2005年7月20日水曜日

『マニ教』

●ミシェル・タルデュー[著] ●文庫クセジュ ●951円+税

 
マニ教の開祖・マニは3世紀、メソポタミアに生まれた。この時代、イラン(ペルシア)、メソポタミア地域は、キリスト教各派、ユダヤ教各派の周辺宗教と、イラン起源の伝統的宗教であるゾロアスター教などが信仰されていた。
 
その一方、インド起源の仏教の流入もあり、また、ギリシア哲学の影響も認められた。ギリシア哲学としては、グノーシス派の影響が強かった。

3世紀のイラン、メソポタミアは、キリスト教、ユダヤ教の分派活動の結果生まれた新宗教や、ギリシア哲学を発展させた新思想が生まれ、それらが互いに議論を交わし、自らの存続をかけて活動したところだった。マニ教は、そんな情況が生み出し育んだ宗教の1つ。

マニの父は「ムグタジラ」(アラビア語)、ギリシア語では「アルカサイオス」または「アルハサイ」「エルカサイ」の信者だった。「エルカサイ」は、洗礼派キリスト教という説もあるが、ユダヤ教の一派であるという説が有力だ。

マニは4歳から「エルカサイ」に入信し、しばらくの間その宗教活動に従事したが、西暦228年(マニ12歳のとき)天啓を受け、預言者へと成長していくことになる。

マニ教とはどんな宗教なのか。組織論としての特徴は、厳粛な身分制度を堅持した宗教であったことが挙げられる。教団は「選良者」と「聴講者」に区分された。「聴講者」の最下位に位置するのが在家信者で、彼らにはもっともゆるやかな戒律が課せられた。「選良者」の最下位には修道士が位置したが、修道士の戒律は厳しく、「聴講者」の日常とは、大きな隔たりがあった。

マニ教徒の義務としては、戒律、祈祷、布施、断食、懺悔の5事項があった。この5種類は後世のイスラム教の「五柱」である、信仰告白、祈祷、布施、断食、巡礼に酷似している。イスラム教がマニ教の影響の下にあったことは明白だ。

さて、マニ教の教義を、筆者がここで手短にまとめることは極めて難しい。本書を手始めに、興味をお持ちの方々がそれぞれ学習していただくことが一番だが、筆者の大雑把な理解を以下に記しておく。

天と地及びその中のすべてのものの存在に先立ち、善なる本質(光=「偉大なる父」=アッパ・ドゥ・ラップタ)と悪なる本質(「暗闇の王」=ムレク・へシュカ)が存在する。「偉大なる父」の外側に、知性・知識・思考・熟慮・意識の5つの住居(スキタナ)が住んでいる。一方、「暗闇の王」は彼の大地である、彼の5つの世界、煙界、火界、風界、水界、暗黒界に住んでいる。

第一次の戦闘:「暗闇の王」から偉大なる父に向けて敵対行為が開始される。

「偉大なる父」は最初の一連の召命(最初の創造)を呼び出すことによって、「暗闇の王」の攻撃に反撃する決定を下す。「偉大なる父」は「活ける者たちの母」(エンマ・ドゥ・ハッイェ)を呼び出し「活ける者たちの母」は「原人」(ナシャ・カドマヤ)を呼び出し、「原人」が5人の息子を、戦いの武具を身に着けるかのように呼び出す。

「暗闇の王」によって、「原人」とその息子達は敗北する。そして、「偉大なる父」が再び召命(第二の創造)を呼び出すことによって、第二の反撃を加え、「原人」が活ける霊によって救済される・・・

以下、「偉大なる父」と「暗闇の王」との戦いが何度か繰り返され、召命(創造)が呼び出され、何度となく「原人」とその息子達が復活し、「活ける霊」が創造主(デミウルゴス)として働き、「使者」によって、宇宙の機械が始動される。

やがて、戦闘は神々のレベルで終わり、人間のレベルで始まる。最後の光の一片が混合相手の物質から救出され父の知的な5つの光輝(ジーワーネー)である完全な「人間」が回復されるまで続く。

さて、マニ教の特徴は、善悪の「極性」及び「5」を基数とする「5個組性」並びに「多名性」にある、といわれている。

「極性」はニ神論を表すようにも思えるが、本書によると、善悪の二極性は、ニ神の弁証法的な駆け引き(戦い)を意味するという。悪は善を引き出す役割を担うということだろうか。

「多名性」ついては、たとえば、「暗闇の王」については、「悪魔」(ギリシャ語、ラテン語、コブト語資料)、「サタン」(アラビア語資料)、「アハレメン」(中期ペルシア語、パルティア語、古代トルコ語資料)、「シマヌ/シムヌ」(ソグド語ほか)・・・と言い換えられているという。「偉大なる父」についても同様にいくつもの呼称が与えられている。

マニは、ユダヤ教の一派から分離し、キリスト教や伝統的宗教を取り込んで、独自の教義と組織論をもってマニ教を完成。その布教に努めたが、西暦274年、ゾロアスター教を公認するバグダッド近くの小国の王・バハラームによって殺された。
 
マニの死後、マニ教は弟子達によって、東はインドから中国に至るまで、西は西欧にまで広がったものの、どういう理由か、世界宗教となるに至らなかった。本書にはマニ教が今、どういう形で信仰されてるか記されていないが、素人判断では、イラン、メソポタミア等においては、イスラム教に吸収されたものと解釈されよう。

マニ教発生の地はイスラム圏の中心部だが、では、周縁部ではどうなのだろうか。例えば、インド西部とかイランの僻地とかで、マニ教徒に出会ってみたいと思うのは、筆者だけだろうか。