「アーミテージ・レポート」と安保法制
本書を読み始めてすぐに頭をよぎったのが、2012年8月に発表された「第3次アーミテージ・レポート」だった。このレポートはジャパン・ハンドラー(米国の対日政策に大きな影響力をもつ知日派知識人)として知られる、アーミテージ(Richard L. Armitage)、ナイ( Joseph S. Nye)によってまとめられたもの。発表時は、3.11発生からそんなに時間はたっていない。
震災直後、日本のマスメディアが米軍による支援活動「トモダチ作戦」を大々的に報道していた。同レポートはこの作戦をとりあげ、日米の今後の在り方を象徴する「作戦」と称賛していた。同作戦が被災地にどれほどの支援になったかはわからないが、ともかく、米軍のPR臭を強く感じたことを覚えている。
同レポートの柱は以下のとおり。
(1)原発推進
(2)日韓関係の安定化
(3)TPP推進
(4)日本の集団的防衛の禁止に関する改変
同レポート発表後、日本政府(安倍政権)はこれらの柱に基づき、関連諸政策を策定、推進、法制化した。前出のとおり、日本が大震災にみまわれた直後、米軍は「トモダチ作戦」を展開して日米の「絆」をPRしたように見えたのだが、それが日本の安保法制(集団的自衛権行使容認)の露払い的示威行動だったことを知った。日本が危ないときは米国が助け、米国が危ないときは日本が助けると。「トモダチ作戦」は日本国民に対する印象操作だった可能性もある。
それだけではない。同レポート発表後の日本政府の対応は奇異なものがあった。とりわけ安保法制は憲法改正にかかわる大問題。憲法改正は時間がかかるし、民意に反する。しかしながら安倍政権はそれを解釈改憲で押しきった。大多数の憲法学者が「違憲」と発言しながら、あっというまに法制化してしまったのだ。
米軍に日本が従属する法的根拠とシステム
いったいなぜ、ジャパン・ハンドラーとよばれる民間人(元軍人と国際政治学者)になるレポートが日本政府の政策を決定づけてしまうのか、日本政府と彼らの関係はどのようなものなのか。もしかしたら、日米間には、米国(軍)主導で日本の政策を決定できるシステムがあるのではないか。その決定システムは、両国政府間において法的に担保されているのではないか。
本書は筆者が抱いていた素朴な疑問に極めて適正に答えてくれた。前作『日本はなぜ、「基地と原発」を止められないのか』(以下「前作」と略記)につぐ労作だ。読後、毒が回って無力感にとらわれる。日本(人)にとって、日米間の絶望的なシステムの存在を知り、虚脱感にさいなまれる。戦後70年余り、日本は米国(軍)に完全に隷属し、コントロールされてきたことがわかる。1945年の日本の敗戦時から今日まで、米軍主導のシステムが日本の深部にしっかりとビルトインされていたのだ。
朝鮮戦争と米国の対日政策の大転換
日本の無条件降伏後のいわゆる米国による戦後処理は、朝鮮戦争(1950-53)前と後で、大転換をとげた。〈1945-49〉までは日本の武装解除及び戦争犯罪人追及、平和国家への改変に力点が置かれた。GHQは、東京裁判(1946-48)、天皇の人間宣言(1946)、平和憲法(1947施行)等の施策を矢継ぎ早に実行し、日本を二度と戦争ができない国にするための大改造が試みられた。
ところが、冷戦の深刻化と朝鮮半島の緊張化を契機として、GHQは対日姿勢を180度転換する。朝鮮戦争勃発とともに、それまでの「日本平和国家構想」を放棄し、日本を戦争の兵站拠点として位置づけるとともに、日本人の警察予備隊7万5千人を急きょ徴兵する。警察予備隊創設の目的は、朝鮮に派兵して空になった米軍基地の防衛だ。そればかりか、海上保安庁職員を8千人増員し、海上保安庁掃海艇部隊が朝鮮における米軍の軍事行動に友軍として参加したという(本書P203)。日本国憲法は施行後わずか3年にして、その実効性を喪失した。
日本はサンフランシスコ講和条約(1951年調印)によって、連合軍の占領が終了し、主権を回復したと、日本の教科書にはある。ところが、講和条約と抱き合わせで、日米安保条約、日米行政協定が締結され、かつ、日米の首脳及び行政官どうしによる密約によって、米国(軍)は日本にある米軍基地の永年自由使用権を手に入れるとともに、のちに警察予備隊から軍隊と化した自衛隊の指揮権も確保したという。在日(=極東)米軍の利権の貫徹だ。この間の日米間の交渉過程等については、本書に詳しい。
米軍の意思を日本で実現するシステム=日米合同委員会
ここで再び安保法制だ。集団的自衛権の行使容認とは、米軍の戦争に自衛隊が米軍の指揮の下、参戦すること。もちろん、日本にある米軍基地は米軍が放棄しない限り永遠に日本には戻らない。その最先端に位置するのが沖縄――普天間であり辺野古であり高江…だ。
米軍の意思を日本政府が無条件で受け入れるための、日本国民にとって絶望的な「システム」とは、著者が前書でもふれていた、「日米合同委員会」。同委員会の米側の出席者は、米側代表=在日米軍司令部副司令官、代表代理=在日米大使館公使。以下出席者=在日米軍司令部第五部長、同陸軍司令部参謀長、同空軍司令部副司令官、同海軍司令部参謀長、同海兵隊基地司令部参謀長。日本側の出席者は、日本側代表=外務省北米局長、代表代理=法務省大臣官房長。以下出席者=農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官。そして、その下に35ある部会で構成されている。(詳細は本書33P)
著者はこう指摘する――
…おかしいですよね。どんな国でも外務官僚が協議するのは、相手国の外務官僚のはずです。そして外務官僚どうしが合意した内容は、もちろん軍の司令官の行動を規制する。これが「シビリアン・コントロール」と呼ばれる民主主義国家の大原則なはずです。(略)
この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシステムになっているとところなのです(P36-37)
これが「日本の実像」なのか。おそらく安保法制は、軍の利益を代表するジャパン・ハンドラーの手によって、「アーミテージ・レポート」という風船が上げられ(世に出て)、日米合同委員会において、米軍と日本の行政機関の専門家の手によって、日本の法体系の中に落とし込まれ(法制化され)、安倍政権によって閣議決定され、国会を通過したのではないか。
安保法制は米軍のためのもの
安保法制はいまから66年前、米軍の要請により、在日米軍基地防衛のために警察予備隊が創設されたごとく、米軍の戦争遂行の兵力の穴埋めのためだ。米軍の「テロとの戦い」は泥沼化している。この戦いに必要な武器、兵員、物資を米軍単独では賄いきれない状況にある。そこで自衛隊だ。自衛隊は世界的に見て、米軍の指揮権が可能で、かつ、強力な軍隊の一つ。その存在は韓国軍に次ぐ。しかも前出のとおり、他国の軍隊でありながら、米国(軍)が法的にも軍事的にも、ほぼ完璧にコントロールできる。
日本国憲法を真剣に問わなければ、米軍従属が続くだけ
日本国民の総意として、憲法9条2項を改正することが現実的だというのならば、それもあり得る。自衛のための武力保持を現憲法に加筆するという選択もあるかもしれない。そのことと引き換えに、在日米軍基地、横田空域、米軍関連施設の返還という選択肢も外交課題となろう。
だが、米軍の戦争継続のために憲法の空洞・空文化が加速し、自衛隊が米軍の指揮下で戦争をすることは耐えられない。それは、ローマ帝国に征服された被支配民が、ローマの軍人となって、ローマの新たな征服に駆り出される姿と同じもの。ローマ帝国=米国(軍)の戦争に追随するのか、新しい道を選ぶのか――いよいよ、国民一人一人が選択しなければならなくなった。