2009年9月21日月曜日

『日本海と北国文化(「海と列島文化」第1巻)』

●網野善彦ほか(著) ●小学館 ●6,627円(税込)


日本は海に囲まれた島国。そのため、外界(外国)との交流が阻まれてきたという話をよく聞くし、日本は稲作中心の農業国だともいわれる。どちらも、日本についての常識的説明だと思われているのだが、根拠を欠いた俗論である。

古代(いまでもそうであるが)、海路は物流の大動脈である。また、農業以外を生業とした日本列島人が、それぞれの神を戴き、地域的権力(武力・統治力)をもち、中央政府と同調、また、拮抗した関係を築いてきた。海に生きる人々は、土地に縛られない、高い流動性をもって暮らしていた。あるネパール人は、「海に囲まれた日本が羨ましい」と筆者に言った。彼らは海(港)をもたないから、重要な物資をインドの港を経由して自国に持ち込む以外ない。そのネパール人は、インドへの依存度が高いことを嘆いたのである。

本書は「海と列島文化・全10巻」の第1回配本(1990)で、日本海と北国を扱っている。かつて日本列島の日本海側は“裏日本”と呼ばれ、冬は寒く豪雪となり夏は短く、「暗い」というイメージが支配的であった。いつの日か“裏日本”という呼称は使用を禁ぜられ、日本海側と呼ばれるようになった。また、日本海沿岸のいくつかの都市で拉致事件が発生したことでもわかるように、そこは大陸、朝鮮半島と一衣帯水である。日本列島の政治の中心地は長らく近畿にあり、17世紀以降、関東(江戸・東京)に移ったものの、ユーラシア大陸との接点という意味において、日本海沿岸の重要性はいまも昔も変わっていない。

さて、日本海を舞台とする海上交通の歴史は、古代以来の出雲(いずも)と越(こし)の二大勢力地域との交流があり、そこに大陸との直接交渉の窓口という特異性がある。本書には、そのことの具体例として、筆者が初めて知ったことが多数記述されている。たとえば、▽山形県最北の飛島という小島が、高麗、渤海、粛慎(みしはせ)、靺鞨からの諸外国使節を迎え入れていたこと、▽海驢(みち/日本アシカ)猟を生業としていた能登(舳倉島)の民、▽北の海の武士団・安藤氏、▽蝦夷地でアイヌを奴隷化した紀州・栖原家、▽蝦夷の民の3類(日ノ本、唐子、渡党)、▽金山で栄えた佐渡の相川の善知烏(うとう)神社祭礼。無秩序の混沌とした様子がうかがえる。相川には、全国から芸能の者が集まったという。いずれも、稲作を生業とした、「日本人」のイメージとも、かつて、日本海が“裏日本”と呼ばれていたイメージとも異なっていて、ダイナミズムとモビリティにあふれている。