2009年9月19日土曜日

LEVON HELM




久しぶりに、CDを購入した。リヴォン・ヘルムの「Dirt Farmer」「Electric Dirt」の2枚である。リヴォン・ヘルムは、筆者がこよなく愛した「THE BAND」の3人のヴォーカルのうちの一人であり、「THE BAND」ではヴォーカルとドラムを担当した。

「THE BAND」については、多くを語る必要はないだろう。ボブ・ディランのバック・バンドを務めたことが世に出るきっかけとなった。飛躍のきっかけとして、ハモンド・オルガンの名手・ガース・ハドソンがメンバーに加入し、音楽性における飛躍を成し遂げたことも挙げられよう。

「MUSIC from BIG PINK 」が大ヒットを記録。さらに、彼らの楽曲である「The Weight」が映画『Easy Rider』中の挿入歌として使用されメガヒットし、以降、ロックバンドとして安定した地位を築いた。その間、いくつかの伝説的コンサートも行った。彼らの解散コンサートの模様が、「THE LAST WALTZ」という記録映画となっていることはよく知られている。

「THE BAND」は有名になったけれど、メンバー同士は不仲だったといわれている。中でも、リード・ギターのロビー・ロバートソンとリヴォンは仲が悪く、「THE LAST WALTZ」がロビー主導で撮影されたことをリヴォンは快く思っていなかったという。ボブ・ディランはロビーのギターを賞賛したけれど、リヴォンは、ロビーのギターを“数学的”と評している。(『Levon Helm and the story of THE BAND』)リヴォンの土臭さと相容れないものがあったのだろう。

解散後、ロビーが抜けた「THE BAND」が来日したとき、筆者はもちろん、聞きにいった。そのとき、なぜかツインドラムの構成で、コンサート終了後、リヴォンはスタッフに肩を担がれステージから退場した姿が痛々しかった。

前出の「THE BAND」の3人のヴォーカルとは、リヴォンのほか、リチャード・マニュエル(ピアノ他)とリック・ダンコ(ベース)であるが、二人とももうこの世にいない。残ったリヴォンも咽頭ガンを患い、歌うことができなくなった、といわれていたのだが、奇跡の復活を成し遂げた。

復活後の最初のCD(2007)が、「Dirt Farmer」で、リヴォンの娘のエミー・ヘルムが、ハーモニーヴォーカルで参加。このアルバムは全曲ガチガチのカントリーで、マンドリン、フィドル、アコースティックギターをバックに、リヴォンが切々と歌い上げている。咽頭ガンの手術の影響であろうか、リヴォンの声はかすれ気味に聞こえるのだが、それがかえって哀愁を増している。

「Electric Dirt」は復活後の第二弾(2009)。こちらは、▽ブルース、▽アイリッシュ・トラッド、▽「THE BAND」時代が思い出されるロック、▽カントリー、と多様である。やはり、娘のエミー・ヘルムがハーモニーヴォーカルで参加している。ホーン(アルトホーン、チューバ、テナーサックス、トロンボーン、ソプラノサックス)を交えた重層的サウンド、力強さを増したリヴォンの声と、前作よりパワーアップしている。最終曲は、60年代の懐かしのプロテストソング「自由になりたい」(I wish I knew how it would feel to be free) 。さて、リヴォンはこの名曲をどんな風に料理したのでしょうか。

さて、過日、某FM局でリヴォンのこの曲がかかったのを偶然聞いたのだが、そのときのDJがこんなエピソードを披露してくれた。親日家の彼は、しばしばコンサートのため来日した。彼は、東京から福岡までの移動に新幹線を使用するよう頑強に主張した。もちろん、長時間の移動は非効率的であるし、体調にも影響をする。しかし、リヴォンは譲らなかった。

新幹線が広島に着き、停車時間が過ぎて発車したが、リヴォンは車内にもどっていなかった。心配したスタッフから連絡を受けた関係者が広島市内を探しまわり、リヴォンを見つけたとき、彼は広島の街中を泣きながら彷徨っていた。「俺たちアメリカ人が、この街(広島)にあんなひどいこと(原爆投下)をしたんだ・・・」