2005年6月5日日曜日

『蛮族の侵入』

●ピエール・リシェ[著] ●文庫クセジュ ●951円(+税)

376年、世界最強と思われたローマ帝国内に蛮族(ゲルマン系ゴート族)が侵入を開始。その後、ローマ帝国は東西に分裂、やがて西ローマ帝国は滅亡する。その後、東ローマ帝国の支援によりローマは一時期、再興をみるが、最後の蛮族、ランゴバルト族の侵略を受け蛮族の再支配を受けることになる。そのとき、ローマ(カトリック教会/ローマ教皇ステファヌス二世)は、蛮族の一派・フランク王国(ピピン)に援助を求める。

756年、支援の要請を受けたピピンはランゴバルト族を撃破し、回復した領土を聖ペテロに寄進する。

800年、小ピピンの息子・シャルルマーニュは、教皇レオ三世によって、皇帝として戴冠される。これをもって、“古代の終わり、中世の開始”といわれている。

本書は蛮族の侵入からシャルルマーニュの戴冠までの450年間弱の歴史をまとめたもの。蛮族の侵入から西ローマ帝国の滅亡、そして中世世界の成立を、▽ローマの内的弱体化と、▽遊牧系騎馬民族のフン族の圧力によるゲルマン族の移動という周辺情勢の変化、――を併せて、初心者向きに解説してくれる。むろん、ゲルマン系諸族の特性等についても、じゅうぶんな説明がある。
この出来事は、「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれ、高校の世界史でも学習するものだが、不思議なことが多い。たとえば、現在のフランスに該当するガロ=ローマ地域に侵入したゲルマン民族の比率は、先住民のわずか5%を占めるにすぎなかったという。たった5%のゲルマン人がフランク王国を樹立したということが理解しにくい。

もう1つは、ヨーロッパの東北部を元郷とするゲルマン系のバンダル族が、なんと、北アフリカに移動して、わずか100年程度ではあるが、現在のチュニジアあたりに王国を築いたことだ。いったいぜんたい、ゲルマン民族とはいかなる民族なのか。

さて、ゲルマン諸族はローマ帝国内に侵入後、しばらくはアリウス派キリスト教を信仰していたのだが、やがてヨーロッパの大半を支配することになる西ゴート族(スペインに定着)、フランク族(フランス・ドイツ・イタリアに定着)が、カトリックに改宗する。このことも、世界史上の大事件の1つといえる。ローマは滅びたが、ローマ教会は蛮族への布教を通じて、全ヨーロッパに勢力を拡大したのだ。ローマ教会生き残りの戦略も生々しい。

本書読了後も、筆者には「ゲルマンの謎」が深まるばかり。西欧史については、もっともっと勉強が必要ということか。