繰り返された旧左翼の裏切り
前出の『擬制の終焉』の擬制とは、共産党・(当時)社会党を併せた旧左翼が安保闘争に結集した広範な人民のエネルギーを結集できず、闘争を敗北に導いた指導責任を厳しく批判した総括的言語にほかならない。敗戦(1945年)後、日本に浸透した「民主主義」は60年安保条約改定を契機として危機に晒された。日米安保条約改定をめぐって、日本の世論はそれこそ二分された。進歩的市民・学生・労働者に代表される反戦平和勢力は、共産党・社会党を支持し、対米従属を維持したい保守勢力は自民党を支持した。
当時、共産党・社会党は、日本の「民主主義」(反戦・平和)を唱える良心的指導政党だと広く大衆に信じられていた。たとえば、総評と呼ばれた労働者の全国組織は、社会党支持で一枚岩だった。また、正統的左翼(前衛)としての共産党は反戦平和市民組織、知識人、芸術家、未組織労働者、学生組織等から幅広く支持されていた。しかしその当時、正統的とされた旧左翼の欺瞞性をいちはやく見抜いていた戦闘的学生集団がブント(共産主義者同盟)を結成し、国会突入という武装闘争を行った。しかし、安保条約改定阻止は果たされず、日本の反体制運動は以降沈静化した。以上が60年安保闘争の概要である。
2014年東京都知事選挙は、60年安保闘争に匹敵する歴史的選択を都民が行う政治決戦であった。そのテーマとは言うまでもなく、原子力発電の継続か否かであり、首都東京の民意を問うものであった。60年安保闘争が日本の反戦平和主義の貫徹による民族自決か、それとも、対米追従に基づく米国の属国化(占領体制)の継続かを問う民族主義的(ナショナルリズム)選択であったのに対し、2014年の都知事選挙は原発の是非、換言すれば、国家、国土、国民の存亡を問う――重いテーマであった。だが、半世紀前と同様、日本の「前衛」が大衆の高揚した反原発の意志を裏切った。
「反原発」勢力が分裂
このたびの選挙はかつてないほど重いテーマを背負いながら、人々は白けた気分で投票日を迎えた。原発の是非を問うという命題は「決戦」を意味する。決戦とは“白か黒か”“東か西か”を問う性質のもの。中間は存在し得ない。しかるに、日本の「前衛(共産党・社民党)」は、この決戦を反原発勢力のヘゲモニー争いにすり替えた。原発推進派が舛添要一に候補者を一本化し、連合(労働組合)をも支持母体に組み入れることに成功した一方、反原発側は宇都宮健児と細川護熙の2人の候補者を立ててしまった。
宇都宮・細川の両者の立候補の経緯を大雑把に振り返ると、まず、反原発勢力の一角である共産、社民が宇都宮健児を候補者として公認する。一方の推進派はその時点で正式な候補者を出さず、「マスゾエ」という名前がマスコミにチラホラ報道されるような状況だった。おそらく、推進派は桝添要一で決まっていたのだろうが、正式立候補は表明されていなかった。決戦であるならば、[推進派=桝添]VS[反原発=宇都宮]ですっきりするのだが、[反原発=宇都宮]では桝添に勝てない、宇都宮では“タマ”が悪すぎる、という雰囲気が漲ってきたところで、小泉・細川の元首相連合が反原発候補として登場する。立候補届出締切日ギリギリであった。細川ならば桝添に勝てる、という雰囲気が反原発勢力内部に盛り上がってきた。そこで候補者の調整が進められるであろうと、だれもが思った。
ところが、共産、社民は立候補者の調整に応じず、宇都宮、細川という二人の候補者が反原発勢力側から立候補することが正式に決まってしまった。ここで「決戦」は「不戦」に変わった。原発の是非を問う決戦選挙は成立せず、開票前から桝添当選が決まったような状況となって、決戦ムードは沈静化し、投票を待たずに推進派勝利が決まったも同様であった。
共産、社民は、反戦・平和・護憲という「老舗の暖簾」を守る選挙に転換
共産、社民はなぜ、候補者統一の調整に応じなかったのか。かりに宇都宮を下して、反原発のリーダーが小泉・細川にシフトしてしまったら、共産、社民はその存在意義を完全に失ってしまうからである。共産、社民にとって重要なのは、都知事選に勝って、「ストップ・ザ、安倍」を実現することよりも、日本の反戦平和(反原発を含む)勢力の「老舗の暖簾」を守ることだった。彼らは、小泉・細川を攻撃し、宇都宮が桝添に次ぐ投票数を獲得することに腐心した。つまり2位狙いである。そして、その結果として、以下の結果を招いた。
[2014年東京都知事選挙結果、主要4候補者の得票数]
- 舛添要一 211万2千票
- 宇都宮健児 98万2千票
- 細川護熙 95万6千票
- 田母神俊雄 61万8千票
共産、社民は都知事選には敗れたが、彼らが最初から目標とした、「左翼の暖簾」を守りとおした。共産、社民は依然として、日本の反戦・平和・脱原発勢力のリーダーの地位を安泰としたのである。もちろん、その結果、桝添が当選し、原発推進派が勝利した。これこそ擬制そのものではないか。60年安保闘争以来半世紀以上を経過しながら、日本の前衛の「老舗」である共産、社民の地位は安泰であるのだが、世直しはいっこうに進まない。
共産、社民とは、まさに体制の補完物にすぎない。大衆の原初的世直しの革命的エネルギーを踏みにじり、正統派「左翼」の地位を体制内に維持することだけに腐心する補完物。彼らは60年安保闘争のときと同じように、「革命」の擬態を身に着けたまま、彼らの本質を曝け出した。擬制は終焉していない。誤りは繰り返されたのである。
共産、社民とは、まさに体制の補完物にすぎない。大衆の原初的世直しの革命的エネルギーを踏みにじり、正統派「左翼」の地位を体制内に維持することだけに腐心する補完物。彼らは60年安保闘争のときと同じように、「革命」の擬態を身に着けたまま、彼らの本質を曝け出した。擬制は終焉していない。誤りは繰り返されたのである。
「68年革命」後のポストモダン資本主義の象徴=小泉・細川
歴史は繰り返したのか――否。歴史は螺旋状に上向した。60年当時、体制に向かって、旧左翼、新左翼(ブント→革共同)と左から順に配置されていた政治集団は、2014年においては体制に対して、旧左翼と新自由主義が並立していた。かつて存在した新左翼の席は空席だった。このことは何を意味するのか。
この問いはかなり難しい。即答は困難だが、ただ言えるのは、『ポストモダンの共産主義』(スラヴォイ・ジジェク[著])の次の一節が回答の一部をなしているのではないかと筆者は感じている。
(ポストモダン資本主義への)イデオロギーの移行は、1960年代の反乱(68年パリの5月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで)の反動として起きた。60年代の抗議運動は、資本主義に対して、お決まりの社会・経済的搾取批判に新たな文明的な批判をつけ加えていた。日常生活における疎外、消費の商業化、「仮面をかぶって生きる」ことを強いられ、性的その他の抑圧にさらされた大衆社会のいかがわしさ、などだ。
資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。・・・(略)・・・1960年代の性の解放を生き延びたものは、寛容な快楽主義だった。それは超自我の庇護のもとに成り立つ支配的なイデオロギーにたやすく組み込まれていった。・・・(略)・・・今日の「非抑圧的」な快楽主義…の超自我性は、許された享楽がいかんせん義務的な享楽に転ずることにある。こうした純粋に自閉的な享楽(ドラッグその他の恍惚感をもたらす手立てによる)への欲求は、まさしく政治的な瞬間に生じた。すなわち、1968年の解放を目指した一連の動きの潜在力が、枯渇したときだ。
この1970年代半ばの時期に、残された唯一の道は、直接的で粗暴な「行為への移行」――〈現実界〉へおしやられることだった。・・・(そして、)おもに3つの形態がとられた。まず、過激な形での性的な享楽の探求、それから、左派の政治的テロリズム(ドイツ赤軍派、イタリアの赤い旅団など)。大衆が資本主義のイデオロギーの泥沼にどっぷりつかった時代には、もはや権威あるイデオロギー批判も有効ではなく、生の〈現実界〉の直接的暴力、つまり、「直接行動」に訴えるよりほかに大衆を目覚めさせる手段はないと考え、そこに賭けた。そして、最後に、精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)。これら三つに共通していたのは、直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避だった。
60年安保闘争から「68年革命」(日本で言うところの新左翼「全共闘運動」)を経た今日、日本の首都東京に現れた旧左翼に並走して登場した反対勢力の象徴は、新自由主義者の元首相・小泉純一郎と、政権奪取前後から、規制緩和を前面に打ち出した(当時)日本新党の党首にして元首相・細川護煕だった。二人はいうまでもなく、ネオリベラリストであり、シジェクが言うリバタリアンにほかならない。彼らはポストモダン資本主義の象徴そのものとして、都知事選に登場したのである。細川はさらに「陶芸家」という“東洋の神秘主義”をまとった政治家として再現したのである。そして、小泉も細川も、「68年革命」の経験者(いま60代半ばの世代)の嗜好である「自由」を体現した、まさにぴったりの、かつ、“直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避”を好む者の象徴的存在にほかならなかった。
首都原発決戦に「細川・小泉」が飛び出してきたのは偶然でもなければ、体制側の深謀遠慮でもない。出るべくして出てきたのである。それは、「68年革命」経験者がいまだに、“具体的な社会、政治的企てから逃避し続けている”ことの帰結である。
だから、ニュートラルな良識的反原発派は予め、この選挙に距離をおいた。2014年東京都知事選は、反原発勢力が二分化した時点で、というよりも、共産、社民が早くに宇都宮を都知事候補とした時点で、終わっていたことを悟っていたからである。その帰結として、低い投票率がある。「決戦」を永遠に持ち越そうとする旧左翼の戦術に翻弄されたまま、大衆の素朴な反原発意識は封じ込まれたことを悟ったからである。だが、それでも、焦燥感を滲ませながら「細川」に賭けた人々もいた。彼らは、おそらくその多くが「68年革命」経験者だったに違いない。その結果、60年安保闘争、「68年革命」、に次ぐ三度目の敗北を経験したに違いない。性懲りもなく悪夢を三度繰り返して見たに違いない。
だから、ニュートラルな良識的反原発派は予め、この選挙に距離をおいた。2014年東京都知事選は、反原発勢力が二分化した時点で、というよりも、共産、社民が早くに宇都宮を都知事候補とした時点で、終わっていたことを悟っていたからである。その帰結として、低い投票率がある。「決戦」を永遠に持ち越そうとする旧左翼の戦術に翻弄されたまま、大衆の素朴な反原発意識は封じ込まれたことを悟ったからである。だが、それでも、焦燥感を滲ませながら「細川」に賭けた人々もいた。彼らは、おそらくその多くが「68年革命」経験者だったに違いない。その結果、60年安保闘争、「68年革命」、に次ぐ三度目の敗北を経験したに違いない。性懲りもなく悪夢を三度繰り返して見たに違いない。
労働者とは産業の進歩に自らの希望を見出す存在
この選挙でもう一つ注視しなければならないのは、連合(労働組合)の桝添支持ではないか。連合を構成する大型組合組織の一つに全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)があり、同組合は3.11以降も原子力推進を公言してはばからない。連合加盟の大手組合は、労使一体、エネルギーは原子力で一致しているから、連合が桝添支持にまわるのは必然だった。
そのことは21世紀の日本特有の話ではない。以下、『生態平和とアナーキ―』(ウルリヒ・リンゼ[著])からの引用である。リンゼはワイマル時代のドイツの労働者の意識について次のように評している。
プロレタリアの雑誌に発表されたオーストリアのシュトゥーバハ発電所(注)についての考察を見ると、この発電所は「現代の労働の、そして現代の人間精神の創造のみごとな作品」であるとほめそやしていることがわかる。プロレタリアは、電気――あらゆる自然力のうちの最強のもの――を、社会主義に道を開くブルジョア社会の爆破薬と見なしていた。すなわち、教養ブルジョア階級の文明批判が主張した反産業的で工業技術を敵視する反近代主義は、労働運動の中では受け入れられる見込みがなかった。
(労働者にとっては、)大規模な工業技術による自然力の利用は、まだ矛盾なく自然保護と調和させることができると思われていた。・・・歴史上の社会主義労働運動は、一方でこの自然開発の持つ自然破壊的な影響には辛抱強く目をつぶっていたのだが、それは・・・この運動が労働者の中に工業技術による自然の統治者を見、そしてこの工業技術がいつか生産の進歩を通じて労働者自身の宿命をも耐え得るものにすることができると考えられていたからである。
ワイマル共和国の政治を中心的に担ったドイツ社民党が指導する労働者が、当時最新の技術で稼働したシュトゥーバハ発電所に労働者の未来を見た如く、2014年、日本の連合に領導された電力総連は、“あらゆる自然力のうちの最強のもの”すなわち原子力発電を日本の労働者の未来を約束する工業技術の進歩だと錯誤して不思議はない。3.11があって福島第一原発事故が収束の見通しのつかないいまに至っても、日本の労働組合にとって原発は、“労働者自身の宿命をも耐え得るものにすることができる”ものと考えられている。
だから、反原発と労働組合運動に交点はない。20世紀初頭のドイツ(ワイマル共和国)に見られたとおり、進歩は労働者の希望であり、“原発という最先端(だという錯誤にすぎないのだが)技術”を労働組合が否定することは難しい。
なにをなすべきか
決戦はこの先、いずれやってくる。安倍政権が戦後日本の国是であった反戦・平和・護憲主義を否定し、臨戦体制を構築しようと突っ走る中、国を二分する政治課題が近いうちにわれわれの頭に降りかかる。おそらくそれは、火の粉のようにやっかいなものとしてだろうが。だからそのとき、体制内補完物として正統左翼の暖簾を守ろうとする旧左翼を封じ込めるような戦線の統一が望まれる。「68年革命」の幻影を追うことなく、大衆・生活者の生活感に沿う運動を構築することが求められる。
決戦はこの先、いずれやってくる。安倍政権が戦後日本の国是であった反戦・平和・護憲主義を否定し、臨戦体制を構築しようと突っ走る中、国を二分する政治課題が近いうちにわれわれの頭に降りかかる。おそらくそれは、火の粉のようにやっかいなものとしてだろうが。だからそのとき、体制内補完物として正統左翼の暖簾を守ろうとする旧左翼を封じ込めるような戦線の統一が望まれる。「68年革命」の幻影を追うことなく、大衆・生活者の生活感に沿う運動を構築することが求められる。
2014年都知事選敗北の総括・反省として肝に銘じなければならないのは、体制側と旧左翼の候補者に対して、ネオリベラリスト・リバタリアンを候補者として担がなければならなかった不条理ではなかったか。その不条理を乗り越える政治的テーマは、旧左翼に対する「新左翼」というアンチテーゼではない。それは「68年」に終わったことではないか。
だから新たな結集の環は、なにをなすべきかというよりも、なにをだれに委ねるか、と言い換えられなければならない。もちろんだれにゆだねるのかと言えば、若い世代に、である。彼らは無意識のうちに「68年革命」が生んだポストモダン資本主義の象徴である新自由主義者を否定するだろう。彼らは、安倍政権(コーポラティズム資本主義)、細川・小泉(ポストモダン資本主義=ネオリベラリスト、リバタリアン)、旧左翼(共産、社民)を超える新たな指導者(像)を見いだすはずである。それがだれであるか、また闘争のテーマがどんな形で現われるかは、まだ具合的に言えないが。(2.17.2014)
注:シュトゥーバハ発電所は水力発電所であって、原子力発電所ではない。
注:シュトゥーバハ発電所は水力発電所であって、原子力発電所ではない。