2010年5月2日日曜日
スターリンの亡霊
旧共産圏の東欧には、支配者だったソ連や、その権力者・スターリンを揶揄する定番のジョークがあった。
“この街で一番の景色を見るとしたら、どこがいいのかね?”
“そりゃあ、あの塔の上が一番さ”
“どうして・・・”
“だって、あの塔が絶対に見えないじゃないか”
往時、東欧を支配したソ連は、東欧各国の主要都市に高い塔や無骨な高層建築物を建てまくった。この手のジョークは、それがいかに醜く、東欧の歴史的街並みにそぐわないものであったかをいまに伝えるものの1つだ。
さて、「東京スカイツリー」である。筆者は、この鉄の塔の存在を忌々しく思っている。東京の街並み、とりわけスカイラインは破壊尽くされ、いまさらスカイツリーが建てられたとしても、美観に影響を及ぼさない、といえるかもしれないが、筆者の拙宅の窓から見えることが気に入らないのである。
幸いにして、日本で一番高かった東京タワーは拙宅から絶対に見えない位置にあるので気にならない存在だが、スカイツリーは嫌でも、ベランダの真正面に聳え立つ。それは、不気味な墓石のようにも、また、壮大な無意味さ、虚無のようにも映る。
さて、20世紀の到来を記念して、パリにエッフェル塔が建てられようとしたとき、パリ市民の多くが反対をした。しかし、時の経過とともにエッフェル塔はパリを代表する建築物になった。古いものを守ることも大事だが、新しいものを受け入れることも大切だといわれる。それが、生活に必要な電波環境の向上のために必要なのだから、高い塔を建てることは必然なのだと説明される。パリにエッフェル塔が必要だったように、東京にも、いま、スカイツリーが必要なのだと。
科学に無知な筆者には、「東京タワー」が無用になった理由が分からない。エッフェル塔が電波塔なのかどうかもわからないのだが、パリに2つも塔はないし、新しく建てる計画も聞いたことがない。ニューヨークやロンドンにはあるのだろうか、なぜ、東京には、2つもの高い電波塔が必要なのだろうか・・・
筆者には、だから、スカイツリーを観るたびごとに、日本には、「日本型スターリン」が存在しているのだと確信している次第である。