2014年6月13日金曜日

西村主審の笛がブラジル国家を救ったかもしれない--サッカーW杯開幕

サッカーW杯ブラジル大会が始まった。開幕試合は主催国ブラジルとクロアチア。ネイマールの活躍でブラジルが3-1で勝った。

W杯は「代理戦争」ではない

サッカーW杯が「代理戦争」と言われることがある。日本においては、サッカーを見ない知識人がこの言葉を乱用するので、大衆レベルで浸透してしまっている。しかし、この言い方は20世紀中葉まで通用していた概念であって、いまでは事情が違っている。東西冷戦の時代、中ソが対立しつつ共存していた時代、両陣営のどちらかに属していた国々は、がっちりと固められた構造の中で身動きが取れなくなっていた。そのため、国家の威信、国威発揚の手段としてサッカーを利用した。それが、“W杯は代理戦争”という概念を導きだし、有効的に流通もした。

ソ連崩壊とともに世界は変化した。東西冷戦の固定的枠組みは廃棄され、人々は自由に国境を越えるようになった。新自由主義、自由市場経済が行き渡るに従い、国境を越えてヒト、モノ、カネが移動するようになった。幸か不幸か、第三世界から先進国といわれる豊かな国々にヒトの移動が開始され、先進国に移民が定住し、第二世代、第三世代が誕生した。西欧の場合、その国を代表する選手の「民族」構成は多種多様になった。コーカソイド系民族国家であったイングランド、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ等にも、アフリカ系、トルコ系、アラブ系等の選手が多数を占めるとともに、東欧、バルカン等周辺ヨーロッパの「民族」の祖父、祖父母をもつ選手が混在するようになった。

ドイツ代表ならば、エジルはトルコ移民の子孫だし、フランス代表ならば、すでに引退したがジダンが最も有名な一人であり、今回のW杯の代表に選ばれた選手の多くが、アラブ、アフリカ系である。イングランドはスターリング、ウエルベック、スモーリングと、プレミアリーグで活躍中の選手たちはみなアフリカ系である。イタリア代表にもバロテリというアフリカ系のFWがいる。ベルギー代表のヤヌザイは、ベルギー、イングランド、アルバニアの3か国の代表資格があったといわれる。

このような状況の中、サッカーW杯を利用して国威発揚を図ろうとすることは相当困難である。国家の威信を発露すること、すなわち国威発揚、すなわち「ナショナリズム」は、概ね人種・民族と国家が一つの幻想で結ばれていることで成立する。サッカーの代表選手はすでに脱領域化しており、そのことは民族国家、国民国家、国民経済を過去のものとしている。

サッカーがいちばんうまい国はどこか

サッカーW杯は、ではなぜ、世界中の人々を熱狂させるのか。その回答としては、これもまたよく言われることであるが、W杯とは、“どこの国が、サッカーが一番うまいか”を競うものだと。そのように世界は成熟し、サッカーの楽しみ方として定着しているのだと思いたい。どこの国の代表選手たちも、W杯では「国を背負って戦う」と口にする。この言い方は、表面的にはナショナリズムを体現するように聞こえるが、その中身はサッカーがうまいか下手かという威信=選手たちのプライドに帰着する。たぶんそうであろうし、そうであってほしい。

西村主審の笛がブラジル国内を安定化?

冒頭に記したように、今朝(日本時間)行われたW杯開幕戦は、開催国ブラジルがクロアチアを3-1で撃破した。この勝利は、ブラジル国内の混乱をいったん、平常化することに寄与するだろう。

ところで、この試合の審判団は日本人が務めた。1-1で迎えた後半、主審の西村雄一は、クロアチアのペナルティーエリア内でブラジルのFWフレッジがクロアチアのDFロブレンとの接触で倒れたプレーでDFのファウルをとりPKを宣告した。それをブラジルのネイマールがなんとか決めて、ブラジルが勝ち越しに成功した。

この判定について、世界中から批判が湧き出た。負けたクロアチアはもちろん納得がいかないし、接触プレーに寛容なイングランドプレミア等の欧州リーグの審判らも、西村の誤審と断言しているらしい。TV観戦の筆者がビデオで確認した判断では、あれでPKはないとも思えた。

しかし、これでブラジルに勢いがつき、ブラジルが順調に勝ち進めば、ブラジル国内の治安は安定する。ブラジルがグループリーグで敗退しようものなら、「こんな大会に大金をつぎ込んで・・・」と、ブラジルの混乱という火に油を注ぐ結果になっただろう。西村のPK判定は、本人が意識していたかどうかは別として、政治的にはじゅうぶん意味があった。

ブラジルの混乱の主因はミルトン・フリードマンの経済政策

もちろん、ブラジルの混乱はW杯が主因ではない。ブラジルをはじめとする南米南部地域の政治と経済の不安定化は、ミルトン・フリードマンが主導した新自由主義の結果である。そのことの詳細は、ナオミ・キャンベル著の『ショック・ドクトリン』にある。筆者はナオミ・キャンベルに全面的に同意するので、ブラジル政府が行ってきた政治と経済運営には批判的立場をとる。だが、それを批判し、抵抗する手段として、W杯を人質にとることには賛成しかねる。W杯をとりまく世界の状況が成熟化と非政治化に向かっている流れを阻害したくないからである。W杯や五輪といった大規模スポーツイベントの開催がその国の経済運営と直結していることは承知の上で、敢えてスポーツ(文化)と政治を分離したい。そのほうが、混乱の根本的解決のための遠そうで近い道である、と信じているから。