2012年8月26日日曜日

『古代オリエントの宗教』

●青木健[著]  ●講談社現代新書  ●740円+税 


本書が扱う時代は、2世紀から12世紀のおよそ1000年間に及ぶ。本題には“古代”とあるが、古代末期から中世前期である。古代末期というと、ピーター・ブラウン著の『古代末期の世界』という名著があり、世界史に興味を持つ人ならば一度は目を通したことがあるだろう。

ちなみに、『古代末期の世界』は、ローマ帝国の東西分裂後の地中海世界について書かれたもので、西暦200年頃~700年頃を扱っている。同書の内容を大雑把にいうと、古代末期とは、(一)地中海西部(西欧)では、西ローマ帝国が消滅し、ゲルマン民族による諸国家の建国と滅亡が繰りかえされつつ、カトリック教会圏へと歩みを始めた――、(二)地中海東部では、コンスタンチノープルを中心としたビザンツ帝国(=ローマ帝国=ギリシア)が西から分離し、東方正教会圏としてその勢力を確立した、(三)オリエント世界では、サーサーン王朝ペルシアの伝統を基盤として、イスラーム帝国が確立されようとした、―――時代である。後年の西欧=カトリック圏、ビザンツ(東ローマ)帝国=ギリシア正教会圏、オリエント=イスラーム圏により構成された「中世」の基盤を形成した重要な時期である。

本書に戻ろう。本書が扱う地理的領域はオリエント(地中海世界東部とその周辺)である。その地域を現代の国名等によるならば、小アジア(ギリシア、トルコ)、イスラエル、ヨルダン、シリア、イラン、イラク、アゼルバイジャン、アルメニア、アラビア半島、そして、北アフリカのエジプト、チュニジアといったところになる。もちろん、地中海世界の中心であったイタリア(ローマ)も含まれる。

私は海外観光旅行が趣味で、イタリア、トルコ、イラン、アルメニア、アゼルバイジャン、チュニジアを観光し、次はイスラエル、エジプト、シリア、ヨルダンを目指そうと思っていたやさきに「アラブの春」が吹き荒れ、シリア内戦が始まり、かの地への観光を断念した次第である。もちろん、古代メソポタミアの地であるイラク観光については、第一次湾岸戦争のころから諦めている。

古代オリエントの宗教というと、日本人には馴染みがないのだが実は、それが中世どころか近代・現代にも大きな影響を与えていることを本書で知ることになる。そのことについては後述する。

★『旧約聖書』と『新約聖書』の「聖典セット」

古代オリエントの宗教世界がキリスト教の成立により、大きく変化したことは言うまでもない。と言っても、キリスト教成立以前のこの地にもちろん、宗教がなかったわけはない。まず、キリスト教の母体となったユダヤ教がイスラエルを中心に信仰されていたし、エジプトにはヘルメス、小アジアにはキュベレ、アルメニアのミトラ(後にローマ帝国内に進出)、イランのアフラ・マズダーなどがよく知られている。それ以外にも、今日では消滅してしまった数多くの古代民族宗教があったに違いない。ところが、2~3世紀、ユダヤ人の神話・歴史を記した『旧約聖書』と、イエスの一代記を記した『新約聖書』の「聖典セット」が異常な求心力を発揮し、周辺諸民族の神話群を徐々に駆逐し始めるのである。本書は、この「聖典セット」を基軸として、古代オリエントの宗教の推移を考察するという方法をとっている。
なぜこのような事態になったのかは、よくわからない。ユダヤ人の歴史(『旧約聖書』)とイエスの一代記(『新約聖書』)がセット化した時点で、ストーリーの接続には相当の無理があったようにも思える。そのなかでもイエスの一代記の方は、彼を救世主(キリスト)だと認めるかぎりにおいては、普遍性がありそうな気がしないでもない。しかし、その前編である『旧約聖書』に書かれたユダヤ人の歴史となると、エジプト人、ペルシア人、ギリシア人、ローマ人など、ユダヤ人に匹敵する長い歴史を有する人びとにとっては、所詮は他人事に過ぎない。けれども、どういうわけか彼らは自らの神話を忘却し、代わりにユダヤ人の神話と歴史をもって普遍的な人類史だと確信するにいたるのである。(P9)

以降、オリエントの宗教の変遷は、『新約聖書』+『旧約聖書』という「聖典セット」の発展系及びその部分的否定系と、そうでない伝統的宗教の併存期を経て、やがて、「聖典セット」の発展系の最終体系となるイスラームの成立と土着宗教のそれへの吸収をもって幕を閉じることになる。本書はその経緯に係る研究成果ということになる。

★「聖典セット」系の宗教―――ユダヤ教からイスラームシーア派

古代オリエントの宗教を「聖典セット」との関係で整理すると、以下のとおりとなる。

・ユダヤ教→『旧約聖書』
・マンダ教→『マンダ教聖典』
・マルキオーン主義(2世紀)→『新約聖書(※ルカ書とパウロ書簡のみ)』
・原始キリスト教→『旧約聖書』『新約聖書』
・マーニー教→『新約聖書』『マーニー教7聖典』
・イスラーム→『旧約聖書』『新約聖書』『クルアーン(コーラン)』
・イスマーイール派(8世紀)→『旧約聖書』『新約聖書』『クルアーン』『イマーム言行録』
2世紀のローマで成立したマルキオーン主義は、「聖書シリーズ」に何かを付け加えるというよりは、『旧約聖書』とイエス伝記のミスマッチを指摘し、前者を切り捨てて後者だけを採った。・・・これこそイエスの真意であり、正しいキリスト教であると論じたのである。これは鮮やかな着想だったようで、これを嚆矢として『新約聖書』の結集がはじまり、エジプトやシリアでは同様の発想に立ったグノーシス主義と呼ばれる諸派が乱立していく。(P16~17) 
同じ頃に、『新約聖書』を前提とせずに、同じような傾向を示したのが、『旧約聖書』を全否定してヨルダンで成立したマンダ教である。・・・すなわち、『旧約聖書』+『新約聖書』という式で、代わりに独自の『マンダ教聖典』を立てた。(P17)
この趨勢に対して、2~3世紀の地中海世界に勢力を保持していた原始キリスト教教会は、2つの文書整理をおこなって対抗した。1つは、当時までに多数のバリエーションが流布していたイエスの伝記のうち、「マタイ福音書」「マルコ福音書」「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」の4福音書など27書を聖典と定め、「トマス福音書」や「ユダ福音書」などを排除して、『新約聖書』の範囲を確定した。もう1つは、『旧約聖書』を容認し、これを『新約聖書』とセット化して、『旧約聖書』+『新約聖書』の図式を公式教義とした。ただし、この段階では、この原始キリスト教教会が、「キリスト教」の名称を独占する唯一の機関になるかどうかは、まだ予断を許さなかった。(P18)
ところ変わって2~3世紀のメソポタミアでは、地中海世界に伝道していた原始キリスト教教会とはまったく違ったグノーシス主義的なキリスト教理解が浸透していた。しかも、地中海世界での原始キリスト教教会がギリシア語によって伝道していたのに対し、内陸シリアより東方ではシリア語が共通語になっていたので、西方と東方における「聖書ストーリー」理解の溝はかなり広がっていた。その東方的キリスト教の土壌のなかから、グノーシス主義諸派さらに知的に洗練し、組織化した自称「真のキリスト教」が出現する。3世紀のマーニー・ハイイェーによるマー二―教(マニ教)である。
「イエス・リストの使徒」を名乗る彼は、『旧約聖書』を全否定する一方、『新約聖書』は高く評価し、「聖書ストーリー」としては異例の善悪2つの神を想定するにいたった。しかも、「聖書ストーリー」とは何の関係もないザラスシュトラ・スピターマと仏陀(ブッダ)を預言者として取り込み、さらに自分自身の「預言」を書き著して・・・『新約聖書』+『マーニー教七聖典』を「真のキリスト教」として提示したのである。(P18~19)
しかし、4世紀になると、「聖書体系」の内部構造を変更するというグノーシス主義的な発想は途絶え、マルキオーン主義、マンダ教も、そして6世紀にはマーニー教も地中海世界では勢力を失っていった。
しかし、7世紀なると、・・・「聖書ストーリー」の続編が出現する。すなわち、・・・「最後の預言者」を名乗るムハンマドと、彼の啓示に依拠するイスラームである。彼の場合、・・・『旧約聖書』と『新約聖書』をそのまま(かなり誤解を含みつつ)承認して、それへの追加版として『クルアーン』を提示した。このイスラームは、7~10世紀の期間に東方世界で爆発的に普及し、この地域では『旧約聖書』+『新約聖書』+『クルアーン』のセットが主流になった。・・・
「最終預言者」の出現により、「聖典セット」を基軸とする宗教的発展は幕を閉じると思われたのであるが、東方の宗教世界はその続編へと推移していった。
アダムからムハンマドにいたる「預言者の周期」は満了したものの、今度はその秘教的意味を解き明かす「イマームの周期」がはじまったと主張して、シーア派イスラームの諸派が出現するのである。(P20~21)
イマームというのは、イスラームシーア派における預言者の霊的能力を継承する者のこと。シーア派のイマーム就任の条件は「預言者ムハンマドとその従弟アリーの子孫」である。その結果、イマームが乱立し、しかも、彼らは「預言者の霊的能力を継承した歴代シーア派イマームの言行録」も聖典に匹敵する宗教的権威を有するとした。つまり、彼らの「聖典セット」は、『旧約聖書』+『新約聖書』+『クルアーン』+「歴代シーア派イマームの言行録」にまで拡張された。(※本書では、数あるシーア派のなかのうち「イスマーイール派」が取り扱われている。)

★オリエント土着の宗教の「聖典セット」による吸収(ミトラ信仰、ゾロアスター教)

東方には上述の「聖書体系の構成」を尺度とする以外の土着宗教があったことはすでに述べた。この土着宗教は、西方でローマ神話やゲルマン神話の内容が換骨脱胎されてカトリックの聖人崇拝のなかで生き延びたように、東方でも、「聖書体系」のなかに生き延びた。その際の回路として機能したのが、比較的大きな土着宗教の場合にはその教祖を「聖書体系」の預言者に、中小規模の土着宗教の場合にはその登場人物を聖人に配して取り込む「預言者・聖者論」である。
東方におけるこの種の習合の最初のケースは、4世紀のアルメニアのミトラ信仰である。当時まで、アルメニアではイラン系のミトラ崇拝が主流を占めていたのだが、301年にアルメニア王国がキリスト教を国教に採用すると、前代の信仰は急速に勢力を弱めた。ただ、完全に根絶されたわけではなく、キリスト教の聖人のなかに姿を変えて潜り込み、・・・生き残った。(P23~24)
もう一つがゾロアスター教である。
これよりはるかに大規模なケースとしては、ゾロアスター教がある。古代末期東方の土着宗教のなかで最大の規模を誇るゾロアスター教は、それ自体、「聖書ストーリー」からは独立した内部的な変化を起こしている。すなわち、3~8世紀までは、時間を崇拝するゾロアスター教ズルヴァーン主義が、ユダヤ教やキリスト教、マーニー教などの東進をブロックする役割を果たしていた。しかし、7世紀にアラブ人イスラーム教徒の進出の前にペルシア帝国が壊滅すると、ゾロアスター教徒の社会的立場が暴落し、「聖書ストーリー」のなかでもイスラームの進出を許してしまう。そんななか、9世紀以降、残った神官たちは、教義を一神教との差異を際立たせる二元論的ゾロアスター教へと転換したものの、「聖書ストーリー」の担い手たちも工夫を凝らし、ザラスシュトラに何らかの位置づけを与えるかたちでゾロアスター教を取り込む動きを見せていた。(P24)
その取り込み方には、(ⅰ)東方キリスト教徒学者たちによって、ザラスシュトラは『旧約聖書』のなかの魔術師や偽預言者に該当するにちがいないと論じられたもの、(ⅱ)イスラーム教徒の学者たちは、ザラスシュトラは『旧約聖書』の預言者アブラハムの仮の姿、またはその弟子にちがいと論じたもの―――の2つがあった。

(ⅰ)の場合では、ザラスシュトラが「聖書体系」のなかの悪役に任じられることとなり、ゾロアスター教徒たちがこの理論に感心して東方キリスト教に改宗するはずがなかった。一方、(ⅱ)の場合は、10世紀以降のゾロアスター教徒たちはこの説明に深い感銘を受け、ついでにアダムやノアに該当する預言者もイラン神話の英雄のなかから選び出して当てはめ、13世紀までにはゾロアスター教も「聖書体系」に同化していった。
古代末期東方で最大規模を誇ったゾロアスター教のイスラームへの同化をもって、東方の土着宗教の「聖書ストーリー」への吸収が完了したと見ることができる。(P25)
★グノーシス主義とは何か

東方の宗教を理解するうえで避けてとおれないのが、グノーシス主義である。本書においても、「聖典セット」とグノーシス主義との関係が頻繁に説かれているものの、いまひとつ、グノーシス主義に係る説明が不足しているため、両者の関係性が明確でない。そこで、グノーシス主義について簡単に整理をしておこう。この整理に当たっては、講談社選書メチエの『グノーシス』(筒井賢治[著])を使用する。

元来、この言葉(=グノーシス)は「キリスト教グノーシス」と同義であり、初期のキリスト教会で広まっていた一部の思想を総称する、キリスト教史ないし「教会史」における専門用語であった。
・・・グノーシス(ΓΝΩΣΙ)とは、ただの単語として見るなら、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシア語の普通名詞である。ならば、キリスト教グノーシスとは「知る」ということに特に重きをおくキリスト教流派であったのだろうと想像することができるだろう。事実、そう考えても間違いではない。ただし、いったい何を「知る」というのか、この点で一定の方向性があった。
多くの場合、キリスト教グノーシスにおける「認識」の対象は、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うということ、創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものであること、人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれているということ、救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ることなのだということ、といった事柄である。
・・・このキリスト教グノーシス思想は、時代としては、紀元2世紀の半ばから後半に最盛期を迎えた。・・・
さて、次に、キリスト教とは直接関係しない領域に目をやると、同じ紀元2世紀の前後、ほかにも似たような思想運動があったことがわかる。これを「非キリスト教グノーシス」と呼ぶわけだが、とすれば、キリスト教/非キリスト教という区別を越えて、総括的に「グノーシス」もしくは「グノーシス主義」と呼ぶべき思潮が古代末期において実在していたのだという結論が出てくることになる。・・・(『グノーシス』/P6~7)

・・・紀元2世紀後半、誕生して間もないキリスト教会では、総称的に「グノーシス」とか「グノーシス主義」と呼ばれるさまざまな異端的流派が広がりを見せていた。キリスト教グノーシス主義に共通する特徴として第一に挙げられるのは、目に見えるこの世界を、それを創造した神を含めて蔑視し、排撃する点にある。この世界を造ったのは、キリスト教正統派の教えでは旧約聖書(=ユダヤ聖書)の神であるが、この創造神を敵視する以上、正統派から異端視されるのも当然である。
ではこのグノーシス主義は何を信奉するのか。それはこの世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」そしてそこに位置している「至高神」である。そして人間の霊魂も、もともとはこの上位世界、別名「プレーローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている形になっている。人間の身体もこの世界の一部として蔑視されるのである。そこで、霊魂が身体を含むこの世界から解放され、故郷である上位世界に戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」となる。そして、こうした事情を人々に啓示するために上位世界から派遣されてきたのが救済者イエス・キリストだったのだと説明される。(『グノーシス』/P22)

ここで問題になるのが、「至高神」と「創造神」の関係であろう。前者が後者の上位に立つのは当然だが、無関係ではすまされない。無関係として一種の二神教、あるいは二元主義に帰着するグノーシス流派もあったが、万物を一元論・一神教として説明する理論的・哲学的思考の強い流派は、「至高神」から「創造神」に至る系列関係を説明する必要に迫られた。そのなかでも特に有名なのが2世紀後半に活躍したプトレマイオス(大天文学者のプトレマイオスとは別人)である。

プトレマイオスの理論は以下のとおりである

まず最初に至高神と「エンノイア」なる女性的な存在がペアをなしており、そこから順次「アイオーン」と総称される神々がそれぞれの男女のペアで流出し、「テレートス」と「ソフィア」(知恵)のペアに至るまで、合計30のアイオーンが成立する。こうして「上位世界」に相当する「プレーローマ」という安定した組織が成立する。
ただし、この中には一定の階列関係があり、至高神を直接に眺め、知ることができるのは至高神から直接に流出した「ヌース」(叡智)というアイオーンだけであり、その他のアイオーンは至高神を見知りたいとひそかに願いながらも、それぞれ自分の位置にとどまっている。
さて、どうしてこの安定した状態が崩れて「創造神」やひいては「この世界」が生まれてきたのかという問題であるが、プトレマイオスはこれを次のように説明した。すなわち、最下位のアイオーンであった「ソフィア」が、大胆にも、至高神を直接に知ろうと企てたのだという。当然、この企ては失敗し、ソフィアは絶望のあまりプレーローマから転落しかかってしまう。そこへ「ホロス」という存在が登場して彼女の転落を食い止め、過ちを悟った彼女は、心に抱いていた自らの「情念」を切り離してプレーローマの外に捨てる。
こうしてソフィアは救われ、プレーローマ内の元の位置に落ち着くだが、他のアイオーンが同じようなパトスにとりつかれて再び離反事件を引き起こすのを未然に防ぐため、ヌースから新たに「キリスト」と「精霊」のペアが流出し、至高神の不可知性をあらためて各アイオーンに通達する。それによってプレーローマ全体に安息がもたらされる。他方、この「キリスト」がプレーローマの外に投げ捨てられているソフィアの「情念」を哀れみ、それに形を与える。そしてそれが創造神の、そして人間を含む「この世界」の起源になる。(『グノーシス』P24)

さて、本書の構成では、グノーシスに属する宗教として、マンダ教とマーニー教が取り上げられているのだが、マンダ教とマーニー教に続く、グノーシス主義派が切り捨てられている。(※イスラームの初期イスマーイール派も取り上げられているが8世紀におけるグノーシスの復活という意味あいである。)

その理由として、著者(青木健)は、「・・・ローマのマルキオーン主義、エジプトのヴァレンティノス派などのグノーシス主義諸派については、大貫隆『グノーシスの神話』、クルト・ルドルフ『グノーシス』、筒井賢治『グノーシス』などの優れた概説があるので、そちらを参照していただきたい」(P26)、と、弁明する。

しかして、著者(=青木健)がグノーシス主義の一例として取り上げた、例えばマンダ教に係る説明は以下のように簡潔である。
彼ら(マンダ教徒)によれば、人類の始祖がアダムであることはもちろんであるが、それを創造したのは下位の造物主と「闇の主」であったため、人類は総体として呪われた存在として誕生した。このため、ユダヤ人の出自としては不思議なことに、彼ら(マンダ教徒)のシンパシーは出エジプトの折にユダヤ教徒を迫害したファラオの方に向けられる。(P34)
『マンダ教聖典』についても同様に簡潔な説明である。
①『右手のギンザ―』……18編の神学的、宇宙論的、道徳的論文
②『左手のギンザ―』……霊魂が光の国へ上昇する際の葬送文
③『ヨハの書』・・・ヨハネ、シェム、アノーシュなどに帰せられる37編の神話
④『コラスター』……葬式の際の賛歌
⑤巻物類(ディーヴァーン)……『ディーヴァーン・アバトゥル』『ディーヴァーン・ナフラワ タ』などは絵入り。『ハラーン・ガワイタ』 はマンダ教教団の歴史を扱う。
(P37~38)

★古代オリエントの宗教と現代

冒頭に引用したように、“2~3世紀、ユダヤ人の神話・歴史を記した『旧約聖書』と、イエスの一代記を記した『新約聖書』の「聖典セット」が異常な求心力を発揮し、周辺諸民族の神話群を徐々に駆逐し始めたのはなぜなのか”―――という問いに対し、著者(青木健)は「わからない」と回答している。実際のところ、本当にわからないのだが、発展の触媒として、2世紀に隆盛を極めたグノーシス主義(キリスト教グノーシス派)の存在を無視することは難しいのではないかと思う。極論すれば、グノーシス主義を含まないオリエント宗教論というのも無理があるように思う。

また、「聖典セット」を基軸として、古代オリエントの宗教の推移を考察するという方法をとるには、それぞれの聖典の内容に係る説明が必要となろう。本書の場合、新書=入門書であるという制約上、かかる2つ重要事項をずいぶんと簡潔化したという印象が否めない。

最後に、本書巻末の<現代の「聖書ストーリー」エンディング別信者数>という興味深いデータがあるので紹介しておく。

①ユダヤ教徒・・・世界中に拡散して約1500万人
②キリスト教徒・・・ヨーロッパ、南北アメリカを中心として約21億人
③スンナ派イスラーム教徒・・・西アジア、南アジア、東南アジア、東アフリカを中心に約13億人。
  最終預言者ムハンマドが齎した『クルアーン』が完結編だと信じている。
④イスマーイール派イスラーム教徒・・・インド西海岸やパミールに住んでいる1500万~2000万人。
  イスマーイール系統のイマームが第7の告知者として降臨するエンディングを今でも期待している。
⑤マンダ教徒・・・5000人~1万人。ユダヤ人もムハンマドも否定している。グノーシス主義派。
⑥ゾロアスター教徒・・・インド西海岸やイラン中部に住んでいる約10万人。
⑦マーニー教徒・・・もしかすると、福建省の山奥に数百人。

このデータは、2世紀から始まった古代オリエントにおける宗教運動が中世どころか近代・現代にも大きな影響を与えていることの証左である。