東国江戸の北端の地、日暮の里に隼人稲荷あり。
柳田国男に倣えば、この稲荷の由来を確かめなければならないはずなのだが。
この稲荷は善性寺という日蓮宗の寺の境内にある。筆者が子供のころ、この寺の前の道路工事の際、江戸時代の権力者の棺が発掘され、大騒ぎになったことがあった。その棺は徳川の某将軍の親戚の者のものだといわれた。 発掘された棺の中にはミイラがいた、という噂が立ったのだが、筆者は見ていない。
悪友の一人が発掘の際に出てきた松脂の破片を拾い、それを筆者に見せてくれた。悪友は、ミイラはこの松脂の中に安置されていた、というような意味のことを筆者に告げたのだと思うのだが、もちろん本当かどうかはわからないし、その松脂とミイラが本当に関係があるかどうかもわからない。なにしろ、遠い過去の出来事なのだから。
柳田国男に倣えば、この稲荷の由来を確かめなければならないはずなのだが。
この稲荷は善性寺という日蓮宗の寺の境内にある。筆者が子供のころ、この寺の前の道路工事の際、江戸時代の権力者の棺が発掘され、大騒ぎになったことがあった。その棺は徳川の某将軍の親戚の者のものだといわれた。 発掘された棺の中にはミイラがいた、という噂が立ったのだが、筆者は見ていない。
悪友の一人が発掘の際に出てきた松脂の破片を拾い、それを筆者に見せてくれた。悪友は、ミイラはこの松脂の中に安置されていた、というような意味のことを筆者に告げたのだと思うのだが、もちろん本当かどうかはわからないし、その松脂とミイラが本当に関係があるかどうかもわからない。なにしろ、遠い過去の出来事なのだから。