●酒井健〔著〕 ●ちくま学芸文庫 ●900円(+税)
先に当コラムで取り上げた『中世ヨーロッパの歴史』の書評において、ホイジンガが中世という時代をフランボワイヤン(火焔様式)ゴシックにたとえた一文を紹介した。では、ゴシックとは何か――そこに関心が向かうのは当然のこと――それが本書を購入した理由にほかならないのだが、本書は誠に示唆多き書。いろいろな意味で勉強になった。己の無知蒙昧・思い込み等を本書によって、訂正させられた次第。以下、本書から学んだポイントをまとめてみよう。
著者(酒井健)は、ゴシック様式とは先住ヨーロッパ人(ケルト人、ゲルマン人)による、森(大自然)の再現だという。この指摘が、ゴシックの本質のすべてをあらわしているように思える。自然を模した装飾をキリスト教会に取り入れる手法は、先のロマネスク様式に始まっていた。そこでは、怪獣・精霊、乱茂する草木、異教(自然神)の神像等が、キリスト教会堂の柱頭やタンパンに装飾されていた。今日、ロマネスク教会を訪れれば、キリスト教会でありながら、キリスト教以前の異教の面影を発見することができる。
ロマネスクからゴシックに移行すると、教会堂の外観に飛躍的変化が訪れる。ロマネスク教会は、ずんぐりとした丸みを帯びた低層の建物だが、ゴシック大聖堂は、高く、巨大な建築物に変化する。ゴシック大聖堂は、建物の一部が森の高木を象徴し、内部が森の中を、そして、森に満ち溢れる霊性を備えた者たち――例えば、想像上の怪獣・精霊、乱茂する草木、自然神等が外観、内装の装飾によって付加される。ゴシック様式の建築物は、ロマネスク以上に、森という原始ヨーロッパ人が抱いた信仰の原点を強力に表現する。
キリスト教信仰の拠点であるはずの大聖堂が、なぜ、異教的なのか――11世紀、フランスの人口の9割が農民で、彼らの信仰はキリスト教(表向きキリスト教であっても)以前の自然信仰者だった、というのがその答えだ。
12-14世紀、ゴシックの時代の中世ヨーロッパ人の信仰は、キリスト教布教前の自然神、偶像崇拝にとどまっていた。だから、教会側は彼らの信仰を尊重しキリスト教を習合させた。その代表例がヨーロッパに広く分布するノートルダム教会だ。ノートルダム信仰は、古ヨーロッパにあった地母神信仰の変容だ。キリスト教の普及に伴い、地母神信仰は聖母マリア信仰として確立した。聖母マリア信仰は、各地にノートルダム寺院を誕生させたのだが、それはゴシックの時代に重なっている。ノートルダムを直訳すれ、“我々の婦人”という意味になるが、聖母マリアのことを指す。
ゴシック以前、ロマネスク教会は農村部に建立された。一方、ゴシックは都市に建立された。前者の信仰者は農村に住む農民だった。ゴシックの時代になると、人口増加に伴う農民たちは、概ね開墾が終了した農村部を追われ、都市に流入した。そして、故郷の自然への憧憬の念は、自然崇拝を基にした大規模な大聖堂に吸い寄せられた。それが、ゴシックの時代の信仰の基調をなした。
都市に花開いたゴシック大聖堂は、キリスト教布教の根拠であると同時に、都市の匿名の民衆の祝祭の場だったという。大聖堂でいったい何が執り行われていたのか。中世の都市では、日々、演劇的・祝祭的日常を送っていた。大聖堂では、たとえば、そこに仕える司祭さえもが、都市民衆の笑い・嘲笑の対象だった。ヨーロッパ文明の源の1つとしてキリスト教が挙げられるが、かの地に根付いた“キリスト教”が異教的要素を抱えたものであることを知る。
さて、ゴシックとは、“ゴース人(の)”という意味であることはよく、知られている。「ゴース人」は日本の教科書では「ゴート人」と書かれることが多いが、「ゴース」「ゴート」はもちろん同一だ。命名者は、ルネサンス期のイタリア人だった。ところが、実際のゴシック建築は12世紀ころのフランス北部に起源を発する様式で、その後、14世紀にかけて、フランス各地、ドイツ、イタリア、スペイン等に伝播した。その作業を担ったのは各地の諸族であって、ゴート人ではない。
ゴート人とは、5世紀、フン族に追われて東方からローマ帝国領内に侵入したでゲルマン系民族の1つ。西ローマ帝国を滅亡に追い込み、イタリア、スペインにそれぞれ東ゴート王国、西ゴート王国を建国したが、遅れてヨーロッパに侵入を開始したフランク族等及びイスラムによって滅亡させられた。12-14世紀にゴシック大聖堂を建立したヨーロッパ人は、同じゲルマン系であるが、ゴート人ではない。
ルネサンス人はなぜ、そんな基本的誤りを犯したのか。その誤解・誤記はどこから来たのかというと、ルネサンス期のイタリア人がゲルマン系の美術様式を軽蔑したことだという。“ドイツ人”と“ゴート人”はルネサンス人にとって同義だと。彼らの美意識にそぐわない北方様式は、すべてドイツ起源であり、ドイツ人とはすなわち、ゴート人なのだというのがルネサンス人のゴシック評価だった。
ルネサンス人の美の理想は、比例、均衡、均整、合理主義だった。ゴシックは有機的大自然を模倣した様式だった。だから、ルネサンス人はゴシックを忌み嫌った。ルネサンスを代表する表現様式に遠近法(一点透視法)があるが、この技法はまさに、外観(美)を比例の関係に求めたものだ。それだけではない。一点透視法の発見は、客体(対象)と主体(芸術家)の分離を前提にしている。中世美術では、対象を描く主体は対象の内部にあって外部にない。だから、事物はすべて同じ大きさで描かれるか、特別な意味を持つ対象が大きく描かれる。
ところが、ルネサンス期になると、主体は対象の外に立ち、遠くにあるものは小さく、近くにあるものは大きく描かれるようになる。描く主体と描かれる対象は分離する。遠近法の定着と主客の分離こそ、芸術家の誕生にほかならない。芸術家=個人は、自然、モノ、自然神の帰属から離れ、独立した存在として、世界を描く。対象から、主体が独立すること、すなわち、芸術家の発生だ。それまでの表現者は、建築技術者、技能者、職工であって、自然、神、支配者・・・に帰属していた。それが、ルネサンス期になると“芸術家はそこから独立した。権力者から援助を受けていても、表現は自由だった。ルネサンスが“人間主義”と呼ばれ、近代へと通じる所以だ。もちろん、ルネサンスの“人間主義”は近代以降の個人主義とは異なるけれど、ゴシック批判・反発が中世の終焉を告げているともいえる。
本書読了後、かつて観光で訪れたゴシック大聖堂の数々――ノートルダム寺院(フランス・パリ)、ミラノ大聖堂(イタリア)、ルーアン大聖堂(フランス)、サンサヴァン大聖堂(フランス・サンマロー)、ブルゴス大聖堂(スペイン)、レオン大聖堂(スペイン)・・・の威容かつ異様な姿が思い浮かぶ。
(2006/11/23)
2006年11月17日金曜日
村上春樹はくせになる
●清水良典〔著〕 ●朝日新書 ●720円+税
村上春樹論には難解なものが多いが、本書は平易であり平凡に近い。新書という制約か。いままで論じられた村上論の範囲内にある。本書の村上論を以下、4項目にまとめておこう。
時代とともに変化する作風
著者(清水良典)によると、村上春樹は時代とともに変容できる作家だという。戦後を大雑把に区画する事件と村上作品とを照合してみると、
・全共闘運動=1970年前後=『風の歌を聴け』~ほか
・バブル経済=1990年前後=『国境の南、太陽の西』~ほか
・阪神大震災、オウム事件=1995年以降=『アンダーグラウンド』『約束された場所で』『神の子どもたちはみな踊る』
・9.11事件=2001年以降=『海辺のカフカ』ほか
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』等(3部作)は、全共闘運動及びほぼ同時期に起こった文化運動の退潮及びそれに参加した若者の退行的気分を扱ったものだった。だから、村上春樹を全共闘作家と呼んだ文芸評論家がいたし、いまもいる。また、村上自身もその体験を持続的テーマとして選び取っていることと思われる。つまり、その作風は時代を回避する姿勢だった。
ところが、バブル経済の崩壊以降の地震、オウム事件を境にして、村上は突然、社会に関心を持ち始め、大事件に関連した作品を発表する。
そしてその次の変化は、2001年の「9.11事件」の勃発を契機としている。この事件を境に、村上は、米国が進める「戦争」に諦念を抱く世界規模の「大衆」の気分を「癒す」作風に転換する。『海辺のカフカ』の発表だ。本書は『海辺のカフカ』に寛容だが、この作品が売れ出したころ、批判的な評論が続出した。
村上作品に共通するもの
村上の小説に出てくるキャラクターに共通するのは、欠損の感覚、言語に対する不信の表明、精神の不安、心の病・・・をもつ人であり、自殺者、死者も多い。しかも、小説の舞台には、生と死の境界のようなイメージが漂っていて、生者と死者の境界はない。世界は「この世」「こちら側」と「あの世」「向こう側」に設定されていて、二つの世界の往来は自由。小説は現実のようであり、夢のようであり、現実と幻想・空想はあいまいなままだ。現代のおとぎ話、寓話(アレゴリー)ともいわれる。
そればかりではない。理性や科学で説明できない闇、暗黒、偶然性といったブラックホールが準備されている。
登場人物は、ジキルとハイドであり、両性具有者であり、自己であると同時に他者であったりする。
小説の中に組み込まれた謎解きのような仕掛け、暗喩、直喩、象徴も村上作品の特徴だ。“これは、もしかしたら、あのことかもしれない・・・”と、読者が自由に想像する楽しさが散りばめられている。だが、ミステリー作品のような確かなロジックに貫かれているわけではない。謎解きの仕事を作者が放棄しているため、その意味で、“イメージの垂れ流し”という批判を免れない。
村上春樹と日本の文壇
日本の文壇と無縁の作家というのが村上の特徴らしい。著者(清水良典)は、村上の作品の転位は、村上が東京~米国~東京と転居したことと結び付けられるという。村上の日本脱出は、日本の文壇(出版社と作家の関係を断ち切る。日本の文学は出版社からの受注生産だという。)との空間的遮断が目的であり、そこでの創作活動が成果を上げた後、再び日本及び日本語への回帰を果たすため、帰国し今日に至っているというのだ。
「9.11」以降
村上春樹に限らず、いかなる作家も「9.11」以降の世界の行く末を予言することはできない。作家は、時代に漂う気分を作品化することはできるが、世界を直接変える仕事をするわけではない。
著者(清水良典)は村上の近作、『アフターダーク』に今後の村上作品の方向性を読み取っている。著者(清水良典)がそこで持ち出したキーワードは、「回帰」だ。どこに回帰するのかといえば、1970年前後の日本ではないか、という。この「予言」は当たるのだろうか。
(2006/11/17)
村上春樹論には難解なものが多いが、本書は平易であり平凡に近い。新書という制約か。いままで論じられた村上論の範囲内にある。本書の村上論を以下、4項目にまとめておこう。
時代とともに変化する作風
著者(清水良典)によると、村上春樹は時代とともに変容できる作家だという。戦後を大雑把に区画する事件と村上作品とを照合してみると、
・全共闘運動=1970年前後=『風の歌を聴け』~ほか
・バブル経済=1990年前後=『国境の南、太陽の西』~ほか
・阪神大震災、オウム事件=1995年以降=『アンダーグラウンド』『約束された場所で』『神の子どもたちはみな踊る』
・9.11事件=2001年以降=『海辺のカフカ』ほか
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』等(3部作)は、全共闘運動及びほぼ同時期に起こった文化運動の退潮及びそれに参加した若者の退行的気分を扱ったものだった。だから、村上春樹を全共闘作家と呼んだ文芸評論家がいたし、いまもいる。また、村上自身もその体験を持続的テーマとして選び取っていることと思われる。つまり、その作風は時代を回避する姿勢だった。
ところが、バブル経済の崩壊以降の地震、オウム事件を境にして、村上は突然、社会に関心を持ち始め、大事件に関連した作品を発表する。
そしてその次の変化は、2001年の「9.11事件」の勃発を契機としている。この事件を境に、村上は、米国が進める「戦争」に諦念を抱く世界規模の「大衆」の気分を「癒す」作風に転換する。『海辺のカフカ』の発表だ。本書は『海辺のカフカ』に寛容だが、この作品が売れ出したころ、批判的な評論が続出した。
村上作品に共通するもの
村上の小説に出てくるキャラクターに共通するのは、欠損の感覚、言語に対する不信の表明、精神の不安、心の病・・・をもつ人であり、自殺者、死者も多い。しかも、小説の舞台には、生と死の境界のようなイメージが漂っていて、生者と死者の境界はない。世界は「この世」「こちら側」と「あの世」「向こう側」に設定されていて、二つの世界の往来は自由。小説は現実のようであり、夢のようであり、現実と幻想・空想はあいまいなままだ。現代のおとぎ話、寓話(アレゴリー)ともいわれる。
そればかりではない。理性や科学で説明できない闇、暗黒、偶然性といったブラックホールが準備されている。
登場人物は、ジキルとハイドであり、両性具有者であり、自己であると同時に他者であったりする。
小説の中に組み込まれた謎解きのような仕掛け、暗喩、直喩、象徴も村上作品の特徴だ。“これは、もしかしたら、あのことかもしれない・・・”と、読者が自由に想像する楽しさが散りばめられている。だが、ミステリー作品のような確かなロジックに貫かれているわけではない。謎解きの仕事を作者が放棄しているため、その意味で、“イメージの垂れ流し”という批判を免れない。
村上春樹と日本の文壇
日本の文壇と無縁の作家というのが村上の特徴らしい。著者(清水良典)は、村上の作品の転位は、村上が東京~米国~東京と転居したことと結び付けられるという。村上の日本脱出は、日本の文壇(出版社と作家の関係を断ち切る。日本の文学は出版社からの受注生産だという。)との空間的遮断が目的であり、そこでの創作活動が成果を上げた後、再び日本及び日本語への回帰を果たすため、帰国し今日に至っているというのだ。
「9.11」以降
村上春樹に限らず、いかなる作家も「9.11」以降の世界の行く末を予言することはできない。作家は、時代に漂う気分を作品化することはできるが、世界を直接変える仕事をするわけではない。
著者(清水良典)は村上の近作、『アフターダーク』に今後の村上作品の方向性を読み取っている。著者(清水良典)がそこで持ち出したキーワードは、「回帰」だ。どこに回帰するのかといえば、1970年前後の日本ではないか、という。この「予言」は当たるのだろうか。
(2006/11/17)
2006年11月16日木曜日
性と暴力のアメリカ
●鈴木透[著] ●中央公論新社 ●840円(税別)
アメリカ合衆国における性と暴力を考察した書だ。筆者(鈴木透)は、現在の米国おける性と暴力について、両者に共通する原理及び相互関係を見出そうとする。著者によると、ヨーロッパから米国にやってきた移民たちは、広大な未開拓の大地を処女に見立てた。米国の性と暴力は、広大な処女地を開拓した開拓民の精神と肉体の記憶に求められるという。
もちろん、それだけではない。性については、建国期、英国から移住してきた清教徒(ピューリタン)の性に対する謹厳な態度と、英国のヴィクトリア的伝統である、「女性は家」の慎ましさの強制の伝統が土台となっている。また、暴力については、連邦政府の統治が行き渡らない開拓地では、私法、私刑、民間武装、自警団の伝統が根付いた。
新大陸における移民による国づくりという、特殊な国家形成を為した米国だが、今日まで、性と暴力とでは、まったく異なる道を辿っている。性については、性の解放に向けて(もちろん、革命と反動の振り子現象を繰り返しつつも)、概ね解放路線で進捗している。米国における性の課題といえば、人工中絶、同性愛、異人種間(黒人と白人等)の性愛、女性の社会進出、離婚問題等であろうが、これらに対する社会の関心度、マスコミの取り上げ方、議論の仕方、法制度の整備の状況はきわめて公明正大であり、かつ、まともである。
ところが、暴力となると、まったくといっていいほど、制御に向けた動きは封じられる。著者(鈴木透)がいうように、暴力の突出した形態を戦争だとするならば、独立戦争以来、メキシコ戦争(カリフォルニアを強奪)、南北戦争と続き、その後、20世紀初頭まで続いた孤立主義を経て、第一次大戦参戦、第二次大戦(その後の朝鮮戦争を含む)、冷戦期における核兵器開発、中東戦争、ベトナム戦争、パナマ侵攻、そして、21世紀に入ると、「9.11」以降の対テロ戦争(アフガン、イラク侵略戦争)まで、戦争を続けている。こうした、米国の直接的軍事行動を、開拓時代の死刑の伝統で説明できるのだろうか。
20世紀以降の米国の軍事行動は、米国経済に占める軍事産業の割合の増大と関係しているのではないか。米国経済、米国社会が軍事産業への依存度を高めるに従い、米国の世界規模での暴力(戦争)が恒常化したのではないか。軍事産業の拡大が地域の雇用を増大させ、地域経済を活性化させている。米国経済・社会は、軍事産業抜きには立ち行かない。
もちろん、米国の「草の根」暴力主義は、銃器野放し状態の「銃社会」が象徴する。性が連邦政府の権限拡大に伴い、解放に向かったにもかかわらず、連邦政府の権限拡大は、暴力規制=銃規制にはまったく機能しなかった。その理由は何か。米国民がいまだ、二挺拳銃のカウボーイ意識を引きずっているとは思えない。なぜなら、新大陸開拓の移民国家である、カナダ、オーストラリアは、銃を完全に規制したからだ。連邦政府の権限拡大は、米国を専軍政治=軍事産業依存型経済体制=軍事国家に変貌させた。そして、暴力の場を世界に拡大させた。その原因は、おそらく複合的な要素の結合だろう。それを解明しなければ、米国の暴力の源泉を解明したことにならない。
なお、米国の自警団、テロ集団として、KKKと並んで特記すべき存在として、「ブラック・リージョン(黒い軍団)」を挙げておきたい。米国の暴力を扱う本書で、まったくその存在に触れられていないのは誠に残念だ。
「ブラック・リージョン」とは、1030年代、米国オハイオ州に生まれた秘密結社。元KKKメンバー、反共産主義者、人種差別主義者らで構成された、ナチスを髣髴とさせるカルト集団。黒いマスクと黒の法衣のようなコスチュームに身を固め、ユダヤ人、黒人、カトリック教徒を「米国の敵」と看做し、テロの標的とした。不況下のデトロイトに進出し、右翼的大企業であるフォード社らと結託し、多数の労働組合幹部を殺害した。
「ブラック・リージョン」の構成メンバーは、警察官、政治家、裁判官、公務員等の社会の中枢に属する層に浸透したが、ある殺人事件をきっかけに米国社会がこの組織暴力を追い詰めるに至る。裁判で関係者が有罪判決を受け組織は壊滅するものの、連邦政界との関係は不問にふされ、さらに構成員名簿がいつの間にか消失するなど、不可解な部分も多い。
「ブラック・リージョン」を通じて、1930年代の米国に、ナチスドイツと同質のファシズムが台頭していたことを窺い知ることができる。「ブラック・リージョン」を知る人は、第二次大戦直前の米国を「反ファシズム」「自由と民主主義の国」と言い切ることに、躊躇を感じる。「ブラック・リージョン」のテロがおさまってから10数年後、日本を占領した米国もまた、ファシズム体質を宿す国だったのだ。戦後日本における、米国=民主主義国家という幻想(=無媒介な米国崇拝)も、民族主義的反感も、どちらも危険というほかない。
いまや、米国はまさに、「ブラック・リージョン」に染まったた感がある。
(2006/11/16)
アメリカ合衆国における性と暴力を考察した書だ。筆者(鈴木透)は、現在の米国おける性と暴力について、両者に共通する原理及び相互関係を見出そうとする。著者によると、ヨーロッパから米国にやってきた移民たちは、広大な未開拓の大地を処女に見立てた。米国の性と暴力は、広大な処女地を開拓した開拓民の精神と肉体の記憶に求められるという。
もちろん、それだけではない。性については、建国期、英国から移住してきた清教徒(ピューリタン)の性に対する謹厳な態度と、英国のヴィクトリア的伝統である、「女性は家」の慎ましさの強制の伝統が土台となっている。また、暴力については、連邦政府の統治が行き渡らない開拓地では、私法、私刑、民間武装、自警団の伝統が根付いた。
新大陸における移民による国づくりという、特殊な国家形成を為した米国だが、今日まで、性と暴力とでは、まったく異なる道を辿っている。性については、性の解放に向けて(もちろん、革命と反動の振り子現象を繰り返しつつも)、概ね解放路線で進捗している。米国における性の課題といえば、人工中絶、同性愛、異人種間(黒人と白人等)の性愛、女性の社会進出、離婚問題等であろうが、これらに対する社会の関心度、マスコミの取り上げ方、議論の仕方、法制度の整備の状況はきわめて公明正大であり、かつ、まともである。
ところが、暴力となると、まったくといっていいほど、制御に向けた動きは封じられる。著者(鈴木透)がいうように、暴力の突出した形態を戦争だとするならば、独立戦争以来、メキシコ戦争(カリフォルニアを強奪)、南北戦争と続き、その後、20世紀初頭まで続いた孤立主義を経て、第一次大戦参戦、第二次大戦(その後の朝鮮戦争を含む)、冷戦期における核兵器開発、中東戦争、ベトナム戦争、パナマ侵攻、そして、21世紀に入ると、「9.11」以降の対テロ戦争(アフガン、イラク侵略戦争)まで、戦争を続けている。こうした、米国の直接的軍事行動を、開拓時代の死刑の伝統で説明できるのだろうか。
20世紀以降の米国の軍事行動は、米国経済に占める軍事産業の割合の増大と関係しているのではないか。米国経済、米国社会が軍事産業への依存度を高めるに従い、米国の世界規模での暴力(戦争)が恒常化したのではないか。軍事産業の拡大が地域の雇用を増大させ、地域経済を活性化させている。米国経済・社会は、軍事産業抜きには立ち行かない。
もちろん、米国の「草の根」暴力主義は、銃器野放し状態の「銃社会」が象徴する。性が連邦政府の権限拡大に伴い、解放に向かったにもかかわらず、連邦政府の権限拡大は、暴力規制=銃規制にはまったく機能しなかった。その理由は何か。米国民がいまだ、二挺拳銃のカウボーイ意識を引きずっているとは思えない。なぜなら、新大陸開拓の移民国家である、カナダ、オーストラリアは、銃を完全に規制したからだ。連邦政府の権限拡大は、米国を専軍政治=軍事産業依存型経済体制=軍事国家に変貌させた。そして、暴力の場を世界に拡大させた。その原因は、おそらく複合的な要素の結合だろう。それを解明しなければ、米国の暴力の源泉を解明したことにならない。
なお、米国の自警団、テロ集団として、KKKと並んで特記すべき存在として、「ブラック・リージョン(黒い軍団)」を挙げておきたい。米国の暴力を扱う本書で、まったくその存在に触れられていないのは誠に残念だ。
「ブラック・リージョン」とは、1030年代、米国オハイオ州に生まれた秘密結社。元KKKメンバー、反共産主義者、人種差別主義者らで構成された、ナチスを髣髴とさせるカルト集団。黒いマスクと黒の法衣のようなコスチュームに身を固め、ユダヤ人、黒人、カトリック教徒を「米国の敵」と看做し、テロの標的とした。不況下のデトロイトに進出し、右翼的大企業であるフォード社らと結託し、多数の労働組合幹部を殺害した。
「ブラック・リージョン」の構成メンバーは、警察官、政治家、裁判官、公務員等の社会の中枢に属する層に浸透したが、ある殺人事件をきっかけに米国社会がこの組織暴力を追い詰めるに至る。裁判で関係者が有罪判決を受け組織は壊滅するものの、連邦政界との関係は不問にふされ、さらに構成員名簿がいつの間にか消失するなど、不可解な部分も多い。
「ブラック・リージョン」を通じて、1930年代の米国に、ナチスドイツと同質のファシズムが台頭していたことを窺い知ることができる。「ブラック・リージョン」を知る人は、第二次大戦直前の米国を「反ファシズム」「自由と民主主義の国」と言い切ることに、躊躇を感じる。「ブラック・リージョン」のテロがおさまってから10数年後、日本を占領した米国もまた、ファシズム体質を宿す国だったのだ。戦後日本における、米国=民主主義国家という幻想(=無媒介な米国崇拝)も、民族主義的反感も、どちらも危険というほかない。
いまや、米国はまさに、「ブラック・リージョン」に染まったた感がある。
(2006/11/16)
2006年11月3日金曜日
『中世ヨーロッパの歴史』
●堀越孝一[著] ●講談社学術文庫 ●1350円(税別)
中世ヨーロッパが停滞の時代、暗黒の時代と呼ばれたのは遠い過去のこと。いま中世が活力に満ち溢れた躍動的時代として、現代人を魅了する。
ヨーロッパ中世の見直しは、理性、自然科学、国民国家を柱とした近代・現代の反措定の意味をもっている――現代の閉塞状況は、中世という不動の体系を尋ねることによって、抜けられるのではないか――現代人は中世に羨望を抱きつつ、その面影を残すヨーロッパの古い街並みを旅することを好む。もちろん筆者もその中の1人。
ヨーロッパ中世の成立は、西ローマ帝国の滅亡(476)、ゲルマン系フランク族の王クローヴィスのカトリック改宗(498)に始まる。5世紀をもって、ヨーロッパの中心軸が地中海から内陸へと徐々に移動を開始する。北方から移動したゲルマン諸族が内陸に分権国家を築き、軍事的俗権と、汎ヨーロッパ的教会権力という聖権の結合が進む。
北方民族の移動は8~9世紀のノルマン人の侵入をもって、また、東方からの侵入は9世紀のマジャール人の侵入で一段落する。ヨーロッパ世界はイスラム、モンゴル、トルコといった台頭する非キリスト教圏勢力との緊張を保ちつつも、10世紀以降、安定期を迎える。その時代、ヨーロッパは十字軍という、聖(キリスト教信仰)と俗(軍団)が二重化した騎士団を組織して、東方へと膨張する。
14世紀中葉の黒死病大流行が中世の終わりを告げた。人口の30%近くを失うという自然災禍の発生は、これまでヨーロッパ中世を支えた物質と精神の両面に変容を強いた。前者は古代・中世に貫徹していた、「もの」本位の経済を衰退させ、貨幣本位の経済を促し、同時に諸侯分権から国王への権力集中を加速させた。また、後者については、教会の絶対的権威への懐疑が深まり、信仰の内面化を進めたかもしれない。中世の終焉を黒死病の流行に一元化できないにしても、その影響の大きさをだれも否定できない。
本書はヨーロッパ中世の魅力を伝える格好の入門書。著者(堀越孝一)は、ヨーロッパ中世について、ホイジンガを引用して、フランボワイアン・ゴシックにたとえる。フランボワイアン・ゴシックとは火焔様式と呼ばれるゴシック建築の一様式をいう。その姿は自然物と想像力とに彩られた外縁の装飾性を特徴とする。ヨーロッパ中世のたとえとしては、まさに核心をついている。フランボワイアン・ゴシックを見た者もまた、中世世界の不思議な魅力にとりつかれてしまうに違いない。
(2006/11/03)
中世ヨーロッパが停滞の時代、暗黒の時代と呼ばれたのは遠い過去のこと。いま中世が活力に満ち溢れた躍動的時代として、現代人を魅了する。
ヨーロッパ中世の見直しは、理性、自然科学、国民国家を柱とした近代・現代の反措定の意味をもっている――現代の閉塞状況は、中世という不動の体系を尋ねることによって、抜けられるのではないか――現代人は中世に羨望を抱きつつ、その面影を残すヨーロッパの古い街並みを旅することを好む。もちろん筆者もその中の1人。
ヨーロッパ中世の成立は、西ローマ帝国の滅亡(476)、ゲルマン系フランク族の王クローヴィスのカトリック改宗(498)に始まる。5世紀をもって、ヨーロッパの中心軸が地中海から内陸へと徐々に移動を開始する。北方から移動したゲルマン諸族が内陸に分権国家を築き、軍事的俗権と、汎ヨーロッパ的教会権力という聖権の結合が進む。
北方民族の移動は8~9世紀のノルマン人の侵入をもって、また、東方からの侵入は9世紀のマジャール人の侵入で一段落する。ヨーロッパ世界はイスラム、モンゴル、トルコといった台頭する非キリスト教圏勢力との緊張を保ちつつも、10世紀以降、安定期を迎える。その時代、ヨーロッパは十字軍という、聖(キリスト教信仰)と俗(軍団)が二重化した騎士団を組織して、東方へと膨張する。
14世紀中葉の黒死病大流行が中世の終わりを告げた。人口の30%近くを失うという自然災禍の発生は、これまでヨーロッパ中世を支えた物質と精神の両面に変容を強いた。前者は古代・中世に貫徹していた、「もの」本位の経済を衰退させ、貨幣本位の経済を促し、同時に諸侯分権から国王への権力集中を加速させた。また、後者については、教会の絶対的権威への懐疑が深まり、信仰の内面化を進めたかもしれない。中世の終焉を黒死病の流行に一元化できないにしても、その影響の大きさをだれも否定できない。
本書はヨーロッパ中世の魅力を伝える格好の入門書。著者(堀越孝一)は、ヨーロッパ中世について、ホイジンガを引用して、フランボワイアン・ゴシックにたとえる。フランボワイアン・ゴシックとは火焔様式と呼ばれるゴシック建築の一様式をいう。その姿は自然物と想像力とに彩られた外縁の装飾性を特徴とする。ヨーロッパ中世のたとえとしては、まさに核心をついている。フランボワイアン・ゴシックを見た者もまた、中世世界の不思議な魅力にとりつかれてしまうに違いない。
(2006/11/03)
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