2010年6月6日日曜日

W辞任

政権与党・民主党の代表(鳩山)と幹事長(小沢)の二人が同時に(W)辞任した。後任の代表は菅直人(現副総理)に決まった。国会での指名後、菅首相が誕生する。

辞任した鳩山首相の場合、普天間問題への取組み方及びその結論が不透明かつ不可解であった。取組み方、その結果導かれた結論は、国民の理解を得にくいものだった。しかし、普天間移転問題というのは、旧政権の場合、結論を十数年放置したままであったわけで、その間、那覇の中心街に米軍が駐留し基地を使用し続けていたわけであるから、自民党に批判する資格はないし、鳩山が移転を急いだことは間違っていない。

「移転」に反対する人はいない。沖縄に行ったことのある人ならば、普天間基地の危険性は自明のことである。移転先として、鳩山が「沖縄県外」と主張したことも間違っていない。沖縄にこれ以上基地負担を押し付け続けることは、公平性に欠ける。鳩山がその解決のために真正面から取り組もうとした姿勢に間違いはない。

しかし、結論を5月末に設定したこと、そして、代替地案の模索・公表の過程については、迷走以外のなにものでもなかった。さらに驚くべき事実として、日本中が、普天間の移転先であることを公然と拒否したことを挙げなければならない。沖縄の人々の基地負担を考慮するならば、公然と反対を唱えることを憚るのが一般的感受性だと思う。沖縄ならいいが、自分たちのところは困る、という主張は、公然たる沖縄差別にほかならない。そうした地域のエゴイズムについて、少なくとも、日本のマスメディア及び野党自民党は同調した。というよりも、受入れ拒否を公然と支持した。マスメディアと自民党は、「沖縄差別」を扇動した。そのことの深刻さを、国民の誰一人が感じていないことが情けない。

ご存知のとおり、辞任直前、鳩山は普天間基地の移転先を同じ沖縄県の辺野古と定め、米国と同意した。「最低でも県外」という鳩山の思惑は実現せず、自民党政権時代の「辺野古」に逆戻りした。このことが「辞任」の主因の1つだといっていいだろう。

不可解なのは、「辺野古」に逆戻りした言い訳である。鳩山の表現は、筆者にはよく理解できない内容だった。普天間に駐屯している海兵隊の一部はグアムに移動することが決まっている。残留が決まったわずかばかりの米海兵隊について、鳩山はなんと「抑止力」だと改めて“再定義”をしたのだ。それだけではない。鳩山は、「(そのことを)勉強しなおした結果、抑止力であることが改めて認識できた」と弁明した。この言葉は、鳩山の移転の意図を潰した“大きな力”の存在をうかがわせる。鳩山は挫折を余儀なくされた。

普天間基地移転問題は、本質の議論がないまま政局として大きく報道され、鳩山の“辞任”をもって終焉した。しかし、この一連の騒動を自然だと感じる人はそう多くはないと思う。普通の感性の人ならば、なんとも不可解・不自然な流れだと思うはずだ。その不可解さは、おそらくは、日米の力関係の帰結だと想像する以外に解釈のしようがない。

この問題に関する日本のマスコミ報道を振り返ると、米軍駐留の本質に係る議論は一切なかったといっていいすぎでない。日米同盟のあり方、米軍の駐留の是非、日本の防衛のあり方・・・基地問題=沖縄問題の解決とは、日米関係そのものを問うところから始めなければならなかったはずなのだが。

一方、鳩山が意図したであろう(と想像する)普天間移転問題の解決プログラムは、国民の総意として、米軍の駐留を拒絶する情況をつくりだすことではなかったか。鳩山は米軍の駐留を拒絶すること=米軍基地なき日本国の実現に向け、その第一弾として、普天間問題に着手しようとしたのではないか。普天間問題とは、「駐留なき同盟」を実現する第一歩なのだと。鳩山が「抑止力について勉強する前」、すなわち、昨年の総選挙までは、「(普天間問題は)少なくとも(沖縄)県外」だと公言していたことから、そのことは十分想像がつく。

前出のとおり、鳩山の最終目標は、「(米軍の)駐留なき(日米)同盟の(実現)」だったように思う。彼は手始めに沖縄の普天間基地を県外に移転させ、そのことによる、国民的支持――対等な日米関係を待望するナショナリズムの台頭――をもって、駐留なき同盟の実現のための足元を固めたかったに違いない。鳩山は、そういう意味で、ナショナリストなのである。ところが、鳩山(政権)は、かつて鳩山同様に対等な日米関係の実現に向けて暴走し崩壊した、細川政権と同じ道を歩んだ。細川(当時首相)の後ろにいたのが、鳩山とともに民主党幹事長職を辞した、“小沢一郎”その人であることは偶然ではない。

民主党政権誕生後から今日まで、鳩山と小沢の二人に対しては、検察とマスコミによる、執拗なまでのネガティブキャンペーンが続いた。細川の場合も、政治とカネのスキャンダルが騒がれたし、それと同様の手法として、田中角栄の失脚(ロッキード事件)も思い出される。田中角栄が首相のとき、彼は米国と厳しく対立した。そのことは、このコラムで何度も書いたので繰り返さない。

田中、細川、そして鳩山・小沢が政権の座を追われた構図は、それぞれの政治信条やイデオロギー、対立する団体等々の動きとは関係していない。民主党政権の誕生によって、たとえば、国民生活が著しく不安定化したとか、増税があったとか、景気が後退したという現象は生じていない。鳩山と小沢の退陣は、「政治とカネ」という国民の間に生じたスティグマ(嫌悪感)による。しかも、その嫌悪感は、マスコミによって誘導された「民意」によっている。小沢に対する嫌悪感とは、検察とマスコミから一方的に流される「報道」によって醸成されたものであって、国民(生活)の危機(感)からではない。

マスコミの攻撃を受けた3人の首相(及び小沢)に共通点があるとしたら、ただ一点、彼らがともに“米国離れ”を志向した政治家であった、ということだけだ。