の某将軍の親戚の者のものだといわれた。 発掘された棺の中にはミイラがいた、という噂が立ったのだが、筆者は見ていない。

悪友の一人が発掘の際に出てきた松脂の破片を拾い、それを筆者に見せてくれた。悪友は、ミイラはこの松脂の中に安置されていた、というような意味のことを筆者に告げたのだと思うのだが、もちろん本当かどうかはわからないし、その松脂とミイラが本当に関係があるかどうかもわからない。なにしろ、遠い過去の出来事なのだから。

2009年4月6日月曜日

桜(続)


都会の桜が、新しい景観をつくりだす。

美しいかどうかは、その人の感性による。
超高層マンションが桜を突き抜けるように、たっている。






2009年4月5日日曜日

満開


暖かい。


桜も満開だ。


なんだかんだといっても、季節は巡る。


桜が咲かないことはない。

2009年4月4日土曜日

板金屋さんですか

朝、スポーツクラブへ向かう途中、笑顔の老人が近づいてきて、「お宅さんは、板金屋さんですかい」と話しかけられた。うむ、筆者は何度か転職をしたが、板金業に従事したことはない(笑)。

「いいえ」と答えて遠ざかって、桜並木を歩いていると、さっきの老人が自転車で筆者を追い越しつつ、「S通りに住んでいたことは・・・」と尋ねてくるのだが、これも該当しない。よっぽど筆者は「板金屋さん」に似ているのだろうな――と思いながらも、人違いであることは揺るぎようがない。「人違いですか、すいません」てなことで、その老人と筆者は別れた。

うーむ、その老人はだれでもいいから、何かを話したかったのか、桜満開の季節、「一人」が辛かったのか、筆者が暇なときならば、話し相手になってあげてもよかったのかもしれない。それとも、「板金屋さん」に借金を踏み倒されたのかもしれない、などと考えると、複雑な心境になってしまった。

「板金屋さん」というのは、どういう仕事をするのだろうか。