2015年8月11日火曜日

東京五輪公式エンブレム盗作の根拠

2020年東京五輪の公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴの盗作であると、ベルギーのデザイナーから抗議が出された。JOC、大会組織委員会などは「問題ない」との見解を示したものの、劇場ロゴのデザイナー側は使用停止を求め、強硬な姿勢を取っている。このことを受け、制作者のアートディレクター、佐野研二郎(43)は、会見を開き、盗作を否定した。

佐野の会見のポイントは以下のとおり。

  • 東京の「T」を模した五輪エンブレムの図案を作るにあたり、「ディド」と「ボドニ」と呼ばれるフォント(書体)を参考にしたこと。
  • 「力強さと繊細さが両立している書体で、このニュアンスを生かせないかと発想が始まった」とし、これに1964年東京大会のエンブレムをイメージさせる大きな円を組み合わせたのが、今回のデザインだとしたこと。
  • ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。
  • 「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説したこと。
  • エンブレムを構成する丸や四角などの図形を組み合わせると、AからZまでのアルファベットや数字が表現できることを公表し、五輪関連グッズなどへの応用性の高さをアピールし、海外作品については全く知らないとしたこと。
  • 「制作時に参考にしたことはありません」と断言したこと。

佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。

商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。

本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。

佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。

第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。




この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――

なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。

会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。