昨晩は、衛星放送で映画『キング・アーサー』を見た。この映画が封切られたとき、ぜひ見なければと思っていたのだが、忙しさにかまけ、気がついたときには上演している映画館がなかった。もちろん、レンタルビデオという手もあるのだが、放置したまま記憶から薄れ、今日に至ってしまった次第である。朝刊のテレビ欄で『キング・アーサー』の放映を知ったとき、落し物が出てきたようなうれしさを覚えた。
さて、この映画の粗筋やら、スタッフ、キャスト等については映画専門サイトもあることなので、ここでは触れない。筆者が“おもしろいな”と思ったのは、この映画では、アーサーがサルマタイ人で、ローマ帝国の傭兵としてブリテン島に送り込まれた重装騎兵軍(騎士団)の長という設定であったことである。
以下、『アーリア人』(青木健[著]、講談社選書メチエ)に従い、サルマタイ人について解説をしておこう。
サルマタイ人というのは、前1世紀から後1世紀にかけて、ウクライナ平原に現れたイラン系アーリア人であって、同じイラン系アーリア人のスキタイ人とは異なる。サルマタイ人は、西アジアに進出を図ろうとしたスキタイ人とは異なり、東欧へ進出しようとして、ハンガリー平原でローマ帝国と交戦し、状況によってはローマ帝国の傭兵となった。傭兵の中には、ローマ皇帝・マルクス・アウレリウスによって、ブリテン島の北方守備に送り込まれた重装騎馬兵軍もあり、現在、イギリスではサルマタイ人の遺跡が出土しているという。
イラン系アーリア人とアーサー王を結びつけた研究として、『アーサー王伝説の起源』(C・スコット・リトルトン+リンダ・A・マルカー[著])が思い出される。
「アーサー王=サルマタイ人」説というのは、フランス人の中世学者ジョエル・グリスヴァルドが唱えたもので、現代のオセット人(コーカサス人)が保持する英雄バトラスの叙事詩と、15世紀にトマス・マロリー卿によってつくられた『アーサー王の死』とが類似することから導き出されたものである。そればかりではない。アーサー王の物語で重要な地位を占める騎士ランスロットの語彙は、“ロットのアラン人”ではないかという仮説が、マルカーによって提起され、「ランス・ア・ロット」を語彙とするケルト起源説に一石を投じた。アラン人もイラン系アーリア人の一派で、4世紀後半、フン族の襲来によって西方へ飛散し、ローマ帝国内に逃げ込んだことはよく、知られている。
こうして、リトルトンとマルカーは、グリスヴァルドの説を発展的に引き継ぎ、アーサー王の物語の起源は、イラン系アーリア人の文化にまで遡れるという趣旨の、『アーサー王伝説の起源』を書き上げた。
なお、同書の原語タイトル、From Scythia To Camelotは、誤解を生じやすい。到達点である「キャメロット(Camelot)」は、アーサー王の王国、ログレスの都のことで、アーサー王はこの地にキャメロット城を築き、多くの戦いに出陣したところであるから問題はない。ところが、出発点である「スキタイ(Scythia)」が誤解のもとである。サルマタイ人、スキタイ人、アラン人はイラン系アーリア人という次元では同類であるものの、活躍した時代にはずれがある。また、“スキタイ”という地名にも普遍性がなく、スキタイ人、サルマタイ人が生活圏とした地域は、ウクライナ平原の黒海沿岸地方であって、この表現のほうが正しい。