●堤未果〔著〕 ●角川新書(Yahoo!ブックストア) ●800円+税
政府の嘘が常態化する今日の状況
政府が嘘をつくことはいまに始まったことではない。たとえば、1940年代の日本。アジア太平洋戦争末期、日本軍の敗色が濃厚となった時点においても、日本帝国軍の戦勝報道が「大本営発表」の下、続けられていた。当時の日本国民は(TVはなかったものの)、大新聞、ラジオ、雑誌、ニュース映像による偽の「戦勝シーン」を見聞きすることによって、戦争勝利を確信していた。都合の悪い事実を隠したい政府、その政府に屈服し従属するメディア、信じたいものを信じる国民――という三者の構造的関係は、戦争から70年以上が経過した今日の日本において変化ない。
いや、変化ないどころか、状況はより深刻度を増している。今日の政府の嘘は、戦時、非常時下におけるものではない。言論の自由、表現の自由、基本的人権が憲法によって保障され、ジャーナリストが自由に取材、執筆することができるはずの世の中において、マスメディアから出てくる情報が、政府によって“検閲済”なものばかりか、隠蔽、操作されることが常態化しているという意味において、より深刻化している。国民は先の戦時下から何も学ばず、マスメディアは「大本営発表」を教訓とせず、戦後70年余りにわたり、政府の嘘を許容し続けている。
そればかりではない。政府による嘘の技術向上、巧妙さ、その連続性と増大という傾向は、政府が国民にとって不利益な体制の構築を着々と準備している予兆だと換言できる。本書は、政府~マスメディアが共同して国民に情報を隠すことの危うさを読者(=国民)に伝えなければという強い使命感に貫かれている。その意味において、著者(堤未果)は、まことに稀有なジャーナリストの一人だといえよう。
世界規模で常態化する嘘
政府の嘘はもちろん、日本に限定されていない。情報隠蔽、情報操作をモデル化したのはナチスドイツかもしれないが、米国によって、より緻密に方法化されたと思われる。前出の日本が負けた戦争の末期、広島、長崎に投下された原子爆弾二発も米国政府の嘘に依っている。当時、米軍幹部は原爆投下がなくとも日本は無条件降伏すると確信していたという。ところが原爆を投下したいトルーマン大統領(当時)らは、“上陸作戦が敢行されれば、多数の米軍兵士が犠牲になる”という嘘情報を流し、原爆投下を正当化した。その結果、広島、長崎の一般市民が大量虐殺された。
今日のアラブ世界の危機的状況も嘘が招いた
9.11をはさんで二度にわたった対イラク戦争、アフガン侵攻、リビア侵攻、シリア内戦、エジプト政変等にアメリカが関わっていたことは明白だ。介入の表向きの看板は「反独裁」「自由と民主主義を守る」「対テロ戦争」といったもの。イラクが保有しているはずの大量殺戮兵器は第二次イラク戦争後、存在しなかったことが判明した。米国のイラク侵攻は「嘘」を大義として敢行されたのだが、そのことを咎める国際世論は存在しないに等しい。日本はイラクに自衛隊を派遣したのだが、それが米国の嘘によるものだったことの反省・検証を促す政治勢力も日本に存在しないに等しい。
リビアの指導者・カダフィ大佐については、「アラブの狂犬」「非情な独裁者」というレッテルが米国及びその追随勢力によって貼られた。「リビア国民に対し非情な弾圧を行っている」というのも彼らのでっち上げ。カダフィは豊富な地下資源を背景にして、国内的には国民にやさしい福祉国家をつくりあげるとともに、対外的には大量に保有していた金を原資に、アフリカ・アラブ統一通貨「ディナ」の発行を計画していたことがわかっている。ドル・ユーロの価値低下をおそれた西側が、カダフィ暗殺を企てた。シリアのアサド大統領もカダフィの場合に酷似している。
エジプトでは「アラブの春」の直後、ムスリム同胞団主導のムルシー政権が成立したが、米国に支援された軍部中心のクーデターがおこり、シーシー政権が成立。そのとき、米国は「ムスリム同胞団はテロ組織支援政党だ」というキャンペーンをはった。シーシー政権によってムスリム同胞団はいまなお、弾圧を受けている。
イラク、シリア、リビア、エジプトといった、アラブの安定国家が米国等によって侵略される背景には、アラブをアメリカ化したいイスラエル・アメリカ両国の思惑が働いている。その第一は、イスラエルの安全保障。アラブ各国が安定して成長を続けることはイスラエルにとって最大の危機の到来という認識。アラブ各国が崩壊し、国力を低下すればするだけ、イスラエルの安全が高まると。
戦争は米国の主力産業
その第二は米国の戦争願望。戦争こそが米国の経済成長戦略だからだ。武器輸出はもちろんだが、産軍複合体による開発武器の実験場、戦争の民営化、セキュリティーシステムの販売(イスラエルの輸出主力商品はセキュリティーシステムである)…内戦状態のアラブ各国において、死の商人が暗躍する。その副産物がテロ集団ISであることに異論はあるまい。
原発報道は嘘のかたまり
最近の日本政府による積極的な嘘といえば、原発事故に係るもの。事故前は原発の「安全神話」という嘘が報道され、事故直後(菅政権)から終息宣言(野田政権)までの事故の実態についての嘘は、民主党政権下においてだった。以降、今日までの嘘は自公アベ政権によるもの。最近では、アベの「アンダーコントロール」が耳から離れない。「原子力村」は国家(行政)・産業・メディア・学界が複合化したコーポラティズムの典型にほかならない。
TPPは情報隠蔽
経済分野ではTPP。その内容はもちろん、交渉過程まで一切、情報開示されていない。著者(堤未果)が繰り返し警鐘を発するISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項。Investor State Dispute Settlement)や医療・保険(国民健康保険)分野において予想されるリスクについて、日本のマスメディアは政府の嘘しか報道しない。
こうした傾向は日本だけではない。先進国の新聞・テレビ等、いわゆるマスコミはすべからく、投資会社やメディア事業者に買収されている。“ジャーナリズム”は既に死後である。日本のマスメディアは新聞社系に系列化されているが、株主構成をみると外資が過半を占めるという。日本のマスメディアは自らを「ジャーナリズム」、その従事者を「ジャーナリスト」と僭称するが、これも立派な嘘。彼らはメディア事業者、メディア事業従業者にすぎない。彼らが流す「情報」は政府及びスポンサーの主意に沿っているものばかり。
嘘の根源はコーポラティズム
著者(堤未果)は政府の嘘が常態化する主因をコーポラティズムに求める。コーポラティズムとは大企業(グローバル企業)が政府と一体化して、企業利益を追求するシステム(体制)のことだ。政府の政策は国民のためと謳われながら、実は企業の利益追求を手段化したものという具合だ。
近年の日本におけるわかりやすい事例は、国民総背番号制(マイナンバー)だろう。マイナンバーが立法化される前、マスメディアは海外先進国では当たり前――といった報道をしたが、海外では事故続きで、どこも行き詰まり状態だという。マイナンバーはだれのためかといえば、大手の通信事業者、ソフトウエア会社、プロバイダー等のIT企業だ。政府は彼らに対し、予算(税金)から莫大な事業費を支払ったばかりか、ほぼ永遠にかつ定期的に維持費、運営費、メンテナンス費用を支払い続ける。国民がマイナンバーから受ける恩恵はいまのところ皆無に近いし、将来的にないに等しいだろう。
TPPはアメリカ政府を使ったグローバル企業による市場開拓であり、グローバル企業がより自由に企業活動を展開するため、各国に具備された法律、規制等を無効化することが目的だ。たとえば、日本の地方自治体が地元産業に助成する制度をもっていたとしよう。TPP加盟国は、日本の地方自治体が行う助成制度について、フェアトレードを阻害するとクレームをつけることができる。TPPが発効すれば、助成を受けてなんとかやっている日本の地場産業、中小企業、農業等は壊滅する。
国家はどうあるべきかが重要
その背景には、新自由主義があり市場原理主義がある。ただ、剥き出しの新自由主義をいま現在、瀬戸際で阻んでいるのも国家にほかならない。資本主義国家群がロシア革命以降誕生した社会主義国家群(スターリン主義国家群もしくは阻害された労働者国家群)に対抗するため、労働者を保護し、市場の無秩序を経済政策でコントロールしようとした遺産(社会民主主義)が、西欧、日本にはまだ残っているからだ。福祉国家という概念もその一つだ。それらを規制緩和という名目で一掃しようと図るのが構造改革主義。構造改革を掲げる政治集団には注意を要する。
国家の支援を受けて世界中に吹き荒れるコーポラティズムの暴力から国民を守ることができるのは、実は自国政府(=国家)しかない。国家をどうするのかについては、国民が決めなければいけない。そのためには国家を制御する憲法をどうするかを考えなければいけない。
日本版『デモクラシー・ナウ!』を立ち上げよ
政府は嘘をつく。しかも政府の嘘は、メディアを媒介にして国民に伝えられる。ならば、国民が信頼できる新しいメディアをつくりあげることが急務となる。たとえば筆者の数少ない情報からえられるイメージとしては、米国で立ち上げられた、『デモクラシー・ナウ!』(Democracy Now!)のようなものだ。著者(堤未果)はエイミー・グッドマンになれるだろうか。