2011年3月19日土曜日

稲佐の浜



出雲大社(仮殿)

旧暦10月10日、出雲の稲佐の浜では、年に一度、八百万の神々を迎える神事の日。出雲大社の神職が、浜辺で、かがり火を前に祝詞を読みあげる。氏子ら数千人が神籬(ひもろぎ)と呼ばれる台座に神々がのりうつるのを息をひそめて見守る。神職が神籬(ひもろぎ)を白い布で覆いながら朗々と警蹕(けいひつ)と呼ばれる声を発し、出雲神社へ神々を導く。

出雲にとどまらず、日本人の信仰では神は海からやってくる。沖縄では、海の彼方に「二ライカナイ」等と呼ばれる常世の世界があるものと信じられていて、神はそこから年に一度、われわれの住むムラを訪れる。神は豊穣と幸を携え、ムラにやってくる。われわれ日本人は海の彼方からやってきた神を丁重に迎えるため、神事を執り行う。

海は、沖縄の始祖伝説においては、始原の舞台だ。神代、大洪水がありすべてが破壊されたのだが、一組の男女が生き残った。一組の男女とは兄(エケリ)と妹(オナリ)の兄妹だった。この兄妹の子孫こそが、われわれ日本人なのだという。島嶼地域の沖縄における大洪水は、もしかしたら、津波であったかもしれない。

日本人にとって海は切っても切れない生活の場だ。海は豊穣をもたらす一方、大きな災いをもたらすこともある。このたびの地震と大津波は、後者の恐ろしさを日本人に改めて知らしめたのだが、そのことを知るための犠牲はあまりにも大きすぎた。

凶暴な牙をむいた自然界の試練を受けたわれわれ日本人が、新たな伝説を紡ぐことができるのか――いや、われわれ日本人は団結して、日本人の再生と復活の物語を、なんとしても、紡がなければならない。