2006年11月3日金曜日

『中世ヨーロッパの歴史』

●堀越孝一[著] ●講談社学術文庫 ●1350円(税別)

中世ヨーロッパが停滞の時代、暗黒の時代と呼ばれたのは遠い過去のこと。いま中世が活力に満ち溢れた躍動的時代として、現代人を魅了する。

ヨーロッパ中世の見直しは、理性、自然科学、国民国家を柱とした近代・現代の反措定の意味をもっている――現代の閉塞状況は、中世という不動の体系を尋ねることによって、抜けられるのではないか――現代人は中世に羨望を抱きつつ、その面影を残すヨーロッパの古い街並みを旅することを好む。もちろん筆者もその中の1人。

ヨーロッパ中世の成立は、西ローマ帝国の滅亡(476)、ゲルマン系フランク族の王クローヴィスのカトリック改宗(498)に始まる。5世紀をもって、ヨーロッパの中心軸が地中海から内陸へと徐々に移動を開始する。北方から移動したゲルマン諸族が内陸に分権国家を築き、軍事的俗権と、汎ヨーロッパ的教会権力という聖権の結合が進む。

北方民族の移動は8~9世紀のノルマン人の侵入をもって、また、東方からの侵入は9世紀のマジャール人の侵入で一段落する。ヨーロッパ世界はイスラム、モンゴル、トルコといった台頭する非キリスト教圏勢力との緊張を保ちつつも、10世紀以降、安定期を迎える。その時代、ヨーロッパは十字軍という、聖(キリスト教信仰)と俗(軍団)が二重化した騎士団を組織して、東方へと膨張する。

14世紀中葉の黒死病大流行が中世の終わりを告げた。人口の30%近くを失うという自然災禍の発生は、これまでヨーロッパ中世を支えた物質と精神の両面に変容を強いた。前者は古代・中世に貫徹していた、「もの」本位の経済を衰退させ、貨幣本位の経済を促し、同時に諸侯分権から国王への権力集中を加速させた。また、後者については、教会の絶対的権威への懐疑が深まり、信仰の内面化を進めたかもしれない。中世の終焉を黒死病の流行に一元化できないにしても、その影響の大きさをだれも否定できない。

本書はヨーロッパ中世の魅力を伝える格好の入門書。著者(堀越孝一)は、ヨーロッパ中世について、ホイジンガを引用して、フランボワイアン・ゴシックにたとえる。フランボワイアン・ゴシックとは火焔様式と呼ばれるゴシック建築の一様式をいう。その姿は自然物と想像力とに彩られた外縁の装飾性を特徴とする。ヨーロッパ中世のたとえとしては、まさに核心をついている。フランボワイアン・ゴシックを見た者もまた、中世世界の不思議な魅力にとりつかれてしまうに違いない。
(2006/11/03)