2014年10月5日日曜日

テレビ映画『ヒットラー』

昨日偶然だが、CATVでTV映画『ヒットラー』(原題:Hitler: The Rise of Evil、2003年、カナダ・CBCとアメリカ合衆国・CBSの制作)を見た。このTV映画がどこまでヒットラー及びナチズムの真実を伝えるものなのかは検証できないものの、事実だと仮定したうえで現代日本の情況と突き合わせてみると、今日の日本の危機が見えてきた。日本がファシズム到来に差し掛かっている現実に改めて驚愕した。

ヒットラーの演説はヘイト・スピーチで始まった

第一次大戦に従軍して負傷してドイツに戻ったヒットラー。彼が最初に接触した政治団体がドイツ労働者党であった。同党は後年、ヒットラーが党首に就任し国家社会主義ドイツ労働者党(以下「ナチ党」と略記)に改名された。ヒットラーが入党した当時、同党は数十人の愛国主義者党員で構成されていたにすぎなかった。

ヒットラーが同党の集会で最初に行った演説が、いまで言うところの“ヘイト・スピーチ”。演説といっても、小さなビアホールで開かれたもので、聴衆も十数人程度のものだったのだが。そこでヒットラーはドイツの純潔とユダヤ人及びユダヤ人に操られたとする共産主義者、社会主義者、社民主義者の排斥を訴えた。

ヒットラーの演説会は回を重ねていくうちに聴衆を集め、支持者を増やしていく。演説の内容はともかく、その訴求力は尋常でなく、彼は政治家として存在感を増していく。ヒットラーの排外主義と愛国主義は、敗戦とベルサイユ条約の巨額補償で疲弊したドイツ経済の下で呻吟する労働者、若者といった底辺層と、ドイツ経済の復興利権を独占しようと企む富裕層(ブルジュアジー)の支持を集めた。経済的に相反する底辺層と富裕層がヒットラーを支持したということは、日本の安倍政権(アベノミクス)が底辺層と富裕層に支持されている実態と重なり合う。

ヒットラーに抵抗した新聞人は収容所で処刑された

ヒットラーの台頭に危機を覚える知識人、言論人は少なくなかった。映画ではヒットラーに生命をかけて抵抗した新聞人(フリッツ・ゲルリッヒ)が主役である。ゲルリッヒはヒットラーが石油利権で英国と通じていたスキャンダルを暴いたところでナチ党に強制収容所に送られ、処刑される。

また、ヒットラーが反逆罪で収監されていたときに執筆した自伝『わが闘争』は、ヒットラーの台頭に利権を求めて近づいた穏健派出版人が請負わされる。ヒットラーに近づきすぎ、その狂気に危険を察した出版人は、妻をヒットラーに奪われ、英国に脱出する。ヒットラーが言論界、出版界をコントロールしていく様子は鬼気迫るものがある。

今日の日本では朝日新聞が「従軍慰安婦誤報問題」で謝罪をし、安倍政権にひれ伏した。併せて、朝日新聞OBの大学人が就職先の大学を追われる大事件が起きているが、メディアはその危機を伝えようとしない。右翼系週刊誌・月刊誌が排外主義を喧伝し、書店も排外主義者の著作物であふれている。TVメディアは事実上、安倍批判を自粛している。

メディア業界にあっては、公共放送の責任者は排外主義者が安部政権の意向で就任した。大手広告代理店は安倍政権の利益を代表する編成をTV局に強いている。新聞メディアの社主は安倍政権に従順な者で占められ、批判記事は掲載しない。右翼系出版社は「左翼叩き」「赤狩り」に地道を上げ、朝日新聞を血祭りに上げていて、そこを地盤にした排外主義的「知識人」が戦前の日本帝国主義を賛美し、嫌韓、嫌中を煽っている。産業界は大企業優遇政策実現のために、無批判的に安倍政権に大規模な政治資金を提供することを決めている。

全権委任法で憲法、議会を無力化

ヒットラーの権力奪取の過程は、順風満帆ではなかった。反逆罪で短期だが収監されたこともあった。また、議会、憲法、大統領(ヒンデンブルク)に代表される伝統的権力とも衝突を繰り返した。盟友関係にあった突撃隊との内ゲバ(粛清)も経験している。ヒットラーはその都度、陰謀(国会議事堂放火事件等)、議場退出による議会麻痺戦術等を駆使し、決められない政治(=議会)の無力を国民に訴求しつつ、「全権委任法」を国会で承認させたところで映画は終わる。ヒットラーの「全権委任法」は、憲法を無視し議会の議論を経ずに閣議決定で政策を進める安倍政権の政治手法と近似する。

ヘイト・スピーチ、排外主義、言論弾圧、陰謀・謀略、憲法・議会の無視(全権委任法)等と並べてみると、いまの日本がワイマル共和国下のヒットラーの政治手法を繰り返していることに気づく。また、ナチスの台頭とシンクロしてドイツの野党勢力が衰退していくことも同じような現象だ。

表は合法、裏は非合法の安部政権の二重の顔

だが、ヒットラーと安倍政権はまるで同じというわけではない。安倍は民主党政権の自壊から合法的に政権をとっている。民主党政権をワイマル共和国にアナロジーする見方もないわけではないが、ヒットラーのように暴力的に血みどろの権力闘争を繰り広げて権力奪取をしたわけではない。そこが違いであり、それゆえの怖さなのだ。

一見して民主的、合法的、非暴力的ファシズムであり、自身に熱狂的支持を伴わない、静的なファシズム支配の進行だ。しかし裏側では、ネットメディアにより周知された事実として、安倍及び現政権の中枢は排外主義勢力と地下水脈で親密な関係がある。合法領域では、安倍政権を支持する野党の一部には排外主義者、植民地主義者、軍国主義者が結集して、外側から安倍政権を支えようとしている。

日本が敗戦を犠牲にして獲得した平和主義と民主主義は、いま大きな危機にある。