2013年2月1日金曜日

五輪東京誘致を撤回せよ――相次ぐスポーツ不祥事の発覚

ロンドン五輪代表を含むトップ選手15人から暴力行為とパワーハラスメントを告発された柔道女子日本代表の園田隆二監督(39)が1日、全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺を提出した。このことで、日本のトップチームにも暴力が横行していることが明らかになった。というよりも、マスメディアを含む関係者はすでにこのことを認識していたのだと推測する。知っていても、書かない、言わない、問題にしない、というのが日本のスポーツ関連メディア業界の際立った特徴である。

自殺者を出した大阪市立桜宮高校をはじめとする高校の運動部、柔道五輪金メダリストの内柴正人による、セクハラ犯罪を筆頭とする大学の体育会、そして、このたびの柔道日本代表チームというトップカテゴリーに至るまで、日本のスポーツ界は「指導者」による暴行、パワハラ、セクハラ、が横溢しているではないか。

先に当コラムで書いた通り、日本のスポーツ界を犯罪天国にしてしまったのは、指導能力をもたない者が「指導者」となったことによる。指導能力よりも選手としての実績がものを言い、指導理論よりも精神論と根性論が先行している。そのため、日本のスポーツ界では「指導者」がもっとも安易な指導方法として暴力を用いることになってしまった。

日本のスポーツ界においては、監督・コーチ(以下、「指導者」という。)と選手の関係をいえば圧倒的に前者が優位にある。選手が独立した事業主として指導者と接するプロ契約選手以外の場合(日本ではアマチュアスポーツと言われるのだが。)には、そのことがきわめて顕著となる。

日本のアマチュアスポーツは、建前上、教育の一環となっているから、必ずしも運動能力ばかりが選手の優劣を決めるとは限らない。品行・言動、キャプテンシー、練習への取り組み姿勢・・・が勘案され、指導者はレギュラーを決める。スポーツをするために高校・大学に入った生徒・学生にとって、レギュラーか控えかは、最も重要な決定事項である。

たとえば、あのバカ騒ぎで有名な甲子園大会の場合、ベンチ入りとそれ以外とでは、待遇、評価、世間の目において、天と地ほどの差がある。さらに、控えとレギュラーとでも同様の開きがある。野球をするために野球強豪校に入学した高校生にとっては、甲子園大会に行けるかどうかは重大問題であり、さらに甲子園で実際にプレーするか否かは、将来にかかわる。それを決めるのが「指導者」であり、「指導者」しか決められない。だから、選手にとって「指導者」は絶対的存在となってしまう。「指導者」の権力の源泉はそこにある。だから部員たちは「指導者」がふりかざす不条理な暴力に屈せざるを得ない。「指導者」に異議を唱えれば、その部員の居場所はない。野球ができなくなった野球特待生は必然的に転校、退学を余儀なくされる。

高校経営者も野球が強ければ、その方法は問わない。甲子園大会に導く「指導者」に全幅の信頼をおく。保護者、地域社会、メディアも同じ考え方にある。だから、高校野球部員に不祥事が多発しても、その根源を暴こうとしない。「強ければそれでいい」のである。

下は野球のリトルリーグ、上は日本代表トップチームに至るまで、「体罰」「しごき」「暴行」「セクハラ」「パワハラ」がまかりとおっているのが日本のスポーツ界の現状である。こうした実態を直視するならば、日本のスポーツ界は以下の決断をすべきであろう。

(1)石原~猪瀬が引っ張る五輪東京誘致運動の即刻撤回

(2)指導者ライセンス制度の創設

(3)すべてのスポーツ団体を対象とした実態調査の実施

(4)暴力指導者永久追放

(5)体罰、暴力、パワハラ、セクハラのあったスポーツ団体の解散

(6)トップアスリートによる暴力追放啓蒙活動の実施

(1)については、日本が世界的スポーツの祭典を開催する資格のないことをとにかく、いま自覚する契機とするためである。この期に及んで、日本のスポーツ界が美しいとは言えまい。青少年の範とするとも言えまい。五輪で浮かれることよりも、その汚れを落とすことをいま最優先とすべきなのである。

(2)については、霞が関の権益とならないよう、民間主導によるライセンス制度が望ましい。スポーツを科学する学部・学科・研究機関の設置も急がれる。

(3)~(5)は一体の事業で、調査による実態解明から処分に至る過程である。処分の結果として、日本のスポーツ界が一時停滞、弱体化しても仕方がない。

(6)については、今日、元読売ジャイアンツの桑田真澄氏の「体罰不要論」の発言が際立っているが、桑田氏だけでなく、トップアスリートのすべてが、反暴力キャンペーンに参加してもらいたい。

日本のスポーツ界は歪んでいる。高校生の課外活動であるスポーツが完全にエンターテインメントの有力コンテンツに成長したことから、そのことは始まっている。このことは何度も繰り返し書いた。勝利至上主義のメダルの表裏にあるスポーツ美談、裏話、アマチュアリズムを含めて、スポーツがメディアによってもてはやされ、歪められ、次第にその本来性を喪失している。高校生の課外活動がプロスポーツよりも高い付加価値がつけられ、消費されていく。そのことによる内部の腐敗の深化には目をつぶり、隠ぺいする。やがてその歪みが、強い地震のような衝撃となって社会内に噴出する。スポーツ高校生の自殺、パワハラ、セクハラ、暴力の恒常化である。何度も繰り返すが、この歪みは、無知な「指導者」、社会の勝利至上主義の共謀により、メディアによるエンターテインメント化によって増幅されているのである。この連鎖を断ち切ることができなければ、いずれ日本のスポーツ業界は滅びるにちがいない、いや、一度、滅びたほうがいい。