2011年3月11日金曜日午後2時40分すぎ、東京・下町●●区の自宅にあった私は、突然の激しい揺れのさなか、なすすべのない自分に愕然とした。己の無力・非力をいやというほど自覚した。転倒しないようにテーブルにつかまり、割れ物が落ちないように気づかいながら、うろたえていた。いままでの揺れとは違うぞ。このまま揺れ続けていたら、あるいは、揺れが激しくなれば、家屋は倒壊し、私は死ぬのだと。
昨日の地震体験は、私の価値観・人生観を変えた。
激震がおさまった後、TVニュースが被害の大きかった東北地方の映像を流し続けた。私は被害の中心にではなく、たまたま、その外縁部に住んでいたのにすぎない――なんとも不思議な虚脱感が私を襲っていた。何百キロかの、新幹線で2時間ほどの差異・・・
昨晩、私は一睡もできなかった。ベッドのマットレスの反動が、余震のように感じられた。心的外傷後ストレス障害(PTSD/Posttraumatic stress disorder)になったかのようだ。
余震に怯えながらも、東京は急速に日常を回復していった。その一方、被災地にあっては、多くの人命・家屋・財産が失われていた。刻々と詳細化する報道が、そのことを確実に告げていた。
被災した者と安堵する者の差異は、いったい、なにを根拠としたものなのか――その差異、その立場の違いについて、だれがどう説明できるのか。