2005年6月5日日曜日

『靖国問題』

●高橋哲哉[著] ●ちくま新書 ●720円+税

 
マスコミにおける粗雑な靖国議論に比べて、本書はきわめて良質な「靖国論」である。本書を読まずして靖国問題を語ることは許されまい。

著者は靖国問題を次のように整理する。

靖国をめぐる「感情の問題」では、靖国のシステムの本質が、戦死の悲しみを喜びに、不幸を幸福に逆転させる「感情の錬金術」にあること。

「歴史認識の問題」では、A級戦犯合祀問題は靖国に関わる歴史認識問題の一部にすぎず、本来日本近代を貫く植民地主義全体との関係こそが問われるべきこと。

「宗教の問題」では、これまで首相や天皇の靖国参拝を憲法違反としたり、その違憲性を示唆した司法判断はいくつかあるが、合憲とした確定判決は1つもないことを確認し、靖国神社を「非宗教化」することは不可能であること。また、「神社非宗教」の虚構こそ、かつて「国家神道」が猛威を振るったゆえんに他ならなかったこと。

「文化の問題」では、死者を祀ることが日本の伝統であることはそのとおりだが、歴史的には、敵も味方も祀ることが一般的であること。靖国が兵士及びそれに準ずる者だけを戦没者としてを祀ることは、政治的行為であること。また、戦死者を祀ったり追悼したりする儀式は、世界共通であるが、国民国家の成立以降に始められたにすぎぬこと。

以上の著者の整理は妥当であり、立論に誤謬はない。戦争は国内問題ではない。植民地戦争で戦死した兵士を英霊とすることは、侵略され植民地化されたた側の痛みを共有しない。だから、「靖国」が一国の問題として、閉じられて論じられることはありえない。

筆者は、いまの中国共産党政府がチベット、ウイグル新疆地区等で行った、また、まさにいま行っている弾圧を不当だと考える。中国には、日本の侵略戦争を批判する資格はないと思う。けれども、だからといって、日本の侵略戦争が正当化される理由にはならない。

中国共産党政府の立場は現実的である。中国共産党政府は、中国国民が日本の植民地戦争で被害を受けたことに留意しなければならない立場にある。中国国民には、反日感情が強い。日本政府の代表者が靖国に正式参拝することに耐え難い感情をもっている。けれども、中国と日本は、経済を中心に友好的な関係を結ぶ必要も感じている。そこで、中国共産党政府が示した靖国問題の落としどころは、A級戦犯分祀だった。日本人一般が靖国に祀られ参拝することまでは文句は言わない、首相が一般戦没者を参拝することもかまわない、けれど、A級戦犯をそこから外してくれ、それなら、中国国民も文句を言わない、というのが中国の内政~外交のメカニズムだ。そこで合意するかどうjかは、外交の選択であり国益の問題である。感情や文化や宗教の問題ではない。きわめて世俗的な問題なのだ。

筆者は、中国が示した靖国見解は現実的なものだと思う。日本が中国と経済を中心に友好的な関係を築くうえで、A級戦犯の分祀が実現しないのなら、首相の参拝をしないことの方が賢明だ。しかし、こうした外交の合意点は、靖国問題の一部である。そのレベルの議論に固執していては、靖国問題の本質から遠ざかる。