2016年8月12日金曜日

『21世紀の戦争と平和 きみが知るべき日米関係の真実』

●孫崎享〔著〕 ●徳間書店(Yahoo!ブックストア)●1400円+税

冷戦後、米国が準備した「新しい戦争の時代」

冷戦後、世界はどう変わったのか――という基本的認識から、いまの世界と日本を考える必要がある。冷戦が終わり、いわゆる共産主義勢力が退場したのだから、世界平和の時代が到来した――わけではない。米国は冷戦終結後、すなわち平和な時代が構築できるという選択肢をもちながらそれを手放し、冷戦に代わる「新たな戦争の時代」の準備にとりかかった。

「悪の枢軸」「自由と民主主義を守る戦い」「テロとの戦い」・・・美辞麗句に彩られた米国が掲げた戦争スローガン。日本はその流れに徐々に巻き込まれ、いまや日本は、“戦争のできる国”にまでその姿を変えてしまった。米国とそれに追随する日本国内の勢力にとって、いまはその総仕上げの段階にある。本書はそれに抗す小石ほどの投擲にすぎないかもしれないがしかし、その流れを止める可能性を秘めている。その意味で、本書は国際情勢、日米関係、防衛問題等を考えるうえで必読の書だといえる。理由は後述する。

今日、米国の戦争に巻き込まれてゆく日本(人)の姿形は、いまから75年ほど前、米国との無謀な戦争(アジア太平洋戦争)に突入したころの姿形に近い。米国により操作された国際情勢分析、それを受け入れて訳知り顔でTV解説する日本人の御用学者、自称ジャーナリストら。彼らにかかれば、ナイーブ(うぶ)な日本国民の洗脳は難しいことではない。日本が集団的自衛権行使容認を合憲として立法化したのは、米国の働きかけを受け入れた、それら日本国内の諸勢力の骨折りの結果でもある。

「米国の核の傘、米軍の抑止力=平和」という思考停止

日本の防衛に係る言説は、原発安全神話に酷似している。原発は事故を起こさないという思考停止と、米国の核の傘、米軍の抑止力により日本は守られているという思考停止。両者は相似形をなしている。敗戦から70年余り、日本国憲法、日米関係、日本の外交防衛問題、核武装等の最重要課題については、日本ではまともに議論することが避けられてきた。なぜか。それにふれれば、ふれたほうが選挙に負けるからだ。本年(2016)行われた参議院選挙においても与党は改憲を視野に入れながら、アベノミックス(経済)を選挙の争点に絞ってそれを避け、マスメディアも追及を避けた。しかし日米間の秘密裏の合意に基づき、内外のメディア、アカデミズム、シンクタンク…らが流す情報により、日本はじょじょに姿を変えつつある。

神話にしたまま触れなければ波風が起きない。日本の外交防衛は米国の指示どおり。憲法改正はしないで解釈改憲すればいい。それが与党の唯一の「戦略」であり、野党もそれに対抗できない。原発は3.11によって、その神話が崩壊したものの、政府とマスメディアが共同でそれを“なかったこと”にしようと謀っている。歴史修正主義。9条が代表するた日本人の反戦・平和主義はいま、日本人の意識から消去させられようとしている。

米国人の防衛意識と強迫観念

『レッドドーン』(原題:Red Dawn/2012年公開/ダン・ブラッドリー監督/カール・エルスワール脚色)という米国映画がある。この映画は1984年公開された『若き勇者たち(原題:Red Dawn)』のリメークだ。アメリカが共産主義国(北朝鮮)に突如占領される。占領軍に抵抗するため、海兵隊を除隊して故郷に帰っていた兄をリーダーにして、若い兄弟とその友人たちが占領者に抵抗ゲリラ戦を展開するという荒唐無稽の物語。

なぜこんなB級映画が2度も映画化されたのか。それはそのときの米国の情況に求められる。最初の映画化は1980年代初頭、レーガン政権下の冷戦末期、83年にはレーガンが「悪の帝国発言」を行っている。同年には大韓航空機撃墜事件を筆頭に、凶悪なテロ事件が多発していた。そしてリメーク公開された2012年といえば、第二次イラク戦争が終わったばかりのころ。その前前年、オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言している。

どちらも米国にとってきな臭い、戦争が身近な情況において、同映画は公開されている。筋書きは、前出のとおり米国本土が敵対する共産主義勢力に突如、侵略されるというもの。そこに、米国人の強迫観念が滲んでいるように思える。米国人には、いつかだれかに侵略されるという恐怖が潜在しているように感じる。

米国はいうまでもなく、大西洋を渡ってきたヨーロッパ移民が開拓した国。彼らは先住民にとって侵略者であり、その一方、英国との独立戦争では敵(英国軍)は大西洋を越えてやってきた。侵略者でありながら、侵略される側でもあった米国人の原体験は、“いずれ侵略される”という恐怖となって、米国人に潜在しているのではないか。「やられる前にやれ」となる。いま米国国内で多発している警官による黒人無差別射殺事件の原因の説明にも、彼らが潜在的恐怖からいまだ解放されていないという理由づけが有効かもしれない。

米国の安全保障の地勢的要諦

米国における安全保障の地勢的要諦を大雑把に見ておこう。防衛ラインは、(1)米国東=北大西洋、(2)同西=(米国にとっての)西太平洋、南は、(3)メキシコ国境、(4)キューバを臨むフロリダ湾、(5)北=ロシアと接するベーリング海、(6)米国の中東地域の飛び地=イスラエル周囲=エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、サウジアラビアであり、この地域がもっとも不安定。

(1)の防衛体制はNATO。冷戦時代はソ連圏と対峙。現在はロシアに代わっている。(2)は中国、北朝鮮の西進を阻む目的で、韓国、日本、東南アジア諸国が中国北朝鮮に対する「蓋」の役割を担っている。75年前、日本の西進により、米国はハワイ真珠湾を攻撃された経験を持っている。(3)(4)はキューバ革命(1953-1959)以降、ゲバラによる革命輸出と、南中米に社会主義政権国家が誕生した1970年代が米国にとって最も不安定な時期となっていた。米国はゲバラを殺害し、CIAを使って軍事クーデターを起こし、親米(軍事)政権を樹立させ、安定化を図った。

日米関係と中国

さて、日米関係である。日米関係はいうまでもなく、米国における(2)の防衛ラインに属す。米国の脅威は、中国-日本の親密な関係構築にある。最悪のシナリオは日中が共同で米国と敵対し、戦争になること。だがそうはならない。その説明については本書に詳しい。

米国にとって現実的な脅威とは、日本~中国・北朝鮮が互いに敵対せず、安定すること。そうなれば、日本、韓国、台湾はもとより、北東アジア、東南アジアが安定し、米軍は存在意義を失う。その結果、米国の武器輸出は漸次低減する。米国にとって日本に親中国政権ができることは、なにがなんでも避けたいところ。いま現在、日中間における尖閣列島を巡る緊張は、日本がそれまで中国と合意していた「棚上げ」を無視して国有化を図ったことに起因する。このことの詳細も本書にある。それだけではない。日本の政治家のなかで中国と親和的関係を築いた者の多くが、「政治とカネ」等のスキャンダルで失脚している。

2度のイラク戦争は米国による侵略戦争

第一次及び第二次イラク戦争については、米国によるイラク侵攻の正当性がなかったことが今日わかっている。しかし、日本では前者における130億ドルの資金協力の評価すら正確でなく、後者における自衛隊イラク派兵の是非すら論じられることがない。それどころか、米国側による戦闘協力の要請に従おうとしている。それが、集団的自衛権行使容認の経験的根拠にすらなっている。その経緯についても本書に詳しい。

日本の外交防衛路線はすべからく米国の指示に基づく

本書が提供する日米の関係に関する情報を読み通したうえで総じていえるのは、戦後の日本の外交防衛路線は、すべからく米国の要請(命令?圧力?)に従っているという事実。敗戦(1945)による武装解除、以降(1947~)、開始された再軍備、日米安全保障条約締結、基地提供、地位協定、米国製武器輸入、原発建設、イラク派兵、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認(安保法制)に至るまで、日本は米国(軍)に引っ張られてきた、という事実が確認できる。

「1%」のための戦争

日本のみならず世界中を紛争の渦に巻き込む米国(軍)の原動力はなにかといえば、米国における“産軍共同体”の存在。世界中が平和になって戦争がなくなってしまえば、米国(軍)の経済は立ち行かなくなる。米国の軍需産業がだめになるだけではなく、金融、商業、運輸、IT…すべてがだめになる。とはいっても、それは米国が特別でなくなるだけのこと。もっといえば、米国の“1%”がだめになるにすぎないのだが――

本書は著者(孫崎享)の専門とする外交防衛に特化した日米関係の書。だが現実には、経済、メディア、文化、学界等々の各分野において、米国による日本への圧力が認められるはずだ。だから、日本国内の米国追従者の動向にも目を光らせておく必要がある。彼らは米国の指示に忠実に反応しているはずだから。

テレビに代表されるマスメディアは、既に米国とそれに従属する側の手にある。それだけに、心配なのが著者(孫崎享)の身辺だ。日米関係のタブーに触れた者に多くの不審死が出ていること。そうでなくとも、万一孫崎に何か起きた後、彼の仕事を引き継ぐ勇気ある人材はいるのだろうか。