2005年11月2日水曜日

『妻と娘の国へ行った特派員』

●近藤紘一[著] ●文春文庫 ●360円

近藤鉱一(1940~1986)は大手新聞社の特派員として、主に東南アジアを舞台に活躍した。彼はフランス(パリ)研修中、夫人を亡くしているのだが、研修後、その精神的痛手を抱えたまま、戦乱の南ベトナムに赴任した。赴任後、近藤は当地で子連れのベトナム人女性と再婚した。

ベトナム赴任中、近藤は北ベトナムによる「サイゴン解放」という歴史的瞬間に立ち会う。そのことを含め、近藤は戦時の南ベトナム、カンボジア、そして、その後の赴任先であるバンコク、家族が移住したパリについて、4冊の本(『サイゴンのいちばん長い日』『サイゴンから来た妻と娘』『バンコクの妻と娘』『パリへ行った妻と娘』)を残した。それらの著作には、当地の政治家、軍人、民衆、ベトナム人である夫人の親戚、同業者(特派員)、特派員以外の外国人、さらに、自分の再婚の経緯、新しい家族と暮らしたベトナム、バンコク、日本等における生活が描かれている。

そればかりではない。4冊の中には、パリ研修時代、近藤が最初の夫人の死を自分の責任だと自覚し、強い自責の念にかられていたことが、フラッシュバックのように挿入されている。挿入された断片を読みつなぎ合わせると、最初の夫人が異国(フランス)の生活からくるプレッシャーにより、精神の病を患ったこと、さらに病魔が精神から身体をも蝕み、衰弱死に至らしめたこと、そして、近藤自身が、死に至る夫人を救済できなかった(と自覚している)こと、などがわかってくる。最初の夫人の死は、近藤のその後の精神形成に過重な負担を強いたようだ。

さて、本書は前述の4つの著作とは異なり、近藤の家族や自身については触れずに、特派員という職業、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポールといった、東南アジア諸地域の風土について書かれている。本書から、1970~80年代の東南アジア各国の国情や生活実態などをうかがい知ることができる。

近藤は、自らを「東南アジア屋」と呼んで憚らない。その呼び方には、大手新聞社特派員のエリートコースが欧米勤務にあり、発展途上国勤務者が「落ちこぼれ」であることの自嘲が見て取れる、と同時に、20世紀後半の東南アジアが激動する歴史の表舞台であり、そこで命を賭けて取材を続けた自己の矜持を滲ませているように思う。だから、70~80年代の東南アジアの国情を背景として押さえておかなければ、本書を理解することが難しい。たとえば、カンボジアのポルポト政権が行った虐殺の史実を知らなければ、本書のその部分の記述は分かりにくいだろう。

筆者の感想としては、近藤の表現者としてのポジションの危うさが気になっている。近藤はカンボジアの悲劇について、ジャーナリスト特有の簡潔な記述に心がけているように思えるが、近藤のさらりとした記述は、ポルポトの恐怖政治の根源を問う思想性、厳しさに欠けるように思える。と同時に、近藤が詩人であるのならば、カンボジア人民の受難を取り込む感性に欠けるようにも思う。
近藤の表現者としてのポジションは「ジャーナリスト」なのか、それとも思想家、哲学者、詩人なのかを問わんとする問題設定は、存外、重要なことだ。それは近藤の創作活動が本書を境に、どちらの方向へ深化していくかにあった。もしかしたら、近藤のような人物は政治家やコメンテーターとして、(テレビで)活躍する可能性もあった。その回答を得る前に、45歳という若さで彼はガンに倒れてしまった。誠に遺憾というほかない。