今回の自民党大勝総選挙結果については、サッカーのオウンゴールに譬えられる場合が多い。民主党の自滅、第三極の準備不足等が自力のある自民党に有利に働いたという譬えだ。しかし、サッカーでいうならば、相手チームの選手がことごとくレッドカードで退場していなくなり、自民党がやすやすとゴールを量産して大勝した試合展開に最も近いものがある。
その一方、一票の格差の違憲状態が改善されずに総選挙が敢行されたことは、この選挙自体に正当性が認められないわけであり、無効ではないのか。つまり、正式なルールに基づかない試合なのだから、オウンゴールもレッドカードもない。そのことが第一。
とはいえ、総選挙は行われ、野田民主は大敗し、自民党が再登場した。国民がいやがる増税を「決断」することが大政治家の力量であると盲信した野田。彼がだれにどのように洗脳されたかはわからないが愚かだ。彼は自分のことを正直の上にバカがつく者だと自己規定したが、正直がつかないバカそのもの。マニフェストを破った大ウソは証明済みなのだから、野田が正直だと思う国民は皆無だ。
自民党大勝により国民が警戒すべきは、改憲の流れだ。安倍自民党は参院選までは「改憲」を表に出さず、インフレ誘導策によってミニバブルを引き起こす。その結果、株価、地価等が高騰し、それをマスメディアが経済の回復だと誤報すれば、国民はこれで何度、騙されたことになるのだろうか。経済の実態において実需に向かわない余剰マネーがインフレ誘導策で行き場を失い、資産投機に走りだしたのにすぎないのに。
そんな「アベノミックス(ミニバブル誘発政策)」を国民が支持し、参院選で自民党が単独過半数を得れば、改憲は具体的な日程にのぼる。維新、みんな、民主の一部(旧自民及び旧日本新党の残党)も当然、改憲になびいているから、改憲は国会内において現実の流れとなる。日本の改憲、すなわち国防軍改名、集団的自衛権の発動の現実化によって、日本の軍事力膨張を目の当たりにすれば、それを危惧する東アジア各国の緊張は一気に高まる。日中間の軍事衝突もあり得る。それでも有権者は、投票行動を規定する価値観において、「経済回復」を最優先順位とするのだろうか。
自民党はすべての原発の再稼働及び新設をも辞さないかまえだ。核燃料のゴミの再処理及び貯蔵問題の具体策もない。もちろん安全基準も国際水準以下のまま。福島、被災地は見捨てられたままとなる。
さて、今回の総選挙における最大の変移は、選挙運動におけるインターネット活用の是非が現実化したことではないか。マスメディアは、その合法化によって選挙広告掲載料、選挙CM放映料等の減収が予想されるところから、この件については熱心には報じない。
しかし、立候補予定者にとっては、媒体料金、印刷料金、郵送費用等が大幅に節減できるところから、ネット活用の合法化は強い願いとなっている。有権者にとっても、選挙運動中の立候補者の約束が簡易に比較閲覧でき、かつ保存可能なところから、当選後の変貌さえもチェック可能だ。 ネットユーザーが選挙に関心を示せば、棄権者が減少するかもしれない。つまり、有権者の投票意識が変わり、投票行動を変える可能性もある。そのことは当然、政党支持率に変化を生じさせるだろう。そればかりではない。選挙運動をネットに限定した立候補者が現れる可能性もあり、ネット活用が日本の選挙そのものを変える。ネット解禁こそ急務でなくて、なんであろうか。
2012年12月23日日曜日
2012年12月21日金曜日
有権者は民主党を許さなかった
◎世論調査どおりの結果に終わった総選挙
総選挙は自民党の圧勝で終わった。事前に各報道機関等が行った「獲得議席予想」等と称する調査結果どおりだった。2000人程度を母数とした調査が国家規模の選挙の結果を十分予想し得るのである。統計学とはこういうものなのだな、と改めて感心した次第。“世論調査ほどいい加減なものはない”という一部の識者の断言は根拠がないことが証明された。
事前の選挙調査結果を大雑把にまとめれば、以下のとおりだった――▽およそ4割が「支持政党なし、もしくは投票先未定」、▽支持政党の1位は自民党だが、他党(民主、第三極・・・) と大差つかず、▽第三極といわれた新党はドングリの背比べ、▽卒原発=反原発を前面に出した日本未来の党は支持率が伸びず・・・であった。
◎「支持政党なし」「未定」は棄権 に
実際の総選挙の結果もそのとおりとなった。まず、棄権が約4割。これは事前調査における「支持政党なし、未定」にそっくり該当する。比例区の議席獲得結果は、事前調査の支持率の比率を概ね反映した結果に。つまり、自民党の獲得議席は57(民主党30)にとどまった。ところが、小選挙区では自民党237で民主党30を天文学的に上回った。選挙区自民党の固定的支持層が自民党に投票し、その数がその他の政党を上回った結果である。
棄権の4割は、民主党には絶対に投票しないかわりに、ほかの政党にも入れる気がしない、よって投票に行かないと決めった層ではなかったか。
◎有権者は「民主党憎し」の思いを晴らす
今回の総選挙は、有権者が自民党を支持したというよりも、民主党憎し、民主党だけは許せない、民主党に裏切られた恨みを晴らす・・・という有権者の意思表示以外のなにものでもなかった。「民主党憎し」の投票行動としては、消極的意志表示として「棄権」であり、積極的なそれとしては第三極等への投票となったが、後者はすべて死に票で終わった。
投票は政策を見極めてといわれるが、小党乱立の今回のような状況では、政策が入り組んで提示されたため、有権者にとって選択が難しい。たとえば、自民党の経済優先については是とするが、原発推進は困るとか、維新は官僚体制打破のスローガンは是だが、憲法改正は困る…といった具合だ。
このような状況では、支持政党をもたない無党派層は、最終的な価値判断として、「民主党憎し」のみが拠り所なり、民主党は固定的支持母体である労組組織を獲得したにとどまり惨敗した。
◎小鳩は泥船を脱した
総選挙の敗北を予期した民主党創設者・鳩山由紀夫元首相及び小沢一郎元幹事長(以下、「小鳩」と略記)は、沈みゆく野田民主党の下を離れ、大敗北の惨状からいち早く逃亡した。当然である。
自民党から政権奪取に成功した民主党であったが、その立役者であった小鳩はともにマスコミの報道テロで党内主流から追放をうけ、民主党は旧日本新党(細川派=松下政経塾派)にのっとられた形となっていた。このたびの、野田の「自爆テロ解散」の敢行も細川の示唆であるとの噂もあった。
小沢は日本未来の党へと緊急避難し、鳩山は政界引退をした。二人の政治家としての前途ははなはだ暗いが、少なくとも、惨敗の汚名を着ることだけは免れた。賢明な選択だと思う。
◎大勝・安倍自民は暫定政権
大勝した自民党だが、勝負は来年夏の参院選だという説が流れていて、筆者もその通りだと思う。今回の選挙は、前出のとおり、有権者が「民主党消滅」に向けて鉄槌を下したもの。自民党を積極支持したわけではない。有権者はこの先、およそ半年間の自民党の政権運営や政治行動を見届けたうえで答えを出す。その間、民主党はおそらく解体しており、乱立した小党の整理も進む。
しかし、いずれかの第三極が与党・自民党の対抗馬となって成長するには時間が足りない。参院選で自民党独走を阻止するためには、投票日に、およそ4割を占める棄権=無党派層が非自民のいずれかに投票する以外に方法がない。それが<自民党>vs<○○党>という二大政党制の構造を確立する唯一の方法である。
総選挙は自民党の圧勝で終わった。事前に各報道機関等が行った「獲得議席予想」等と称する調査結果どおりだった。2000人程度を母数とした調査が国家規模の選挙の結果を十分予想し得るのである。統計学とはこういうものなのだな、と改めて感心した次第。“世論調査ほどいい加減なものはない”という一部の識者の断言は根拠がないことが証明された。
事前の選挙調査結果を大雑把にまとめれば、以下のとおりだった――▽およそ4割が「支持政党なし、もしくは投票先未定」、▽支持政党の1位は自民党だが、他党(民主、第三極・・・) と大差つかず、▽第三極といわれた新党はドングリの背比べ、▽卒原発=反原発を前面に出した日本未来の党は支持率が伸びず・・・であった。
◎「支持政党なし」「未定」は棄権 に
実際の総選挙の結果もそのとおりとなった。まず、棄権が約4割。これは事前調査における「支持政党なし、未定」にそっくり該当する。比例区の議席獲得結果は、事前調査の支持率の比率を概ね反映した結果に。つまり、自民党の獲得議席は57(民主党30)にとどまった。ところが、小選挙区では自民党237で民主党30を天文学的に上回った。選挙区自民党の固定的支持層が自民党に投票し、その数がその他の政党を上回った結果である。
棄権の4割は、民主党には絶対に投票しないかわりに、ほかの政党にも入れる気がしない、よって投票に行かないと決めった層ではなかったか。
◎有権者は「民主党憎し」の思いを晴らす
今回の総選挙は、有権者が自民党を支持したというよりも、民主党憎し、民主党だけは許せない、民主党に裏切られた恨みを晴らす・・・という有権者の意思表示以外のなにものでもなかった。「民主党憎し」の投票行動としては、消極的意志表示として「棄権」であり、積極的なそれとしては第三極等への投票となったが、後者はすべて死に票で終わった。
投票は政策を見極めてといわれるが、小党乱立の今回のような状況では、政策が入り組んで提示されたため、有権者にとって選択が難しい。たとえば、自民党の経済優先については是とするが、原発推進は困るとか、維新は官僚体制打破のスローガンは是だが、憲法改正は困る…といった具合だ。
このような状況では、支持政党をもたない無党派層は、最終的な価値判断として、「民主党憎し」のみが拠り所なり、民主党は固定的支持母体である労組組織を獲得したにとどまり惨敗した。
◎小鳩は泥船を脱した
総選挙の敗北を予期した民主党創設者・鳩山由紀夫元首相及び小沢一郎元幹事長(以下、「小鳩」と略記)は、沈みゆく野田民主党の下を離れ、大敗北の惨状からいち早く逃亡した。当然である。
自民党から政権奪取に成功した民主党であったが、その立役者であった小鳩はともにマスコミの報道テロで党内主流から追放をうけ、民主党は旧日本新党(細川派=松下政経塾派)にのっとられた形となっていた。このたびの、野田の「自爆テロ解散」の敢行も細川の示唆であるとの噂もあった。
小沢は日本未来の党へと緊急避難し、鳩山は政界引退をした。二人の政治家としての前途ははなはだ暗いが、少なくとも、惨敗の汚名を着ることだけは免れた。賢明な選択だと思う。
◎大勝・安倍自民は暫定政権
大勝した自民党だが、勝負は来年夏の参院選だという説が流れていて、筆者もその通りだと思う。今回の選挙は、前出のとおり、有権者が「民主党消滅」に向けて鉄槌を下したもの。自民党を積極支持したわけではない。有権者はこの先、およそ半年間の自民党の政権運営や政治行動を見届けたうえで答えを出す。その間、民主党はおそらく解体しており、乱立した小党の整理も進む。
しかし、いずれかの第三極が与党・自民党の対抗馬となって成長するには時間が足りない。参院選で自民党独走を阻止するためには、投票日に、およそ4割を占める棄権=無党派層が非自民のいずれかに投票する以外に方法がない。それが<自民党>vs<○○党>という二大政党制の構造を確立する唯一の方法である。
2012年12月14日金曜日
大谷の日ハム入団は密約だ
日本ハムからドラフト1位指名された花巻東・大谷翔平投手(18)が9日、メジャー希望から一転して入団することを正式に表明した。この日、岩手・奥州市内のホテルで栗山英樹監督(51)ら球団側に伝えた。その後に会見に臨み、日本ハムの投手と打者の二刀流での育成方針、交渉過程で示された資料が心変わりする理由になったと説明。騒動に巻き込んだ周囲に謝罪しながらも「1年目からしっかり活躍できるように頑張っていきたいと思います」と所信表明した。
将来的にあこがれであるメジャーを目指す強い気持ちは現在でも変わらず、日本球界を経由して、挑戦することも明言。「やっぱり最終的にはメジャーリーグ(MLB)に行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」とし、レベルアップして米球界入りをする青写真も披露した。Nikkansports.com
[2012年12月9日21時52分]
大谷の「心変わり」は江川の「空白の一日」に匹敵する犯罪的ドラフト破り
筆者は大谷の日ハム入団を知って驚いた。このようなことは、絶対にあってはならないと思った。日本プロ野球ドラフト史上、江川の「空白の一日」に匹敵する最大の汚点の1つではないのか。
大谷は2012年ドラフト会議開催前、早々とMLB行きを意思表示し、日本のプロ野球球団の指名を拒否していた。大谷本人が正式に拒否したものとは言えなかったのかもしれないが、報道では、大谷が日本球団からドラフト指名を受けても、日本の球団には絶対に入らないと伝えられていた。ところが、日ハムの指名を受けてから、数回の入団交渉を経て、日ハム入りを正式に受諾した。これが密約の結果でなくて、なんであろうか。
日ハム、花巻東高校の悪質な「連携プレイ」
このような「絵」を描いたのは、大谷本人ではなく、おそらく、日ハム球団及び花巻東高校野球部関係者だろう。あまりにも露骨な「連携プレイ」ではないか。MLB行きを明言した大谷の意思を尊重した日ハムを除く日本の球団は彼の1位指名を避けた。交渉権を獲得しても、入団交渉に応じてもらえないのならば、1位指名権の無駄打ちに終わる。2012年ドラフトには有望な選手が複数いるから、入団可能性の高い選手を求めたのだ。プロ球団としては当然の選択である。
ところが、日ハムは大谷を指名して、無抽選で単独指名権を得た。そして、日ハムは「独自」に作成した「資料」とやらを駆使して、大谷の説得に成功したと報道された。茶番である。その「資料」とやらには、米国以外のアマチュア選手が自国プロ球界を経ずに直接、MLBに挑戦するデメリットが説明されていたという。
地に落ちた日ハムのドラフト戦略
これまで、確かに、日ハムのドラフト戦略は正当性があった。昨年ドラフトにおける菅野指名は称賛されたものだ。“その年、一番の選手を指名する”という筋は通している。だが、だからといって、日ハムと大谷の間に密約がなかったは言えない。そもそも、大谷が何の考えもなく、MLB行きを公言したとは思えない。自分の大事な進路なのだ。日本球界を経ずに米国に挑戦するメリットとデメリットを検証したはずである。米国生活の不自由さ、言葉の問題…いろいろな困難は承知の上だろう。ドラフトを前にして、大谷はただ、将来の夢を無邪気に語ったとでもいうつもりか。
花巻東高校が教育機関ならば、学生に適切な進路指導をする義務がある。
日ハムが作成した「資料」で、日本球界を経ることのメリットに気が付くということは絶対にあり得ない。大谷を擁した高校がまっとうな教育機関ならば、大谷の進路について適切なアドバイスをしなければいけない立場にある。日ハムの資料など見なくとも、大谷にとってベストだと思われる進路指導をして当たり前ではないか。筆者が茶番だと速断した根拠は、この「資料」の存在である。怪しいではないか。
繰り返すが、花巻東高校の指導者たちは、米国での競争と生活がバラ色だと大谷に説明したのか。一人の高校生が米国で暮らし、そこで競争をしながらメジャーリーガーを目指すことの困難さを説明しなかったのか。逆に、その困難さを克服することが、大谷にとって人間的成長の機会だと説明することもできなかったのか。筆者は取材をする立場でないので、すべては憶測、推測の域を出ないのだが、マスメディアならば、今回の「大谷事件」の真実を解明することができるはずだ。
被害者が存在しない「犯罪」
さて、大谷が日本球界に「就職」したことで被害者がいるとしたら、大谷を獲得できなかった11球団だけだろう。それも被害者とはいえないくらいの軽微の被害である。指名が重なれば抽選なのだから、獲得できない確率の方が高い。
逆に、得をした者は多い。まず、日ハム球団。逸材の大谷を無抽選で獲得できた。大谷の登板で集客が増える。ダルビッシュ並に成長すれば、ポスティングでMLBに高額で売却できる。さらに、ドラフト戦略の一貫性を称賛され、有効な「資料」作成という企業イメージアップのおまけがついた。
日本の野球ファンも、何シーズンかは大谷の投球が楽しめる。スポーツマスコミも話題の新人がいて大助かりだ。前出のとおり、近い将来、MLB挑戦で話題沸騰すること間違いなし。
大谷自身も日本で実績を積めば、日ハムならば、短い年限ですんなり、MLBに行くことが可能だ。MLBも、日本球界における実績を確認してから獲得できるメリットがある。米国で彼をつぶしてしまったら一大事。一人前になってから獲得しても遅くない。大谷の密約が気に入らず、怒っているのは筆者だけのよう。正義とやらは、どこへ消えたのだ。
将来的にあこがれであるメジャーを目指す強い気持ちは現在でも変わらず、日本球界を経由して、挑戦することも明言。「やっぱり最終的にはメジャーリーグ(MLB)に行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」とし、レベルアップして米球界入りをする青写真も披露した。Nikkansports.com
[2012年12月9日21時52分]
大谷の「心変わり」は江川の「空白の一日」に匹敵する犯罪的ドラフト破り
筆者は大谷の日ハム入団を知って驚いた。このようなことは、絶対にあってはならないと思った。日本プロ野球ドラフト史上、江川の「空白の一日」に匹敵する最大の汚点の1つではないのか。
大谷は2012年ドラフト会議開催前、早々とMLB行きを意思表示し、日本のプロ野球球団の指名を拒否していた。大谷本人が正式に拒否したものとは言えなかったのかもしれないが、報道では、大谷が日本球団からドラフト指名を受けても、日本の球団には絶対に入らないと伝えられていた。ところが、日ハムの指名を受けてから、数回の入団交渉を経て、日ハム入りを正式に受諾した。これが密約の結果でなくて、なんであろうか。
日ハム、花巻東高校の悪質な「連携プレイ」
このような「絵」を描いたのは、大谷本人ではなく、おそらく、日ハム球団及び花巻東高校野球部関係者だろう。あまりにも露骨な「連携プレイ」ではないか。MLB行きを明言した大谷の意思を尊重した日ハムを除く日本の球団は彼の1位指名を避けた。交渉権を獲得しても、入団交渉に応じてもらえないのならば、1位指名権の無駄打ちに終わる。2012年ドラフトには有望な選手が複数いるから、入団可能性の高い選手を求めたのだ。プロ球団としては当然の選択である。
ところが、日ハムは大谷を指名して、無抽選で単独指名権を得た。そして、日ハムは「独自」に作成した「資料」とやらを駆使して、大谷の説得に成功したと報道された。茶番である。その「資料」とやらには、米国以外のアマチュア選手が自国プロ球界を経ずに直接、MLBに挑戦するデメリットが説明されていたという。
地に落ちた日ハムのドラフト戦略
これまで、確かに、日ハムのドラフト戦略は正当性があった。昨年ドラフトにおける菅野指名は称賛されたものだ。“その年、一番の選手を指名する”という筋は通している。だが、だからといって、日ハムと大谷の間に密約がなかったは言えない。そもそも、大谷が何の考えもなく、MLB行きを公言したとは思えない。自分の大事な進路なのだ。日本球界を経ずに米国に挑戦するメリットとデメリットを検証したはずである。米国生活の不自由さ、言葉の問題…いろいろな困難は承知の上だろう。ドラフトを前にして、大谷はただ、将来の夢を無邪気に語ったとでもいうつもりか。
花巻東高校が教育機関ならば、学生に適切な進路指導をする義務がある。
日ハムが作成した「資料」で、日本球界を経ることのメリットに気が付くということは絶対にあり得ない。大谷を擁した高校がまっとうな教育機関ならば、大谷の進路について適切なアドバイスをしなければいけない立場にある。日ハムの資料など見なくとも、大谷にとってベストだと思われる進路指導をして当たり前ではないか。筆者が茶番だと速断した根拠は、この「資料」の存在である。怪しいではないか。
繰り返すが、花巻東高校の指導者たちは、米国での競争と生活がバラ色だと大谷に説明したのか。一人の高校生が米国で暮らし、そこで競争をしながらメジャーリーガーを目指すことの困難さを説明しなかったのか。逆に、その困難さを克服することが、大谷にとって人間的成長の機会だと説明することもできなかったのか。筆者は取材をする立場でないので、すべては憶測、推測の域を出ないのだが、マスメディアならば、今回の「大谷事件」の真実を解明することができるはずだ。
被害者が存在しない「犯罪」
さて、大谷が日本球界に「就職」したことで被害者がいるとしたら、大谷を獲得できなかった11球団だけだろう。それも被害者とはいえないくらいの軽微の被害である。指名が重なれば抽選なのだから、獲得できない確率の方が高い。
逆に、得をした者は多い。まず、日ハム球団。逸材の大谷を無抽選で獲得できた。大谷の登板で集客が増える。ダルビッシュ並に成長すれば、ポスティングでMLBに高額で売却できる。さらに、ドラフト戦略の一貫性を称賛され、有効な「資料」作成という企業イメージアップのおまけがついた。
日本の野球ファンも、何シーズンかは大谷の投球が楽しめる。スポーツマスコミも話題の新人がいて大助かりだ。前出のとおり、近い将来、MLB挑戦で話題沸騰すること間違いなし。
大谷自身も日本で実績を積めば、日ハムならば、短い年限ですんなり、MLBに行くことが可能だ。MLBも、日本球界における実績を確認してから獲得できるメリットがある。米国で彼をつぶしてしまったら一大事。一人前になってから獲得しても遅くない。大谷の密約が気に入らず、怒っているのは筆者だけのよう。正義とやらは、どこへ消えたのだ。
2012年12月2日日曜日
沈黙を破った佐野眞一
橋下徹大阪市長(以下、肩書、敬称略)に係る『週刊朝日』の連載中止問題について、これまで沈黙を続けてきた筆者の佐野眞一氏(以下、敬称略)が、管見の限りだが、初めて騒動についてコメントした。
佐野は『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の取材に応じ、「橋下という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを感じた」と、「橋下連載」の動機を語った。
また、橋下の振る舞いについて、1930年代のドイツを想起したとし、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状況が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも評した。
だが、橋下の政治手法がヒトラーと似ている点はそれだけではない。橋下とヒトラーの共通点は、マスメディアを巧妙に利用する点である。ヒトラーはメディアを自由に駆使し、自らの主張を大衆に浸透させた。一方、結果において佐野の「橋下連載」は、橋下に逆利用され、彼の株を上げてしまった。佐野の「橋下連載」は、彼が意図した橋下攻撃の志と真逆の展開をみせて終息した。
そのことはともかくとして、佐野が橋下に感じた危うさは、筆者の感触と変わらない。筆者も、橋下はヒトラーの政治手法を意識して真似ているか無意識のうちにヒトラー的要素を踏襲しているのかは定かではないが、ヒトラーの縮小的再来だという感覚を共有する。もちろん、橋下は、ヒトラーの才能・狂気の度合いとは相当劣るものの。
佐野の「反橋下」の意思及び週刊誌連載の企ては、ごく自然なものだ。だが、なぜ、ナニワの「小型ヒトラー」の反撃を許してしまったのか、また、結果において、佐野及び『週刊朝日』は、いともたやすく橋下に完敗してしまったのか。
『東京新聞』の取材に答えたコメント内容から、その理由は以下の3点に要約できる。
(一)「差別」について記述や表現に慎重さを欠いたこと
(二)週刊誌編集者が付した「血脈」「DNA」といった見出しの不適切性
(三)タイトルである「ハシシタ」が被差別部落を想起させるものであること
(※一と重複するが、それがタイトルであったことの重大性)
佐野によれば、(二)(三)は週刊誌の編集者がやったことで自分は印刷後に知った、という意味の説明をしている。しかし、佐野は(三)について、週刊誌の編集部がやったこととはいえ、それでも「ハシシタ」というタイトルについては深く反省をしており、「(略)関西の地名で『ハシシタ』が被差別部落を示唆するケースがあることを知った。読者の方からも(タイトルが)部落を想起させるという指摘を受け、差別される側の気持ちに思慮が至らなかったことに、胸を突かれる思いがした」と語った。
ここまでのところを大雑把に整理すれば、佐野の橋下攻撃の志については、多くの反橋下派の思いと共通する。しかし、表現者・佐野の創作を週刊誌という商品にしたところ、差別を助長、強調する欠陥品として仕上がって世に出てしまったということになる。このミスは、作者である佐野のものとは言えない。『週刊朝日』の編集者が素人だったために起こったことである。表現者は作品の質を問われることはあっても、出版物(=商品)に係るトラブルについては、編集者がその責を負うのが出版界のルールだからである。今回のトラブルは、佐野の説明を全面的に信ずるならば、週刊誌の編集者の力量不足に起因する。
さて、もう1つ重大な問題がある。「ナニワの小型ヒトラー」橋下の言動、思想、哲学、政策・・・を問う方法として、橋下のルーツ(親族、生育環境等)を洗い出し公表する必要があるのかどうか――についてである。
佐野の作品では、その手法は定番であるという。たとえば、ソフトバンク創業者の孫正義氏(以下、敬称略)の評伝『あんぽん』では、孫が在日韓国人(現在は日本国籍を取得)であり、孫の一族、ルーツを、韓国取材を重ねて描いているという。そのことに孫が文句をつけたことはないし、社会問題化してもいない。佐野も、人物の評伝を描く際、生育環境にこだわることは当然として、「人間は社会的な生きものであり、文化的な環境や歴史的背景はその人物の性格や思考に必ず影響している。まして公党の代表であれば、その言動や思想がどういう経緯で形成されたのかを知ることは極めて大切だ」と説明している。
本件では、橋下の人間性、思想性が形成された背景には、差別問題があるということになる。佐野はこう言っている。
ここで『東京新聞』の記者は、紙面に“差別と解放運動、アウトローの実父、首長に上り「戦後民主主義の脅威」になった息子。その相関関係に世相を映そうという狙いだったのか”と記事を結び、佐野の「橋下連載」の方法を推測しつつ佐野を擁護しようとする。
結論を言えば、佐野の方法は橋下の政治思想の解明につながらない。なぜならば、橋下は思想の力によって大衆に影響を及ぼすような思想的政治家ではないからである。橋下の思想形成の核を社会(親族、育成環境等)に当たっても、そこからは何も出てこない。なぜならば、橋下を「ナニワの小型ヒトラー」にしたのは、ただただ、日本のマスメディアの力によるからである。日本のマスメディアは、橋下の政策的なあいまいさ、一貫性のなさ、思いつき、並びに大阪府政及び大阪市政の実績等々といった政治的現実を吟味しようとしない。日本のマスメディアは、彼のダーウイン主義的優生思想や、経済政策を検証しようともしない。橋下の経済政策は、彼のブレーンである竹中平蔵の自由市場主義(新市場主義)そのものである。竹下の経済政策は彼が仕えた小泉政権において、日本社会を格差社会に導いた犯罪的なものである。にもかかわらず、日本のマスメディアは、橋下の政治的、政策的本質を問おうとしない。
換言すれば、日本のマスメディアは、それまで、橋下を玩具として弄んでいたのである。彼らにしてみれば、橋下は視聴率や販売部数を稼げる子役だった。橋下には何をやっても許される、と思っていたことだろう。“俺達が橋下を有名にしてやっているのだから”と思っていたことだろう。
ところが、橋下は日本のマスメディアが気づかないうちに次第にその力を増し、もはやマスメディアが制御できない怪物にまで成長していた。そのことをマスメディアは自覚していない。ヒトラーが台頭したことをドイツの当時のメディアも知らなかったように。
佐野は自らが信ずる方法によって、橋下という怪物を解明しようとした。ところが、彼に仕事を持ち込んだ『週刊朝日』というメディアは、大新聞の余剰人員の受け皿だった。日本のマスメディア出身でしかも本社の出世レースに敗北して子会社にふきだまった週刊誌編集者たちは、あいかわらず、橋下を玩具として弄ぶことで販売部数が稼げると目論んだ。ワルノリである。だから、「ハシシタ」「DNA」「奴の本性」といった、下品な見出しがつけられたのだろう。素人週刊誌編集者たちは、同和問題に係る表現コードすら忘却したのである。結果、玩具と思っていた橋下から猛反撃を受け、週刊誌側は全面降伏した。日本のマスメディアが「ナニワの小型ヒトラー」に大敗北を屈したのである。
ただ、思想形成の本質を問う方法として、佐野の方法は有効なのかどうか――という問題は残ったままである。カントが歯痛もちだったから、あのような晦渋な哲学ができあがったという「カント論」もある。貧困家庭で親に学歴がなくとも、親が教育熱心であれば、その子供が学者や思想家になることは珍しいことではない。親族に犯罪者がいること等で、警察官、検事、弁護士を志す者も少なからずいる。 そのような環境の者がすべからく、「小型ヒトラー」に成長するわけではない。
ただこれだけは言える、という面がある。評伝や人物伝においては、対象となる人物の環境が尋常でないほど面白さは増すという法則である。筆者の近辺に、“俺の祖父は満州浪人で馬賊だった”と自称するアウトロー気取りの男がいる。日本には「平家の落ち武者」を出自とする村がいくらでもある。そのようなことからわかるように、人間には、自らの出自をことさらいたずらに神秘化することによって、自らの人間的価値を上げたいという欲求が内在しているものなのである。
大物政治家、大物経済人ならば、その労苦を強調し、そこから這い上がった成功伝をつくりたいと思うのは当然である。佐野のようなキャリアの作家ならば、そのあたりは、取材者(=評伝の対象者)と阿吽の呼吸で分かり合えているはずである。しかし、佐野が仕事着手の始動において、正気を逸していた面がうかがえる。佐野は東京新聞紙面で、「自分らしくもないというか、社会的な使命感が働いた仕事だった」と、本音を明かしている。老練の仕事師が陥った対象への過剰な反応である。
ただ、佐野の以下のコメントは日本のマスメディアに対する警鐘として、ここに書き写すだけの価値があると筆者は信ずる。
佐野は『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の取材に応じ、「橋下という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを感じた」と、「橋下連載」の動機を語った。
また、橋下の振る舞いについて、1930年代のドイツを想起したとし、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状況が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも評した。
だが、橋下の政治手法がヒトラーと似ている点はそれだけではない。橋下とヒトラーの共通点は、マスメディアを巧妙に利用する点である。ヒトラーはメディアを自由に駆使し、自らの主張を大衆に浸透させた。一方、結果において佐野の「橋下連載」は、橋下に逆利用され、彼の株を上げてしまった。佐野の「橋下連載」は、彼が意図した橋下攻撃の志と真逆の展開をみせて終息した。
そのことはともかくとして、佐野が橋下に感じた危うさは、筆者の感触と変わらない。筆者も、橋下はヒトラーの政治手法を意識して真似ているか無意識のうちにヒトラー的要素を踏襲しているのかは定かではないが、ヒトラーの縮小的再来だという感覚を共有する。もちろん、橋下は、ヒトラーの才能・狂気の度合いとは相当劣るものの。
佐野の「反橋下」の意思及び週刊誌連載の企ては、ごく自然なものだ。だが、なぜ、ナニワの「小型ヒトラー」の反撃を許してしまったのか、また、結果において、佐野及び『週刊朝日』は、いともたやすく橋下に完敗してしまったのか。
『東京新聞』の取材に答えたコメント内容から、その理由は以下の3点に要約できる。
(一)「差別」について記述や表現に慎重さを欠いたこと
(二)週刊誌編集者が付した「血脈」「DNA」といった見出しの不適切性
(三)タイトルである「ハシシタ」が被差別部落を想起させるものであること
(※一と重複するが、それがタイトルであったことの重大性)
佐野によれば、(二)(三)は週刊誌の編集者がやったことで自分は印刷後に知った、という意味の説明をしている。しかし、佐野は(三)について、週刊誌の編集部がやったこととはいえ、それでも「ハシシタ」というタイトルについては深く反省をしており、「(略)関西の地名で『ハシシタ』が被差別部落を示唆するケースがあることを知った。読者の方からも(タイトルが)部落を想起させるという指摘を受け、差別される側の気持ちに思慮が至らなかったことに、胸を突かれる思いがした」と語った。
ここまでのところを大雑把に整理すれば、佐野の橋下攻撃の志については、多くの反橋下派の思いと共通する。しかし、表現者・佐野の創作を週刊誌という商品にしたところ、差別を助長、強調する欠陥品として仕上がって世に出てしまったということになる。このミスは、作者である佐野のものとは言えない。『週刊朝日』の編集者が素人だったために起こったことである。表現者は作品の質を問われることはあっても、出版物(=商品)に係るトラブルについては、編集者がその責を負うのが出版界のルールだからである。今回のトラブルは、佐野の説明を全面的に信ずるならば、週刊誌の編集者の力量不足に起因する。
さて、もう1つ重大な問題がある。「ナニワの小型ヒトラー」橋下の言動、思想、哲学、政策・・・を問う方法として、橋下のルーツ(親族、生育環境等)を洗い出し公表する必要があるのかどうか――についてである。
佐野の作品では、その手法は定番であるという。たとえば、ソフトバンク創業者の孫正義氏(以下、敬称略)の評伝『あんぽん』では、孫が在日韓国人(現在は日本国籍を取得)であり、孫の一族、ルーツを、韓国取材を重ねて描いているという。そのことに孫が文句をつけたことはないし、社会問題化してもいない。佐野も、人物の評伝を描く際、生育環境にこだわることは当然として、「人間は社会的な生きものであり、文化的な環境や歴史的背景はその人物の性格や思考に必ず影響している。まして公党の代表であれば、その言動や思想がどういう経緯で形成されたのかを知ることは極めて大切だ」と説明している。
本件では、橋下の人間性、思想性が形成された背景には、差別問題があるということになる。佐野はこう言っている。
「(橋下の)実父が生きた部落では、解放運動が強い力を持っている。そこでは徹底した平等主義が貫かれる。しかし、その環境を背負っている橋下の思想は逆。『力のない奴は生きている価値がない』という過剰な競争主義だ。文楽をめぐる対応が典型だ。その違いを探ることは、おそらく現代社会の病巣を描くことにつながる」
ここで『東京新聞』の記者は、紙面に“差別と解放運動、アウトローの実父、首長に上り「戦後民主主義の脅威」になった息子。その相関関係に世相を映そうという狙いだったのか”と記事を結び、佐野の「橋下連載」の方法を推測しつつ佐野を擁護しようとする。
結論を言えば、佐野の方法は橋下の政治思想の解明につながらない。なぜならば、橋下は思想の力によって大衆に影響を及ぼすような思想的政治家ではないからである。橋下の思想形成の核を社会(親族、育成環境等)に当たっても、そこからは何も出てこない。なぜならば、橋下を「ナニワの小型ヒトラー」にしたのは、ただただ、日本のマスメディアの力によるからである。日本のマスメディアは、橋下の政策的なあいまいさ、一貫性のなさ、思いつき、並びに大阪府政及び大阪市政の実績等々といった政治的現実を吟味しようとしない。日本のマスメディアは、彼のダーウイン主義的優生思想や、経済政策を検証しようともしない。橋下の経済政策は、彼のブレーンである竹中平蔵の自由市場主義(新市場主義)そのものである。竹下の経済政策は彼が仕えた小泉政権において、日本社会を格差社会に導いた犯罪的なものである。にもかかわらず、日本のマスメディアは、橋下の政治的、政策的本質を問おうとしない。
換言すれば、日本のマスメディアは、それまで、橋下を玩具として弄んでいたのである。彼らにしてみれば、橋下は視聴率や販売部数を稼げる子役だった。橋下には何をやっても許される、と思っていたことだろう。“俺達が橋下を有名にしてやっているのだから”と思っていたことだろう。
ところが、橋下は日本のマスメディアが気づかないうちに次第にその力を増し、もはやマスメディアが制御できない怪物にまで成長していた。そのことをマスメディアは自覚していない。ヒトラーが台頭したことをドイツの当時のメディアも知らなかったように。
佐野は自らが信ずる方法によって、橋下という怪物を解明しようとした。ところが、彼に仕事を持ち込んだ『週刊朝日』というメディアは、大新聞の余剰人員の受け皿だった。日本のマスメディア出身でしかも本社の出世レースに敗北して子会社にふきだまった週刊誌編集者たちは、あいかわらず、橋下を玩具として弄ぶことで販売部数が稼げると目論んだ。ワルノリである。だから、「ハシシタ」「DNA」「奴の本性」といった、下品な見出しがつけられたのだろう。素人週刊誌編集者たちは、同和問題に係る表現コードすら忘却したのである。結果、玩具と思っていた橋下から猛反撃を受け、週刊誌側は全面降伏した。日本のマスメディアが「ナニワの小型ヒトラー」に大敗北を屈したのである。
ただ、思想形成の本質を問う方法として、佐野の方法は有効なのかどうか――という問題は残ったままである。カントが歯痛もちだったから、あのような晦渋な哲学ができあがったという「カント論」もある。貧困家庭で親に学歴がなくとも、親が教育熱心であれば、その子供が学者や思想家になることは珍しいことではない。親族に犯罪者がいること等で、警察官、検事、弁護士を志す者も少なからずいる。 そのような環境の者がすべからく、「小型ヒトラー」に成長するわけではない。
ただこれだけは言える、という面がある。評伝や人物伝においては、対象となる人物の環境が尋常でないほど面白さは増すという法則である。筆者の近辺に、“俺の祖父は満州浪人で馬賊だった”と自称するアウトロー気取りの男がいる。日本には「平家の落ち武者」を出自とする村がいくらでもある。そのようなことからわかるように、人間には、自らの出自をことさらいたずらに神秘化することによって、自らの人間的価値を上げたいという欲求が内在しているものなのである。
大物政治家、大物経済人ならば、その労苦を強調し、そこから這い上がった成功伝をつくりたいと思うのは当然である。佐野のようなキャリアの作家ならば、そのあたりは、取材者(=評伝の対象者)と阿吽の呼吸で分かり合えているはずである。しかし、佐野が仕事着手の始動において、正気を逸していた面がうかがえる。佐野は東京新聞紙面で、「自分らしくもないというか、社会的な使命感が働いた仕事だった」と、本音を明かしている。老練の仕事師が陥った対象への過剰な反応である。
ただ、佐野の以下のコメントは日本のマスメディアに対する警鐘として、ここに書き写すだけの価値があると筆者は信ずる。
「橋下を出せば、視聴率が取れるというメディア。長引くこの不況を脱して、カネもうけができればよいという橋下。そこには共通項がある。ただ、その風潮の行方の恐ろしさについては、ほとんど語られていない」
Zazie, Nico(12月)
早いもので、もう12月。
恒例の猫の体重測定がきてしまった。
今月のZazieは2.6㎏で前月比±0、
Nicoは5.9㎏で同+100g。
体重推移から判断するに、二匹とも成長期は終わったのではないか。
恒例の猫の体重測定がきてしまった。
今月のZazieは2.6㎏で前月比±0、
Nicoは5.9㎏で同+100g。
体重推移から判断するに、二匹とも成長期は終わったのではないか。
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