2025年7月5日土曜日

『日本軍兵士』『続・日本軍兵士』

●吉田 裕〔著〕 ●中公新書 ●820円(+税)・900円(+税)

 『日本軍兵士』(以下「前書」)および『続・日本軍兵士』(以下「後書」)は、日本帝国軍すなわち天皇の軍隊である皇軍の実態を明らかにした労作である。前書においては、アジア・太平洋戦争における戦場の現実が「兵士の目線」「兵士の立ち位置」から具体的に描かれ、戦場の実相が明示される。後書では、明治維新から開始された日本帝国の対外侵略の拡大を目的に創設・運用された帝国陸軍・海軍の構造的欠陥が明らかにされる。

(一)日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 

 著者・吉田裕氏(以下敬称略)は、日中戦争(1937~1945)を〈長期戦への対応の不備〉としてアジア・太平洋戦争から別途切り離している。その根拠は、戦争の長さ、軍隊・兵士のあり方、その結果としての戦争体験の相違からだと思われるが、二つの戦争を問わず、皇軍が兵士(人命)を粗末に扱い、彼らを虐待して戦わせていたことに変わりない。また、本書には日中戦争とアジア・太平洋戦争の事例が混在して記述されてもいる。それゆえ、この切り離しに厳密にとらわれる必要はない、と筆者は思料する。
 吉田はアジア・太平洋戦争を以下の4期に分割する。

開戦
第一・第二期 戦略的攻勢と対峙の時期
第三期 戦略的守勢期
第四期 絶望的抗戦期 2,000万人を超えた犠牲者たち  1944年以降の犠牲者が9割か

 この区分は、戦域および戦況の進捗状況がもとになっている。当然のことながら、戦況が不利になるに従い、兵士は過酷な体験を強いられる。しかし、日本帝国の場合、どう考えても、日本帝国の戦争遂行者すなわち軍幹部が常軌を逸していた、としか考えられないのである。このことは後述する。
 なお第四期にある犠牲者2,000万人とは、第四期における戦没者数ではなく、先の大戦の総数である。
 内訳は、日本帝国軍=アジア・太平洋戦争、日中戦争あせて軍人・軍属約230万人、外地一般邦人約30万人、空襲などによる日本国内の戦災死没者が約50万人、合計約310万人。
 米軍戦死者数 9万2,000~10万人。
 ソ連軍戦死者数 張鼓峰事件、ノモンハン事件、対日参戦以降の戦死者数合計で22,694人、英軍29,968人、オランダ軍、民間人を含め27,600人。
 以下推定であるが、中国軍と中国民衆の死者1,000万人以上、朝鮮の死者約20万人、フィリピン約111万人、台湾約3万人、マレーシア・シンガポール約10万人、その他、ベトナム、インドネシアなどあわせて総計で1,900万人以上になる。(本書P24)

全戦死者に占める戦病死者割合が6割超

 本書において筆者が衝撃を受けた事実を以下列挙する。
 第一に、日本帝国の戦争における全戦死者のうちに戦病死者数が占める割合の驚くべき高さである。本書によると、日中戦争においては、1941年時点で戦死者数12,498人、戦病死者数が12,713人で、全戦没者に後者が占める割合は50.4%に達しているという。日中戦争は1945年まで続いたから、戦争末期にその数と割合が減じるとは考えにくい。アジア・太平洋戦争においては統計数字が存在しないため、推計によるものだが、全戦死者のうち65~60%が戦病死者で占められるという。
 前出の区分における第四期には、海外に派遣された皇軍の補給路が絶たれ、戦地は深刻な食糧不足となったため、病疫死の多くは餓死による。餓死以外の戦病死には、マラリア、赤痢、結核等の疫病による。
 そればかりではない。記録上戦病死とされた中に、上官による暴力制裁によるもの、軍規違反とされた者に対する私刑、自殺などが含まれているともいう。また、栄養失調から衰弱し動けなくなった兵士や歩行困難になった傷病兵は放置されるか、仲間により措置(殺害)され、彼らも戦病死者に含まれているようだ。
 飢餓に苦しむ兵士の間で、食料を奪い合う略奪が横行した。そしてその次の段階に訪れたのが人肉食である。略奪、人肉食の前提は味方同士の殺し合いであったことはいうまでもない。
 皇軍兵士は勇敢で、「天皇陛下 万歳」と叫びながら敵軍に突撃して戦死したといわれるが、実相は空腹、疫病のすえ死亡するか、衰弱したまま自軍に放置されるか「措置」されて絶命するか、味方同士で殺し合い、殺した兵士の肉を食らったのである。

戦場におけるヒロポン(覚醒剤)の使用

 第二はヒロポン(覚醒剤)の使用である。戦況悪化にともない、絶望的状況に陥った兵士を鼓舞するため、皇軍は組織的に兵士の食材にヒロポンを混入したほか、体調不良を訴える兵士に治療と称して、ヒロポンを混入した薬剤を投与するか注射をして覚醒状態にして戦場に送り込んだ。また、陸軍・海軍を問わず〔註3〕、夜間飛行や空中戦、対空砲火といった極度の緊張状態にさらされる航空兵の多くは航空神経症に襲われるようになる。士官はそれを克服するため、航空兵をヒロポン漬けにして、飛行軍務を継続させた。

肉攻・特攻という「作戦」

 第三は、自爆作戦が当然のように採用され、称賛されたことである。戦況悪化にともない、▽肉攻(歩兵が爆弾を抱えて敵戦車に飛び込む攻撃)、▽特攻(航空兵が爆弾を搭載した戦闘機で敵艦に突入する攻撃、水兵が爆弾を搭載した特攻艇(マルレ)に乗り込み、人間魚雷となり敵艦に突撃する攻撃)が「作戦」として当たり前のように公認され、実行者(自爆者)が称賛された。自爆者がヒロポンの常用者だった可能性は高い、と筆者は推察する。
 このような「作戦」を当然のことだと共有できる皇軍という組織が恐ろしい。自爆を称揚する精神状態を共有する共同体をカルト集団という。そしてその頂点に祀られていたのが天皇である。

見殺しにされた兵士、そして本土の生活者

 第四は、第四期すなわち絶望的抗戦期(サイパン島陥落以降)に多くの犠牲者を出したこと、すなわち、1944年以降の犠牲者が推定9割を占めるという事実である。皇軍の劣勢は明らかであり、反抗の兆しも見いだせない。西太平洋上の島嶼部に守備隊として配置された日本兵は、米軍の猛攻にあい戦死するか、補給路を遮断されたため、食料の補給がなく、飢え、マラリア、赤痢などに悩まされ餓死・病死・自死等で絶命した。マレー、インドシナ地域のジャングルに追い込まれた兵士も同様の末路を迎えた。
 兵士ばかりではない。日本帝国軍はすでに制空権・制海権を失っていたため、本土の都市部は米軍の大型爆撃機から投下された焼夷弾攻撃で焦土と化し、多数の焼死者を出した。本土決戦の時間稼ぎとされた沖縄戦は米軍の猛攻により住民を巻き添えにした地獄の戦場と化したばかりか、皇軍兵士による沖縄住民の虐殺が記録されている。広島・長崎に原子爆弾が投下され、多くの民間人が殺戮された。日本帝国がポツダム宣言を受諾し無条件降伏を決めたのは、共産主義国家・ソ連の参戦を知ったからだといわれている。


(二)続・日本軍兵士 ー帝国陸海軍の現実

 本書では、日本帝国軍隊の構造的欠陥が明らかにされる。明治維新政府が新しい国づくりの二大目標として掲げたのが殖産興業と富国強兵である。その維新政府は、新政権誕生(1868)からわずか26年後に日清戦争(1894)を、36年後に日露戦争(1904)を行っている。対戦国は、前者がアジアの大帝国である清朝、そして後者はユーラシアの大国ロシア帝国であるが、いずれにも勝利する。20世紀に入ると第一次欧州大戦の勃発とともに、日英同盟の関係上敵国に当たる独に宣戦布告(1914)し勝利する。 1917年にはロシア革命に干渉し、シベリア干渉戦争に参戦する。そして、前書に詳論された日中戦争、アジア・太平洋戦争へと続き、日本帝国は敗戦・消滅する(1945)。

日本帝国軍隊の諸問題

 吉田は、半世紀にわたる日本帝国軍の実態について、帝国陸海軍、関係機関等が残した統計記録等から明らかにしていく。徴兵された日本人兵士の体重・身長の変化、兵士の食事(栄養)、調理方法の変化、戦争(状態)の長期化からくる招集者の変化(高齢者、障害者、知的障害者までの招集)――などが記述される。また、兵器に限らず、装備、輸送手段、通信手段、医療体制といった軍総体の欠陥、連合国軍との差異(劣後)も明らかにされる。吉田はそれらすべてを総称し、日本軍の構造的問題を「人間軽視」と糾弾する。
 見落とせない論点は、日本帝国における「犠牲の不平等」という問題である。軍隊は階級絶対社会である。最下級兵士の犠牲者の割合が最大で、上に行くほど割合は低下すのかどうか。常識的には 中世、近世の戦争ならば大将が先陣を切って敵に突撃したのかもしれないが、近現代の戦争ではそれはありえない。司令官クラスは後方の安全な場所で戦況を分析し命令を下すだけだから、敵軍の放火をあびる可能性はないに等しい。食料も優先的に配給されただろうから、餓死もない。
 吉田が問題視したのはそのレベルではない。正規将校を上限とした階級間格差の比較である。結論として、《「犠牲の不平等」という問題は、今後深めていくべき、重要な研究課題である(P209)》と、吉田は結論を控えた。
 招集段階における不平等の問題も残っている。どうやら、招集をめぐる贈収賄、地縁・血縁がらみで招集を免れた者がいたようだ。役所の担当者にかなりの金品を与えて招集名簿から自分の名前を「抽出破棄」してもらい招集を免れた事例が確認されているという。吉田は、《比較的裕福な人々による犯罪行為だろう(P199)》と結論づけている。

日本的総力戦体制

 日本帝国は20世紀の戦争が総力戦という段階に到達していたという認識をもっていた。その証拠に1940年に総力戦研究所を設立している。同研究所が日本帝国にどのような政策を提言したのか論ずるまでもなく、この研究所は結果的に何もなしえなかった。軍国主義者が唱える「日米決戦」を思いとどまらせるに足る提言、進言があったのかもしれないが、無視された。
 総力戦という概念を改めて確認しておこう。同概念は、第一次欧州大戦の総括から世界的に一般化した。それまでの戦争が軍と軍の戦闘に限定されていたものが、タンク、航空機、潜水艦、毒ガスといった新兵器の登場により、戦争の概念が一変し、戦争は狭義の前線の戦いでなくなり、国内の日常生活すべての領域までをも動員せざるを得ない性格のものとなった。このような変化は、それまでの職業軍人の能力の限界性を明らかにし、軍人は変化した戦争(総力戦)には適さないという結論をもたらした。総力戦の司令塔は、前線のみならず、国内戦線の諸問題――産業・交通・教育・宣伝・輸送、等等――を配慮する能力を要するようになったからである。総力戦は軍事戦略にもとづく軍人ではなく、政府官僚によって企画され、統制されなければならない国家的事業となった。(『総力戦体制』山之内靖〔著〕より)
 日本帝国は来たるべき日米決戦に備え、日本的(もしくは日本型)総力戦体制を整えた。国家総動員法(1938年施行)がそれを代表する法制度である。同法は、平時、戦時において、戦争に勝つため、政府が国民の権利および自由な経済活動・文化活動を制限する一方で、軍備増強に資するための統制、調整に係る規定が定められている。
 戦時においては、全国民を無条件で戦場に送ることができる国民徴用令、労務統制、賃金統制、労働争議の制限・禁止のほか、 物資統制、電力調整令、 貿易統制、 金融統制、会社経理統制令、銀行等資金運用令、資金統制、工場船舶の管理収用、工場事業場管理令、土地工作物管理使用収用令、 鉱業権、砂鉱業、水の使用収用、価格等統制令、 言論統制、新聞紙等掲載制限令などが定められ、国家、国民が総力戦に臨むよう体制整備された。
 また、平時規定として、 国民登録制度、医療関係者職業能力申告令、国民職業能力申告令、 技術者の養成、学校技能者養成令、 試験研究命令なども定められ、兵器・軍事技術の開発が強く求められた。
 しかし、総力戦に向けて全国民を総動員する法制度を整えたからといって、英米に勝てるわけではない。日本帝国の産業・交通・教育・宣伝・輸送といった面のみならず、文化・情報・基本的人権までを含めて、戦争相手国との比較がなされなければならなかった。優劣を見誤れば、総力戦の結末は悲惨なものとなる。そして、悲惨なものとなった。日本帝国の指導者は、神(天皇)の下、精神力で国民が総結集すればどんな難敵でも打倒できると国民を煽った。
 もうひとつの観点から、日本帝国の指導者が先制攻撃で敵に打撃を与え、直後の交渉で優位に立っという狭義の戦争観から脱却できていなかった可能性を否定できない。前線の戦闘に固執した「日本的総力戦」の帰結である。
 その筋書きを想像すれば、ハワイの奇襲で米軍に損害を与え、その後の海戦で決定的な勝利をおさめれば、英米は日本と交渉し、日本優位の取引が成立すると考えたのかもしれない。
 ところが、総力戦とは持久戦とも言い換えられる。戦争を短期の戦局で優位劣位を判断すのではなく、長期的展望に立って、敵国を追い詰める。そのとき、国家総力が試される。結果、日本帝国は総力戦に耐えられなかった。総力戦になれば、兵士を含む全国民を取り巻く環境の総てが勝敗を左右する。日本帝国は負けるべくして負けたのである。しかも、人命を一顧だにしない戦争指導者によって、前線の兵士ばかりか銃後の一般市民が虐殺されたのである。軍人は総力戦に不向きなのであるが、日本帝国では軍人(軍国主義者)が国政のヘゲモニーを掌握してしまっていた。

本書をどう生かすか

 吉田は本書執筆の動機について、〝「日本軍 すごい」というフィクション″と題した章の中で、次のように書いている。

1990年前後から日本社会の一部に、およそ非現実的で戦場の現実とかけ離れた戦争観が台頭してきたからである。〔中略〕荒唐無稽な新兵器を登場させることによって戦局を挽回させたり、「もし・・・」など、さまざまな「イフ」を設定することによって、実際の戦局の展開とは異なるアジア・太平洋戦争を描く「架空戦記」、「仮想戦記」ブームである。〔中略〕ここ数年は、竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(2010年)に代表される「日本礼賛本」がブームとなり、「日本の文化を外国人にほめてもらったり、海外での日本人の活躍ぶりを紹介したりするテレビ番組」も増えているという(『朝日新聞』2015年3月13日付)。〔中略〕軍事の分野でも、井上和彦『大東亜戦争秘録 日本軍はこんなに強かった!』(2016年)のように、「日本軍礼賛本」が目立ち始めている。(P210)

 それから10年後の2025年夏、世界はあたかも大戦前夜の様相を呈している。ウクライナ戦争の終わりが見えないばかりか、戦況は拡大傾向にある。イスラエルは中東でパレスチナ人の虐殺を続け、イランの要人をテロで殺害し、同国の原子力研究施設を米軍とともに空爆するという戦争犯罪を繰り返すが、G7をはじめ世界がそれを傍観している。

大日本帝国回帰の風潮に抗え

 日本国内では、極右政党支持者がじわじわと台頭し、歴史修正が平然と語られ、大日本帝国回帰の風潮がとまらない。排外主義、選民意識が横溢し、外国人差別から排除に移行しつつあるのが実情である。その背景には、〈新しい階級社会〉へと日本国が変容しているという分析が注目される。〔超富裕層―富裕層〕と〔貧困層〕の2階級分化が進み、中間層が低減した結果、〔貧困層〕のルサンチマンが外国人、生活保護所帯、身障者といった弱者への攻撃・排除へと向かっている。それらを選挙(集票)に結びつけようとするポピュリズム政党が力をつける結果となっている。
 こうした状況を踏まえたうえで本書をどう生かすかであるが、まずもって、本書に著わされた皇軍の実相を歴史事実として認識・確認することが最重要だと思われる。本書を誤読して、皇軍に限らず、戦争下の軍隊とはそういうものだというニヒリズムが怖い。皇軍の実相・実態を認識し反省し否定することだ。

軍隊とは社会の極限的縮図である

 もうひとつ、歴史認識を欠いた修正歴史観の下、皇軍の敗戦の因子を軍事に係るテクノロジーの劣後に求め、現在の日本軍(自衛隊)の兵士・兵力・情報力・装備等をより高度化すれば、次なる戦争に勝てる、という一見、合理主義に似た楽観論こそ危険きわまりない。
 軍隊というのは、社会の縮図でありそれを極限化したものだと筆者は考える。つまり、先の大戦時、日本帝国における社会に住む人は、アジア人を蔑視し、神国日本人は天皇を頂点とした選ばれた民族だという選民意識を植えつけられていた。そうした社会の構造が、軍隊にあっては、天皇―上官―兵士という関係で構造化し、下級兵士はすべてに劣後した。兵士の命は一発の銃弾よりも軽かった。
 ところで、戦前の社会の実相を暴いた『「むかしはよかった」というけれど』(大倉幸宏〔著〕新評論)という書がある。内容は、▽駅や車内における傍若無人ぶり、▽公共の秩序を乱す人々のようす、▽職業人たちの犯罪、▽児童虐待、▽高齢者にたいする虐待、姥捨ての風習、▽実際は機能していなかった「しつけ」、道徳教育――といった戦前の社会の実相を当時の新聞報道等を基に紹介したもので、戦前社会が「よかった」とはとても思えない内容で溢れている。つまり皇軍は戦前の日本社会のありようを、凝縮して体現していたのである。
 翻って、2025年の日本国――労働者を正規と非正規で差別化し、後者を雇止めと称して使い捨てる、生活保護申請を理由なく受理しない地方自治体が現れ始める、高齢者差別、排除を公言する「言論人」がテレビ番組に大手を振って登場する、外国人の犯罪をことさら大きく報道して危機感を煽る、民族主義を前面に出した「日本(人)ファースト」をスローガンにした政党が支持を集めだす、歴史修正を放言したた国会議員が修正を指摘されると謝罪して発言を削除するが、訂正せず、政治活動を続けている・・・戦前(日本帝国時代)の世界観、社会観、家族観を「良きもの」として容認どころか、崇拝するような社会に変容しつつあるように思われる。
 このようにいま現在の日本社会が戦前回帰に向かう流れにあるならば、日本軍(自衛隊)の兵力を強化し、兵士の装備・待遇等をたとえば米軍なみに高度化しようとも、自衛隊は皇軍と変わらない軍隊になるだけだろう。繰り返すが、軍隊は社会の縮図どころか、その極限的組織として表象する。
 それだけにとどまらない。吉田は次のように書いている。

中国に派遣された日本軍は、その多くが家庭を持つ「中年兵士」の集まりだった。戦争目的が不明確なまま、厳しい戦場の環境の下で、長期の従軍を余儀なくされると、彼らのなかに自暴自棄的で殺伐とした空気が生まれてくるのは、ある意味で当然だった。それは日本軍による戦争犯罪の一つの土壌となった。(P82)

 家庭を持つ中年が厳しい戦場の環境下に長期間さらされると、いかようにも豹変してしまう。戦争犯罪は、戦争―国家ー軍隊―兵士の連環において発生する。戦争にかぎらない。日中戦争前の1923年、関東大震災のさなか、日本の普通の生活者が、朝鮮人虐殺に手を染めた。震災、戦争等、恐怖から生じる殺伐とした空気が取り返しのつかない犯罪を生起させる。
 2025年、戦後80年の節目のとき、反戦・平和主義を国是としてあらためて確立し直すことの重要性を本書から学ばねばならない。〔完〕