2022年5月31日火曜日

『新編 現代の君主』

 ●アントニオ・グラムシ〔著〕●上村忠男〔編訳〕●ちくま学芸文庫●1500円+税 

 本書は、イタリアのマルクス主義者、アントニオ・グラムシ(1891-1937)が、ムッソリーニ(ファシズム政権)により投獄されているあいだ、獄中にて書き残した「ノート」を集成したものである。
 グラムシが投獄されたのは1926年、ロシア革命から10年も経過していない。共産主義革命の勢いがヨーロッパを西進する中、革命後のソ連の動向、就中、レーニン亡き後におけるソ連の革命戦略定立をめぐる混迷を反映した言説も見受けられ、全編、緊張感にあふれている。〔後述〕
 本書に集成されたグラムシの記述の大部は、イタリア・マルクス主義研究の先駆者である、ラブリオーラ、クローチェ、ジェンティーレ及びフランスの革命的サンディカリスト、ソレルの言説を踏まえ、主に彼らに対する批判から持論を展開する構成になっている。そのため、彼らの思想を理解していないとわかりにくいのだが、本書の編訳者であり、巻末解説の執筆者である上村忠男の補足・訳注・解説が浅学の筆者には助けになった。それなくして本書の理解は不可能であった。
 なお、本題は〝現代の君主″であるが、 テーマは多岐にわたり、全編が君主論で貫通しているわけではない。よって、筆者が関心を示した部分に絞ってその感想とした。

人間とはなにか 

 Ⅰ章における「人間とはなにか」「構造と上部構造―その歴史的ブロック」「哲学・宗教・常識・政治」が本書のガイストである。その冒頭は文字通り、人間とはなにか、ではじまっている。グラムシの回答は以下の通り。

「人間の本性」とは「社会的諸関係の総体」であるというのが、かくては最も満足のできる答えである。なぜなら、この答えは、生成の観念、人間は生成する存在であって、社会的諸関係の変化に応じてたえず変化していくという観念をふくんでいるからであり、「人間一般」なるものを否定しているからである。じじつ、社会的諸関係は相手をたがいに前提しあっているさまざまな人間集団によって表現される。そして、その統一性は、弁証法的なものであって、形式的なものではない。(P21) 

 この回答はマルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』そのものである。そして、《まさしく歴史に「生成」という意味があたえられ、それが、統一性から出発することはしないが、それ自体のうちに可能な統一性の根拠をもっている「不一致の一致」というように把握されるならば、人間の本性は「歴史」である(そして、この意味において歴史イコール精神であるとすれば、人間の本性は精神である)ということもできる。だから「人間の本性」は個別的な人間のうちにはだれのうちにもみいだすことはできず、人間の歴史全体のうちにみいだすことができるのであって(したがって、「類」という語がもちいられることには、この語自体は自然主義的性格のものであるが、それなりの意味がある)》と続く。 

構造と上部構造 

 この単元を読む前に、マルクスの『経済学批判』の 序言(以下「序言」という)を頭に入れておくことが必要である。 

〔A〕人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
(略)
〔B〕社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が徐々にせよ、急激にせよ、くつがえる。
 このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常にくべつしなければならない。
(略)
〔C〕一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。 

(岩波文庫『マルクス経済学批判』/武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦〔訳〕。便宜上、抜き出し箇所を順にABCの符号を付した。) 

 マルクスのこの言説は、とりわけ20世紀における日本のマルクス主義運動において多くの論争を巻き起こしたし、革命的左翼各派における路線の違いを生じさせる主因ともなった。
 たとえば〔A〕については、上部構造は構造に規定されるのであるから、資本主義システムにおける文化・芸術は反革命的であり、その価値を一切認めないという、ブルジョア文化否定を党是とする党派を存在せしめた。同様に、プロレタリア革命(政治=上部構造)は経済=構造により規定されるという思い込みにより、経済決定論がうまれた。
 また〔B〕については、資本主義システムはいずれ矛盾をきたし、上部構造である政治、宗教、芸術、哲学は破綻するのだから、政治的変革はその危機におよんで画策することが正しい選択であるという、危機論型革命論をうんだ。
 〔C〕についても同様に、資本主義システムが終了する、つまり革命の時期は、物質的諸条件が現存しているか、それができはじめている場合にかぎって発生するということを根拠にして「待機論」をうんだ。
 グラムシはどのように「序言」を読んだのであろうか。グラムシはまずもって、《人間はイデオロギーの場において構造の諸矛盾を意識する》と解し、認識論的な意義をもつ主張だと、そして、《ヘゲモニーという理論的ー実践的原理は、認識論的意義をもつ》ものであるとした。ここでいうヘゲモニーとは、レーニンがロシア革命に際し、ロシア内における圧倒的少数派であるプロレタリアが、知識人、農民、小規模商工業者、兵士といった、それ以外の各層の者をプロレタリア側の主導のもとにおいた、ということを意味する。 

 イリイッチ(レーニン)は、政治の理論と実践を前進させたかぎりにおいて、(哲学としての)哲学をも(実際上)前進させたといってよい。ヘゲモニー装置の実現は、新しいイデオロギーの地盤をつくりだし、意識と認識方法の改革をひきおこすという意味では、ひとつの認識上のできごと、ひとつの哲学的なできごとである。(中略)新しい世界観に適合した新しい道徳を導入することに成功したとき、この世界観の導入も完了する。すなわち、ひとつの全面的な哲学的改革がもたらされるのである。(P28) 

 もうひとつは、構造と上部構造が〔歴史的ブロック〕を形成しているという考え方である。

 上部構造の複雑で不調和な(矛盾した)総体は生産の社会的諸関係の総体を反映している。ここからみちびきだされるのは、(個々のイデオロギーではなくて)ひとつの全体的なイデオロギー体系のみが構造の矛盾を合理的に反映しており、実践の反転〔※〕のための客観的諸条件がどのようなものであるかをあるがままに表現しているということである。イデオロギーの点で100パーセント等質的な社会集団〔※※〕が形成されたならば、このことは、この反転のための前提が100パーセント存在するということ、すなわち、「理性的なもの」が現に行為的に現実的なものであるということを意味している。この論証は、構造と上部構造とが必然的な相互関係(まさに現実的な弁証法的過程であるところの相互関係)にあるということに依拠している。(P29) 
※構造の反転については、編訳者である上村忠男が巻末解説で詳論している。それによると、《グラムシの関心が、上部構造が構造とのあいだに取り結んでいる関係が被規定的な反映の関係であるということよりむしろ、このことを踏まえたうえで、人間主体による実践的活動を介しての上部構造から構造への能動的な反作用の可能性のほうにむけられていることがうかがわれる。いわれるところの「実践の反転」ないしは「反転する実践」の可能性である。(P400~401)》
 ※※=社会階級のこと。検閲を考慮していいかえたもの(訳者注) 

現代の君主 

 本題の君主論である。ここでグラムシは、マキャヴェッリの『君主論』についてまさに論じているのであるが、そのことはさておき、現代の君主について、Ⅱ章〔現代の君主〕及びⅣ章〔「非政治的な」党形態について〕においてさらに扱い、それぞれ次のように定義している。 

 現代の君主、神話としての君主は、実在の人物、具体的な個人ではありえない。それはひとつの有機体でのみありうる。それはひとつの複合的な社会要素であって、それまで行動のうちにあらわれて部分ごとに自己を主張していた集合的意志がひとつのまとまった具体的な形姿をとりはじめたものなのである。この有機体は、歴史の発展によってすでにあたえられている。政党がそれである。政党というのは、普遍的かつ全体的なものとになろうとめざしている集合的意志のもろもろの萌芽がそこに要約されている最初の細胞なのだ。(P74)  

 ・・・『新君主論』の主役は、現代においては、個人的な英雄ではなくて、政党であることになろう。すなわち、そのときどきの条件に応じて、さまざまな国民のさまざまな国内関係のもとにあって、新しい型の国家を創建しようと意図している(そしてこの目的のために合理的かつ歴史的に創設された)特定の党であることになろう。全体主義であると自己規定している体制のもとでは、王室が伝統的にはたしてきた機能が、実際上、この特定の党によってひきうけられていることに注意すべきである。(中略)およそ党というものはすべて、ある社会集団、それもただひとつの社会集団の表現である。しかしながら、それらの特定の党が、一定の具体的な条件のもとにあって、あるひとつの社会集団を代表するのは、ほかでもない、それらが自己の集団と他の諸集団とのあいだいの均衡と調停の機能を遂行し、みずからの代表する集団の発展が同盟諸集団の同意と援助、さらには断固として敵対的な諸集団の同意と援助さえをもとりつけつつ推進されるよう努めるかぎりにおいてである。「君臨するが統治しない」国王または共和国大統領という立憲主義の定式は、この調停者の機能を表現した定式である。それは王冠または大統領を「あらわに」しないでおこうという立憲主義的諸党の配慮なのであって、統治行為については国家元首には責任がなく、内閣に責任があるということにかんするもろもろの定式は、直接に統治している人物やその党がなんであれ、国家は一体であり、非統治者の同意のうえに成立しているという一般的保護原理を具体化したものなのだ。 
 全体主義的な党とともに、これらの定式は意味をうしなう。ひいては、これらの定式にそって機能していた諸制度の力も減退する。しかし、機能自体はその党によって体現されているのであって、その党は「国家」という抽象的な観念を称揚しようとし、さまざまな方策を講じて、「不偏不党の力」という機能が依然として有効に作動いているかのごとき印象をあたえようとこころみるであろう。(P279~280)  

〔現代の君主=党〕とは何か 

 党とはなにかとグラムシは自問自答し、次のように回答する。 

 組織および党ということを形式的な意味ではなくて広い意味に理解する限り、どんな社会においても、だれ一人として組織されていない者はなく、また党をもたない者もいないということは、他の機会に記しておいた。この多数の特殊的な社会(=組織または党)は、自然的という性格と契約的または意志的という性格の、二重の性格をもっている。そして、これらのうちの一つないし複数のものが相対的または絶対的に優位を占め、あるひとつの社会集団の残りの全住民に対するヘゲモニー装置(または倫理的社会)を構成するのであり、これが狭く強制的な政治装置という意味に理解された国家の基礎をなすのである。(P281) 

 グラムシは党が国家であるという立場に立つ。この場合の党とはもちろん、共産党である。グラムシが目指す党とは、《全体主義政治であり、それは(一)ある特定の党の成員が以前には多数の組織のうちにみいだしていた満足のすべてをこの党だけにみいだすようにすること、すなわち、これらの成員の外部の文化的組織に結びつけているあらゆる糸を断ち切ること。(二)他の組織をすべて破壊すること、またはその党がそれの唯一の規制者であるひとつの体系の中にそれらを組み入れれること。P282 》。
  これらの言説は、プロレタリア独裁を換言したものであろう。グラムシの党に対する無限の信頼は、20世紀における失敗をふまえるならば、21世紀のこんにち、肯ぜられことはないと思う。

グラムシは全体主義者なのか 

 本書編訳者の上村忠男は、巻末解説において次のように書いている。 

 ・・・グラムシは・・・文字どおり、一個の全体主義的な社会の構想者でもあり続けたということである。そして、この面こそは、グラムシをして典型的に20世紀の思想家たらしめている面にほかならないのである。
 20世紀という時代は、社会思想的には、なによりも全体主義、あるいは「全体国家」のうちに、幸福な社会の実現の夢を託そうとしたことで特記される時代であった。(P414)

  20世紀前期に成立した全体主義の起源は、▽WW1(ナポレオンの出現という説もある)において欧州各国が必然的に構築せざるをえなかった総力戦体制の経験、▽そこから平時においても戦時体制に国家システムを改変する必要から発生したファシズム=専軍国家群(イタリア、ドイツ、日本)の誕生、▽ロシア革命によってうまれたソ連の誕生ーーであろう。そしてWW2以降、ファシズム国家群の消滅と同時に、▽ソ連の影響力が強まる中、冷戦下で発生した社会主義国家群、▽自由主義国家群が社会民主主義政策を積極的に取り入れて形成された福祉国家群ーーが、世界各国の全体主義化を加速させた。
 しかし、20世紀後半におけるソ連崩壊、東欧の民主化によって、21世紀に入るや、社会主義国家はおおむね消滅し、一方の自由主義圏は新自由主義の台頭により、福祉政策をおろし、弱者切り捨て国家に変容しつつある。現代を帝国主義の時代の再来だと断言する思想家もいる。そんななか、グラムシの思想を振り返る意義はあるのだろうか。現代の君主たる党(=共産党)の失敗をふまえ、全体主義に陥らない新しい社会主義の構築を模索するために乗り越えるべき思想家のひとりと考えるほかないのかもしれない。 

永続革命か一国社会主義か 

 ロシア革命の成功ののち、革命政権内部において、以降の革命路線についての模索があったことが知られている。ひとつはトロツキーの永続革命であり、もうひとつはスターリンの一国社会主義建設であった。結果において、スターリンがトロツキーを国外に追い出し(1929)、刺客を使って亡命先のメキシコでトロツキーを殺害(1940)したことで決着した。トロツキーは殺害されるまで、亡命先で第四インターナショナル結成に向けて奔走していた。一方のスターリンは革命に貢献したボルシェヴィキ幹部を大量粛清し、権力基盤を固めていた。こうしてみると、グラムシが獄中で本書にある「ノート」を書き続けていたとき、トロツキーは存命であるばかりか、革命政権の中枢に残っていた時代なのである。
 グラムシは、Ⅲ章「 情勢または力関係の分析について」のなかで、「政治の分野における機動戦(および正面攻撃) から陣地戦への移行」と題して、路線問題について詳述している。革命後の政治について、軍事用語である機動戦(正面攻撃)と陣地戦をもちだし、革命の永続化を前者に、そして一国社会主義建設を後者にたとえたのである。そのなかで、陣地戦から攻囲戦における勝利か敗北かが国の存立を決定するに等しい最終局面であることを強調している。つまり、史上初めて社会主義革命をなしとげたソ連の存続、すなわち、一国社会主義建設の成功か否かが、ロシア革命以降における世界プロレタリア革命の成否を決すると理解したのである。

 政治の分野においても機動戦(および正面攻撃)から陣地戦への移行が生じたこと。これは、戦後期が提起したもっとも重要な、そして正しく解決することの至難な政治理論の問題であるように思われる。これはプロスティン(トロツキー)がもちだした諸問題(永続革命)とむすびついている。トロツキーは、それが敗北の原因でしかない時期における正面攻撃の政治理論家であるとみなすことができるのだ。政治の分野におけるこの移行が軍事の分野において生じた移行と結びついているのは、ただ間接的であるにすぎない。陣地戦は無数の住民大衆に莫大な犠牲を要求する。だから、未曾有のヘゲモニーの集中、ひいては、反対者にたいしてより公然と攻撃姿勢をとり、内部解体の「不可能性」を永続的に組織するような、いっそう「干渉主義」的な統治形態になる。政治的、行政的、等々のあらゆる種類の統制、支配的集団のヘゲモニーの「陣地」の強化。こういったことのいっさいは歴史的ー政治的情勢の絶頂段階にはいったことを示唆している。というのも、政治においては「陣地戦」は、ひとたび敗北すれば決定的な意味をもってしまうからである。政治においては、決定的でない陣地の獲得が問題になっているあいだは、したがってヘゲモニーと国家のすべての資力を動員しなくてもすんでいるあいだは、運動戦がつづけられる。しかしまた、なんらかの理由でこれらの陣地が価値をうしない、決定的な陣地だけが重要性をもつようになったとき、そのときには攻囲戦に移る。それは圧縮された困難な戦争であって、忍耐と創意工夫の並々ならぬ資質が要求される。政治においては、攻囲戦は、その外観にもかかわらず、相互的である。そして、優勢なほうが自分の全資力をはきださなければならないという事実ひとつをとってみても、それが敵についてどれほどの計算をしているかが明らかになるのである。(P195~196) 

 実践の哲学(=マルクス主義)にしたがえば、それはその創始者が定式化しているところでもよいし、しかしまたとくにその最近の偉大な理論家が精密化しているところからすれば、国際情勢はその国民的〔=一国的〕な側面においてはどのように考察されるべきか、という点である。現実には「国民的〔一国的〕」という関係は、あるひとつの「独自」かつ(ある意味では)唯一の結合の結果生じているものなのであって、この結合は、もしもそれを支配し指導しようとおもうならば、そうした独自性と唯一性において受けとめられ、とらえられなければならないのである。たしかに、発展の方向は国際主義にむかっているものの、出発点は「国民的(=一国的)」である。そして動きだす必要があるのは、この出発点からである。しかし、展望は国際的である。また、そうでしかありえない。
(略)
  ・・・多数派(=ボリシェヴィキ)運動の解釈者としてのレオーネ・ダヴィドヴィッチ(=トロツキー)とベッサリオーネ(=スターリン)のあいだの根本的不一致はあるようにおもわれる。国民主義〔=一国主義〕という非難は、問題の核心にかんするかぎり、不適切である。1902年から1917年までの多数派(=ボリシェビキ)の努力を研究してみれば、その独自性が、国際主義からあいまいで(悪い意味での)純粋にイデオロギー的な要素をあらいおとし、それに現実主義的な政治的内容をあたえようとしたことにあることがわかる。(中略)国際的性格の階級であっても、狭く国民的〔=一国的〕な性格をおびている社会階層(知識人)や、それどころかしばしば国民的ですらなく、個別主義的で地域主義的な階層(農民)をも指導していくものであるかぎりで、ある意味ではみずから国民化〔=一国化〕しなければならないのである。(P210~211)  

 上村の訳注によると、トロツキーは、ロシアのような後進資本主義国家における革命は、プロレタリアートの主導によるブルジョア民主主義革命をもってはじまり、そのまま中断することなく、社会主義革命へと連続していかざるをえないこと、また、その革命は先進資本主義国のプロレタリアートによる社会主義革命へと連続的に発展し、その援助をうけることを必要としていること。 一方のスターリンは、レーニンの『帝国主義論』にある帝国主義の不均等発展から、社会主義革命の勝利も、それぞれの帝国主義国の段階ごとに個別に可能にされていく、すなわち、一国革命を目指すべきだと主張したとされる。
 グラムシは必ずしもトロツキーを支持しているわけではない。スターリンの一国主義が現実的であり、西欧における反革命の勢いは侮れないとしている。しかし、スターリンがボリシェヴィキ古参幹部を次々と粛清していた事実が、獄中にあったグラムシの耳に入らなかったことを理解しなければならない。グラムシの一国化とスターリンが自らの独裁をめざした「一国化」とは全く次元が異なるのである。
 引用にもあるように、《たしかに、発展の方向は国際主義にむかっているものの、出発点は「国民的(=一国的)」である。そして動きだす必要があるのは、この出発点からである。しかし、展望は国際的である。また、そうでしかありえない。》と、グラムとシは強調しているのであるから。(下線は筆者による) (了)