●堤未果[著] ●岩波新書 ●760円+税
はじめにことわっておく。筆者はアメリカに長期間滞在した経験がない。アメリカ社会の研究者でもない。つまり、本書の内容を検証する力量がない。だから本稿は、著者(堤未果)が本書に書きとどめた事例等について、事実として受け止めたうえでの内容となっている。筆者がそう考える根拠は、著者(堤未果)の前作、前前作である『貧困大国アメリカ』『貧困大国アメリカⅡ』に対して、同書の記述内容に係る反論が(管見の限りだが)なかったことによる。それどころか、前前作は「日本エッセイストクラブ大賞」「新書大賞2009」を受賞した。つまり、日本のジャーナリズム・出版業界・アメリカ研究者等が、著者(堤未果)のルポ内容を事実として認定したと考えられる。むしろ、筆者としては、アメリカ社会研究者、アメリカ経済称賛者等から、本書に係る反論・反証を聞きたいと思っている。これらのことも管見の限り、行われていないように思われる。
●アメリカは変わった
本年7月18日、財政破綻した米中西部ミシガン州デトロイト市が連邦破産法第9条の適用を申請した。本書第4章(「切り売りされる公共サービス」)にも、破綻申請直前のデトロイト市の荒廃ぶりが紹介されている。本書によると、“全米の自治体の9割は、5年以内破綻する”状況にあるというから、デトロイトの破綻申請は特別な事件ではないのかもしれないが、筆者にとっては衝撃的な出来事だった。
筆者の年代の者にとってデトロイトは、「繁栄するアメリカ」を最も象徴する都市の1つだった。ビッグ3と呼ばれる自動車メーカーが本社を構え、全米一ともいわれた組織力を誇る全米自動車労働組合(UAW)の本部もここにある。デトロイトから始まった自動車のベルトコンベア方式による生産様式と労働形態はフォーディズムと呼ばれているが、もちろんそれは、この街に誕生した自動車メーカーであるフォード社に由来する。フォーディズムは、高度成長を支える大量生産・大量消費の代名詞でもある。そのデトロイト市が財政破綻したということは、アメリカが(以前の)アメリカでなくなったことを認識するに余りある出来事ではないか。
●コーポラティズムが今日のアメリカを支配する
フォーディズムを“卒業”したアメリカが行き着いた産業(ビジネス)モデルこそが、コーポラティズムにほかならない。アメリカは規制緩和、自由競争を旨とした、新自由主義、新市場主義の国だと言われる。日本でもテレビに登場するアメリカ寄りの経済学者や政治家が、アメリカを範とする規制緩和を提唱し、公正な競争による日本(経済)の活性化を目指すことを力説するシーンがしばしば見られる。そのような“アメリカかぶれ”たちは、アメリカの実体が見えていない者か、見えていても敢えてアメリカの神話を語ることで利益を得ている者のどちらかだろう。
コーポラティズムとは何かについて、大雑把に整理しておこう。
いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)にほかならない。(略)
グローバリゼーションと技術革命によって、・・・無国籍化した顔のない「1%」とその他の「99%」という二極化が、いま世界中に広がっている。
巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団が、クライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑産複合体、教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引きかえに、企業寄りの法改正で、“障害”を取り除いてゆく。
コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだろう。(P274)
本書にはコーポラティズムに基づいて、多国籍企業がアメリカ政府に働きかけた規制緩和及び規制の数々の「成果」事例が紹介されている。たとえば、遺伝子組み換え作物(GM作物)に関する法規制をアメリカ国内において換骨奪胎させる手口だ。開発企業を守るため、規制緩和と称して、GM作物の表示義務を撤廃する一方、一般の科学者がGM種子を実験に使用することですら、特許法を盾に許可されない。開発企業に不利な表示義務は、規制緩和の名の下に撤廃され、また、開発企業にとって不利となる実験行為等は、特許という法規制によって守られる。消費者の選択する権利は規制緩和によって奪われ、GM作物の安全性を解明しようとする科学的行為は特許法という合法によって阻止される。これがアメリカ流の「新自由主義」の実態だ。どこに「自由」があるというのだ。
多国籍企業はアメリカ国内を合法的に支配したのち、アメリカ方式をグローバルスタンダードと称し、世界進出を企てる。それがコーポラティズムの進化の図式だ。
●コーポラティズムの恐怖はTPPとともに日本に押し寄せる
先の参院選では、日本のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加について論議が盛んだった。参院選でTPP推進派の安倍政権が信任され日本のTPP参加は既定路線となり、いま日本政府は、参加に向けた具体的作業に入っているところだ。
TPPの恐怖は、多国籍企業がアメリカ政府に働きかけてつくりあげたアメリカの法制度のほうが、参加国の国内法に優先することだ。先述したとおり、GM作物の表示義務は、アメリカにはない。日本がTPPに参加した時点で、アメリカから日本に輸入されたGM作物は、日本の市場で表示のないまま、国内産と同様に販売されてしまう。
GM作物が人体にとって安全なのかそうでないかは、現時点で科学的に証明できないという。安全かもしれないし、長期にわたり摂取し続けることによって人体に害が生じるかもしれない。それはそれでいい。重要なのは、消費者がGM作物に係る選択権をもつことだ。GM作物だっていいよ、という消費者はそれを買い、GM作物は危険だと感じる消費者は買わない、という単純な自由だ。ところが、TPP参加国の消費者から、そのような選択権を奪うのがコーポラティズムなのだ。
もう一つの恐怖は、TPPに先立ってアメリカとそのほかの国の2国間で交わされたFTA(自由貿易協定)のなかのISD(Investor-State Dispute Settlement)条項がTPPにおいても適用されることだ。
これ(=ISD条項)はたとえば韓国に投資したアメリカの投資家や企業が、韓国の国内政策によって経済的に損害を被るかその恐れがある際に、世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターに提訴できるという内容だ。世界銀行はアメリカ支配が最も強く、裁判は密室で行われ上訴は不可、そして判決の基準は公益ではなく、「投資家にとって不利益があったかどうか」になる。(P160)
アメリカがTPPを積極的に推進しようとする背景には、世界最大規模の市場であるEC内においては、アメリカを本籍とする多国籍企業が思うとおりの経済活動ができない実態があるためではないか。ECは、社民主義の伝統が根強く、アジア・太平洋地域よりも厳しい経済規制をしいている。アメリカ政府は、人口増及び経済成長を続けるものの、ECに比べて社会の成熟度が低いアジア・太平洋圏の経済支配を狙って、TPPを梃にした外交を展開しようとしているように思える。そのことは無論、多国籍企業の意に沿ったものだ。TPPの恐怖はそこにもある。
三番目の恐怖は、マスメディアの沈黙だ。これは日本におけるTPP参加問題においても同様の機運が形成されたので、記憶に新しい事柄だろう。“TPPはわからないことだらけです”“TPP交渉は外部に情報を漏らしてはならないことになっています”等々の言説が、日本のテレビに登場する経済学者、学識経験者、「ジャーナリスト」と称する人々からまことしやかに語られたものだ。
オバマ大統領は今回新しく、議会の承認が不要なUSDA(合衆国農務省)直属機関である食糧農業国立研究所を政府内に設立、所長にはモンサント社が出資するダンフォース・プラント科学センターのセンター長だったロジャー・ビーチを指名した。ビーチは大統領選挙の際、オバマ陣営の選挙資金に大きく貢献した一人だ。
TPP交渉における要職である、USTR(合衆国通商代表部)農業交渉主任には、以前クリントン政権下のUSDAでバイオテクノロジーを推進したイスラム・シディキが任命された。彼は世界の農薬市場の四分の三を占めるモンサント他五社を代表するロビー団体「クロップ・ライフ・アメリカ」の副社長でもある。
USDA総合担当弁護士にはラモーナ・ロメロ。モンサント社についで世界トップの農薬・種子企業デュポン社の元顧問弁護士だ。
最高裁判所の裁判官には、GM小麦アルファルファと有機農家が戦った訴訟で、モンサント社側の弁護士を務めたエレナ・カーデンが選ばれた。
モンサント社といくつもの共同事業を進めるバイオテクノロジー研究の「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」で農業開発管理者だったラジプ・シャアは、オバマ大統領によってUSDA教育研究所次官に指名されている。(P81~82)
「TPPのことはわからない」のではない。本書のこのくだりを読めば、多少の想像力を働かすまでもなく、TPPとは、アメリカを本籍とするバイオ関連の多国籍企業による、世界的規模の農業・穀物支配戦略の一環であることが明白となろう。ではなぜ、日本のマスメディアは、このくらいのアメリカ政府のTPPシフト人事について報道しないのだろうか。
その回答をする前に、アメリカ国内においても、政府と業界の癒着が国民に知らされてこなかった経緯があるという。
「レーガン政権のEPA(合衆国環境保護庁)長官とFDA(合衆国食品医薬品局)長官は、どちらもモンサント社の役員でしたし、ブッシュ政権のアン・ベネマン農務長官は元バイオ企業役員でした。クリントン政権の通商代表は元モンサント社の役員、内政アドバイザーとFDA局局長代理はその後モンサント社の役員と子会社役員にそれぞれ就任しています。こうして挙げていけばきりがありませんが、アメリカの食に関する規制緩和が、信じられないようなスピードで進められていった背景には、こうした政府と業界の癒着があったのです」
「国民はこうした変化に気がついていたのでしょうか」
「・・・未だに多くの国民は、こうした事実を知りません。彼らにとって、FDAやEPA、USDA神話は、まだ強固なままなのです」
「それはどんなイメージですか」
「自分たちの食の安全や、環境と農業を誠実に守ってくれる政府の専門機関。FDAはアメリカ国民にとって最も信頼される機関の一つだと言われ、諸外国からも信用されています。近年大きなブームとなっているオーガニック食品は、USDAの認証ラベルがひとつの安心めやすになっていますからね」
かつてリンカーン大統領は、国民のいのちの元である食を守る「人民の省」としてUSDAを設立した。そのイメージは、今も消えていないのだ。
「こうなった原因はどこにあると思われますか」
「独占禁止法の規制緩和と寡占化で企業規模が大きくなりすぎたこと、そこに1999年の〈グラススティーガル法(金融規制法)〉撤廃が想像を超えた儲け方を可能にしてしまった。勝ち組になったウォール街と企業がタッグを組んで、途方もない資金力でマスコミや政府を買うようになってしまったのです」
「国民の多くが知らないうちにですか」
「大半は何が起こっているのかさっぱりわかっていないでしょう。国民が法律そのものに関心をまったく払わないことに加えて、企業はその資金力で政府だけでなく、必ずマスコミも一緒に押さえるからです。こうすれば国民に気づかれずに都合のいい法改正を行える。一日の平均視聴時間が8時間以上のテレビ社会アメリカでは、国民の思考は番組制作者が形成するのです」(P83~84)
前出のとおり、アメリカは変わった――にもかかわらず、アメリカ国民はそのことを知らない。そして、アメリカで起こったことが、いま日本に起こりつつある。もちろん、日本国民もそのことに気づくことがない。
●アメリカ二大政党制の幻想
アメリカの政治のあり方を根底的に変える出来事――「市民連合判決」があった。これは2010年1月、保守派主導の最高裁が出した「企業による選挙広告費の制限は言論の自由に反する」という違憲判決だ。これにより、アメリカでは企業献金の上限が事実上撤廃されたという。この判決は企業も有権者と同等に政治に意向を伝える権利があるという意味で「市民連合判決(Citizens United)」と呼ばれている(P226)。これによって利益団体は、候補者か対立候補を落とす広告費の名目で、無制限に政治献金ができるようになった。
テキサス州フォートワース在住の調査ジャーナリスト、アレン・クリフトンは、この判決は、80年代から年々ぼやけてきていた二大政党の対立軸を、完全に消してしまうだろうと言う。「アメリカ国民にとっての選択肢は、大金持ちに買われた小さい政府か、大金持ちに買われた大きい政府か、という二者択一になりました」(P225~226)
市民連合判決後、大量の政治献金が堰を切ったようにじゃぶじゃぶと政界へ流れ始めた(P230)。2010年の中間選挙、2012年の大統領選および上下院選挙では総額60億ドル(約6000億円)というアメリカ史上最高記録を更新している。「選挙とは国の支配権をかけた効率の良い投資である」(政治学者トーマス・ファーガソン)となり、企業の意思表示が無制限に保護された結果、選挙は有力企業と、その意向を代表するコンサルタント、広告代理店、世論調査会社が演出する巨大な劇場となっていったという(P233)。
市民連合判決で最も潤ったのが言うまでもなく大手テレビ局だ。2008年に5億ドル(約500億円)だった選挙広告費は、2012年には8倍以上の42億ドル(約4200億円)に跳ね上がった。しかも、企業であっても個人であっても何億、何兆ドルでも無制限に集められ、集めた総額、寄付者の名前も一切公表しなくてよくなくなった。その仕組みを担保したのがスーパーPAC(特別政治活動委員会)だ。スーパーPACは、表向きは候補とは関係ない団体なので、ライバル候補者に対する根も葉もない醜悪なネガティブCMを流したとしても、候補者本人は自分とは一切関係ないと言えるという。つまりこうして、選挙は「なんでもあり」の劇場と化したわけだ。
さて、アメリカの「民主主義」を象徴するのが二大政党制と、国民の直接選挙による大統領選挙だ、と日本では信じられている。二大政党制は政権交代を即座に国民が選択できる合理的制度であり、大統領選挙は国民が自らの手でアメリカのトップを決めることができる、直接民主主義という最善手であると。日本でも、アメリカの二大政党制を参考とした、小選挙区制度が取り入れられた総選挙が1996年に行われ、その後、2009年に民主党が自民党から政権を奪った。また、首相公選制度を要望する声は後を絶たない。ところが—
80年代から加速した規制緩和と民営化、垂直統合、政府・企業間の回転ドア、ALEC(米国立法交流評議会)、そして市民連合判決といった動きが、アメリカを統治政治から金権政治へと変えていった。寡占化によって巨大化した多国籍企業は、立法府を買い、選挙を買い、マスメディアを買うことでさらに効率よくその規模を広げてゆく。
「最大の問題は、こうした動きが国民の知らないところでスピードを上げていることです」そう言うのは、2010年の中間選挙でカリフォルニア州の第三党から州議会議員に立候補したジル・スタインだ。
「大企業は吸収や合併を繰り返し巨大化するにつれ、無駄がなくシステマティックになってゆきます。この動きは年々加速しているにもかかわらず、あまりに洗練されているので国民の意識がついていけない。その時差をマスコミがさらに利用するのです」
「どんなふうに利用するのでしょうか」
「たとえば、選挙の時期になるたびに、マスコミはこの国にまだ二大政党制が機能しているかのようなイメージを振りまいてきました。保守対リベラル、共和党対民主党、赤い州対青い州、といった具合です。大衆は分かりやすい構図を好みますし、CMも二つの対立軸を煽るように作られている。国民を高揚させるようにデザインされているのです」
「そのことの弊害とは何でしょうか」
「国民がマスコミと政治家によって見せられるイメージと、実際に起きていることのギャップの大きさです。2012年の大統領選挙では、「1%」の代表であるロムニーが金権政治の象徴で、オバマがその逆であるかのようなイメージが、テレビ画面を通じてリベラル派の間に広がりました。反ロムニー感情を煽られたリベラル派の多くは、あっという間に忘れてしまったのです。オバマ大統領が2008年に就任した直後に、いったい国民の税金を何に使ったのかを」
2008年、政治資金監視団体の「オープン・シークレット(Open Secrets.Org)」は、オバマ大統領が公的資金注入を実施した大手保険企業であるAIG社から、選挙の際に10万4332ドル(約1043万円)の献金を受け取っていた事実を公表している。
「税金から1730億ドル(約17兆円)もの公的資金を受けて経営破綻を逃れたAIGは、その後幹部に1億6500万ドル(約165億円)、従業員に2億3000ドル(約230億円)のボーナスを支払い、国民の怒りを買いました。国内の失業率が10%を超えているのに、救済金は一般市民や中小企業ではなく金融機関幹部に流れた。その行く先はオバマ大統領の選挙スポンサーリストとピッタリ合っているのです」
たしかに政治献金の内訳を見ると、当選後の政策と明らかにリンクしているのが分かる。2008年のオバマへのトップ献金元リスト上位に並ぶのは大手金融機関だ。AIG社が受け取った公的資金の半分が流れた同社の大株主で最大債権者のゴールドマン・サックスは、オバマ献金リストの第二位にいる。(P234~236)
アメリカの二大政党制は――繰り返し述べることになるが――マスメディア、とりわけ大手テレビ局がつくりあげたイメージの産物でしかない。民主党もしくは共和党のどちらの候補者が大統領になっても、多国籍企業、投資家・株主、一部のIT企業といった「1%」の側の利益となる政策が遂行されるだけだ。
●アメリカという空虚なビークルが目指すもの
さらにいえば、アメリカという国家は、多国籍企業、金融業、投資家・株主、政治家、役人、IT企業という「1%」のために、そして、「99%」を路上に置いたまま――走る、空虚なビークル(vehicle/乗り物)のようなものだとさえ言える。
金融業、投資家は莫大な資金というエネルギーを用意し、多国籍企業は車体もしくはエンジンのようなものか。政治家や役人はビークルの進行を阻害する障壁を規制緩和で取り除く一方、対向車や競争車に対しては規制によってそれらを排除する。IT企業はコンピュータを駆使してビークル運行の効率を高め、一直線に利益を目指せるようにナビゲートする。運転手は民主党でも共和党でもかまわない。どちらも政治献金で縛られたロボットなのだから。
ビークル「アメリカ号」は、まずアメリカ国内においてそのビジネスモデルを試行し、成功すると、さらに貪欲にグローバルな枠組みへと巨大化する。やがて、世界(市場)の半分以上がビークルと化す。その目的達成のため、「自由」「競争」「公正」「民主主義」「規制緩和」「市場主義」といった美辞麗句がメディアをつかって流され、イラク戦争、アフガニスタン戦争、FTA、TPPが仕掛けられる。ビークルはだれにとがめられることなく、拝金主義、成果主義をまっとうし、ビークルの株主に対し利益還元を成し遂げる。
いま日本においても空虚なビークル「アベノミックス号」が走りだそうとしている。そのデザイン、仕様は、アメリカのそれと瓜二つだ。