2010年2月13日土曜日

ドレスコード違反

日本の冬季五輪のスノボ選手の服装が問題になっている。ネットで確認して見たところ、あまり出来のよろしくない高校生のような着こなしである。ブレザーの下のシャツをパンツの上にたらし、しかも「腰パン」で、タイも緩め・・・

案の定、非難が集中して、この選手の大学に抗議電話が多数かかってきたという。所属する大学に抗議する人間もトンチンカンこのうえないが。

この騒動に対する筆者の感想はというと、この選手はいわゆる、ドレスコードに反している、という尺度において格好悪いし愚かである。たとえば、ブラックタイと書かれたパーティーにジーンズをはいて出席しようとしたようなものだ。そこまでいかなくとも、サラリーマンが大事な商談のとき、スーツをあのように着崩したら、商談もままならないであろう。ファッションセンス以前で彼は、相当ずれている。そういう意味でダサい。

さて、問題の彼は、自分が日本選手団という団体(集団)に属するという意識がなかったか、希薄だったのだと思う。“俺が勝てばいいんだろう”という意識を持っていたと思う。そういう考え方もあるし、そういう考え方は尊重したい。

その一方で、五輪選手が国家の代表であって、日の丸を揚げることを義務付けられている、という考え方もある。日本のマスコミは、後者である。日本選手は国のために戦うのだと盲信し、メダルをとれ、メダルをとれ、と選手に強要する。それが国民の願いだとマスコミは錯覚しているのだ。

筆者は、スポーツに限らず、文化というものが国家権力の関与を受けることはよくないことだと考える。サッカーW杯だって、日本代表の試合のほうがおもしろいから、応援し関心を払うのであって、彼らに「日の丸」を期待しない。応援するなら自国の選手のほうが、リアリティーがあるから、日本代表なのである。国が愛国心高揚や国家統合の手段として、スポーツ(五輪、W杯)を利用することは危険だと考えている。

マスコミ、そして、五輪等のスポーツをナショナリズムと結び付けたい輩は、この服装に対して非難を集中させた。そこには、五輪選手は、お国のためにメダルをとらなければいけない、粉骨砕身努力せよ、そして、その意識は、やがて、鬼畜米英に発展しかねない勢いなのである。

スノボの五輪選手の服装は前出の通り、ドレスコード違反にすぎない。この騒動の責任がだれにあるのかといえば、ドレスコードを選手団に明示しなかった団長や役員にある。五輪の選手にユニフォームの着用が義務付けられているということは、当然、その着こなしも一定のコードで義務付けられていることを通達しなければいけない。それが徹底できなかったのは、選手団長、役員の指示・伝達が悪いのである。

この選手があの格好で集合場所の成田空港に現れたのであれば、「君の服装はドレスコードに反している」と一言注意すればよかった。いまどきの若者ならば、ドレスコードの意味をすぐ理解できる。いまどきの若者に、ドレスダウンとドレスアップのTPOが理解できないわけはない。ユニフォームのドレスダウンに対して、一言、注意をすればすんだ。