2012年12月2日日曜日

沈黙を破った佐野眞一

橋下徹大阪市長(以下、肩書、敬称略)に係る『週刊朝日』の連載中止問題について、これまで沈黙を続けてきた筆者の佐野眞一氏(以下、敬称略)が、管見の限りだが、初めて騒動についてコメントした。

佐野は『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の取材に応じ、「橋下という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを感じた」と、「橋下連載」の動機を語った。

また、橋下の振る舞いについて、1930年代のドイツを想起したとし、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状況が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも評した。

だが、橋下の政治手法がヒトラーと似ている点はそれだけではない。橋下とヒトラーの共通点は、マスメディアを巧妙に利用する点である。ヒトラーはメディアを自由に駆使し、自らの主張を大衆に浸透させた。一方、結果において佐野の「橋下連載」は、橋下に逆利用され、彼の株を上げてしまった。佐野の「橋下連載」は、彼が意図した橋下攻撃の志と真逆の展開をみせて終息した。

そのことはともかくとして、佐野が橋下に感じた危うさは、筆者の感触と変わらない。筆者も、橋下はヒトラーの政治手法を意識して真似ているか無意識のうちにヒトラー的要素を踏襲しているのかは定かではないが、ヒトラーの縮小的再来だという感覚を共有する。もちろん、橋下は、ヒトラーの才能・狂気の度合いとは相当劣るものの。

佐野の「反橋下」の意思及び週刊誌連載の企ては、ごく自然なものだ。だが、なぜ、ナニワの「小型ヒトラー」の反撃を許してしまったのか、また、結果において、佐野及び『週刊朝日』は、いともたやすく橋下に完敗してしまったのか。

『東京新聞』の取材に答えたコメント内容から、その理由は以下の3点に要約できる。

(一)「差別」について記述や表現に慎重さを欠いたこと

(二)週刊誌編集者が付した「血脈」「DNA」といった見出しの不適切性

(三)タイトルである「ハシシタ」が被差別部落を想起させるものであること
  (※一と重複するが、それがタイトルであったことの重大性)

佐野によれば、(二)(三)は週刊誌の編集者がやったことで自分は印刷後に知った、という意味の説明をしている。しかし、佐野は(三)について、週刊誌の編集部がやったこととはいえ、それでも「ハシシタ」というタイトルについては深く反省をしており、「(略)関西の地名で『ハシシタ』が被差別部落を示唆するケースがあることを知った。読者の方からも(タイトルが)部落を想起させるという指摘を受け、差別される側の気持ちに思慮が至らなかったことに、胸を突かれる思いがした」と語った。

ここまでのところを大雑把に整理すれば、佐野の橋下攻撃の志については、多くの反橋下派の思いと共通する。しかし、表現者・佐野の創作を週刊誌という商品にしたところ、差別を助長、強調する欠陥品として仕上がって世に出てしまったということになる。このミスは、作者である佐野のものとは言えない。『週刊朝日』の編集者が素人だったために起こったことである。表現者は作品の質を問われることはあっても、出版物(=商品)に係るトラブルについては、編集者がその責を負うのが出版界のルールだからである。今回のトラブルは、佐野の説明を全面的に信ずるならば、週刊誌の編集者の力量不足に起因する。

さて、もう1つ重大な問題がある。「ナニワの小型ヒトラー」橋下の言動、思想、哲学、政策・・・を問う方法として、橋下のルーツ(親族、生育環境等)を洗い出し公表する必要があるのかどうか――についてである。

佐野の作品では、その手法は定番であるという。たとえば、ソフトバンク創業者の孫正義氏(以下、敬称略)の評伝『あんぽん』では、孫が在日韓国人(現在は日本国籍を取得)であり、孫の一族、ルーツを、韓国取材を重ねて描いているという。そのことに孫が文句をつけたことはないし、社会問題化してもいない。佐野も、人物の評伝を描く際、生育環境にこだわることは当然として、「人間は社会的な生きものであり、文化的な環境や歴史的背景はその人物の性格や思考に必ず影響している。まして公党の代表であれば、その言動や思想がどういう経緯で形成されたのかを知ることは極めて大切だ」と説明している。

本件では、橋下の人間性、思想性が形成された背景には、差別問題があるということになる。佐野はこう言っている。
「(橋下の)実父が生きた部落では、解放運動が強い力を持っている。そこでは徹底した平等主義が貫かれる。しかし、その環境を背負っている橋下の思想は逆。『力のない奴は生きている価値がない』という過剰な競争主義だ。文楽をめぐる対応が典型だ。その違いを探ることは、おそらく現代社会の病巣を描くことにつながる」

 ここで『東京新聞』の記者は、紙面に“差別と解放運動、アウトローの実父、首長に上り「戦後民主主義の脅威」になった息子。その相関関係に世相を映そうという狙いだったのか”と記事を結び、佐野の「橋下連載」の方法を推測しつつ佐野を擁護しようとする。

結論を言えば、佐野の方法は橋下の政治思想の解明につながらない。なぜならば、橋下は思想の力によって大衆に影響を及ぼすような思想的政治家ではないからである。橋下の思想形成の核を社会(親族、育成環境等)に当たっても、そこからは何も出てこない。なぜならば、橋下を「ナニワの小型ヒトラー」にしたのは、ただただ、日本のマスメディアの力によるからである。日本のマスメディアは、橋下の政策的なあいまいさ、一貫性のなさ、思いつき、並びに大阪府政及び大阪市政の実績等々といった政治的現実を吟味しようとしない。日本のマスメディアは、彼のダーウイン主義的優生思想や、経済政策を検証しようともしない。橋下の経済政策は、彼のブレーンである竹中平蔵の自由市場主義(新市場主義)そのものである。竹下の経済政策は彼が仕えた小泉政権において、日本社会を格差社会に導いた犯罪的なものである。にもかかわらず、日本のマスメディアは、橋下の政治的、政策的本質を問おうとしない。

換言すれば、日本のマスメディアは、それまで、橋下を玩具として弄んでいたのである。彼らにしてみれば、橋下は視聴率や販売部数を稼げる子役だった。橋下には何をやっても許される、と思っていたことだろう。“俺達が橋下を有名にしてやっているのだから”と思っていたことだろう。

ところが、橋下は日本のマスメディアが気づかないうちに次第にその力を増し、もはやマスメディアが制御できない怪物にまで成長していた。そのことをマスメディアは自覚していない。ヒトラーが台頭したことをドイツの当時のメディアも知らなかったように。

佐野は自らが信ずる方法によって、橋下という怪物を解明しようとした。ところが、彼に仕事を持ち込んだ『週刊朝日』というメディアは、大新聞の余剰人員の受け皿だった。日本のマスメディア出身でしかも本社の出世レースに敗北して子会社にふきだまった週刊誌編集者たちは、あいかわらず、橋下を玩具として弄ぶことで販売部数が稼げると目論んだ。ワルノリである。だから、「ハシシタ」「DNA」「奴の本性」といった、下品な見出しがつけられたのだろう。素人週刊誌編集者たちは、同和問題に係る表現コードすら忘却したのである。結果、玩具と思っていた橋下から猛反撃を受け、週刊誌側は全面降伏した。日本のマスメディアが「ナニワの小型ヒトラー」に大敗北を屈したのである。

ただ、思想形成の本質を問う方法として、佐野の方法は有効なのかどうか――という問題は残ったままである。カントが歯痛もちだったから、あのような晦渋な哲学ができあがったという「カント論」もある。貧困家庭で親に学歴がなくとも、親が教育熱心であれば、その子供が学者や思想家になることは珍しいことではない。親族に犯罪者がいること等で、警察官、検事、弁護士を志す者も少なからずいる。 そのような環境の者がすべからく、「小型ヒトラー」に成長するわけではない。

ただこれだけは言える、という面がある。評伝や人物伝においては、対象となる人物の環境が尋常でないほど面白さは増すという法則である。筆者の近辺に、“俺の祖父は満州浪人で馬賊だった”と自称するアウトロー気取りの男がいる。日本には「平家の落ち武者」を出自とする村がいくらでもある。そのようなことからわかるように、人間には、自らの出自をことさらいたずらに神秘化することによって、自らの人間的価値を上げたいという欲求が内在しているものなのである。

大物政治家、大物経済人ならば、その労苦を強調し、そこから這い上がった成功伝をつくりたいと思うのは当然である。佐野のようなキャリアの作家ならば、そのあたりは、取材者(=評伝の対象者)と阿吽の呼吸で分かり合えているはずである。しかし、佐野が仕事着手の始動において、正気を逸していた面がうかがえる。佐野は東京新聞紙面で、「自分らしくもないというか、社会的な使命感が働いた仕事だった」と、本音を明かしている。老練の仕事師が陥った対象への過剰な反応である。

ただ、佐野の以下のコメントは日本のマスメディアに対する警鐘として、ここに書き写すだけの価値があると筆者は信ずる。
「橋下を出せば、視聴率が取れるというメディア。長引くこの不況を脱して、カネもうけができればよいという橋下。そこには共通項がある。ただ、その風潮の行方の恐ろしさについては、ほとんど語られていない」