2005年6月21日火曜日

『教育と国家』

●高橋哲哉[著] ●講談社現代新書 ●720円+税

いま話題の『靖国問題』の著者・高橋哲哉が日本の教育問題を論じている。筆者は教育にあまり関心がない。多くの人と同じように学校は好きだったけれど、授業やテストが嫌いだったし、教育と聞くだけで胡散臭さを感じてしまう。師にも縁がないし、もちろん、弟子や教え子もいない。

本書が論じている教育とは、もちろん、そういうレベルの「教育」ではない。教育とは、国家(政治・行政)が学校制度をとおして国民に植えつける価値形成のことであり、さらにいえば、国が個人の人間形成に与える影響のことだ。

日本には教育基本法があり、日本の教育の運営の根幹をなしている。教育基本法は、戦前大日本帝国が行っていた臣民教育の反省を中核として制定されたものだ。戦前の教育は、いまさら繰り返すまでもなく、恐ろしいものだった。教育勅語、修身が代表するとおり、アジア諸国を侵略し日本国民を無益な死に追いやった元凶だった。戦前の教育の特徴は、国家に隷属する臣民の養成にあり、その教育の「成果」により、日本は焦土と化し、310万人以上がなくなった。さらに、侵略されたアジア諸国の犠牲者は2千万人を超えるともも言われくらい、惨憺たるものだった。間違っても、あのころの教育に帰ることがあってはならない。

ところが、いまの日本では驚くなかれ、教育基本法の改正が目論まれ、学校の現場では国家斉唱・国旗掲揚が強制され、それを拒否した教師、生徒には処分が課されるという。さらに、ショービニズム的「愛国心」教育が学習指導要領等の行政権限で強制されているという。

これにはマスコミも手を貸している。たとえば、未成年者、とりわけ児童・生徒の凶悪犯罪については、統計的にはいま現在、減少安定期にあるにもかかわらず、増加傾向にあるかのような報道が一般化していることで明白だ。

ある保守系政治家が、「児童生徒の凶悪犯罪の“増加”は、今日の教育に問題がある」とか、「教育基本法のある箇所に、少年犯罪を増加させるような記述があるので、同法を改正する必要がある」という発言をすると、マスコミはそれをそのまま報道してしまうという。

真のジャーナリズムならば、そのような発言を掲載する前に、犯罪統計を調べて、いま現在、少年犯罪は増加していない、と保守系政治家の「発言」を虚言としてさばかなければいけない。また、教育基本法の原文を当たり、そのような記述は同法には見当たらないので、これもまた虚言である、と報じなければいけない。しかしながら、日本の報道機関はそれをせず、政治家の「虚言」を「意見」として、取り上げてしまう。日本のジャーナリズムは、保守系政治家・政党の広報を担っているというわけだ。

教育基本法の改正がいまなぜ、保守系勢力にとって必要なのか――その答えは、もちろん、新国家主義の台頭による。国家が国民を自由にコントロールできる教育、反戦平和主義を「時代遅れ」として退け、ことあらば周辺諸国と一戦交えることを辞さずという心構えを持たせる教育、そんな「普通の国」づくりを彼等が目指そうとしているからだ。「愛国心」教育も同じだ。国家と国民を絶対不可分の関係に固定させ、国難には国民の犠牲を厭わないような、「愛国心」の醸成が意図されているのだ。
著者は、日本の保守勢力が進めている恐ろしい「教育改革」の実態を暴き、「愛国心」教育のウソを衝く。

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