2023年9月15日金曜日

映画『福田村事件』

●森 達也〔監督〕 ●佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦〔脚本〕●「福田村事件」プロジェクト〔製作〕 

 

★この映画はフィクションである 

 映画『福田村事件』は、ドキュメンタリー映画監督として知られる森達也の(監督による)フィクション作品である。題名・監督から連想すると、当該事件に係る情報を追った森達也が、事件の関係者(加害者村民、被害者および事件の目撃者の家族・親族等)をたずね、伝聞情報を取材のうえ入手し、映像として構成・編集して開示したのではないかと思うかもしれないが、そうではない。森達也は、拙Blogの直前投稿・辻野弥生による著作、『福田村事件』の巻末にこう書いている。 

ジャーナリズムの拠って立つ基盤は怒りと悲しみだ。何も装飾することなく真直ぐに、辻野はその姿勢を明示する。まさしく渾身の一冊だ。
映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在しない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。
でもそれは史実とは微妙に違う。〔後略〕(特別寄稿/『A』『A2』から福田村事件へ/森達也〔著〕/『福田村事件』/五月書房新社P242) 

 本作を見たことで当該事件に係る新事実がわかるわけではない。当該事件に関する情報については、いまのところ、辻野弥生が著わした前掲書におさめられたものを超えるものはないと、筆者は考えている。だから、本作のみで当該事件を語り、解釈することは危険である。森達也独自の事件解釈であり、創作であり、森達也本人が書いているように、そこには「エンタメ的要素も強い」。
 とはいえ、森達也が本作をつくらなかったならば、福田村事件がいま、ここまで世間に認知され、暗い記憶が呼び起こされることはなかったのではないか。併せて、辻野弥生の同名の書籍が求められることもなかったのではないか。既存の大手メディアは当該事件をスルーして、おざなりの「関東大震災100年」を報じたのではないか。筆者はその観点から、本作を評価する。 

★農村(共同体)における女性差別

 福田村事件とは、1923年(大正12年)9月6日、関東大震災(同年9月1日)直後の混乱時において、香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行され、9名(8名という記録がある)が殺害された事件である。 この行商団は被差別部落の者であり、そのため農業に従事できず、日本中を旅する遊動の民である。当該事件の詳細、背景、主因、内容、事件後等については、前掲書のとおりなので、ここでは省略し、ここからはフィクションとしての映画について書く。
 事件のあった当時の福田村の人口はわからないが、Wikipediaによると、暴行殺戮に加わった村民――攻撃側人数, 約200人とある。当該事件には、福田村と隣接する田中村の住民も加わっていたということがわかっているから、村の人口規模を推し量ることもできよう。福田村をクリシエに表現すれば、のどかな日本のどこにでもある農村ということになるのかもしれないが、いまから100年前の日本の農村(共同体)が、外形的にはいくらのどかに見えようとも、その内部には、人と人との関係においてつくられた暗部を秘めている。その第一が女性差別である。

男は外に出て敵と戦って生き、活動し努力しなければならない。女性は主体ではない。女性は自ら生産にたずさわることなく、ただ生産する者の身の廻りの世話をやくだけだ。それは、はるか昔に消え失せた閉鎖的家内経済の時代の生きた記念碑である。女性にとって、男性から強制的に割り当てられた分業体制は、有利なものではなかった。女性は生物学的な機能を体現し、自然を象徴する者としてイメージされたが、この自然を抑圧することによってこそ、この文明に栄えある称号が授与されるのである。はてしなく自然を征服し、調和にみちた世界を無限の狩猟区に変えることが、数千年にわたる憧れの夢だったのだ。男性社会における人間の理念は、この夢に添ったものだ。これが人間が鼻にかけてきた理性の意味だったのだ。(『啓蒙の弁証法』ホルクハイマー、アドルノ〔著〕岩波文庫 P510~511) 

 福田村ももちろん、例外ではなかった。村の女性たちは男性の下位に位置づけられ、人権を制限され、しばし男性の暴力によって抑圧されていた。その一方で、ホルクハイマー、アドルノがいう「生物学的な機能」を体現し「自然を象徴する」存在とみなされながら、女性は男性が規定した地位に甘んじていたわけではない。女性の反撃は、たとえば性愛の行為において男性を軽蔑し、ときにパートナーを裏切り(不倫)、男性を苦しめもした。それが平凡な農村(共同体)の実相なのだ。日本の一部の知識人はその実相について自然的といい、土着的といい、情念と形容した。
  農村にかぎらず、いかなる共同体においても、日常的に抑圧された女性、その女性に裏切られ苦しむ男性ーーのふたつの性が交差することによって醸成されるルサンチマンが鬱積していた(る)。
 そればかりではない。農村(共同体)においても他者に対する優越性を誇示する虚言や、過剰な自己顕示、威圧(的態度)が渦巻いていた。弱者はこうした抑圧に苦しみルサンチマンを抱き、ときに小さな暴力(酒席での殴り合い、取っ組み合い、言語による誹謗中傷、噂話による解消・・・)で発散することもあったし、それが殺傷事件に発展することもあったかもしれない。それでもそれらの暴力は村内の犯罪として、いわばどこにでもある事件としておさめられていたと思われる。がしかし、かかるルサンチマンを軽んじてはいけない。

★近代的国家と自然の併存 

 100年前の福田村すなわち近代初期の日本の農村は、自然(土着)のままの共同体ではない。ここ福田村にも自治(村長)があり行政が機能していた。もちろん警察官が常駐し、村-郡-県-国家との関係も構築されていた。村民の職業も農が大多数を占めていたとはいえ、商工業者、物流従事者等の民もいた。そして、大正デモクラシーの高揚と並行して、進歩的知識人(映画では村長、植民地朝鮮統治から帰村した元教師夫婦)もいた。また近隣の都市部には野田の当時の基幹産業であったキッコーマン醤油工場の従業者による労働運動もあった。また、プロレタリア演劇を志す社会主義者いたし、水平社運動もあった。そして、新聞社(報道機関)が新聞発行を続けていた。そのうえで、植民地から労働力として日本に移住させられた外国人(朝鮮人)が福田村が位置する千葉県東葛飾郡あたりでは珍しくなかった。
 本作では、村民による香川からの行商団殺戮事件の背景・経緯については、ほぼ辻野弥生が著わした史実に忠実に描かれている。

★本作における女性の役割 

 北丸雄二は、本作と女性の関係を次のように批判的に論評している 。

「不逞鮮人」たちの復讐に戦々恐々の個々の被害妄想は、匿名の濁流となって氾濫し始める。それでも「個」を維持する登場人物が3人います▼夫が出征中に船頭と契った寡婦、植民地支配と提岩里(チュアムリ)教会事件の罪悪感を抱えて内地に戻った東洋拓殖重役令嬢、もう1人は千葉の地方紙の女性記者。あの圧倒的な男性社会の時代の「空気を読まない」女たちです。しかしこの3人は架空です。なぜなら不貞の女はあの時代には声を持たず、重役令嬢は罪悪感を抱えるはずもなく、女性記者は当時ほとんど存在しなかった。3人はつまり、現代の視点から本作に送りこまれた日本の良心として存在しています▼ここでふと疑問が湧きます。彼女たちは「良心」と同時に「免罪符」としても機能してしまうのです。専制的な家父長制と村社会の男どもの集団的愚かさの「罪」を、この女性たちに都合よく贖わせている。 (映画『福田村事件』/北丸雄二〔著〕/本音のコラム/東京新聞/2023.9.15朝刊)

 本作に登場する架空の3人の女性の設定に係る北丸の批判は、もっともだと思う。確かに当該事件の重さに比べれば、いかにもとってつけたようなわざとらしさが拭えない。本作はフィクションだと監督の森達也が予防線を張ろうとも、不自然さを感じる。だが、果たして3人の女性たちは良心であり「免罪符」なのだろうか。北丸がいう、①夫が出征中に船頭と契った寡婦 ②東洋拓殖重役令嬢が、良心を代表するように思えない。唯一、3人目の③地方紙の女性記者は、今般における日本のマスメディアの腐敗に抗する良心的ジャーナリストを彷彿させるものだと思う。それは、政権への忖度が蔓延る記者クラブにあって、唯一人抵抗する、東京新聞の望月衣塑子記者を連想させる。森達也のサービス精神のようにも思える。 

4人目の架空の女性 

 筆者は北丸が挙げた3人の架空の女性よりも、虐殺事件の発端となった、行商団のリーダーに対して斧で一撃を加えた、4人目の架空の女性のほうが重要だと思う。①②の女性が演じる性的シーンは、森達也がいう「エンタメ的要素」の具現化であると同時に、前出のとおり、抑圧された女性の性愛をつかった抵抗だと解釈したい。
 では、第4の女性はなにを意味するのか。それを読み解くカギは、事件後、同村を後にする行商団の生存者と第4の女性が村境と思われる橋の上で対峙するラストシーンにある。両者から、救いようのない苦悶と悔恨の表情が読み取れる。それは、行商団の生き残った者が第4の女性に対して、「なぜ逮捕されなかったのか?」という叱責の次元のものではないし、第4の女性の表情からは、反省とか謝罪を超えた、とりかえしのつかない行為に及んだ、無念さと自己否定が読み取れる。
 行商団は被差別部落民という抑圧された民である。第4の女性は男性優位の共同体の中で貧しく、当時の日本帝国による専軍的資本主義によって、夫を東京に出稼ぎに取られた、抑圧された民の一人である。本来ならば、両者は共に闘う仲間のはずだった。後者にあっては、日本帝国内務省の流した「不逞鮮人」のデマと、内務省通達によって先鋭化した在郷軍人、消防団、青年団によって、期せずして、抑圧されている者が、抑圧されている者を私刑に処す発端をつくってしまった、という悔恨の念に満ち、前者にあっては、不条理な仲間の死に直面した戸惑いと怒りのそれである。抑圧された民は分断され、集団的ルサンチマンが集団的暴力に転換し、それが誤解・錯誤ではすまされない悲劇を生んだのだ。100年後のいま、かかる悲劇のメカニズムを映像として追体験することは、けして無駄ではない。〔完〕